第175話 地に巣くう闇を祓え!
スケルトン。
誰でも聞いたことがあるであろう、白骨化した人間の死体の魔物であり、アンデッドの中でもリビングデッドと一、二を争う知名度を持つメジャーな魔物である。
このセテルニウス世界における彼らは、無限の情報を無限に圧縮したもの、個にして全であるダークマターの微細の一つが白骨死体に宿ったことにより、別世界の情報と力が宿ったものとなっている。
微細なれどその力は圧倒的……とはまったく言えず、鈍器を持った大人が数人がかりで殴りかかれば倒せる程度の強さしかもっていない。
さすがにスケルトンが武器を持っていれば苦戦はするが、それでもスケルトンの動きがやや鈍いこともあり、離れた所から投石具などを使って攻撃すれば容易く撃破できる部類の魔物である。
ただし。
「それらの武器は俺たちが反抗した時にも使えるから、持つことを教会によって厳しく制限されているんです。聖地では争いを禁じているから、という名目で」
「なるほど」
灰色がかった色のフード付きローブを着こんだフラヴィオからそう説明されたクレイは、スケルトンをバカにしたような失言をしたことに頬をかき、それを無言のまま目でとがめてくるメルクリウスに肩をすくめ、それを見たフラヴィオに苦笑されていた。
「ホントに腹が立つよあいつ等! 口ばっかり達者で、実際に命懸けで働くアタシたちのことを何にも考えてやしない!」
「と、グレタは言っていますが、実は見回りや害獣の駆除をやってるのは他の大人たちです」
「アタシにやらせてくれないだけだ! 弓はもちろん剣だって槍だってちゃんと扱えるのに!」
女性にしてはたくましい、まるでディルドレッドのような体格であぐらをかいている女性はフラヴィオにそう答えると、直後に慌てて姿勢をただして正座になり、深々とクレイとメルクリウスに頭を下げた。
「見苦しいところをお見せしてすいません、アタシの名はグレタと言って、開拓地の見回りを仕事としております」
そう自己紹介をしたグレタは、クレイやフラヴィオと同じくらいの年代か、少し年上に見えた。
というのもグレタは日に焼けた肌を狩人のような長袖のシャツとズボンで包んでおり、元は金色であっただろう頭髪はくすんでグレーが入っているため、やや疲れた印象を与える恰好だったからである。
ただその目だけは鋭いブルーに光り、茶化したフラヴィオを睨み付けていた。
「ちゃんと扱えるだけじゃ他の大人と変わらないだろ。そこに割って入って押しのけるだけの腕を身につけないと、やらせてもらえるわけがない。決められた仕事以外に、急に入ってくる仕事をこなすだけの体力もな」
「うー……」
しかし世間を知っているのはフラヴィオのようである。
「聞きたくないだろうが、いくらお前に腕があっても意気込みがあっても、肉体労働はやっぱり女は男に勝てないんだ。いい加減に諦めて……諦めた方がいいんじゃないか?」
「ふん! お説教は沢山だよフラヴィオ! ヴィオラもそう思うだろ!」
口では勝てないと知っているのか、グレタは即座に近くの簡易寝台に寝かせられているヴィオラという少女に救援を求めるも、救援を求められた先方は困ったような笑顔を浮かべるだけだった。
しかしクレイと一緒に入ってきたサリムに気が付いたヴィオラは、ゆっくりと半身を起こし、サリムに頭を下げる。
「先ほどは花を買っていただき、ありがとうございましたサリム様」
「いえ、最近は心身ともに擦り減る思いをしていたので、丁度いい癒しとなりましたよ」
サリムの返答を聞いたヴィオラが顔をうっとりさせると、それを見たグレタがさっと顔色を変えた。
「ちょいとそこのアンタ、ヴィオラは体が弱いんだからあまり無理をさせないで欲しいね」
構ってくれないヴィオラを見たグレタはサリムに八つ当たりし。
(クッ、いつの間にそんなスマートなトーク術を学んだんだサリム)
女性への接し方の技術を知らない間に向上させたサリムを見たクレイは、顔をムッとさせて二人を見つめる。
その直後。
「……」「……」
急にガッシリ握手する二人。
同じ年代ということもあってか、すぐにクレイとグレタは仲が良くなったようである。
そんな二人を見たフラヴィオは少しの間だけ思案に暮れ、やがて面倒になったのか天幕の隅に置いてある棚からいくつかの包みを取り出し、鉢の中に入れて磨り潰し始めた。
「そろそろ薬の時間だろヴィオラ」
「あ、はい……いつもすいませんフラヴィオさん」
「グレタがガサツじゃなけりゃお前の面倒も任せられるんだけどな」
「ガサツ言うな! アタシだってちゃんとオシャレして街の中を歩いたら、何人かの男は振り返ってくれるんだからな! ……多分だけど」
「ああ、だけどその他の何十人もの男は振り返りもせずお前とそのまますれ違うだけなんだろ。それよりお湯を沸かしてきてくれグレタ」
「むむむ」
グレタは顔を白黒させた後に大人しく天幕の外に出ていき、しばらくしてから洗面器ほどの大きさの器にお湯を入れて戻ってくる。
「俺たちは外に出るからお前はヴィオラの体を拭いてやってくれ。すいません、お二人とも少しの間だけ外に出てもらっていいですか」
フラヴィオの頼みにクレイとサリムはすぐに同意し、ごく自然な流れで席を立って天幕の外に出た。
「先ほどのスケルトンの話、お二人はどう思われましたか」
「え、いやまぁ、大変だな、と」
「いくら武器が無くてもスケルトン一体なら何とかなりそうですが」
クレイとサリムの意見を聞いたフラヴィオは悲しそうに目を伏せる。
「実はスケルトンが出たのは今回が初めてじゃないんです」
そう前置きすると、フラヴィオはぽつぽつと昔のことを話し始めた。
昔はヴィオラも病弱ではなく、元気に走り回る子供だったこと。
それがスケルトンに襲われてから今のように病弱になったこと。
スケルトンの討伐を衛兵たちに願い出たが、なしのつぶてなこと。
グレタも昔は美しくおとなしい少女だったのが、ヴィオラが今のようになってから急に剣を取るようになり、性格も荒々しくなったことなど。
「幸い俺は父が医者だったこともあり、薬草の知識がそれなりにあるのでヴィオラの面倒を見ていたのですが、それでもどんどん元気がなくなってきて……」
フラヴィオは深く息を吸い、そして吐き出す。
「ヴィオラを……いえ、ヴィオラが何でこうなったのか診てもらえませんか天使様。俺ではもうどうすることもできそうにないんです」
「俺が?」
「はい。治療とまではいかずとも、診断であれば何とかお頼みできるのではないかと思った次第です。その結果次第では俺でも調合できる薬草でヴィオラを治せるかもしれない」
「ごめん、それはできない」
「そうですか、残念です」
意外と言うべきか、当然と言うべきか。
驚くことにフラヴィオの懇願をクレイは即座に断り、そしてさらに驚くことにそのクレイの返答に対してフラヴィオは食い下がることなく、あっさり了承していた。
「いいんですか、フラヴィオさん」
「……良くはありませんが、それをここでしつこくお願いしても仕方がないことです」
あまりに意外な展開に、当事者ではないサリムが心配そうな顔でフラヴィオに確認を取り、その返答を聞いたメルクリウスが口を開く。
「僕で良ければ診てやっても良いが」
「メルクリウス様のお申し出は非常にありがたいのですが、教会組織の外にある貴方様の力を借りたとあっては、この先この土地で生きていくのに不都合が出るかも知れませんので……」
「ふむ」
場の空気が微妙になった時、何も知らないグレタが天幕の入り口から呑気な顔を出して手を振った。
「フラヴィオ、ヴィオラの体を拭いたよ~……ってどうしたんだいアンタ? 顔色が悪いよ」
「気にしなくていい。天使様に恐れ多いお伺いをしたことを、言った後で気付いたから謝罪して許してもらったところだ」
「仲間内で頼られてるからって気を張りすぎなんだよアンタ。申し訳ありません天使様、アタシからも謝罪させてください」
「いや、気にしないでくれ。それよりスケルトンっていつ現れるんだ? あ、いや、俺がどうこうするわけじゃないけど、新たな犠牲者が出ないようにしておく方がいいっていうか、討伐するよう教皇様に直接口利きをすることは反しない……ええとするくらいはできるからさ」
恭しく頭を下げるグレタを見たクレイは、所々つっかえながらそう提案するが、グレタは申し訳なさそうな顔をするだけだった。
「天使様のご提案に感謝します。ですが日没以降に不定期に姿を現すことくらいしか分からないのです」
「日没以降だけ?」
「妹のヴィオラが襲われたのは早朝の水汲みに出た時で、日が昇る前でしたから、おそらく日光を嫌っているのだと思います」
「そうか」
クレイは困った顔で腕を組む。
決まった時間に決まった場所に出るのであれば応援も頼みやすいが、不定期というのであれば衛兵などを駆り出すには如何にも不都合である。
大きな被害が出ているというのならそれでも出動するだろうが、今のところ聞いたものと言えば一人の少女、ヴィオラが病弱になっただけ。
クレイ自身が見回れればそれが一番いいのだが、クレイとて教皇や枢機卿との会談を控えている身であり、晩餐会に呼ばれた時に出没する可能性もあるのだ。
「う~ん……」
「クレイ様、私で良ければ見回りの任につきますが」
悩むクレイを見たサリムがそう助言すると、クレイの顔がパッと明るくなる。
「あ、サリムならいいのか! いいみたいだ! じゃあお願いしていいか!」
「喜んで」
そのやりとりを聞いたフラヴィオとグレタの顔も一気に明るくなり、先ほどから蚊帳の外に置かれた状態のメルクリウスはやや渋い顔となる。
「話はまとまったようだな」
「ああ、お前はどうするんだメルクリウス」
「とりあえずワインで祝杯をあげるとしよう」
「それ明日持って行く予定のワインだろ!」
こうしてスケルトン討伐計画は幕を開けたのだった。