第20話 そこに拡がるものは!
(ク……お……ウアオオオ!)
(言わぬことではない! あの時も言ったはずだ! いくら最小限の神気で射抜くアポカリプスとは言え、未熟な子供の身体や精神でその痛みに耐えられるものではないと! ただでさえ覚醒した我の力は、未熟な君の手に余るものだと言うのに!)
――だが、あっさりと上級魔神を倒した力の代償もまた大きいものだった。
クレイは全身を襲う痛みに苦しみ、頭を掻きむしって絶叫を上げる。
(だが今の君は曲がりなりにも天使の一員。幼少の頃よりは……待て! 何をするつもりだ少年よ!)
(うる……せ……え! ちょっと黙ってろ! 禊祓!)
――ウオオオオオオ……ォ……――
絶叫を上げて全身の痛みに耐えながら、クレイは背中に生えた羽根でサリムを何重にも包む。
新たに生まれた激しい痛みにもクレイが耐え抜き、羽根が戻って行った後。
(まに……あった)
そこには人間に戻ったサリムの姿があった。
(聖天術の最秘奥、アポカリプスを使った直後だぞ! それなのに禊祓まで使って呪いをその身に吸収するとは、何という無茶をするのだ! 下手をすれば君は散華して、先ほどの魔人のように塵芥と化してしまう所だったぞ!)
(へ……へへ……)
クレイは答えない。
全身を包む痛みに、全身を押しつぶすような軋みに耐えていた彼は、そこに頭の中でガンガンと鐘のように鳴り響く痛みが一つ加わった所で、なんの痛痒も感じなかったのだ。
だが、次に彼の中に入り込んできた痛みは別だった。
「目玉……たくさん……赤の……魔物……」
「殺されちゃう……怖いよお……」
それは今まで霧に包まれ、状況が何もつかめていない子供たちの泣き声だった。
(……魔神が死んだことで目くらましの霧が消えたようだな)
(助かったん……だから、いい……さ……)
(あの時と同じだ。君が命懸けで救った子供たちから恐れられ、疎まれ、後に残るは胸を刺す悲しみのみ。どうして君たち親子はいつも我の忠告を無視するのか)
内なる意思から意識を背け、クレイはゆっくりとサリムたちに背を向けて歩き出し、とうとう泣き出してしまった子供たちから逃げるように遠ざかっていく。
クレイは幼少の頃、今回と同じ意思に身体を委ねたことがあった。
彼が孤児院の子供たちに頼んで郊外へ連れ出してもらった時、いきなり彼らの前にハルファスと名乗る魔神が現れ、子供たちに襲い掛かったのだ。
我の力となれ、と叫びながら襲い掛かるハルファスを見た時、今と同じように大いなる意思がクレイの中で目を覚まし、力を貸し……
だがその結果は、先ほどよりもひどいものだった。
クレイは力を暴走させ、ハルファスを倒す以外にもその場にいた子供たち全員に大けがをさせ、自分自身も瀕死の状態に追い込まれたのだ。
幸いにも先代の司祭、そしてたまたまフォルセールに居た旧神ゼウスの施術によって一命は取り留めたものの、その時の後遺症によるものかクレイの身体の成長は鈍化し、同年代の少年より一回り小さいものとなっていた。
(ありがとうサリム、魔物になってまで盾になってくれて。後で司祭様に頼んで、昔みたいに皆の記憶を消してもらうからな……お前は俺みたいになるなよ)
痛ましい記憶は消されたはずだった。
だが人が土より作られた、固体として作り上げられた安定した存在であるからか、それともほかの理由があったのか、子供たちは記憶の深層に赤の魔物と言う恐怖の存在を刷り込まれることとなり。
クレイもまた、生まれてからの記憶があやふやなものとなっただけであった。
(サリムが来た頃は……楽しかったなぁ……)
恐ろしい叫びと共に現れ、無数の眼で睨み付けて見たものをすべて灰に変える恐ろしい怪物、赤の魔物。
孤児院の子供たちはクレイを目に見えて疎ましがるようになり、クレイを魔物と蔑むようになり、次第に子供たち全員にその噂が広まり。
とうとうクレイは孤児院から離され、城主であるトール家に迎えられた。
その時に仲良くなったのが、シルヴェールが王都から連れ帰ってきた子供、魔物から人間へと戻ったサリムだった。
しかしそのサリムも、魔物へ再び転じることを懸念した周囲に記憶と力を封じられることとなり……。
(それじゃ……司祭様を探しに……行くか……あー体中が痛くてたまんねえや……早く探してくれよなアルテミス、鼻がいいんだ……ろ……)
(無理をするな少年! 君の身体はダークマターに侵食されつつあるのだぞ!)
(ティナを助けに戻らないと……それに……俺がここにいると、子供たちが怖がるからさ……)
視界はかすみ、身体は泥沼の中を進んでいるかのように重い。
それでもクレイが前に進もうとした時だった。
「待ってくれクレイ!」
背後で目を覚ましたサリムが、クレイを呼んだのは。
(無事みたいだな……待ってろよサリム、今司祭様を……)
だがサリムに待つように言われたものの、当のクレイに足を止める理由は無かった。
よってそのまま進もうとしたクレイの背中に、更にサリムの声が飛ぶ。
「クレイなんだろう!? 返事をしてくれクレイ!」
クレイは答えない。
そして更にクレイが数歩進んだ時、サリムは再び叫びをあげた。
「クレイじゃなくてもいい! その姿、そして魔神を倒してくれたってことは、クレイの仲間なんだろう!? クレイに伝えてほしいことがあるんだ! 一人で心細かったときに、優しくしてくれたことを忘れてしまった上に、憎んですまないと!」
(え……?)
「本当はお礼を言いたかった! だけどお前は領主様の養子で! なかなか言えなくて! そしたらいつの間にか……忘れちまってて……」
サリムは下を向き、地面に嗚咽をこぼす。
「本当は……本人に言いたいけど……あいつは領主様の館にいつもいて……それで各地を飛び回る討伐隊にあいつが入ったらもう……会えなくなるから……」
その気配を感じたクレイは茫然とし、足を止め。
「だけど……やっぱりお礼は本人に言いたいんだよ……お前クレイなんだろ……? お願いだからこっちを向いてくれよ……」
「お兄ちゃん……」
「な、なぁ……ホントに赤の魔物がクレイ様なのかよ兄貴……?」
困惑してクレイを見つめる子供たち。
その視線の先で赤い目が、赤い羽根が色あせ、髪が元の赤茶色へと戻って行く。
「バッカ野郎……そう言うことは早く言えよなサリム……」
そしてクレイは振り返り。
「……悪いなクレイ、お前が泣いちゃうんじゃないかと思ったんだよ……フォルセールに来たばかりの俺を助けてくれてありがとうな」
「やめろよ今更……それに泣いてるのはそっちだろサリム」
小さい頃よく遊んだ幼馴染――トモダチ――に、泣きじゃくった顔を見せた。
(どうやら先ほどの禊祓で、記憶を奪っていた術も一緒に解呪したようだな。それにしても……ふふふ、気丈なようでもやはり子供か)
(うるせえよメタトロン)
自らの内から響いてきた意思の持ち主メタトロンに悪態をついた時、クレイは頬を撫でた気持ちのいい風に顔を上げ、そしてサリム越しに広がる青空に気付いて上を見上げる。
そこにはクレイがまだ何も知らない小さな頃には身近に感じられたもの。
世界がどれだけ広いかを教えてくれるもの。
無限の大空が拡がっていた。




