第207話 それで納得できるのか!
「おや、お帰りなさいませクレイ様。思ったよりお早いお帰りでしたね」
「段取りはほぼ終了、残った手はずが俺の面通しだけとなればすぐ終わるよね」
自警団の本部に帰ったクレイが見たのは、庭でもくもくと剣を振るエドガーと、その脇で同じようにもくもくと槍を振り回すサリム。
そして両者の脇に座り込み、のんびりとお茶をすするブライアンの姿だった。
「ハハハ申し訳ありません。ですがクレイ様には余計な先入観を持たずに子供たちを見てもらいたかったのです」
「……なるほど」
納得はしないまでも、とりあえずクレイはブライアンの言を是とした。
犯罪者は犯罪者として扱う、そこに裁く者たちが先入観などの私情を持ち込むのであれば、自警団と言う組織は必要ない。
すべて指導者たる一人の人物に丸投げしてしまえばいいのだ。
だが公平なる視点、公正なる立場で裁くのであれば、組織という多くの人物によって成り立つ仕組みは必要であった。
「でも強盗をしている者を逮捕して、犯罪を止めるのが最初の目的じゃなかったのか? それなら俺に犯罪をしている子供たちのことを話して、そちらを見せる方が良かったんじゃないか?」
「そう……犯罪を止めるのが目的です。それがどんな経過をえた結果であろうと、子供たちに犯罪を止めさせて安全な生活を送ってもらう、それが僕の目的……いえ……目標、ですね」
ブライアンが眉間にしわを寄せ、歯を食いしばってそう言う姿を見たクレイは、それ以上の追及を止めた。
「……そうだ、アスタロトはいるかい?」
「いえ、アスタロト様ならクレイ様が子供たちに会いに行くと聞いた途端、黙って外へ出て行かれましたが」
「分かった」
クレイは一言そう言うと、そのまま庭の外へ続く敷き詰められた石畳へ足を向けた。
「クレイ様、門扉なら私が……」
「いい。何となく今は……俺自身の手で開けたい気分なんだ」
「承知いたしました」
自らの手で門を開ける。
それがクレイが何らかの決断をし、何らかの決意を表すものだと感づいたサリムは黙って頭を下げ、主人の外出を見送ったのだった。
「何でついてくるんだよフィーナ」
「私が着いてきて困るようなことをクレイがしないよう、この目で見張るために決まってるじゃない」
美しい金髪をふわりと風に踊らせながら答えるフィーナに、クレイは溜息をついて軽く睨みつけた。
「俺ってそんなに信用されていないのか?」
そう答えるクレイの顔が緊張に包まれているのを見たフィーナは、知らず知らずの内に唾をゴクリと呑み込んだ。
「……怖いの? クレイ」
「怖いさ。事と次第によっては、魔王ルシフェルより恐ろしい相手だよ堕天使の長アスタロトは」
クレイは油断なく周囲に視線を動かしながらフィーナに答える。
真正面からなどと条件づける試合形式の戦いなら、アスタロトはルシフェルに勝てないだろう。
だがそれが前触れなくいきなり襲い掛かってくる、殺し合いを前提とした戦いであれば――?
(得体の知れない恐ろしさ、正体の見えない恐ろしさ、それが堕天使アスタロト……特にあのマントの中に隠された秘密が分からない限り、俺は奴に勝てる気がしない)
クレイはアスタロトの姿はおろか、気配まで感じられないことにやや焦燥感を抱きながら街を歩き回る。
[おいクレイじゃねえか、もう子供たちの用件は済んだのか? おい無視すんじゃねえよオイ]
何やら誰かに話しかけられているような気もするが、今は日常を楽しむなどと悠長なことをしている場合では……
「あ、そうか」
[うお何だよいきなり振り向くんじゃねえよ]
振り返ったクレイは、目の前にあるバアル=ゼブルの顔が、お互いの唇が触れ合う寸前ギリギリの距離のあることも構わず口を開いた。
「アスタロトがどこにいるか知らない?」
[あん? あいつなら領境の森の様子を見てくるとか言ってたぜ]
「領境の森?」
侵攻に向けた偵察であろうか。
だがそれなら軽々しく口にすることは無いはずである。
(……普通にありうるから困るんだよなこの旧神は)
思わずクレイは溜息をつき、バアル=ゼブルの怒りを買った。
[おい人に質問しておいてその態度はなんだその態度は。まったく近頃の若い奴らは礼儀ってモンがなってねえ]
「王都中の魔族と人間にバアル=ゼブルの礼儀について統計をとろうか?」
[そんな暇があったら仕事しやがれしたほうがいいぞ?]
「はーい、それじゃ仕事してきまーす」
クレイはわざと間延びした返事をすると、後ろ手にヒラヒラとバアル=ゼブルに手を振って王都の外へ向かい、残されたバアル=ゼブルは虚空を見上げると誰に言うともなく口を開いた。
[……アレで良かったのか?]
[上々だ]
建物の影から低い声が響くのを聞いたバアル=ゼブルは、声の主の方へ向かうと壁に背を当て寄りかかる。
[こういうやり方はなんか面白くねえなぁ。そりゃまぁアイツはアルバトールよりはよっぽど芯が強そうだけどよ、まだ子供だぜ?]
[奴は敷居をまたいで外に出た。出れば七人の敵がいるのが男というものだ]
[へーへ、魔王様はスパルタ教育がお好みのようで]
[手駒を増やし、鍛え上げるのは俺に限らず誰でもやることだ]
バアル=ゼブルは肩をすくめ、苦笑しながら首を振る。
[だがアイツの頑固さは異常だ。将棋の駒みたいにあっさり陣営を変えるような奴じゃねえぜ]
[それならそれで構わん。手ごたえのある相手との勝負こそ面白みがある。楽しみが増えるというものだ]
[……将棋みたいに連敗続きにならなきゃいいけどな]
[なんだと?]
[なんなら教えてやろうか? 将棋に勝つ方法って奴をよ]
バアル=ゼブルがそう言い放った途端に大気が震え、大地は軋み、王都に集う超常的存在たちは互いに顔を見合わせる。
[よかろう、正しき序列と言うものを今から貴様に叩きこんでやる]
[ほう、おもしれえじゃねえか。俺もそろそろお気楽魔王サマの頭によーくすりこむ必要があると思ってたところだぜ。理想の優しい顔と違い、現実はいつも厳しい顔をしてるってな]
そして二つの巨大な気配は王城へと戻っていき、そこで待っていたエレオノールに捕まって家事を手伝う羽目になった。
[……やっぱり無理みたいだね。まるで隙が無いよ]
[仕方あるまい。俺たちがここに来れなくなって十年以上。ましてやその間に管理していたのがオリュンポス十二神とあってはな]
[帰ろうか。あまり長居しているとクレイたんが……ああ、来ちゃった]
[待っていた、の間違いだろう。好きにするがいいアスタロト、このモートが見届け人を引き受けてやる]
[別に戦いが好きってわけじゃないんだけどなぁ]
まるでクレイが来るのを待ち受けていたかのように、アスタロトはすぐに見つかった。
だがそこにもう一つの巨大な気配、旧神モートがいるのを感じたクレイは隣に居るフィーナをチラリと見るも、アスタロトとフィーナが古なじみであることを頼りにそのまま進むことを決めた。
[どうしたんだいクレイたん。子供たちとの話し合いは終わったの?]
「話し合いが終わったから来たんだよ」
[そっか]
アスタロトは溜息をつくと動かないクレイを見つめ、数回ほどまばたきをした後にモートと顔を見合わせた。
「どうしたんだ?」
[あ、いや……なんか思ってた反応と違うからさ]
「俺の噂ってどんな形で伝わってるんだよ……」
クレイはがくりと肩を落とすと、真正面で腕を組んで立っている漆黒のマントに包まれた大男をチラリと見た後、モートが殺気を放っているも動く気配が無いことを確認してからアスタロトへ話しかけた。
「アスタロト、お前に話がある」
[モートのことを気にしてるのかい? この子も承知の上でここにいるから気にしなくていいよ]
「分かった」
クレイは息を深く吸い込み、ともすれば怒りに身を任せそうになる自分を押さえつけ、言葉を吐いた。
「なぜ子供たちを殺した」
[それを自警団の相談役であるキミが言うかな。犯罪者は罰されるものだよ]
「なにも殺さなくてもいいだろう。食料を盗んだくらいなら、せいぜい手や腕に焼印をして追放すればいい。相手は子供なんだぞ」
アスタロトを説き伏せようとするクレイ。
その姿に侮蔑の眼差しを向ける大男がいた。
[そうして緩やかに死んでいく姿を市中に晒すわけか。貴様ら天使どもはいつもそうだ。弱い者の立場で見ることをせず、ただ上位者からの傲慢な視線で判断を下し、自己満足の評決で悦に入る]
旧神モートは声に少なからずの怒りを籠めてそう言うと、黒いマントの外に出ている太い腕にギシリと力を込めた。
「そんなことは言っていない! 俺は殺さなくてもいいだろうと言ってるんだ!」
[この時世、集団からはぐれた羊は狼に食われるのみ。自らの手を汚さなければ、自らの目で見なければそれすら自覚できぬと言うか]
「それでも生きてさえいれば何かがある! 何かが起きる! その状況を整えてやるのが俺たち……」
[王都におらぬお前たちがか? 実際に面倒を見ている我らを差し置き、何を世迷言を言っているのだ]
「俺たちから王都を奪った当事者が……それを言うのか!」
噴きあがったクレイの怒りが周囲を圧し、辺りは瞬時にして一触即発の雰囲気に満たされる。
[ハイそこまで]
しかしその瞬間、アスタロトが両手をパンパンと叩いてその場を収めた。
[クレイたんが話したいのはボク。横取りをするのは良くないよモート]
[フン]
モートは母親に叱られた子供のように口を曲げると一歩引きさがり、それを見たアスタロトはにっこりとクレイに笑いかけた。
[さて、さっきの話の続きと行こうか。何もボクも好き好んで子供たちを殺したわけじゃない。実際これは魔族全体にも関わってくる大問題なんだ]
「魔族全体?」
いきなり話題のスケールが大きくなり、クレイは面食らう。
[正直に言うと、今魔族は結構なピンチなんだよね。王都が封印された後、すぐに解除したものの気づけば外界では十年が過ぎていた。その間に王都の包囲網は着々と進み、そこかしこにオリュンポス十二神の縄張りを示すヘルマが設置されている。以前であれば壊せば済む話だったんだけど……]
「壊せなかったのか?」
[壊そうと思えば壊せる。だけど十年前、ある一人の天使がえらくオリュンポス十二神たちに気に入られちゃってね。以前は壊してもある程度は小競り合いとして見逃してもらえたんだけど、今それをやると明らかな敵対行為と見なされちゃうかもしれない]
「……ああ」
天使アルバトール。
クレイの養父でもある彼は、十年と少し前の天魔大戦で各地の旧神たちと縁を結び、その親交は今もなお密に続いていた。
[さらにタチの悪いことに今ではクレイって天使まで出てきちゃってさ、その子は様子見をしていた残りの十二神たちの興味まで引きつけちゃったのさ]
「俺!?」
[ま、正確には君とサリムなんだけどね。あの竜王バハムートの加護を得られた人間なんて過去に類を見ない。まさに稀人だ]
「あ、そうなんだ」
嬉しそうに言うクレイをアスタロトは呆れたように見つめ、再び口を開く。
[だもんで、こんな大変な時に王都の治安を乱す人間たちを、王都の支配者たる魔族たちは許せないのさ]
「……そうか」
[特に人間たちの負の感情を糧とする魔神たちは、好きなように苦しませても処罰されない大義名分を得た。つまり自分たちが思う存分罪人をいたぶるために、犯罪をした人間たちを許すなって騒いでるんだよ]
「じゃあファブリスがベリアルに殺された……殺されそうになったのは、強盗犯の子供たちの仲間と思われたから?」
クレイが発した質問に、アスタロトはその美しい顔を縦に振った。
[犯罪者の拷問や処刑で負の感情が得られ、更にそれによって高まっていく人間たちの不安によって魔神たちの胃は満たされていく]
「……」
[その罪人が年端もいかぬ子供とあってはなおさらさ。表向きには犯罪を防ぐためだから、自警団も口は出せない]
クレイは手を強く握り、王都における人間たちの現状を噛みしめる。
[あのまま盗みを放置しておけば、大義名分を得た魔神どもに他の子供たちも皆殺しにされるところだった。だからボクは……苛烈にならざるを得なかった]
盗みに入った子供たちに不要なまでの重い刑罰を下し、見せしめとすることで再犯を防ぐ。
理由としてはもっともらしいことを言っているが、それを聞いてもなおクレイは理解できなかった。
なぜ子供たちが食糧を盗みに入るようになったか、なぜ犯罪をしなければならなくなったのか。
その原因であるアスタロト自身の口から説明をされたことに、クレイはどうしても納得できなかった。
「……じゃあ、なんで子供たちに食料を持って行ってやらなかったんだよ」
[それは……]
「食料があれば子供たちは盗みなんてしなかった! 犠牲になる子供たちも出なかった! そりゃお前たちが施しをする義務なんてないし、する必要も無い! だけど食料さえあれば、子供たちが犠牲になることも無かった! どうして子供たちを見殺しにするような真似をしたんだ!」
核心をつくクレイの口上にアスタロトは動揺し、答えることが出来なかった。