第205話 王都で生きていく!
本部に戻ったクレイたちは、戻っていたセイに話を聞こうとしていた。
[子供たちがどうやって生計を立ててるか?]
「うん、セイ姉ちゃんが王都の皆に人気があるって聞いてさ、それなら知ってるんじゃないかなって」
[ん、セイ知ってる。けど……クレイには教えられない!]
「がーん!」
だがセイが放った冷たい一言に、クレイはいたく傷ついたのだった。
「どうして言えないのですかセイ、クレイも困っていますよ」
ショックで天井を向いたままのクレイを痛ましい目で見ていたラファエラは、少しだけ語気を強めると困った顔でセイに説教を始める。
[だってクレイ、子供たちを怒るつもりなんでしょ? あの子たち悪くない! 悪いことをしないと生きられない王都が悪い!]
しかしセイが頬を膨らませて頑なにそう言うと、ラファエラの顔は少しだけ苦しそうに歪み、黙り込んでしまっていた。
「セイ姉ちゃん」
[う……ごめんなさい]
今度はクレイがセイに困った顔をするも、セイが子供たちについて喋ることは無かった。
約十年前の天魔大戦の初戦で王都を失い、更に奪われた王都を取り戻す戦いにも敗北。
ラファエラは直接それらの戦いに参加したわけではないが、その大きな輪の中に入っていたと自覚している彼女にとって、やはりセイから突き付けられた事実はつらいものだった。
しかしいつまでも落ち込んでばかりはいられない。
戦いで失った数多の命のためにも、現世に残っている自分たちは世の中をより良い方向へと向ける義務がある。
そう考えたラファエラは顔を上げ、キッと表情を引き締めるとセイの肩に両手をそっと乗せた。
「いえ、いいのですよセイ。それに貴女が言う、子供たちは悪くないとの言い分も分かります。ですが……」
ラファエラはそこで言葉を区切り、自らの息とセイの意思を吸い込む。
「貴女は子供たちがこのままでいいと思っているのですか?」
そして発せられたラファエラの言葉に、セイは言葉を返せなかった。
[え……]
「悪いことをしなければ生きていけないなら、悪いことをしなくても生きていける方法を考える。それが私たちの役目です。それには子供たちが何をしているかきちんと知る必要があるのです」
[う、でも、セイ内緒にするって約束した……]
「セイ、子供たちとの約束と子供たちの生命。天秤にかけるものを間違ってはいけません。手遅れになってからでは遅いのです」
真っ直ぐに内面まで切り込んでくるラファエラの瞳。
その圧に耐えられるほど、セイの心は強くなかった。
[セイ分かった……でも、喋るのはちょっと待ってほしい]
「何か気になることがあるのですか?」
[自分たちの目で一度子供たちを見てほしい。それで判断してほしいの]
しかしせめてもの抵抗とばかりに発せられたその言葉を聞いたラファエラは、意見を聞くべくクレイをじっと見つめた。
「分かったよセイ姉ちゃん。でもあまり目立つことは出来ないから、見るのは俺とフィーナだけでいいか?」
[うん!]
クレイの提案を聞いて目を輝かせるセイ。
「クレイ様、私はその間どうしましょう」
反対にやや落ち込んだように見えるサリムがそう言うと、クレイはしばし首を捻り、そして良いことを思いついたと言った様子でサリムに耳打ちをした。
(仕事を覚えたいと言ってブライアンさんの様子を見ていてくれ。メタトロンが気にしているみたいなんだけど、俺じゃ警戒されるだろうから)
それを聞いたサリムは如何にも嬉しそうな表情を作ると何度も頷き、なぜか台所に居るエリザベートの所に行くと夕食の準備を手伝い始める。
「まあまあ、どうしたのですかサリムさん」
「私が最近働きづめだから、王都から帰ったら特別にお休みをいただけるとクレイ様がおっしゃったのです。それを聞いたら嬉しくて嬉しくて、急に体を動かしたくなってきまして」
「まあまあ」
サリムの自然なウソにクレイは内心で舌を巻くも、それが周囲にバレないように穏やかな視線を二人に送ってみせた後、ブライアンに笑いかける。
「ごめん、勝手に決めてしまったけど良かったかな」
「もちろんです。そもそもセイさんが居なければ、子供たちの間に入り込む取っ掛かりすら無かったのですから」
そう答えたブライアンはニコリと笑うと立ち上がり、庭へと出ていった。
「さて、今回の件に目途もついたようですし、僕は少しエドガーに稽古をつけてきます」
「分かった」
クレイは短く答えると、そのままブライアンがエドガーと剣術の稽古を始める姿を見た。
人が良さそうに見える顔と細身の身体、また普段から長めのローブを着ていることもあって、ブライアンを初めて見た者は文官肌と見るだろう。
だが元フォルセール騎士団の隊長まで務めていたブライアンは、剣をとってもなかなかの腕前であり、迂闊にクレイが気を抜くと、その体さばきと棒を持った腕の動きを見失ってしまうほどだった。
(……なんだろう、それほど動きが早いわけじゃないのに……何というか、視界の外に逃げ込む、意識の下に潜り込む、みたいな……)
クレイがそう考えた時、背中からポンと肩に手が置かれ、その感触に慌てたクレイが軽く飛び上がると、手を置いた犯人であるラファエラはクスクスと口に手を当てて笑い声を押し殺した。
「何かあったのですかクレイ。あんなに隙だらけな貴方の背中は久しぶりに見ましたよ」
「あ、いや……ブライアンの剣を見てたら色々と考えることがあってさ」
クレイの言い訳じみた説明を聞いたラファエラは、すぐにニコリと笑う。
「ラグエルに興味があるのですか?」
「イッ……!?」
気づかない間に胸にスッとナイフを差し入れられた気分になったクレイは、今のラファエラの言葉が誰かに聞かれていないか思わず目を左右に走らせる。
しかしラファエラは問題ないとばかりにそのまま庭のブライアンを見た後、満足そうにコクリと頷いた。
「大丈夫ですよ。今のラグエルは、以前のような自分を粗末に扱う雰囲気を感じられませんから」
「粗末?」
「自暴自棄。なぜそうなったか、なぜそうならなくなったのかは分かりませんけどね」
ラファエラはそう言い残すと、ふわりと身をひるがえしてエリザベートと談笑を始めた。
「どうしたもんだかな……メタトロンとラファエラ司祭の意見が対立するとは思わなかったよ。こんな時に誰か相談に乗ってくれる人がいればいいのに」
故郷であるフォルセールを離れ、慣れない王都へ。
ホームシックというわけでも無いだろうが、クレイは急に孤独を感じてフォルセールの方角を向く。
するとメタトロンとは違う気配、暗く巨大な力がクレイの内面でもぞりと動き、クレイは精神を研ぎ澄ませて重々しい鈍器のような存在に注意を向けた。
(なんじゃい、急に子供みたいな真似をするんじゃいの)
(子供なんだけど)
魔眼の王バロール。
幾度となくクレイを助けてきた暴の巨神が口にした感想に、思わずクレイは口を尖らせる。
王都に集う魔族の気にあてられたのか、内から感じられる力はヘプルクロシアやヴェラーバの時とは比べ物にならないほどになっていた。
(子供であることを利用する奴が言うセリフかい。メタトロンなら今寝とるから何かあるなら言伝くらいはしてやるわいの)
(んー……神がその性格を変えることってあるのかな)
(そらあるわいの。儂らは精神体であるゆえに、その根本に関わるような大きな流れに巻き込まれれば神から悪魔、悪魔から神に変わることもあるわい)
(そうなのか)
(まあ儂らを変える流れというのが人間の意思の集合体、信仰心ちゅうのは少しばかり気に食わんがいの)
(ふむ、ありがとバロールさん)
(問題無いわい。礼を言いたいなら、戦いの時に儂を出してくれるだけでいいんじゃいの)
(はいはい)
バロールの気配が去るのを感じ取ったクレイは、孤独を埋めるように……と言うより考えることで孤独を忘れ去っていた。
(ホント、人間って何なんだろうね……主の一部とはいっても、まるで物質界における主の代行者みたいじゃないか)
あたらずとも遠からず。
その解答が正解かどうかは、まだ今のクレイには知らされていない。
「さて、明日の子供たちの面会用に何か手土産でも見繕うかな」
気分を変えてそう思いついたクレイは、警らから帰ってきたバアル=ゼブルたちを下心のある笑顔で迎えたのだった。
[で、何が欲しいんだ?]
「子供たちが喜ぶようなもの。何か心当たりはない?」
戻ってきたバアル=ゼブルたちが本部の中に入るなり、クレイは子供たちへの手土産は何がいいかを聞いていた。
[あー? 子供なんざ貰えれば何でも喜ぶから子供なんじゃねえか。アナト、お前なんか知らねえか?]
即座に問題のたらい回しをしたバアル=ゼブルにクレイは冷たい視線を送ると、美しい大地の女神に視線を向ける。
[食料が一番なのでは? そもそもその子供たちは、食い扶持に困って強盗なぞしでかしたのでしょう]
[だってよ]
「それも考えたんだけどさ、子供たちが何人いるかはセイ姉ちゃんも詳しく知らないらしいんだよ」
アナトの提案を丁寧に却下したクレイは、隆々とした筋肉を持つ大男、モートへと視線を向けた。
[……俺に何か用かアルバトールの息子よ]
「何か意見がありそうに見えたからさ」
[ふん]
モートは鼻を鳴らした後、短い沈黙の後に口を開いた。
[何かの権利でどうだ]
「権利?」
[何かを安く得られる権利、手に入れられる権利。それであれば人数が多かろうと少なかろうと全員が恩恵にあずかれ、しかも人数が多いほどその恩恵は大きいものとなっていく]
「……なるほど。ありがとう冥界の王モート」
クレイは深々と頭を下げてモートに礼を言う。
[……ふん、貴様を手助けしたのではない。子供たちが犯罪をしなければ生きていけぬこの王都の現状が気に食わんだけだ]
「そっか」
[用件はそれだけか?]
「うん」
不機嫌そうなモートなどどこ吹く風と言わんばかりに満面の笑みを浮かべたクレイに、モートは一瞬だけ全身に怒りを満たすもすぐに霧散させた。
[では俺は王城に戻る。後のことは……お前に任せるぞバアル=ゼブル]
[おう任せろ。だからエレオノールの機嫌取りのほうは頼んだぜ]
[……手がかかる奴だ]
一歩ごとに地響きすら感じさせる重々しい足運びと共にモートは去っていく。
[やれやれ、素直じゃないねえ]
その姿を見たバアル=ゼブルは飄々とした口調でそう言うと。
[そんじゃ後のことは任せたぜアナト]
[お任せくださいお兄様]
モートに続き、一瞬にしてその姿をくらましたのだった。
次の日。
「うーん、値引きに応じてくれる商人がいないことは覚悟してたけど、ルシフェルに値引き分の補填を断られるのは予想外だったな……そんなに金庫番のジョーカーって堕天使が怖いのかな」
「ジョーカー様にはジョーカー様の考えがあるのでしょう。ひょっとしたらルシフェル様がジョーカー様の名前を利用しただけかもしれませんが」
「あの傲慢魔王が断る理由に他者の名前を使うかな? まぁそれだけ魔族の方も財政に余裕がないってことかもね」
途中まで、という条件で着いてきたブライアンとクレイは世間話をしていた。
「それでは僕はこの辺で」
「もういいの?」
「僕と顔見知りということを相手の子供たちに教えておきたかっただけですから。それではクレイ様」
「セイ姉ちゃんもついてきてるんだけどなぁ……まぁいいや」
じゃあまた後で、と言おうとしたクレイは、ブライアンの顔からいつもの笑みが消えているのを見て思わず息をのんだ。
「現実はいつも厳しい面を見せます。どうか公平な目で子供たちを見てやってください」
ブライアンがそう言って頭を下げる姿を見たクレイは、思わず横に並んで歩いていたフィーナを見る。
「心配いらないわブライアン。この正義を愛するフィーナに任せておきなさい」
「よしなに」
今度はフィーナに頭を下げ、ブライアンが本部に戻っていく姿を見送ったクレイは、訳が分からないといったようにフィーナの顔を見た。
「コンラーズから色々と話を聞かせてもらったの。とりあえず子供たちの所へ向かいましょうクレイ」
返事を聞かず歩き出したフィーナの後を、クレイとセイは無言でついて行った。
「あ……貴方がクレイ様でしたか」
「君は……ベリアルの犠牲になった……」
「あの時はありがとうございました。おかげ様で何とか一命をとりとめることができました」
強盗団と化した子供たちの拠点。
そこで出迎えたのは、クレイが王都テイレシアに来た時にベリアルの術で引き裂かれた少年だった。