第218話 屁理屈に加える言葉!
弾けるような音と共に、戦場に膨大な熱が生じる。
[ショーラ・カブダ!]
「アルブル・クル!」
互いに拳に炎を纏った同士、クレイとモートが交差すると同時に閃光と爆音が辺りに巻き散ると、周囲は立ち昇る熱気によって景色が歪み、地獄のような様相と化した。
(な~んか面白くねえなぁ)
それを見ていたバアル=ゼブルは心中でそう呟くと、王都攻防戦からずっと元気が無かったモートの顔を見る。
(百歩譲ってモートの参戦をルシフェルの野郎が許可したのは許してやる。さっきモートのバカヤロウが言うことを聞いてやがらなかったし、しつけって意味もあるんだろう。だがしかし、モートの覇気がクレイと戦うことによってどんどん戻ってきてるのは……)
[気に入らねえ]
[いいからお前はバロールとアバドンがいる場所の結界を強化することに専念しろ]
[チッわーったよ]
考えていたことを思わず口にしてしまったことに気づいたバアル=ゼブルは、それを誤魔化すためにも大人しくルシフェルの言うことを聞き入れ、両者が戦う所へイヤイヤながらも歩いていく。
(だがなんか引っ掛かるんだよな。今んところはクレイも曼荼羅の術を発動させることで何とか凌いでいるが、まともに考えりゃ三対一の勝負なんざ正気じゃねえ、狂気の沙汰だ)
そしてバロールとアバドンの両者が、血まみれになっても足を止めたまま殴り合っている姿を見たバアル=ゼブルは、呆れた顔になって容赦なく結界を強化する。
しかし途端に殴り合っていた二人が手を止め、オモチャを取り上げられた子供のように恨みがましい目で見つめてきたため、バアル=ゼブルは再び結界を弱める。
そしてその途中、何気なく一つの考えに至っていた。
(いや……ひょっとしてクレイを追い詰めることで、強制的にあの時の再現をしようとしてんのか?)
バアル=ゼブルがジッと物思いに沈んだ後、まんじりともせずにクレイとモートの戦場を見つめたままのルシフェルへと視線を向けたその時、戦場が動く。
「うぐッ⁉」
[だから言っただろう? 君程度の実力、とね]
騎馬戦車に乗り、空中から槍を投げて攻撃していた戦女神であるモリガンが、地上から迎撃をしていた魔神族の最上位であるベリアルに撃ち落されたのだ。
「む、無念……」
[さてさて、女性に乱暴をするのは僕の本意じゃないんだけど、これも戦場のならい……おや、消えてしまったか]
地上に落ち、苦しんでいたモリガンにとどめを刺すべく近づいたベリアルは、モリガンがゲイボルグのみを残して霧のように掻き消えたのを見ると、名残惜しそうに虚空へ右手を伸ばした。
[ま、いいさ。あんな小物を逃したところでどうということはない。それより……]
ベリアルはニタァと口を半開きにして舌をデロンと出すと、口の端に移動させてネチョネチョと舌なめずりを始めた。
[上級の……いや、最上級のお肉をいただかないとね……]
そしてクレイとモートが戦っている場所へと近づくも、そこは激戦となっておりたやすく手出しはできない状況となっている。
それでも辛抱強く機会を待つベリアルを見たバアル=ゼブルは、唾を吐き捨てた後に侮蔑の表情でベリアルをなじった。
[ハイエナ野郎が]
[本当に君は失敬だね。そもそもハイエナは狩りをする動物だと君も知っているだろうに]
[しょっちゅう横取りもしてるから言ってんだ]
バアル=ゼブルはそこでそっぽを向いて話を打ち切り、尚も食い下がって来そうなベリアルのためにマイムールを顕現させて威嚇をする。
その空気を凍り付かせたのは、魔王の一言であった。
[怠惰の罪を気取るか? ベリアル]
[下手に手を出すとモートの邪魔をしそうなので、機を伺っているところですよルシフェル様]
ルシフェルとベリアルの会話を聞いたバアル=ゼブルが、その内容に注意を向けざるを得なくなる……と思われたその時。
「……本気なの? サリム」
「はい」
「分かったわ。でもそれには私が一緒に行くことも条件よ」
「しかしそれはあまりに危険すぎます」
「それは貴方が言う言葉ではないわね。大丈夫よ、コンラーズも全力でサポートしてくれるって言ってるから」
「……分かりました」
[セイも! セイもサポートする!]
「ありがとうございます」
二人の人間と一体の魔物が放った言葉と行動に、バアル=ゼブルは目を剥いたのだった。
[おいコラちょっと待てお前ら]
ヒソヒソ話をするサリムとフィーナとセイにバアル=ゼブルは慌てて駆け寄り、物騒な相談をやめさせようとする。
しかし三人は一瞬だけバアル=ゼブルの方を向いて話をやめるも、すぐに無視をして相談を再開していた。
[ほおぉう……この俺を無視するたぁいい度胸じゃねえか]
「今は貴方に注意を向ける時ではありませんから」
「そうそう、魔王に逆らうこともできない腰抜けのバアル=ゼブル兄様に関わってる暇は無いのよ」
[ぬわにぃ! 言わせておけば!]
[お兄さん、腰抜けってどんな意味?]
[少なくとも今の俺とはまったく縁のねえ悪口だッ! つーかそんなこたぁ今どうでもいい! おいお前ら! もしクレイを助けに行こうってんなら絶対にやめとけ!]
バアル=ゼブルが真剣な表情でそう問うと、聞かれたサリムとフィーナはきょとんとした表情になって口を開いた。
「助けになんて入りませんよ」
[あ? なんだそりゃさっきの紛らわしい相談は何だったんだ]
[あそこのキモい魔神ベリアルの邪魔に入るだけよバアル=ゼブル兄様]
[一緒じゃねえか!]
そう言って天を仰いだ後に視線を戻したバアル=ゼブルは、おそらく発案者であろう、見つめる先のサリムが真顔のままであることに絶望し、溜息をついた。
[死ぬぞ]
今までに何度も見てきた、死地に赴く者の顔。
自分のためではない、他人のために殉ずることを決めた顔。
昔は頼もしく思っていた、今では後悔にしかならないその顔を、バアル=ゼブルは複雑な思いで見つめた。
「クレイ様のために死ぬと決めておりましたので問題ありません」
そして予想通りの返答を聞いたバアル=ゼブルが、怒りに我を忘れそうになった瞬間。
[お前にもクレイより言伝を預かっている。決してサリムを戦いに介入させるなと]
魔王ルシフェルが会話に加わり、冬の早朝の空気のような冷たく張り詰めた緊張
感が辺りを包んだ。
「……もし介入した場合はどうなるのです?」
[それは正確な表現ではないな。お前には結界を越えるだけの力はなく、介入することなど不可能だ]
「そうですか」
サリムは結界に近づき、三叉槍の切っ先で軽く触れる。
するとルシフェルの言とはまったく違った結果、つまり槍の穂先は素直に結界内へと通り抜け。
「くッ⁉」
次の瞬間、三叉槍は絡みついてきた結界に飲み込まれ、へし折られる。
あのオリュンポス十二神の一人、ヘーパイストスが作った三叉槍が。
「これは……」
[敵意を感じ取られたようだな]
「クレイ様からいただいた槍が……」
サリムは穂先が無くなった槍を見て呆然自失となった後、半泣きの状態でルシフェルをじっと見つめる。
[……魔王の警告を無視したものがどうなるか、身をもって知ったか]
「槍が……」
[これで分かっただろう、大人しく下がっていろ]
さすが魔王といったところだろうか。
サリムの涙ながらの苦情を見事にスルーすると、ルシフェルは結界内への戦いへ再び意識を向ける。
「では行ってまいります」
しかし諦めたと思ったサリムは再び結界へと歩み寄り、今度は素手で触れようとしていた。
[無駄死にを選ぶか。それも良かろう]
「フィーナさんやコンラーズが何かを得ることは出来るかもしれませんよ」
[どうあっても止まらぬか]
ルシフェルは溜息をつくと、無謀な自殺志願者へ憐みの視線を向ける。
[言伝の続きを伝える]
「どうぞ」
[どうしてもサリムが止まらなかった時はこう言えとクレイは言っていた。お前の失敗をクレイ自身に押し付けることができるのか、とな]
「……⁉」
何を言われても止まらなかったサリムの意思は、そこで動きを止めた。
「どういう……ことですか?」
[言った通りの意味そのままだ。クレイは自らの希望を得ることはもちろんのこと、自らの失敗を償うことも含めて戦っている。その戦いに割って入ることは、クレイの失敗をお前にも押し付けることになる。そのようなことをクレイが望むと思うか]
「……」
[どうしても助けに入りたいと言うのであれば、お前自身がしでかした失敗の責任を、クレイに取らせることができるような人間になってから出直すのだな]
想像もしていなかった方向からの忠告に、サリムは愕然とした。
[やれやれ、随分とひどいことをしたなお前さんも]
[俺は言伝を伝えただけだ]
[俺が言ってんのはサリムの槍を折ったことなんだが?]
[身をもって知る前に止めたのだ。魔王の慈悲に感謝されこそすれ、ひどいことをされたと恨まれる筋合いではない]
平然と答えるルシフェルを見たバアル=ゼブルは溜息をつき、じっと佇んでいるサリムを見ようとしたその時。
「では私の失敗をクレイ様に取っていただくことにしましょう」
すでに立ち直ったサリムがバアル=ゼブルの目の前に立っており、だがルシフェルはクレイとモートの戦いから視線を外そうともせず問いかけた。
[お前の失敗をクレイに取らせる覚悟ができたと言うことか?]
[主人の度重なる制止を振り切って結界内に突入した。これを失敗といわずして何と言いましょう]
[確かにな。その上で共闘することでその失敗をクレイに擦り付けるか]
「その通りです」
[屁理屈だな]
「理論の穴をつくことを屁理屈と言うのであればそうでしょう」
堂々と言ってのけたサリムを見たルシフェルは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
[……フン、仕方あるまい、結界を通る許可を出してやろう]
「ありがとうございます。フィーナさん、行きましょうか」
「やるじゃないサリム、それじゃご褒美に貴方にこれを貸してあげるわね」
「これは……」
サリムは手渡された剣から漂う妖気に顔をしかめた。
「魔剣ダインスレイフ。お父様から……借りてきたものよ」
「本当に?」
「ホントウヨー」
目を逸らすフィーナにサリムが詰め寄る。
[おーいお前さんたち、遊んでる間に結界の隙間が閉じちまうぜ]
そして結界にみなぎる力が一部減少し始めたのを見たバアル=ゼブルは、呆れた顔でサリムとフィーナの小競り合いを止めると、ニヤニヤとしながらルシフェルの耳に口を近づけた。
[おいおい本当に二人を中に入れていいのかよ魔王サマよ]
[構わん]
[まあドラゴンがついてるフィーナはいいとして……お前さんの方は何とかする算段は付いてんのか? サリム]
「バハムート様がお力添えしてくれるそうです」
[ケッそうかよ]
ヴィネットゥーリアでのことを思い出したバアル=ゼブルは、軽く肩をすくめると結界へ入っていくサリムとフィーナを見送ったのだった。
[本当にこれで良かったのかねえ]
ポツリと独り言を呟いたバアル=ゼブルにルシフェルが答える。
[屁理屈は認めん]
[んじゃ何でサリムを通したんだよ]
呆れた顔でバアル=ゼブルが聞くと、ルシフェルはニヤリとした。
[だが屁理屈にあるものを加えた言葉を認めぬわけにもいかんからな]
[ほー、なんだそのあるものってのは]
[男の意地だ]
[ククッ……そうかよ]
面白そうに含み笑いをするバアル=ゼブル。
[屁理屈に男の意地を加えた時、それは信念へと変化を遂げる。そんな面白いものの行く末を見ぬわけにはいくまい]
[お前さんも魔族ってわけだな、安心したぜ]
[魔王とも呼ばれるようになればな]
ルシフェルとバアル=ゼブル、二人が含み笑いをした瞬間。
「ちょっ! なんでサリムが中にいるんだよルシフェル!」
結界の中から届いた苦情に、一人の魔王と旧神はサッと目を逸らしたのだった。