第180話 鍛冶神ヘーパイストス!
「うーん……」
「どうしたにゃ。どうしたクレイ、浮かない顔だが」
「ちょっと気になることがあってさ」
「少し休憩でもしていくにゃん? い、いや! していくか!? あそこにちょうどカフェがあるが!」
再び城内に入ったクレイは、途中で合流してきたエレーヌがそう言って一軒の建物を指差しているのをぼんやりと見る。
「……そうだね、ちょうど甘いものも食べたかったところだし一緒に行こうかエレーヌ姉」
「おおそうか! そうするにゃん早くするにゃん!」
罰ゲームは終わったらしいのだが、まだ語尾が少々あやしいエレーヌは、着ているワンピースにまったく似つかわしくない、軽快なステップで裾をひらめかせながらカフェに向かい、その後をクレイは難しい顔で考え込みながらゆっくりと着いていった。
「ボンジョルノ。ちょっとした食事と甘いものが欲しいんだけど」
「ボナセーラ。もう昼はとっくに過ぎたってのに、こんな時間にお客さんが来るとは珍しいね、何かあったのかい?」
「美しいお姉さんに見とれてたらいつの間にか時間が経っちゃってね」
「な、なにを言うにゃんッ!? いや違う今のは違う聞かなかったことにしてくれ」
クレイの説明を聞いたカフェのマスターは、隣に立つエレーヌを見ると大いにうなづく。
「お客さん、ピッツォッケリはご存知かい?」
「いや……ピッツァみたいなもの?」
「俺の故郷のパスタさ。材料にデュラム小麦と、グラーノ・サラチェーノって奴をブレンドして作ってる。こっちじゃあまり馴染みが無くて、ちょいと変わった風味と舌触りだが、さっき来た自称魔王のお兄さんには好評だったぜ」
「へ? 魔王?」
「ああ、まさか異国の地でソバを食べられるとは思っていなかったって言ってたな」
どうやらルシフェルとアスタロトはドローマ観光を楽しんでいるようである。
「何やってるんだか。えーと、それでそのピッツォッケリって美味しいの?」
疑い深い目になったクレイを見たマスターは、ハハッと笑い飛ばす。
「白状すると、もう客も来ないと思って、メシでも食おうと自分用のまかないの分しか作ってないんだ。それなら出せるがどうする?」
「あ、そういうことならそれでお願いするよ」
「甘いものは……マリトッツォでいいかい? パンに生クリームを挟んだもので、こいつはこっちの名物だ」
「じゃあその二つをお願いしてもいいかな。せっかくの食事を邪魔して申し訳ないけど」
「せっかくの天使様のご来店だ。こっちこそ礼を言いたいくらいさ」
「……?」
なぜクレイが天使であることを知っているのか。
(ルシフェルが喋った……? でも俺のことまで口にする必要があるとは思えないけど……)
クレイが気付き、尋ねようとした瞬間にはカフェのマスターは厨房へと姿を消していた。
「こいつがピッツォッケリだ」
「へぇ、短くて太め……だからソースが良く絡むようにチーズとバターを使ってる感じかな?」
「ああ、俺の故郷はドローマと違って冬の寒さが厳しくてな。昔はよくこいつを食って寒さをしのいだもんさ」
「そうなんだ。話は変わるけど、何で俺が天使って知ってるの?」
マスターはきょとんとした顔になり、次にまじまじとクレイの顔をのぞきこむ。
「来た時にあれだけ騒ぎになって、その後に教皇様じきじきに発表があったんだからそりゃ知ってるさ。他にご注文は?」
「いや、特にないかな」
「それじゃ俺も食事にさせてもらおう。厨房の奥にいるから、用がある時は呼んでくれ」
そう言ってマスターは再び姿を消した。
「どうしたクレイ、まるで食事が進んでないようだが」
「エレーヌ姉はのんきだなぁ」
「なッ……何なのにゃお前はさっきから! ひ、ひ、人のことをあんな……美しいなどと言っておきながら!」
クレイの呟きにエレーヌはたちまち怒りだす……と思いきや、途中でエレーヌが先ほどのことを思い出して半ニヤになるところを見たクレイは、こっそり溜息をつくと先ほどのマスターの説明を思い出していた。
(どんどん問題が増えていくような気がするな。どう思うメタトロン)
(傍観者である彼らの悪い癖だ。思わせぶりなことを口にしたり態度に出したりすることで、相手が狼狽するのを楽しんでいるのだろう)
(知り合いなのか?)
(オリュンポス十二神が一人、鍛冶神ヘーパイストス……こちらではウゥルカーヌスか。十二神のほとんどが好意的に接している君のことを見定めに来たのだろう)
(あー良かった。もうドローマを離れる日も近いのに、これ以上の問題を背負わされたらどうしようかと思ったよ……いや待てメタトロン)
(どうした)
(ドローマに今ヘルメース……メルクリウスもいるよな)
クレイの指摘にメタトロンは黙り込む。
(……平和とは次の戦乱が来るまでの気休めとは誰の言葉だったか)
(うおおお! チクショオオオオオオオオオ!)
ヘーパイストス、ヘルメースが仕組んだ悪戯に、戦神アレースとアプロディーテーがまんまとはまった逸話。
その内容を思い出したクレイは、料理の乗ったテーブルに拳を叩きつけようとして寸前で止め、その勢いのままに料理をやけ食いした。
「毎度あり~」
「……ご馳走様」
クレイの心配は杞憂に終わる。
特に何ごともなく食事は終わり、そのことが更にクレイの疑心暗鬼を呼ぶも、特に食事自体は何ごともなく終わった。
そう、食事自体は。
「ああ、ちょいと頼まれごとをしたいんだがいいかい?」
「俺に出来ることなら……」
すわ来たか。
左足を一歩引き、警戒心を露わにしたクレイにヘーパイストス……ウゥルカーヌスは肩をすくめ、その後に背中に手を回す。
「そんなに身構えなさんな。ちょいとメルクリウスに渡してもらいたい武器があるだけさね」
「武器?」
ウゥルカーヌスが背中に回していた右腕を前に回し、その手に握っていたものをクレイに見せた。
「……三叉槍?」
「何でも三つの属性を一つの存在に宿した非常に珍しい人間がいるらしくてな。そいつの存在を安定させるために三叉槍が欲しいって話だった」
どうやらメルクリウスは色々と裏で動いてくれているらしい。
「お代は?」
「そうだな。俺たち神にはありきたりの財宝なんぞ何の意味も持たねえ。ってなわけでオリュンポス山に寄った時、面白い話でもしてくんな」
「感謝します」
クレイは頭をうやうやしく下げ、カフェを後にした。
そのしばらく後。
「うーん……気が付いたら気を失っていて、目が覚めた時にはそこにスケルトンが立っていた……か」
クレイはヴィオラに聞いた情報を思い出し、再び悩んでいた。
「どうしたクレイ、浮かない顔だが」
そしてさっきと同じようにエレーヌが心配そうにクレイに問いかける。
「エレーヌ姉、ヴィオラって娘がスケルトンに襲われた話を知ってる?」
だが先ほどまでとは違う展開、エレーヌにクレイが問いかけたことで、事態は新たな方向へと向かった。
「魔物とはスケルトンのことだったのか。しかし不思議なものだな」
「何が?」
「私が聞いた情報では、魔物が出始めたのはここ数日、しかもスケルトンと限定されていなかった。襲われた人間が本当に私が会った花売りの少女の妹なら、最初からスケルトンという情報が伝わるはずだが」
何気ないエレーヌの呟きに、クレイは思わずその顔を覗き込む。
「どどどどうしたクレイ! ここここ、ここは人目のある往来だぞッ!?」
「綺麗だなって思ってさ」
「ななな、なにゅう!?」
狼狽しまくるエレーヌに、クレイは爽やかな笑顔を向けた。
「ちょっと一緒に来てもらいたい所があるんだけど……いい?」
「んんッ! 今回の外遊に関しては陛下の命令通りお前に一任してある! つまりお前の頼みとあれば従わざるをえまいッ!」
「それじゃ行こうかエレーヌ姉」
クレイは再びグレタとヴィオラが住まう天幕へと向かった。
そしてしばらくグレタとヴィオラの二人と話し込んだクレイたちは、天幕を足早に出る。
「付き合ってくれてありがとエレーヌ姉。もうそろそろ宿に戻ろうか」
「そそそ、そうか。お前がそう言うなら宿に二人で戻るか!」
差し出したクレイの手をエレーヌは受け取ると、熟練の剣士であることを見せつけるかの如き可及的速やかな動きで自然に腕を組む。
自分の存在を感じさせる最低限の体重をかけ、しなだれてくるエレーヌをクレイは丁寧にエスコートすると、宿へと戻っていった。
「つまりエレーヌ姉が情報を聞いた花売りの少女は、別人だった可能性があると言うことかクレイ?」
「ああ、理解が早くて助かるよメルクリウス。ええと、エレーヌ姉の方は花売りの少女の顔をよく見ていなかった。それはまぁ分からないでもないけど、グレタの方はあのエレーヌ姉をまるで覚えていなかったんだ」
エレーヌは性格はともかく、その容姿にかけては三国随一と言ってもいいほどの美しさを誇る麗人である。
それをまるで覚えていないなど、絶対と言っていいほどあり得ない話にクレイは一つの推論を立てていた。
「つまりエレーヌ姉が話を聞いた花売りの少女は別人で決定だな」
「情報源が二つということか」
「あるいは複数あるってことだろう。その狙いが何なのかはまだ断定できないけど、その結果は俺が目にしている通りだ」
「混乱、錯乱、それによる時間稼ぎといったところか」
「俺のドローマへの訪問は期限付きだからな」
宿に帰ったクレイは、早速メルクリウスに相談をしていた。
この手の話が苦手なエレーヌは当然少し離れた場所でつまらなそうな顔をしており、クレイは苦笑いを浮かべると軽く手を振って彼女の機嫌をとる。
それに気づいたメルクリウスは微笑を浮かべ、エレーヌが機嫌を損ねない程度に間を置いて二人の時間をとると、頃合いを見計らって口を開いた。
「そうなると仕掛けてきたのは教会の者と言うことになるが……いささか不思議な点もある」
「それは?」
「魔物の情報が君に入ってくることを前提としている、ということだ」
「それは……でも当たり前と言えば当たり前じゃないか? 俺の噂はこっちまで……」
本当にそれだけなのか?
メルクリウスの指摘に、クレイは背筋が寒くなるのを感じた。
「処刑天使、あるいは困ったものを見捨てられないお人よしの天使、あるいはそのどちらも。何にせよ君の評判がこちらまで届いていることは疑いない所だろうな。だがその情報をもとにありとあらゆる可能性を考え、手を打っているなど余程の戦略家でない限りできぬことだ」
クレイの脳裏に、この外遊に出る時にシルヴェールやベルナールが幾度も口にした忠告が思い出される。
「今度の外遊先は同盟国じゃない……それがヴィネットゥーリアだけを指すので無いとすれば……?」
今さらながらにクレイは気づく。
ここが敵地であるのだと。
そしてそれに気づいていながらも、どこにあるか分からない教会の目を恐れてそう忠告するしかなかったことに。
あのシルヴェールやベルナールですら濁した表現をするしかなかった現実に、クレイは戦慄を覚えた。