第221話 集合知の顕現!
[どうしたクレイ……俺は……まだ……生きているぞ……]
モートめがけて振り下ろされた光が収束しかけた時、地面から低いうめき声が発せられる。
それは全身が裂傷と火傷に包まれたモートの声だった。
光の剣によって叩きのめされ、全身に刻まれた傷跡によって苦しむモートを見たクレイは、彼に見合わぬ冷たい目で先ほどまで戦っていた相手を見下した。
「瀕死の状態で留まるようにお前の因果を読み取って調整した。悪いが俺がサリムを調律するまでそこで大人しくしてもらおう」
[な……んだと……]
そう言うとクレイはモートに背を向け、サリムへと歩き出す。
[貴様……俺を侮辱するか……! 生きながらえて、これ以上の恥を晒せと言うかクレイ! どこまでも貴様ら親子は……!]
しかしモートが呪う声を背中に浴びたクレイは途中で歩を止める。
「エレオノールが泣いていた。瀕死のサリムを見たからか、それともお前がサリムを顧みることなく戦っていたからかは分から……ないが……うッ」
そして苦しそうに答えを返すと、すぐに平然とした態度になって口を開いた。
「それに今の汝では我には勝てぬ。我のいる座の高みまで昇り、そして我の元に還るのが一番の早道だ、旧神モートよ」
そう言うとクレイは一瞬だけふらついた後、頬を両手でパチンと叩いて再び歩みを再開した。
「自らの無力さに起因する嘆き。それがアルバ候がかつてこの王都で味わった取り返しのつかないもの……後悔だよモート」
その独り言は、彼以外の誰にも聞かれることは無かった。
彼自身以外の誰にも。
「大丈夫かサリム」
「申し訳ありませんクレイ様」
「気にするな。あれほど言っても結界内に入ってきたのなら、そうする理由とそれが出来る理由があった。それだけだろ」
サリムの近くに来たクレイは地面に膝をつき、法術による解析を行う。
地面に横たわるサリムは、髪が張り付いてしまうほど全身に脂汗を流して苦痛に耐えており、それを見たクレイは慎重に背中に手を回して法術による治療を一応は試みてみる。
(やはり無理か……ゲイボルグによる負傷はクルタナしか癒せないというのは本当らしいな)
慈悲の剣クルタナ。
こちらの世界でも切っ先が欠けており、人を傷つけられないようになっているこの剣は、その代わりに傷を癒す力を持っているとされている。
実際に前回の天魔大戦時、クー・フーリンと相対したベルトラムがゲイボルグの呪詛に倒れた時、このクルタナの力によって癒されたのだ。
(だけどベル兄の時と違って今のサリムは龍族の特色が色濃く出ている。それならゲイボルグの力を龍族の肉体へと誘導すれば呪詛は無効化され、人間の部分を癒せるはずだ……よし!)
クレイは勢いよくうなづくと、自分の内面へと語りかける。
(おい出番だぞ。えーと……メタトロンでいいのか?)
それはずっと自分の中にいたものであり、更には新たに加わった者であり、あるいはそれ以外の何者かであった。
(先ほどルシフェルに学んだのではなかったのか。我の力にいつまでも頼るのは汝の成長に繋がらず、汝の望みに繋がらぬ)
(今の俺には無理だからやってくれ)
(駄目だ。助言はするが実行は汝がせよ)
(……分かった)
クレイは内面から返ってきた意思に承諾すると、光の剣を顕現させて青眼の構えを取り、サリムへと向き直った。
(ゆっくりと息を吸い……世界にあまねく聖霊の流れを感じ取る……)
(出来るではないか。汝は因果のことを難しく考えすぎなのではないか?)
(深淵を覗くものは深淵からも覗かれていることを忘れるな)
即座に苦言を呈したクレイに対し、天使の王メタトロンと呼ばれる存在が数コンマ秒ほどの沈黙の後に意思を返した。
(確かにな。だが我らは人より天使に転じた者ということも忘れてはならん。無意味な恐れは、真実より目を遠ざける障害にしかならんということも)
(だが意味がある恐れだったと分かるのは常に失敗した後なのさ)
(まさに。それ故に我々は君の中にいるのだよ隠匿されし者。物質界の申し子よ)
(物質界の申し子? なんだそれ)
心当たりのない自分への評価にクレイは首をひねり、先ほどのメタトロンの発言を聞いて生じたもう一つの疑問を投げかけた。
(つか我々って、お前そんなにいっぱいいるのか?)
(主の御業を会得する過程で我はあまたの分身を作り、成長させ、ともに内面世界を拡げていった。その結果が曼荼羅の術だ)
(へえ……ってことは、主の御業はこの世界を繁栄させていくことが目的ってことでいいのか?)
(そういうことだ)
(なるほど、俺が今まで聞いてきた情報と合致するな……と、これがサリムの螺旋構造か)
クレイはそう言うと、サリムの体の奥底をじっと見つめる。
複数の玉が一つの塊となってもつれ合い、その塊がそれぞれに支えあい、それが螺旋状となって上下に繋がっている。
その複雑な構造を見たクレイは軽く肩をすくめ、互いに支えあう玉の間に伸びた結合腕が、一つの塊から複数の塊にわたって伸びていることに溜息をついた。
(神、魔、龍の三属性を人の器に押し込めているだけあってかなり複雑だな)
見れば玉の幾つかはかなりの範囲で青黒く変色しており、ゲイボルグの呪詛はすでにかなり進行していることが伺えた。
(ゲイボルグの因果を操り、龍属性のほうへ誘導……と。おいメタトロン、ちょっと目を借りるぞ)
(好きにしたまえ。これは我の目であると同時に汝の目でもあるのだからな)
クレイの背中に孔雀に似た無数の羽根が広がり、その一本一本に宿る目のような模様が開くと、次々と光を発する。
と同時に手の先にも光が宿り、クレイが手を動かしてその光を操ると次々と青黒く変色した箇所は周囲の緑色や水色、赤色と同化し、青黒い箇所は土色の玉へと移動していった。
(しかし妙な話だよな)
(何がだね)
(俺たちみたいな天使と違って、サリムは人間や龍族を主要素とする物質界よりの存在だ)
クレイはそう答えると後頭部に手を当て、バアル=ゼブルのようにポリポリとかき回した後に口を開いた。
(複数の属性を宿す緩和剤、流動体としての役割を果たす精神体。つまり神族の属性を宿しているとはいえ、あんなにホイホイと肉体そのものを変化、変身させることが出来るわけないのにサリムはやってる。妙な話だと思わないか?)
(ふぅ……君はたった今自分が口にしたことも忘れてしまうほど愚かなのかね)
(知らないことは分からないよ。人は未知のモノに対して思いをきたすことができない。つまり知らないことはその人にとって世に存在しないも同然ってことだ)
(つまり?)
(未知に対して目を逸らして無かったことにしてもいい、だけどそれはお前の望むところじゃないんだろ?)
(うむ)
メタトロンは満足そうに返事をすると言葉を続ける。
(自らが愚かであることを素直に認める者は賢者である。我の挑発に乗らず貪欲に知識を求めるその姿勢に敬意を表して答えよう)
(面倒くさいな、もったいつけずに早く話せよ)
メタトロンは深い溜息をつくと、最近の若い者は風情だの敬意だのと愚痴をこぼしながらも説明を始めた。
(龍族の魔術、竜語魔術のことは知っているな?)
(さっきお前も自分の目で見たばかりだろ。さっきの仕返しをしてやろうか?)
(あれは他者を封印する術だ。我が言っているのは竜語魔術でも本筋に入る効果のもの、自らの肉体や自らの周囲の変化を成しとげる術の方だ)
(あれ? それじゃお前にヘプルクロシアでの記憶は無いのか……ええと、さっき俺の中に帰ってきたメタトロンから事情を聞けないか?)
(そうするとしよう)
(オイ)
クレイがジト目で見ると、メタトロンはその反応を楽しむようにニヤリとした。
(なるほど、君の扱い方が分かってきたぞ。どうやらバアル=ゼブルに影響を受けつつあるようだな)
(なんだよそれ!)
(我は集合知の結晶ということだ。さてさっきの話の続きだが、龍族はかつてこの物質界の主だったわけだが、その時に彼ら独自の平行世界を作り出している)
(ふむふむ)
(竜語魔術はその平行世界と接触し、自由に入れ替えることで法則を塗り替え、変質させることでその効果を発揮するのだ)
(ふーん)
(精霊魔術が精霊界に住まう複数の精霊の力を具現化させ、調合することで発動するのに対し、竜語魔術はこの物質界そのものと入れ替えた平行世界を調合し、発動させるということだな)
メタトロンの説明にクレイは首を傾げる。
(平行世界ねえ……アーカイブ領域みたいなものか?)
(アーカイブ領域は精神世界に属するから違うな)
(なるほど)
(平行世界は法則自体はこの物質界に準じる。だが世界自体は並行して存在するためにアクセスはできない。出来るのは物質に特化した存在、龍族のみだ)
(人間は?)
(親和性と汎用性を持たせたがゆえに特化しておらず、従ってアクセスは出来ない。これはアーカイブ領域も同様だ)
クレイはうなづき、同時に頭に浮かんだ疑問を口にした。
(フィーナはアーカイブ領域にアクセスしてるぞ)
(汝は旧神アガートラームとヴァハの間に生まれた彼女を、普通の人間だと思っていたのか?)
(あー……でも戦力として役立ってくれたことが殆ど無いからな……)
クレイがフィーナと初めて会った時のことを思い出し、頭を抱えるとメタトロンもその内容を感じ取ったのか深いため息をついた。
(ふむ……彼女は子供の頃にアスタロトに誘拐されている。それに何らかの原因があるのかもしれんな)
二人が話す間にも青黒い箇所の移動は進み、最後の一つが動きを止める。
仕上げをするべくクレイが移動した青黒い箇所へと指を向けた瞬間、頭の中に一つの不安要素が浮かんだ。
(さて、と……あれ、これ新たな移動を封じるためにはサリムの体と龍族との接続を切らないといけないのか?)
(その通りだ。汝は幸運だな)
(サリムが大変な時に幸運も何もあるかよ)
(人と龍。物質界に覇を唱え、受け継いできた双方の種族が融合した因果を操るなど、我ですら経験したことが無い。これを幸運と言わずして何と言う)
(あー……)
メタトロンの指摘に、クレイは嫌々ながらもうなづく。
(まあそうかもしれないけどさ……操った結果、サリムの体はどうなる?)
(うむ、さすがにその辺りの事情は詳しくない。バハムートに聞いてみたまえ)
(丸投げかよ! お前実は何も知らないんじゃないだろうな!)
疑わし気な視線を向けるクレイに、メタトロンは冷笑を返す。
(別にそう思ってもらっても我は困らない。困るのは自分だけの力ではどうにもならなくなった将来、我を無能と判断して助力を得ようとしない汝のみだ)
(分かったよ。えーとバハムートの界層は……と)
素っ気ないメタトロンの態度を見たクレイは意識レベルを切り替え、内面に満ちる意識を外界――サリムの中にいるバハムート――へと向けた。
(というわけなんだけど、接続の因を切っても大丈夫なのかな?)
(余も分からん)
(オイ⁉)
しかしバハムートから返ってきた返答は無責任そのもので、クレイは唯一の助けとなるであろう龍王を怒鳴りつけてしまっていた。
(まあそう怒るでない。お主も知っての通り、サリムの存在は稀有なもので前例が無い。稀人と呼んだものがいたが、まさにその通りで余もはっきりとした答えは出せぬのじゃ)
(試してみるしかないってことか)
(余もサポートしよう。サリムの中に長くいる間に色々といじらせてもらったし、ゲイボルグとやらの槍の力がティアマトに起因するものなら、九割二分ほどの確率で治癒は可能であるはずだ)
(なんでそんな中途半端な数字なんだ……つかいじったって何をいじったんだよ)
だがそれは龍王バハムートなりの謙遜というものであったのだろう。
クレイが拍子抜けするほどあっさりと因果の切り離しと治癒は終わり、何事も無かったかのようにサリムは立ち上がってクレイへと頭を下げた。
「助けていただけてありがとうございますクレイ様」
「今回は助かったから良かったようなものの、次からこんな無茶をしたら承知しないからな」
「分かりました」
サリムの顔はどう見ても約束を守りそうもなかったが、クレイは仕方がないとばかりに溜息をついて周囲の状況を確認しようとする。
そして一人の老婆の姿を認めたクレイは、ニコリと笑顔を浮かべて近づいた。
「エリザベートさん、ご無事で何よりです」
「ええ、貴方と貴方のお連れ様のおかげです」
「そんなことはないですよ」
クレイが照れて後頭部をかいた時。
――パァン――
軽い打撃音がその場に鳴り響き、その場にいたすべての者が驚きの表情に包まれたのだった。