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第197話 アスタロトを見張れ!

 戦慄の夜は明け、平穏な朝が訪れる。


 しかしその日に限っては、朝以外にも訪問する者がいた。


[つーわけだ、よろしく頼むわ。ああ、それとベリアルの奴はこっちで回収させてもらうから心配すんな]


「あー、まぁそれはこっちも助かるかも……」


 宿にいきなり訪ねてきたバアル=ゼブルの説明を聞いたクレイは、部屋の隅っこで観葉植物のようにゆらゆらと黄昏れているベリアルを見て冷や汗をかいた。


[大丈夫なのかコレ。瞳孔が開きっぱなしなんだが]


「でも栄養を与えようとしても口が開かないんだよ」


[ルシフェルは持ち帰れって言ってたんだが、動かねえモンを動かすのはちぃとばかし面倒なんだよなぁ……]


 バアル=ゼブルはそう言うと腕を組み、ベリアルがこうなった原因である張本人、ラファエラが窓際で優雅に紅茶をたしなんでいるのを見て顔をしかめると、無言で天井を見上げる。


[先に見せてもらったモンはしょうがねえか。ちょっくら城に運んでくるわ]


「あ、うん。お願い」


 城に運ぶ。


 バアル=ゼブルが言った何気ない言葉の意味を、クレイが真の意味で理解したのは次の瞬間だった。


「へ?」


 バアル=ゼブルがベリアルの頭に手を置いたと思った瞬間、二人の姿が影も形も見えなくなってしまったのだ。


「……なるほど、これが噂に聞くバアル=ゼブルの移送魔術ですか」


 そして我関せずとばかりに優雅に座ったままだったラファエラがいつの間にか立ち上がり、やや声を震わせる姿を見たクレイは、隣で驚きながらもこの重大さを呑み込めていないフィーナとサリムに苦笑いを浮かべた。


「割と瞬間移動ってのは大変な魔術なんだよ。しかも俺たちみたいな超常的存在を運ぶのはね」



 超常的存在。


 それは本来、そこに在るだけで周囲に影響を与える力の塊、物質界における規格外の質量のようなものである。


 物質界における質量がそこに在るだけで周囲に影響を与えるように、超常的存在は精神界に多大な影響を及ぼし、規模によっては境界を超えて物質界にまで影響を及ぼすほどのものも存在する。


 よって超常的存在を瞬時に移動させ、再び止めることは、対象の存在を遥かに上回る力を持っているという証でもあった。



「しかしクレイ様は先ほど瞬間移動の魔術とおっしゃいましたし、司祭様は移送魔術と口にされました。つまり力によらないコツのようなものがあるのでは?」


 サリムの疑問を聞いたラファエラが口に指をかけて思案する。


「バアル=ゼブルは私と同じく風の属性を司るもの。おそらくは術の対象者の精神に働きかけて自ら飛ぶように仕向けているのでしょうが……一定の規模を超えた力の持ち主は本能的に外部からの力に抵抗するため、意識の核まで制御に置くことは私にも難しい、と考えると……」


 ブツブツと呟くラファエラを見たクレイは、腕を組んで何度か首を傾げ。


「んー? はいはい、何となく分かった……分かった、分かったよ。ありがと」


 誰もいない虚空に向かって礼を言うと口を開いた。


「あー、メタトロンが言うには、バアル=ゼブルが持つ王の資質が、対象の潜在意識における本能の部分を屈服させるのだろう、だって」


「……そうですか」


 ラファエラはやや語気を弱めて答えると、少々元気をなくした様子で窓際の椅子へと向かい、ため息をついて座ると窓の外を見つめ、そのまま不貞腐れたような口調でクレイへと話しかけた。


「バアル=ゼブルが戻ったら自警団の場所を聞いてそちらへ向かいましょうか」


「うん。セイ姉ちゃんはどうしよう」


 そのクレイの質問を聞いたラファエラは幾度かまばたきをすると、視線を再びクレイへと戻してゆっくりと立ち上がる。


「フォルセールの善良な市民とは言っても、見た目は完全に魔物ですしね……」


 二人は床に座り込んだセイレーンのセイを見る。


 鳥そのものの形をした下半身はゆったりとしたズボンで隠せるが、背中に生えた羽はどうしても隠すことは出来ないだろう。


 そう考えたクレイが首をひねった時、セイがくるくるとした目を嬉しそうに見開いて元気よく答えた。


[あ、自警団のおじさんとお姉さんはもうセイのこと知ってるよ] 


「そっか、ここは王都だから魔族どうこうは関係ないのか」


 人の間に住まう者の常識で物事を考えていたクレイは、自らの考えの了見の狭さを反省する。


[元々セイが王都に来るきっかけになったのは、アナトお姉さんが誘ってくれたからだからね]


「……へ?」


 だが次にセイが言ったことに関しては完全な予想外であり、クレイは思わず隣のラファエラの顔を見てしまう。


 そこにはクレイの予想通り、同じように呆気にとられたラファエラの顔があり、クレイは仲間を見つけた安心感で冷静さを取り戻してからセイに詳しい成り行きを聞いたのだった。



「ふ~ん……ポセイドーンの祭壇でねぇ」


[ご主人はそう言ってたよ。セイを巻き込むような魔術を撃ったことを悔やむようなそぶりを見せてたって]


「その時の借りを返したい、か。それ以外にも思惑がありそうだけどな」


 クレイが眉をよせて考え込むと、セイはそれを一向に気にせず答える。


[アナトお姉さんはセイの歌声を気に入ったって言ってた! モートおじさんは怖い顔してたけど仕方がないって許可をくれたよ!]


「モート……宴の時に見た大男か」


 天使の四属性に対する魔族の四属性、風のバアル=ゼブル、土のアナト、水のヤム=ナハル、そして炎のモート。


 姿だけは全員昨日の宴で見たわけであるが、ヤム=ナハルとモートだけは話をしたわけではなく、噂に聞いた以上の情報はクレイにも無かった。


(というわけで教えてくれメタトロン)


(魔族の中でもルシフェルと同等かそれに次ぐ実力を持つこと以外は我にも分からぬ。彼らもアルバトールに会ってから随分と性質が変化してしまったからな)


(そうなのか)


(真実は君の目で見極めたまえ。もっともヤム=ナハルについてはティアマトに聞いた方が余程うまく説明してくれるかもしれぬがな)


(あー、ティアちゃんの旦那さんだったっけか……)


 だがメタトロンもうまく説明はできないようで、最後に口にしたティアマトの名前を聞いたクレイは軽く肩をすくめると、サリムたちに出発の準備をするように伝えた。


(変化の兆し、か……)


 そしてクレイ自身も白いローブを纏うと、ミスリル剣をサリムから受け取って腰に下げ、バアル=ゼブルの帰りを待ったのだった。



 その頃バアル=ゼブルは。



[アスタロトじゃねえか、何でお前さんまだ洗濯物とか干してるんだよ]


[昨日の宴もあって随分と仕事が残ってたみたいで、エレオノールが忙しそうに働いてたからさ]


 普通にいつもの家事をこなすアスタロトを見て天を仰ぐと、呆れた様子で洗濯物が入ったかごを取り上げていた。


[今日はクレイの所に行くって言ってあっただろう。ルシフェルの野郎に仕事の段取りをつけるように言ってやるから、お前さんは出かける準備をしてきな]


[はいはい、またエレオノールに恨まれちゃうな]


[仕方ねえな、そんじゃお前さんはベリアルをルシフェルの所に連れて行ってくれ。エレオノールには俺が話をつけておく]


 アスタロトは苦笑いを浮かべると、ゆらゆらと揺れているベリアルの襟をひっつかみ、親猫が子猫を持ち運ぶようにそのままテクテクと歩いて行った。


[さて、俺も行くか……あーやっぱ役目を逆にしたほうが良かったか……?]



 逆にした方が良かった。



[遅かったなバアル=ゼブル。アスタロトはとっくに出かけたぞ]


[エレオノールが恐ろしく面倒な技を覚えやがっててな……泣き落としって奴なんだが、お前さんあの技の破り方を知らねえか]


[知らん]


 謁見の間に入ると同時に、敷いてあった畳の上にドスンと座り込んだバアル=ゼブルの報告に、心底どうでもいいという顔をしたルシフェルをバアル=ゼブルは半眼でじっと見つめた。


[俺も知らねえからエレオノールには仕事のことならルシフェルに任せろって言っておいた。俺に感謝してもいいぞ]


[そうか。だがこうは思わんか?]


[何をだよ]


[城が無くなれば魔族がここに拘る必要も無くなり、食事も衣服の洗濯も必要が無くなる、とな]


[お前いっぺん死ねよ]



 くだらない言い争いはその後もしばらく続き、それに飽きたルシフェルがアバドンにお茶を入れろと命じたことによってようやく会話の内容は変わった。



[アスタロトを見張れ]


[あん? いきなりだな、何かあったのか]


[そこからか、仕方あるまい説明してやる]


 ルシフェルからドローマでの一件を聞いたバアル=ゼブルは、短い溜息をついた後に頭をガシガシとかいた。


[昨日の宴でもなんか様子がおかしいと思ってたら案の定だ。ま~た裏切りかよアスタロトの奴。最初は俺たちを裏切って天使、その次に堕天使、そろそろ落ち着いたかと思ってたのに腰が座らねえ奴だ]


[まだ決まったわけではないがな]


 ルシフェルは湯呑に入った緑茶をズズズとすすると、古代ギリシャの衣装であるトーガにも似た前合わせの服のそでの中へお互いの腕を入れる。


[なんだその服]


[甚平というものだ。こっちの方が楽なのでフォルセールの奴らが来るついでに作らせて持ってこさせた]


[ほう、確かに締め付けもなくて楽そうだな]


[本格的な夏が来るまで着るのを待とうかとも思ったが、仕立て直しがあった場合に奴らが来るとも限らんからな。なかなかいい塩梅だ]


[敵の奴らに服を作らせて持ってこさせるとかお前ホント自由だな……ってそうじゃねえ、とりあえずアスタロトの奴を見張っていればいいんだな?]


[今奴に裏切られては困るからな。裏切りを確認すると言うよりは、裏切りを未然に防ぐために動くことを心掛けろ]


[分かった]


 話が終わったと見たバアル=ゼブルは勢いよく立ち上がり、外へ向かおうとしたが、扉の手前でその足を止めて振り返る。


[念のために聞いておきたいんだが]


[なんだ?]


[アスタロトの奴に裏切られては困るってのは戦力的な意味だよな?]


[何が言いたい]


[食事や洗濯、掃除をしてくれる奴がいなくなると困るとかじゃねえよな?]


[当たり前だ。さっさと行け]


 ルシフェルは堂々とウソをつくとバアル=ゼブルを追い出す。


[よし、将棋盤を持てアバドン]


 そして客人の世話を自警団に押し付け、町人の保護を自警団に押し付け、配下の見張りをバアル=ゼブルに押し付けた魔王ルシフェルは、配下のアバドンと悠々と将棋を楽しみ始めたのであった。

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