第187話 王都へのいざない!
[え? 今更そんなことって……キミ答えを知ってるの?]
数秒後。
狼狽を隠す余裕すら忘れたのか、アスタロトがしどろもどろになりながらそう問いかけると、クレイはアスタロトに気を使う素振りすら見せながら答えた。
「えっと……だってさ、最初に会った時から俺と戦おうとしてなかったじゃん。だからそういうことなんだなって思ってただけなんだけど……違うのか?」
[いやまぁ、一応ドローマは教えの本拠地、聖地だから、暴れて問題を起こして面倒なことにならない方がいいと思ってただけなんだけど]
「あー……」
クレイは後ろ頭をポリポリとかく。
そして数回ほど首を傾げ、言葉を選びながらアスタロトに答えた。
「えーと、魔族だから、天使だからどうこうって話じゃないんだよね」
[うん]
「俺も旅に出るようになって気づいたんだけど、同じ人間同士ですら奴隷にしたり、殺しあったりしてるし、食事のために……つまり生きるために他の命を奪うことまでは教えも禁じてはいないんだよね」
[そうだね]
「それを魔族だからどうのこうのって、余計な価値観を持ち出して思考の壁を作るのは違うんじゃないか?」
[……!]
アスタロトは何かを言おうとするも口中で霧散し、その姿を見たクレイは次の句を告げる。
「魔族だから、というレッテルを自分たちに貼り付けることで、まるで魔族が戦いを望んでいないのに俺たちが勝手に襲い掛かっていると思わせる手口。つまり俺たちの良心につけこんで思考の分断、対立を煽っているようにしか見えない」
[いや……そういうつもりは……]
「それなら魔族だ天使だのというつまらないレッテルをわざわざ貼って、区別する必要は無いんじゃないか? 俺たちは生きるために戦っていて、戦う必要がない時は戦わない。それだけだろ」
クレイが肩をすくめてそう言うと、アスタロトは二の句が継げられずに黙って立ちすくんでしまっていた。
[そういう……つもりは……]
茫然となったアスタロトは、同じ言葉を口中で繰り返す。
なぜなら彼女のこの質問に、答えきれたものはいなかったのだ。
優しいものほど、志の高いものほど、この質問の表面に惑わされ、自らの良心に押しつぶされて思考を乱され、誰もが質問そのものを跳ね返す、あるいは逃げ出すことしかできなかった。
先の天魔大戦で破格の働きを成し遂げた、あのアルバトールでさえも。
(ああ……そうか……)
堕天使アスタロトは気づいてしまう。
気づかなければならなかった時期が遅すぎたことと、意味のないことに拘っていた自分自身に。
そして気づかせてくれた者が、彼女がこれから戦うべき人物であることに。
[キミは、割り切れる子なんだね]
「ん? んー……そうなのかな」
クレイは寂しげな表情になると、曖昧な返事をアスタロトに返す。
「できれば……そうなりたい……かな。ならないといけないとは思うんだけど……なってはいけない気もするんだよ」
クー・フーリンを助けるために、この世と人々の記憶から消え去ってしまった二人の男、コンラとコンラッド。
ヘプルクロシアで会った二人の男の名と生き様は、未だにクレイの心の底に重荷となって残っていた。
[じゃあボクがその手助けをしてあげようか?]
アスタロトはそう言うと、静かに精霊を扉の向こうに呼び寄せる。
「……そうしてくれるか? 堕天使の長、アスタロト」
その気配を感じたクレイもまた軽く溜息をつき、場に走る緊張を感じ取ったサリムもまた身構える。
[お前たち、この辺りで宇宙大将軍を見なかったか?]
そして急に現れたルシフェルがその一言を放った途端に緊張感はどこかに消え失せ、その場には派手にコケる三人の姿が残ったのだった。
「……なんだよその生きるのが嫌になりそうな役職は」
げんなりとした表情でクレイがルシフェルに問うと、ルシフェルは魔王たる威厳をもってクレイに答える。
[俺が故郷をたってしばらく後、東の大国を渡っている最中で会った男だ]
「ふーん……」
[面白い男でな。酒の席で盛り上がった際に俺が宇宙大将軍の役職につけてやったのだが、それから調子に乗って反乱を企て、だまし討ちや虐殺などの紆余曲折の末に新しい国を打ち立てるほどの活躍を見せたくらいだ]
「うん?」
[まぁ最終的には自らも反乱によって死んだらしいが、俺が宇宙大将軍の役職につけたのをどこかの魔族が聞きつけたのか、アンデッドとして蘇らせたらしい]
「要はお前が焚きつけた奴が反乱を起こして国をめちゃくちゃにして、ついでに自分の人生もめちゃくちゃにしたってことだろそれ!」
魔王ルシフェルの起こしたあまりの支離滅裂さにクレイが頭を抱えた直後、先ほどのクレイの指摘で受けたショックから立ち直ったアスタロトが目をむく。
[……え? ちょっと待って?]
[なんだアスタロト]
[その頃ってキミまだ八雲なんじゃないの?]
[俺の在り様をお前が勝手に決めるな。俺はルシフェルと名乗りたい時にルシフェルであり、八雲として行動する時は八雲である]
[うわ殴りたいこのドヤ顔]
「同情するよ。えーと、宇宙大将軍だけど多分……」
アスタロトが両のこぶしを握り締めてプルプルする姿を見たクレイは溜息をつき、宇宙大将軍(口にするのもおぞましい役職だが)の末路を教えた。
[ふむ、俺がいればもっと愉快な滅び方を教えてやったものを]
「非道な。つーか助けるんじゃないのかよ」
一人の人間の人生を狂わせたことについて何も思うことのない、傲慢な感想を述べた魔王をクレイは恐れを含んだ目で見つめる。
[帰るか]
「ん?」
[戻るぞアスタロト]
[え? 帰るの?]
[得るものは得た。これ以上の滞在は無益だ]
ルシフェルはアスタロトの驚きを即座に断じ、クレイたちに背中を向けた。
[でもクレイたんが向こうにいる人間たちの結婚式の立会人するとか言ってたよ]
[だが配下の要望を聞き入れるのも上司の務めだ。もう少しくらいは良かろう]
「お前、判断の基準を面白いか面白くないかだけで決めてるだろ」
第一魔王であるルシフェルがフラヴィオとグレタの結婚式に呼ばれるわけも無いのだが、それは七つの大罪の一つ、傲慢を背負って立つこの魔王にとって問題ではないようだった。
[何を言うかアルバトールの息子よ。そもそもお前は立会人というものを甘く見すぎているのではないか?]
「はー、クレイって呼び捨てれば楽になれるのに。立会人ってあれだろ? 要はフラヴィオとグレタの結婚を見届けるだけだろ?」
[やはりその程度の男だったか。立会人とはお前が言った内容のものだけではなく、結婚を祝うスピーチと言うものが必要なのだ。お前はそれをやり遂げる必要がある]
「ふーん……あ、サリム。お前見回りを通じてフラヴィオとグレタの二人と仲良くなってたよな」
しかめっ面をしていたクレイは、急に笑顔になってサリムを見る。
「ダメです」
「いや、俺は確認をしたいだけ……」
「私はクレイ様に仕える身。であるのにクレイ様を差し置いて立会人代表を務めるなど僭越にも程があるというもの」
「ぐぬぬ」
「率先して人々の先頭に立つのも王侯貴族の務めでございます」
うやうやしく頭を下げるサリムに反論できなくなったクレイは周囲を見渡し、余計な一言を言ってクレイの怒りをかう少女の姿が無いのを見て肩を落とす。
[だが俺が今からする質問にお前が答えたら、お前の醜態を見るために俺が残ることを諦めてもいい]
「お前も質問か? まぁいいけど……」
ルシフェルは珍しく顔をしかめ、アスタロトを睨みつける。
その姿を見たクレイは、人後に落ちたことが気に入らないのだと即座に察するも、余計な一言でルシフェルの気を損ねることを恐れて口を閉じる。
[王都では人間たちが今も魔族に苦しめられている。なのになぜお前は王都に助けに来ようとしないのだ?]
二者択一。
かつて王都テイレシアの城壁の上で、天軍の司令官たる大天使ミカエルに突き付けられた命題と似た難問を、クレイはルシフェルから突き付けられていた。
しかしこの質問を聞いたクレイに、迷う様子は欠片も無かった。
「時が来てないから行かない」
[意味を濁したいい答えだ。時と言うが、それならお前たちが王都を落とせなかった時点でもう過ぎ去っているのではないか?]
「過ぎ去った時は戻らないが、新しい時代が来ることを留めるものはない。陛下はそう仰ってたよ」
[なるほどな]
ルシフェルは短く言うと、再びクレイに背を向けた。
「帰るのか?」
[満足はしていないが、それなりの成果は得られた。褒美として聖地に魔王が居座り続けることをやめてやろう]
「そりゃどーも」
余計な一言で魔王がへそを曲げるかとも思ったが、どうやらルシフェルはクレイが思うよりご満悦のようであった。
[それからもう一つ褒美をやろう]
「気前がいいね」
[働きには報酬を。それが王の役目らしいからな]
ルシフェルの言葉に、クレイは顔を青ざめさせてサリムの方をチラリと見た。
[王都の現状を見たければいつでも来い]
「……」
[俺の今の言葉を聞いたな? アスタロト]
[聞いたよ]
「クレイが来たらお前が案内をしてやれ。愚にもつかぬ家事の真似事はエレオノールに任せろ」
[昔その家事の真似事で、どこかの誰かさんが無数の次元と連結させた森の抜け穴を見つけられたんだけど]
[ほう、そのどこかの誰かさんとやらは余程間が抜けているようだ]
[はー、ホントにキミは魔王だなぁ……んべっ]
アスタロトは思いっきり顔をしかめると舌を出し、ルシフェルを置いて先に飛行術で飛び去った。
[ではな、クレイ]
「さようなら魔王ルシフェル」
そして魔王もまた、アスタロトの後を追うように空へ姿を消した。
「本当に傲慢な奴だったな」
自分が認めた相手でなければ名も呼ばぬ。
徹底した利己主義の典型、七つの大罪の一つ、傲慢を司る堕天使ルシフェルの後姿を見送ったクレイは、サリムと共にフラヴィオたちの元へ向かう。
「そんなバカな! 枢機卿様がそんなことをするはずがありません!」
そして宇宙大将軍……ではなく、リッチから得られた情報の真偽を確かめるべくクレイが口にした質問に、フラヴィオは激しい拒絶反応を見せたのだった。