第206話 真実はいつも人の影に!
「僕はファブリスと言います。あの後のことは謝罪に来たベリアル様から聞かせていただきました」
「……そうか、ベリアルから聞いたのか」
クレイは短く刈られたファブリスの茶色の髪と、自信が無いように揺れる目をじっと見つめた。
罠にはめてまで手にかけた子供に、自ら謝ったベリアルの思惑は何なのか?
クレイはその真意について考えようとし、即座に諦めた。
(情報が足りない。突き止めることによる価値も定まっていない。とりあえず自警団の本部に帰って、旧神たちから情報を得てからだな)
クレイは胸中でそう独りごちると、先ほどファブリスに会った時に湧いた疑念をぶつける。
「先ほどの感じだと、俺たちがここに来ることをあらかじめ誰かに聞いていたみたいだけど?」
「天使様が僕たちの罪を咎めに来る。だから逃げたほうがいいとベリアル様が仰ったのです」
どうやらラファエラがかけたベリアルの洗脳は解けたようである。
「あ、そうなんだ。ふーん」
そして思わぬ情報を得たクレイは、表情と声のトーンを変えないままそう言うと口の端を釣り上げて笑い、周囲を凍り付かせた。
「ね、ねえクレイ……」
「何かなフィーナ」
「セイちゃん凄く怖がってるとか色々と言いたいことはあるけど、まずその張り付いた笑顔から止めて欲しいかしら」
「ハハハ、俺の笑顔が怖いだなんて、フィーナは心に何かやましいことでもあるんじゃないかい?」
「いいから止めなさい。ついでにその気持ち悪い喋り方も」
「ういマドモアゼル」
フィーナの言いつけを不承不承クレイが聞き届けると、離れた所に逃げていたセイが戻り、ようやく話は進んだ。
[えっとね、ファブリスたち困ってる。王都に王様たちが助けが来てくれたと思って喜んでいたら色々と怖いことが起こって、気づいた時には自分たちの面倒を見てくれる優しい魔族たちが姿を見せなくなって、それで食べ物も無くなったからこっそり取りに行ったら……すごく怒られたんだって]
「誰に?」
[アスタロトお姉さん]
「アスタロトに?」
クレイはオウム返しに答えると首をかしげ、王都に来た時にアスタロトから得た情報をぼんやりと思い出す。
(つまみ食いする子たち……城壁に晒した……腐敗魔術……って……まさか!?)
「ファブリス、ちょっとこっちに来てもらってもいいか」
「あ、はい」
クレイは思いついた考えに戦慄し、慌ててファブリスと一本の路地裏に走り込み、その肩を両手で掴む。
(あのアスタロトの言葉は同じ魔族の奴らのことを指すのかと思っていた……だけど……だけど!)
そして思いついた内容のあまりの恐ろしさに口を開くことをためらい、しかしそんな場合ではないと思いなおしてファブリスに問いかけた。
「アスタロトに怒られたってセイ姉ちゃんが言ってたけど、それは口で叱られただけなのか?」
「……いえ」
ファブリスは顔を真っ青にすると、口を閉じて下を向き、それ以上の説明から、クレイの視線から逃げようとする。
「俺が王都に来た時、アスタロトから王城の食糧庫について説明を受けた」
しかしクレイがそう言うとファブリスは全身を震わせ、おそるおそる顔を上げて目の前に降りた助け、天使であるクレイを見た。
「言ってくれファブリス。もしかして王城の食糧庫にお前たちは忍び込んだことがあるのか? そして……」
クレイはそれ以上のことを言えなかった。
なぜならファブリスの全身の震えはいよいよ大きくなり、その目からは大粒の涙がボロボロと落ちていたからだった。
「僕は……止めたんです……だけどあいつらは……王都は俺たちのものだって……俺たちのものを取り戻して何が悪いんだって言って……」
ファブリスはそこまで言うと、嗚咽によって喋れなくなってしまう。
「あ、ちょっとクレイ! 戻りが遅いと思って来てみればなにファブリス君を泣かしてるのよ! そんな卑劣な行為はこの正義のフィーナが許さないわよ!」
「フィーナ」
そこに急にフィーナが現れ、クレイを詰問しようとするも、当のクレイは慌てず騒がず憤るフィーナの名を呼んだ。
「な、なによ」
「コンラーズから色々と話を聞かせてもらったと言ってたな」
「それが……どうかしたの?」
「その中に……アスタロトが食糧庫に忍び込んだ者たちをどうしたか、の内容も含まれていたのか?」
「……うん」
「そうか」
クレイの髪がふわりと踊り、赤土色の髪がじわりと燃え盛る真紅へと変化を遂げていく。
「でもね、アスタロトお姉様にも言い分はあるわ」
「それを認めるかどうかは別。そうだろう」
「じゃあお姉様の言い分を聞いてくれるのねクレイ」
「……ああ」
フィーナにうまく会話を誘導されたことに気づいたクレイは、自分への嘲笑を感情にこめて怒りを収める。
そこに周りから数名の小さい子供たちが近づいたことに気づいたクレイが小さく手を振ると、子供たちは表情を明るくしてファブリスへと駆け寄った。
「ファブリス兄ちゃん、ママンはいつ来るの?」
「ママンは……」
ママン。
それ単語は母親を表すものであり、特別なものなど何もない通常会話でも使う単語である。
だが孤児であるはずのこの子たちにとって、それはもっとも縁遠いもののはずだった。
「ママン、な、今すごく忙しいらしいんだ」
「そうなの……?」
疑惑を抱いた子供たちを見たファブリスは、表情を暗いものから明るいものへと変える。
「うん、だからママンは頑張ってる。お前たちに会いに来るために、今すっごく頑張ってるって俺は聞いた。だから頑張ってるママンのために、もうちょっと待ってくれるか」
「うん……」
「でもお腹すいたよ……」
「ああ、僕が働きに出た分のお給金がもうすぐ出るはずなんだ。だからもうちょっとだ、もうちょっと我慢しような」
子供たちはそれ以上の弱音を吐くことをやめ、分かったと一言残してバラバラに散っていった。
「ママンって?」
クレイはファブリスと子供たちのやりとりで浮かんだ疑問をぶつける。
「……アスタロト様のことです」
「そうか」
予想外の答えだった。
いや、予想はしていたのだ。
少し前のクレイもその感想を抱き、実際に口にしたのだから。
「陛下たちが僕たちを助けに攻め込んでくる前までは、アスタロト様はよくここに来てくださいました。多くの、とは言えませんが、僕たちが生きていけるのに最低限の、最低限に少し足りないくらいの食べ物を持って」
それを聞いたクレイはフィーナの方をちらりと向き、その視線に気づいた彼女が頷くのを見るとファブリスへと視線を戻した。
「それが陛下たちが退却した時期から、急にアスタロト様が僕たちと距離をとるようになったんです。来る回数もめっきり減り、食糧も殆ど持ってこられなくなりました。そして……事件が起こったんです」
ファブリスはぶるりと身を震わせ、誰かが聞いていないかというように周囲を見渡してから口を開いた。
「ある日、普段からの行いが悪い者たちが王城に忍び込み、食糧を盗んできたんです」
「……うん」
「その頃は僕たちの食料も尽き、動けなくなるものや……夜が明けた後、路上で息絶える者も出るありさまでした。本当にギリギリのところで、僕たちは盗んだ食糧で命を繋いだのです」
「うん」
「ですがその後も盗みは続き……そしてとうとう、彼らが僕たちの所へ食料を持ち帰ってくることはできなくなりました」
クレイはアスタロトの言葉を思い出す。
食糧を盗んだ者たちは、この世にいることもできなくなったのだ。
「僕たちはアスタロト様の怒りに震え、自分たちのしでかしたことの重大さを思い知りました。しばらくは耐え忍んでいたのですが、ある夜のこと……耐え切れなくなった一部の者たちが、再び王城に忍び込んで……」
「帰ってこなかった?」
「はい。それから僕たちは意見の違いから大きく二つに分かれました。少しずつでも働いて食料を買おうという者たちと、他人から盗んででも食料を得ようとする者たちとに」
ファブリスの説明を聞いたクレイは、大きくため息をついた。
「話すのはつらかっただろうに……ありがとう」
「いえ、悪いのは僕たちです。盗みを止められなかった……僕たちの」
再び目に涙を浮かべたファブリスの肩に、クレイはポンと手を置く。
「俺にできることを今やってる。だから希望を捨てずに……頑張ってくれ」
「……ありがとうございます天使様」
頭を下げるファブリスにクレイは再び礼を言うと、盗みを働くようになった者たちの拠点を聞く。
「教えたくは無いだろうけど、俺と関りを持ったことをもう見られているだろうし、今は素早く行動することが一番……」
「え? ブライアンさんからお聞きになっていないのですか?」
「へ?」
キョトンとしたファブリスを見たクレイは、訳が分からないといったようにフィーナの方を見る。
「え、聞いてないのクレイ」
「聞いてないよー?」
フィーナが表情を重くするのを見たクレイは、軽い口調に重い怒りを乗せてピクピクと眉を震わせる。
そんな時、クレイの怒りに感応したのかメタトロンの意思が内に響いた。
(だからラグエルとブライアンには気をつけろと言っておいただろう。ラグエルは監視という仕事柄、ブライアンの方は人柄で普通にウソをつくのだ)
(そっちかよ! きちんと説明しろよ!)
(一から十のすべてを教えてしまっては君の成長が見込めないではないか。それはそれとして昨日の夜、自警団からの援助とは別口での援助が出来そうだとブライアンがほくそ笑んでいたぞ。まんまと利用されてしまったなクレイ)
(クソおお! でも子供たちの援助ができるならいいかな! そういうことだ!)
内なる意思、メタトロンに向けて怒りの咆哮をあげたクレイは、色々な感情がないまぜになった顔をフィーナにのろのろと向けた。
「……お前は聞いてたのかフィーナ」
「聞いてたわよ。クレイが怒りに任せて犯罪を犯した子供たちを皆殺しに行くと不味いからって口止めされてたのよ」
「ちょっおまっ」
フィーナから発せられた言葉に慌ててクレイはその口を塞ごうとするが、時すでに遅し。
「ヒッ……み、皆殺し?」
敏感に反応したファブリスに、クレイは慌てて両手を振る。
「え、いや、そんなことするわけないじゃんホラ俺って慈悲深い天使だからさ」
「ヒィィ!?」
「なあ……信用してくれよファブリス」
怯えたファブリスに弁明するべく、強張った笑顔でじわじわと近づくクレイ。
それを見たファブリスは素早く地面に平伏し、額をこすりつけた。
「お、お許しください処刑天使様! 僕にはまだ面倒を見なければならない子供たちと親戚とその近所の親類とそれからセイさんの歌がまだまだ聞きたいのです!」
「王都でもそれかよおおおおおおおおおおお!」
悪事千里を走る。
別に悪いことをしていない(クレイの感想だが)のに悪名だけは広がっていく現状に、クレイは涙を流したのだった。