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第195話 右の頬を叩かれたら!

 玉座の横、舞台の袖口とも言うべき幕に隠された場所。


 クレイたちが謁見の間から退出した後、ルシフェルとアバドンはそこで将棋を打っており、さらには勝負の見届け人として一人の堕天使が脇に立っていた。


[奴らは帰ったかジョーカー]


[どうやらそのようです。しかしあれで良かったのですか? わざわざ天使をこの王都に呼び入れるような真似をして、更には魔神どもの疑念と反感を買うような裁断まで為されるとは]


[構わん。そもそも今回のこの策は、ドローマで俺がクレイに投げかけた質問に端を発している]


[質問、ですか]


 意外そうな声を発するその堕天使は、顔に着けている仮面と身体をそれぞれ半分を境に白と黒に交互に分かれた模様となっており、一見すると道化師にも見えるユニークな姿をしている。


 だがその実態は魔族における内政の一切合切を取り仕切る中心人物であり、最近では戦いにおいても長であるアスタロトすら凌ぐと言われていた。


 堕天使の名はジョーカー。


 魔族の中において頭一つ抜けた冷静さと、魔族に相応しくない勤勉さを背負い込む苦労人である。


[王都で苦しんでいる人々を助けに来ないのか。その問いに対してクレイは、時が来てないから行かないと答えた]


[ほう……あの甘っちょろいトール家の者にしては冷徹な判断ですな。して、その策とは一体?]


 ジョーカーは人々に芯からの恐怖を与える狂気の姿で笑みを浮かべ、ルシフェルに話の続きを求めた。


[娯楽が少ない民どもは絶えず噂という乗りこなすには難しい波に飢えており、そして人の口に戸は立てられん。去年のうちにかなりの国の商人どもに取引を持ち掛け、この王都の現状や魔族の占領下に置かれた人間たちを見せつけたのは、王都の噂を流させるためだ]


[先に商人たちによって王都の噂が流れていれば、あの天使が戻った後にありのままを報告すれば民の窮状を見過ごした非道を責められ、黙すれば民の困難を隠している卑怯を責められるというわけですか。さすがはルシフェル様]


[忠誠や信仰の対象を得た、もしくは大義を得た人間どもは恐ろしいほどの働きをするが、それが無ければつまらぬ常識に心を囚われて身動きできなくなるからな……ふむ、そう来るか]


 ルシフェルはアバドンが盤の中央に陣取らせた、だが陣取らせることだけが目的の角行に目をやると、目障りだとばかりにその頭に持ち駒の歩を置いた。


[画竜点睛を欠く。去年のうちにクレイがここに来ておけば、奴がうろたえる姿も商人どもに見せられるはずだったが、まさかこれほど来るのが遅れるとはな]


[ベルナールに加え、王であるシルヴェールもなかなかの切れ者と聞きますから何か助言をしたのかもしれませぬな]


[ふん……まあいい、ダークマターによる聖霊の穢レによって世界の法則は変わった。それに続く一手、人の不和を招いて天使に注がれる信仰を妨げる。これを奴らがどう受けるかは俺のあずかり知らぬところだ]


 ルシフェルはそう言った後に口に手を当てると盤上に視線を落とし、楽し気な表情を見せる。


[冬の間、民は雪に囲まれて動けなくなる。そのやり場のない不満は必然的に王都の現状を見過ごすクレイに向かうはずだったが仕方あるまい。冬の間に溜まり続けた不満が天使どもへの疑念に変わり、今回の来訪によって一気に爆発する様を見るのも悪くなかろう]


[随分と楽しそうでございますな]


 そんなルシフェルの姿を見た堕天使も、楽し気に仮面を揺らす。


[それほどでもない]


 含み笑いをするジョーカーをルシフェルは見上げ、遅れて濃紫の長い髪が似合わぬ純白の貫頭衣の表面を滑り落ちる。


[ブフウウゥゥゥ……なかなかの手でございますなルシフェル様……]


 その様を対面に座ったアバドンが鼻息を荒くしながらジッと見入ると、ジョーカーとルシフェルはそれを無視して(それにショックを受けるアバドンの姿もついでに無視して)話を再開した。


[クレイをどう見るジョーカー]


[見たままを申し上げるなら法外。天使となって一年足らずでありながらベリアルを一蹴する強さは、あのアルバトールを超える逸材かと]


[見えぬところがあるということか]


[このジョーカーの目をしても底が見えませぬ]


[そうか]


 ルシフェルは呟き、歩の駒をつまんで裏に書かれた文字を遠い目で見つめた。


[時が経つのは早いものだ。何も満足にこなせず、愚鈍に少しずつ前に進むことしかできなかったあの小僧がな……]


[は?]


 ルシフェルの独り言にジョーカーが短く疑問を返す。


[……それにしても!]


 そしてとうとう我慢の限界に来たのか、ルシフェルの体面に坐したアバドンは不愉快そうにヒクヒクと頬の筋肉を痙攣させ、膝をドンと叩いた。


[存外ベリアルもだらしがない! いくらエレオノールにいたずらをしようとしたしっぺ返しを食らい、続けてその件でルシフェル様に制裁を食らった後とは言え、あのような子供に後れを取るとは!]


[エレオノールはあのモートの片目を核とし、アスタロトが自らの血をもって調律をした特製のヴァンパイアだ。ベリアルごときでは荷が重たかろう]


[このアバドンに命じてくだされば、ルシフェル様直々に懲罰を下していただいた歓喜に打ち震え、あのような小賢しい天使など一撃のもとに粉砕してお見せになったものを!]


 アバドンは何度も自らの膝を叩き、悔しそうに歯ぎしりをする。


 その忠臣の姿を見る目に、ルシフェルは何の色も浮かべず口を開いた。


[それは今日の目的としていない。ジョーカー、ベリアルの様子はどうだった。俺の命を不服として面従腹背としているようであれば、即座に呼び戻して魔神どもへの見せしめとする必要があるが]


[それが……]


[なんだ、お前がこの件で言いよどむ理由が存在するのか]


[ラファエルに洗脳されたようで、従順な様子で奴についていきました。連絡を取ろうにも、奴は魔神ゆえに法術による念話もできず……]


[なら構わん]


 平然と言ってのけるルシフェルに、ジョーカーはやや動揺した口ぶりで疑問を呈する。


[よろしいのですか]


[俺が必要としているのは奴の記憶であって奴の監視ぶりではない]


[承知しました。それでは私はこれにて]


 うやうやしく頭を下げるジョーカーに、なぜかルシフェルはやや気づかわしげに言葉をかける。


[宴には出んのか?]


[先約がありますゆえに]


[分かった。行け]


[魔王様のお許しを得て退出いたします。そういえば自警団に詰めている連中は今日の宴はどうなさいますので?]


 退出しようとしたジョーカーは、ふと思いついたというようにルシフェルに提言をし、それを聞いたルシフェルは右手で将棋の駒をもてあそびながら答えた。


[人間たちは警戒して出てこないだろう。モートは拒否するだろうが、出欠の意思だけは聞いておかねば後でへそを曲げるから打診だけはしておけ。アナトも一応聞いてやるくらいはしても良いが、貴様からの伝言とあってはそれだけで出席を断るかもしれんな]


[ヴィネットゥーリアであのクレイとかいう天使とアナトの間には、なかなか面白そうな因縁が出来たようですし、意外と喜んで出席するかもしれませんぞ]


[お前も図太いやつだ]


 それを最後にルシフェルは盤上に視線を落とし、ジョーカーを追い払うように左手を振ったのだった。



 その頃、噂のクレイたちは。



「で、これからどうするのラファエラ司祭」


「どう、と言っても宴までそれほど時間がありませんし、自警団の待機場所も聞かされていないのでは待つしかないでしょう。それとも貴方には何か心当たりがあるのですか?」


「無いけど……」


 宿に戻った後、夕刻からの宴までの微妙に空いた時間を、どうやって潰すか話し合っていた。


[マチヲ ゴアンナイ イタシマショウカ]


「あ、いえ、お構いなく」


[ソウ デスカ ザンネン デス]


「……」


 虚ろな目をしたベリアルが、抑揚をまったく感じられない口調で提案し、喋る姿を見たクレイは、しばらく所在なさげに部屋のあちこちを見渡した後、肩をガックリと落として窓際を見る。


 そこには小さな丸テーブルの脇に置かれた椅子に座って優雅にお茶を飲んでいるラファエラがおり、クレイは少しの間彼女の機嫌を伺うように見つめた後、恐る恐る提案をした。


「廃人になってないかなコレ。ちょっと気持ち悪いから元に戻した方がいいと思うんだけど」


「あら」


 するとラファエラは少しの時間、あごに手を当てておっとりと首をかしげる。


「仕方ありませんね。それでは元の姿が判別できない程度に滅ぼして他人の目に付かないような場所に捨ててきましょう」


「いやさっきのことをどんだけ根に持ってるのさ」


「地獄の底が抜けるほどです」


「デスカー……」


 どうやら地獄の底すら及びもつかぬ根深い怨みのようである。


 クレイは人形のように真っ平らな表情のベリアルに憐みの視線を送ると、レースのカーテンに覆われた窓の外へ視線を移し、未だ城壁の上にある太陽を何気なく見つめた。


「ラファエラ司祭は王都に詳しいの?」


「いいえ、私はずっとフォルセール教会にいましたからね」


「フィーナは?」


「小さい頃にお父様に連れられて何度か来たことはあるけど、王城に直行してそのまま帰るだけだったからよく分からないわ」


「それじゃ案内はサリムに頼むことにするよ。行ってきます」


「待ちなさい」


 ごく自然な振る舞いでごく自然に外へ出かけようとしたクレイは、いつの間にか窓際から移動したラファエラにドアを塞がれた。


「行くなら明日にしなさい」


「えー、じゃあ宴まで何をすればいいのさ」


 外に出ていく気満々だったクレイは、ラファエラが懐から一冊の本を取り出す姿を不満げに見た。


「ここに聖書があります」


「ありますね」


「これを貴方に手渡します」


「手渡された聖書をサリムに渡しましたイテッ!?」


 本の正体を見たクレイはただちにサリムに横流しするが、その不正行為は即座にラファエラのビンタによって妨げられた。


「右の頬を叩かれましたね」


「……叩かれました」


「では左の頬を出しなさい」


「理不尽!」


「何が理不尽ですか、まったく貴方という子は。いつもいつも私の話を聞き流すだけで、物事の本質を見ようとしないからそんな口答えをするのです。いいですか、そもそも……」



 こうしてクレイは宴までの間、ラファエラのストレス発散……もとい説法に付き合わされることになったのだった。

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