第183話 救援の手!
[ふウ、先ほど君をアホウと言ったのは取り消すヨ少年。まさかあのようなやり方デ、私にダメージを与えるとはネ]
「……何でここに? 作物の陰に隠れたときは、まだお前は動いていなかった」
[君が背負っている娘だヨ。先ほド持ち上げた時ニ、生体反応のパターンを覚えてマーキングしてオいたのサ。エサが勝手に逃げないようにネ]
「やっぱりそのつもりだったんじゃないか!」
フラヴィオは内心の動揺を押し隠すように叫びをあげる。
なぜなら自分があずかり知らぬところで、天からの贈り物とも地獄からの悪意とも判断がつかない出来事が起こっていたのだから。
(ダメージ……いったい何のことだ?)
混乱して黙り込んだフラヴィオを見たリッチは、ふうむと首を傾げて顎に手を当てた。
[はテさテ、得意げに自慢するト思えバ何も喋らなイか。相手に情報を与えタくはなイということかネ。なかなかに策士のようダな君ハ]
核心の情報を相手に与えない点においてはリッチも同様なのだが、それについてはフラヴィオは何も言わないでおいた。
リッチは何か勘違いをしている。
思い当たることがあるとすれば先ほどの聖水だが、あれはリッチ本人ではなく大地の浄化に使ったもののはず。
(……そういうことか)
リッチは大地を不浄で汚そうとした。
だがそれを聖水で清められたために、大地と何らかの形で接続していたリッチに聖水の効果が及んだのだろう。
如何に清められた聖水とはいえ、物質界にその本質が存在する聖水では何らかのステップ、人では及ばぬ高みにあるものを介在させなければ、幽体であるリッチに影響を及ぼすことは出来ないはずである。
(招き入れられれば入り込むことができる、か。吸血鬼みたいだな)
そんなことを考えたフラヴィオは、伝説の暗殺者集団であるエカルラート=コミュヌはどうやって暗殺を行っていたのかに思いをきたし、そしてすぐにそんな場合ではないのだと首を振った。
「ダメージを負った割には元気そうだな」
[おオ、おお、そんなに素っ気ない態度を取らなイで欲しいものダ、友人よ]
「お前と友人になった覚えはない。なのにそんなことを言うとは何が狙いだ」
リッチは顎をカパッと開け、誘うようにゆっくりと右手を前に差し伸べる。
[友人を助けたイ。アンデッドがそんなこトを考えてはいけないかネ]
「……」
生存本能。
生あるものはすべてその生をまっとうするために、次の世代に何かを残すために日々を過ごす。
すべての本能の根源とも言える、生存本能をまっとうできるという甘い誘い。
その甘美な誘いをかけてきたリッチをフラヴィオは睨みつけた。
「つまり助かりたいならお前が出す条件を飲めってことか」
[おお、オお、やハり君は賢い人間のようダ。でハ私が出す条件も、ある程度は予想がついテいるのではナいかネ?]
「今お前がそう言わなければ思いつかなかったかも知れないけどな」
グレタを差し出せ。
到底飲めない条件を出し、フラヴィオが苦しむ姿を見る。
アンデッドなら当然のように出すであろうその提案を、フラヴィオは瞬時に考えついていた。
「グレタならさんざん生気を吸っただろう。そんな出涸らしより俺のほうがよっぽど吸いごたえがあるぞ」
[おヤおや、柳の下にドジョウは二匹もいナいものだヨ]
「……? ドジョウと柳に何の関係があるんだ?」
フラヴィオがそう聞いた途端、場は微妙な雰囲気によって時を止めた。
「そうだな、強いて言えば柳から痛み止めが作れると先生から聞いたことはあるけど、リッチが痛み止めを欲しいとも思えない。何のつもりだ」
[アー、あア、これは失礼しタ。つまり君は、私が生気を吸う時に何らカの手段を使って、再び聖水を私に吸い込ませヨうとしテいる。そうではないかネ]
「……正解だよ」
今の季節は夏。
夜で涼しくなっているとはいえ、グレタを抱えて走って逃げていたフラヴィオの体は汗でびっしょりになっていた。
その汗に聖水を紛れ込ませる、つまり自らの体表を清めればあるいは、と考えていたが、どうやら相手のほうが一枚上のようだった。
フラヴィオはため息をつき、そしてグレタを背中から地面にゆっくりと降ろす。
[ふム、君ハそのお嬢さんをどうあっテも守るつもりかネ]
「これでも医者の卵だからな。患者を置いて逃げるわけにはいかない」
[ほうほウ、英才と思えば医者志望かネ。それは将来の患者サんたちにハ、お気の毒なことだネ]
リッチはカタカタと顎を震わせると、上げたままだった右手を思い出したように降ろした。
[デは、まず君の絶望かラ頂くとしようカ]
そう言った直後、リッチはフラヴィオの目の前から消えた。
(消え……なッ!? 体が動かない!? 声も……!)
フラヴィオは驚き。
[怯えルことはないヨお嬢さン。君は私の中デ永遠に生き続けるのダ]
背中から聞こえてきたリッチの声に慌て。
「あはは、患者か……もうダメだろうし、今のうちに言っておこうかな。私、貴方のことが好きだったよフラヴィオ。だから、貴方だけは逃げて……」
(グ……レ……グレタァァァァアアアアッ!)
昔の話し方に戻ったグレタの声に嘆き、無力な自分に怒りを覚え、死力を尽くして動こうとする。
(動け! 動け! 動け! どうして動かない! また俺は大切な人に何も言えず別れるのか! 尊敬していた父さんにも! 愛しているグレタにも!)
骨も砕けよとばかりに全身に力を籠め、それでも動かない自分に絶望した時。
[ほゴッ!? ゴッ……ォ……ォ……]
何かが弾け飛ぶ音が聞こえ、リッチの気配が遠ざかっていった。
「遅くなって申し訳ありませんフラヴィオさん」
地面から何かを抜き取るような音を聞いたフラヴィオは、助かったのだという気持ちで泣きそうになりながら現れた人物に心の中で礼を言う。
そこにいたのは全身を汗で濡らし、息を切らしたサリムだった。
「まだ法術を修めていないもので、クレイ様から受け取った念話を解読するのに手間取ってしまいました」
「ええと、そうですか……あ、喋れるようになってる。体も動くみたいだ」
待ちに待った助け、サリムの救援。
フラヴィオは安堵し、そして聞こえてきた声に戦慄する。
[これハこれは……天からの助けトいったところかネ]
何故ならサリムの一撃によって十メートルは吹き飛ばされたというのに、リッチには一向にダメージが見られなかったのだ。
「スケルトンにしては随分と巨大だと思ったら、巨人族のスケルトンですか?」
そう言ってサリムが槍を――先端が三つに分かれた珍しい形状の――リッチに構えるのを見たフラヴィオは、今のうちだとばかりに急いでグレタに駆け寄り、回復薬を飲ませた。
「大丈夫かグレタ!」
「う、うん……えっと、貴方……あんたのほうこそ大丈夫なのかいフラヴィオ」
「その喋り方もういいから」
「う、うー……」
フラヴィオは顔を真っ赤にして黙り込むグレタの手をとり、立ち上がらせる。
「動けるか」
「う、うん、多分動けると思う」
顔色がやや白いが、口調はしっかりしているグレタを見たフラヴィオは、先ほどから激しい戦いの音が鳴り響く背後へと振り返る。
「サリムさん! この場を任せても……ッ!?」
[オやおヤ、どこに行こうというのかネ]
そこにいたのは無傷のリッチ、そして全身のあちこちが異様な色に変色して大地に膝をついたサリムの姿だった。
「大丈夫ですかサリムさん!」
[ほウほう、こんな時でモ他人を気遣う余裕があるとハ、大したものだヨ]
グレタとともにサリムに駆け寄ったフラヴィオは、急いで鞄の中から回復薬を取りだし、サリムに飲ませる。
[ふむふム、なるほド。肉体のみならず精神まで回復させる薬とハ興味深いネ]
すぐにサリムが立ち上がる姿を見たリッチは、カクンと首を横に曲げると、そのまま奇妙な角度で何度もうなづいた。
[しかシ、その少年でハ私には勝てないヨ]
リッチの右手に何かが集まり、薄暗くなる。
[変質]
「ぐぬ……ッ!」
同時にサリムの体は再び変色し、苦しそうな顔になると地面に膝をついた。
[これに耐えるとハ、人間……ではないようだネ。そしてとてモとても不思議で力を持ツ存在のようダ。だガ……]
今度はリッチの左手が黒いモヤに包まれ、サリムへと放たれる。
[黒霧]
だがモヤのように見えたそれがサリムに触れたとたんに激しい音が鳴り響き、先ほどのリッチのようにサリムは吹き飛ばされていた。
[力の扱いかたがマるでなっていない。この物質界デどたばたとモがいているだけ。それではリッチである私には到底勝つことはできないヨ]
「……そう……ですかねッ!」
サリムは気合の声とともにリッチへと駆け寄り、三叉槍を振り回して先ほどのお返しとばかりにリッチをなぎ倒す。
[私の身体は物質界にハ存在しなイ。それが理解できない程度の者がどうして私を倒せるなドと思うのかネ]
しかし大地に叩きつけられたと思われたリッチの姿は掻き消え、サリムの背後に現れるとその頭を握りしめた。
「ぐあぁ……あ」
[会ったばかりでさようならとは残念だヨ稀人の少年。さらばダ]
サリムの身体から急激に生気が抜けていく。
「サリムさん!」
フラヴィオは助けを求めるように周囲を確認し、そしてすぐにグレタへ一本の瓶を手渡すと背中を軽く叩く。
「グレタ、お前はドローマへ助けを呼びに行け」
「え……で、でもフラヴィオは?」
「俺はサリムさんのサポートをする。あの人はこの町の住人じゃない。ここで俺たちのために命をかける必要はない人だ。行けグレタ! 今は迷っている暇はない!」
「で、でも……」
手渡された瓶を両手で握りしめたグレタが何かを口にしようとした瞬間、フラヴィオとグレタの周囲に異変が生じる。
「クソッ! 逃げろグレタ!」
「逃げろってどこに!」
盛り上がる黒き大地、次々と芽吹く白い人骨。
[何を驚いテいるのかネ。君たちガあんなに待ち望んでいたスケルトンたちだと言うのニ]
気づけばフラヴィオとグレタは、数体のスケルトンに囲まれていた。