第18話 ティナの意地!
「知ってるよ」
[それでも助けると?]
魔神の口からクレイに告げられた驚くべき事実。
助けようとしている相手からの、自分への中傷。
しかしクレイは右手に持った剣を静かに見つめて中段に構えると、ニタニタと笑う目の前の敵を睨み付けた。
「もう聞きなれたサリムの陰口より、お前の大口の方が気に入らないからな」
[ほうほう大口か……クク、ククク……]
失われぬ眼光。
それを見た上級魔神は、嬉しそうに含み笑いをした。
[気に入ったぞ小僧!]
啖呵を切ったクレイへ上級魔神は咆哮をあげ、周囲の草木を空気の振動によってではなく、恐怖によって震わせる。
[圧縮! 貴様の流し出した血をそのまま我が衣服としてやろう!]
「ぐぶっ!?」
ある一つの目的のために精霊界から呼び出した様々な精霊たち。
上級魔神はそれらを言霊と呼ばれる名付けによって物質界へ定着させ、一つの目的であるところの精霊魔術という一つの結果を得ていた。
その言霊、術の効果を固着する固有名詞と見られる言葉を上級魔神が叫んだ瞬間、クレイの胸元が歪み、その口から鮮血が溢れ出る。
[どうした小僧。もうおしまいか?]
「うる……せ……」
苦痛の呻きは喉を満たした血によってせき止められ、自らの肉体を鼓舞する叫びも塞がれてしまい、クレイは胸を抑えて地面に倒れてしまう。
[まったく理解できぬ。救おうとする者どもに侮られ、蔑まれ、疎んじられ、軽んじられ。それでも弱者を救うのが天使や人間の役目だと言うのだからな]
「救うの……は……人の命じゃない」
だが、クレイの目から光が失われることは無い。
[ほう? では何を救うと言うのだ?]
「それは……心だ!」
自分の血で咳込みながらも、クレイは地面をかきむしりながら立ち上がり、鋭い目つきで上級魔神の身体を射抜く。
「人が生きようとする理由! フォルセールを守るという心! その意思を受け継ぎ守っていくために、俺はお前と戦う!」
[なるほど。天使であるにせよ、小さい子供が上級魔神である我にもなかなかに食い下がると思えば……我々の怨敵、天使どもの根拠地フォルセールの者か]
上級魔神はそう呟くと、目を細めて面白そうにクレイに問いかける。
[化け物と言われてもか?]
その質問にクレイは答えなかった。
「……俺の住んでる所には魔物のセイレーンがいっぱいいてさ、日が昇る前からすごくうるさく鳴き始めるんだよ」
[ほう、自分語り……いや時間稼ぎか。先ほどから無駄なことをするものだ。あの子供たちが無事に逃げ出せるような手抜かりを、この我がすると思っていたのか?]
それどころか、助けようとしている子供たちともまるで関係の無い話を始めたクレイを見た上級魔神は、ついにクレイが現実逃避を始めてしまったのかと思ったのか、先に逃げたサリムたちについて告げる。
だが、その好意(あくまで上級魔神にとっては、だが)は意味を成さなかった。
「それで日が昇れば色んな所に飛んでいって、行った先で歌うんだ。すごく綺麗な声で、感動して泣きだしちゃう人もいるくらいで」
[ふむ、もはや我の声も聞こえぬか?]
明らかに自分より格下のクレイが、自分の発言を無視して喋り続ける。
それは上級魔神のプライドを大きく傷つける無礼なことであったが、しかしその感情をクレイに露わにすることは、自分で自分を貶める更に愚かなことであった。
故に上級魔神は混み上がってくる怒りを必死に押さえつけ、腕を組んで胸を反らし、尊大な態度をクレイに見せつけることで余裕を取り戻す。
「だけどやっぱり魔物だから……たまに心無い人になじられたりするんだ。それでもセイ姉ちゃんたちはずっと歌いに出かける。人の心を慰め、勇気づけるために」
[我々を裏切って逃亡した挙句、その逃亡先まで失っては生きていけないか。呆れた畜生どもよ]
その甲斐はあったようで、どうやら目の前の未熟な天使は彼の内なる動揺に気付かずに話を続けてくれていた。
この時、彼が怒りのままにクレイへ襲い掛かっていたら、無事に生き延びることもできたであろうに。
「ある日、俺は姉ちゃんたちに聞いた。なんで嫌われてる人たちにも歌ってあげるのかと。姉ちゃんは答えた。それは自分たちのような魔物でも領民として迎えてくれた、フォルセールの領主様や町の人たちに報いるため。そして……」
[そして?]
「そんな優しい領主様を育んでくれる、育んでくれたこのフォルセール領を、フォルセールの根本を成す気高き精神を守るためだってね! その気高き精神が俺にはまだ判らない! だけど! その気高き精神を受け継いでいる、フォルセールに住む人たちを守ることなら俺にも出来る!」
[なるほど? だが死んでしまえばそこで何もかも終わりでは無いか?]
馬鹿にした口調で、ある一つの事実を指摘する上級魔神。
それに対してクレイが露わにした感情は激しかった。
「終わらない! 俺がここで死んでも、その意志は逃げ延びたサリムたちが受け継ぐ! 一人の意思を他の人たちが受け継いで成し遂げる! それが人間の強みだ! 一つの個体の強さのみを頼り、誇るだけのお前たち魔族とは違う!」
[お前を魔物の子と馬鹿にしていたあの子供が、お前から聞いた訳でも無い意思を受け継ぐと? そううまい具合に行くのか?]
「例えサリムたちが受け継がなくても他の人たちが受け継ぐ! それもダメなら他の人たちが受け継いでくれる! 絶対に!」
[ほう……ではお前の言葉が本当かどうか、試してみようではないか]
折れぬ意思、屈せぬ魂。
天使と魔族が争う天魔大戦を何度も戦い、幾度も人間や天使と矛を交えてきた中で、今のクレイと同じ目を数知れず見てきた上級魔神は、その持ち主を決して侮ってはならないことを知っていた。
故に彼は黒いモヤのようなダークマターの鎖を産み出すと、クレイの体がほぼ見えなくなるほどの厳重さでもって縛り上げ、そして内に在るすべての存在の力、結界を作り出した本人の力すら減衰させる結界を作り上げ、閉じ込める。
だが相手にとどめを刺すための術を使い、天使の仲間に発見されることを恐れた彼は、まず情報を得るという最初の目的を最優先とした。
[先ほどお前が逃がした子供を見つけ、連れ戻した後は感動の御対面だ。お互いにどんな顔をするか……おおそうだ。子供の一人くらいは死体とした方が面白いか?]
「そんな脅しを言っても無駄だ! 本当は俺が怖いんだろう! さっきみたいに無様にやられるのが嫌だから、力の無いサリムたちの方へ行きたいんだ!」
[先ほどまでと違い、随分と口が回るようになったな。負け犬の遠吠えとは良く言ったものだ。では我が戻るのを楽しみに待っているがいい……ククク]
魔神は下品な笑い声を残し去っていき、後には地面に転がったクレイが残されることとなっていた。
(チクショウ! チクショウ! 何だこんなモヤくらい……うあああッ!?)
少し身じろぎをした途端に全身に走る激痛、掻き乱される思考。
同じ年頃の子供たちとは比較にならないほど肉体的、精神的な強さを持つクレイでも、その痛みは耐えられない物だった。
(考えろ、考えろ、考えろ! 時間稼ぎをして、その間に司祭様やアルテミスに見つけてもらう計画はダメだった! 不意打ちや挑発であいつを怒らせて派手な術を行使させ、それを見つけてもらうことも失敗して救援は望めない! ここで俺が何とかしないとサリムたちが殺される! だけど今のままじゃ動けない!)
打つ手なし。
一瞬だけ頭の中に浮かんだ考えをすぐに振り払い、クレイは考える。
その思考の行きつく先が、絶望で塞がれているであろうと勘付いていても、彼はその立ち塞がる壁が無効化できると信じて考え続けた。
起き上がろうにも起き上がれず、上級魔神が去った方向を睨み付けた時。
「いたいっ!?」
彼を包むモヤの一部から悲鳴があがった。
「ティナ!?」
クレイの鼻をつく、嫌な臭い。
ティナの姿は見えなかったが、彼女が何をしているかは容易に想像できた。
「なるほどね。ウチを見逃したんじゃなくて、ウチじゃこの鎖をどうしようもできないって分かってたから子供たちの方へ向かったのね……」
それはクレイですら激痛に身動きできなくなった、ダークマターの鎖の解除。
「やめろティナ! 無茶をするな!」
しかしティナがクレイの忠告を聞いた様子は無かった。
「……なかなかムカつかせてくれるじゃない。いいわ。妖精の意地、見せてやろうじゃないの!」
クレイの手のひらほどの大きさしかない彼女が、クレイを驚かせるほどの決意を表情と口に出し、防御や癒しの奇跡をもたらす聖霊へ祈りを捧げて霊気を練り上げ、法術を組み上げ、クレイを縛り付けている黒いモヤへ再び手を伸ばす。
「お願いクレイ! 立ち上がって! ウチじゃダメなの! 子供たちを助けてあげられないの! 鎖はウチが何とかするからお願い! 子供たちを助けて!」
しかしモヤが消える様子はない。
半透明に輝いていたティナの手が炭と化し、痛みを感じさせてくれるはずの神経は焼き切れ。
だがそれでも、ティナは黒の鎖から手を離さなかった。
「イイイィィィヤアアアああああああッ!」
そしてとうとう黒い鎖は引き千切られる。
「ああ……クレ……イ……良かった……」
「ティナ! しっかりしろ!」
クレイはティナの変わり果てた姿を見て、全身に冷たい汗を流す。
しかしティナは脂汗が浮いた顔に弱々しい笑みを浮かべ。
「あんた本当に……ムカつく……わね……子供が偉大なる妖精のウチを心配するなんて、図々しいにも程があるわ」
このような状況ですら、なお減らず口を叩いてみせる。
「ふざけんな! こんな大やけどしてるのに心配しない奴がいるか!」
だが血相を変えたままのクレイを見て、ティナはさすがに弱々しい笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。それにウチのことが心配なら……今すぐに子供たちを助けて、ラファエラにウチの治療をお願いしに行ってよね。あんた法術もロクに使えないんでしょ?」
「……判った。俺に任せろティナ」
クレイは茂みの中に自分のハンカチを敷き、ティナをその上に寝かせると素早くその場を走り去る。
ティナはその後ろ姿を見送ると、長く、僅かな溜息をついてその目を閉じた。
「ご武運……クレイ……さ……」
発している本人にすら、聞こえない呟きを発して。
(……魔神はどこだ? 何とかしてサリムたちを助け出し、すぐに戻らないとティナの命が危ない)
ティナと別れた後、クレイは異様に冷めた頭で魔神の後を追っていた。
(腰には剣がある。だけどただの鉄剣では魔神を倒せない……となると)
クレイは首を振る。
(あの時以来アイツの声は聞こえない……それにアイツに頼るだけじゃ俺自身が……)
その時。
(そこの君。我の力を必要としているのではないか?)
クレイの中で、何者かが居丈高な口調でそう尋ねてきたのだった。