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第170話 大人の余裕の作り方!

「宿はあれかな」


 部屋を取っている宿の外には、場所が分かりやすいようにサリムが出迎えてくれていた。


(ん? これはフィーナと……誰だ?)


 しかしそこに近づくまでの間に、クレイの耳にはフィーナと聞き覚えの無い女性とが笑いさざめく声が聞こえ、クレイはそれを不思議に思いながらもサリムへと近づいた。


「お待ちしておりましたクレイ様」


「フィーナはいるかいサリム?」


「部屋で休憩しているかと」


「そか」


 サリムの様子はいつもと変わらないように見える。


 しかしその態度に何か今までとは違ったものを感じ取ったクレイは、それとなく探りを入れてみた。


「フィーナたち以外にも客人がいたりする?」


「はい。よくお判りになりましたねクレイ様」


「何となくフィーナと誰かの笑い声が聞こえたような気がしたからさ」


 そうクレイが言った時、そよ風がある香りを彼の鼻に届けていた。


(かすかなオリーブの香り……石鹸かな? それにもう一つは……これはアルコールじゃないか!)


 この時代、ベイルギュンティ領のマロールセリユの名を冠したものなど、オリーブ油と藻類の灰を混ぜて作られた石鹸はあるものの、まだまだ高級品で一般にはほとんど流通していない。


 そうであるのにクレイが石鹸の香りと推測し、さらにサリムの飲酒より優先させたのは理由があった。


(まぁアルコールはおいておくとしよう。サリムももう成人だし昼間から飲むこともあるだろう)


 ネプトゥーヌスのおっさんみたいに毎日は論外だけど、と付け加えるとクレイはアルコールの項目を考慮から外す。


(見たことのない白い服……今まで服装に気を使ったことのないサリムが、新しい服を着ている理由は思いつく限り二つ)


 クレイは緊張のあまり、ゴクリと生唾を飲み込む。


(自主的に新しい服を着た。あるいは誰かに新しい服を着せられたかの二つだ……そしてそのどちらも女性の影響から無関係とは断言できない)


 女性とは服への執着を隠そうともしないディルドレッドか。


 確かに彼女は最近めきめきと腕を上げたサリムにそれなりの好意を見せるようになっていたし、可能性としてはあり得ることだった。


(いや、ディルドレッドさんは俺が鉄球をこれ以上ないほどに縛り付けてやったから、サリムと買い物をする余裕は無い……じゃあフィーナか?)


 この場合、まずディルドレッドの鉄球を外すことが人道的に先決と思われるが、今のクレイにとってそれはどうでもいいことのようである。


(フィーナだとして……新しい服……石鹸の香り……何か女性との繋がりがあった証拠となるものを消そうとしている……?)


 クレイがオリーブ油の香りを石鹸と断定した原因まで考えた時、サリムの優しい声が耳に届く。


「荷物をお預かりしますジョゼフィーヌ様、クレイ様」


「え、ええ。お願いするわサリム」


「ありがとうサリム」


 クレイとジョゼは、教皇庁から出る時にマザランより受け取った、荷物とも言えぬ紙箱に入れられた手土産をサリムに渡す。


 しかしサリムが受け取った時の仕草に違和感を感じたのか、ジョゼは軽い困惑の返事をした後にクレイに小さく目配せをし、クレイもまたその目配せに目で同意を返した。


 いわく、サリムの様子がおかしい。


 最初から疑ってかからなければ気付かないほどの違いではあったが、聖テイレシア王国の王女として様々な人間と会ってきたジョゼにとって、その違いを見破ることは容易かったようである。


 クレイもまた、血の繋がっていない家族、そして身近に畏敬の対象となりうる王族がいることで、負の感情となりうる大元には敏感だった。


(今までのサリムであれば、俺たちに話しかけたり、触れ合う距離に近づこうとした時、そして荷物などを受け取る時に、必ずためらいや恐れから来る一瞬の溜めがあった。だが今のサリムは……)


 人に警戒心を与えない程度の近さまでの歩み寄り。


 荷物を手渡す時、持っている人ごと優しく包み込むような広く深い慈しみの心を見せる手の動き。



 それはクレイやジョゼが未だに身に着けていないもの。


 大人の余裕であった。



(嘘だろサリム……まさかお前……)


 人が大人になったと認められる条件の一つにして、その中の最上位にあげられるであろう余裕。


 その余裕を自分より先にサリムが身に着けたという事実に、クレイは愕然とした。



(というわけでどう思う? メタトロン)


(子供の意地の張り合いに我を付き合わせるなと思っているが)


(子供でも、いや子供だからこそ譲れないものがある。そう思わないか)


(……ふぅ、子供を説得するような役目は、何だかんだと言って面倒見がいいメルクリウスの方が適任だと思うのだが)


 子供と同レベルであるガビーは論外だが、と余計な一言を付け加えた後にメタトロンは口を開いた。


(余裕を身に着けるには二つの要素がある。一つは人として成長し、その器が大きくなって余裕ができること。もう一つは……)


(もう一つは!?)


(余計なものを捨て去る、消え失せることで余裕ができることだ)


(……つまり?)


(君の考えていることが正解の一つにあるかもしれんな)


(うあああああ!? やっぱりいいいいい!?)


 余計なもの、つまりは童貞。


 しかし誤解してもらっては困るが、この時代においての童貞は余計なものどころか、守っていなければ恥と見なされるものである。


 なぜなら科学的根拠というものが存在していないこの時代は、まだまだ迷信や誤解による倫理観が一般的な定説として存在しているからだ。


 その中には童貞を守っていれば身長が伸びたり優れた持久力や筋力を持つようになるといったものもあり、更にはそれが多くの国で信じられていたために、早くに童貞を捨てることは逆に恥だったのである。


 しかしテイレシアにおいては、長く天魔大戦が散発的に行われていたこともあり、緩やかだが人口が他国に比べて慢性的な減少傾向、かつその中でも健康的な成人男性の減少は顕著である。


 よって子作りに必要な成人男性が童貞を守っているということは、やや冷ややかな目で見られるというか憐みの目で見られることがあり、クレイも成人女性に対して興味津々なお年頃なこともあって、サリムに先を越されたという事実は彼にとって認めがたいものだった。


(うああどうしてサリム……)


 と言うわけでクレイは耐えがたい悲しみが頭の中を占領していた。


 何と残酷な運命か。


 小さいころから知っているサリムが、自分が知らないうちに越えがたい壁を二人の間に建設してしまうとは。


「クレイ兄様? どうしたのですか先ほどから虚ろな目をして」


「あ、いや何でもない」


 絶望していたクレイは、ジョゼの呼びかけに弱々しく片手をあげ、力なく微笑むも、次のジョゼの言葉を聞いた途端に激しく動揺した。


「……分かりました。ですが何かつらいことがあれば、いつでもこのジョゼにおっしゃって下さい」


(言えるわけないだろ!)


 クレイは泣きそうになりながらもそう思った。


 小さい頃から家族同然に育ち、親同士も仲が良く、婚約の話も持ちかけられている上に、その容姿は同年代のあらゆる少女と比べても美しい。


 だがそれ故にクレイはジョゼに愛情は感じても愛欲を感じることはなく、それだけにジョゼに対して相談する訳にはいかなかった。


「とりあえず部屋に行こう。案内してくれサリム」


「かしこまりましたクレイ様」


 前に立って歩くサリムの何たる堂々とした偉丈夫姿よ。


 その堂々と歩く姿に、まるで魔王ルシフェルが鏡に映ったかのような印象を覚えたクレイは、床の出っ張りにサリムが引っかかって転ばないかなー、などとつまらないことを考えながら後ろをついていった。



「入ってもよろしいですかフィーナさん」


「どうしたのそんなにかしこまって。皆でとってる部屋なんだから遠慮しなくてもいいのよサリム」


「では失礼します」


 ノックの後、フィーナとサリムの間にいくつかのやりとりがあり、そして開けられたドアの向こうには、南に大きめの明るい採光窓がある、十人ほどが宿泊できそうな広い部屋が広がっており。


「フィーナお姉様! 服を着て下さいまし! それとそこのご婦人! 少しは隠そうとしたらどうなのですか!」


 そして素っ裸のフィーナとアスタロトが、ベッドの上で談笑していた。



「俺はクレイ=トール=フォルセール」


[ボクは堕天使の長を務めてるアスタロト。話は弟のバアル=ゼブルからよく聞いてるよクレイ。アルバたん以外にも面白い子がいるってね]


「そうですか」


 クレイは自己紹介をするアスタロトから眩しそうに目をそらす。


 切れ長の冷たい目に見えながらも柔らかな瞳と、男性のように短く切りそろえられた髪。


 美しく整った顔の下には、義母であるアリアと比肩する大きさの乳房があり、しかも何らかの魔術でもかけられているのか、いっこうに垂れ下がる様子もなく見事な張りを見せてドンと飛び出ていた。


「目のやり場に困るんですけど、服は持ってないのアスタロトさん」


「この辺りじゃいい服が無いんだよねー。実はさっきちょっと汗をかいちゃってね、洗って乾かしてる最中なんだ」


「ヘェー……エヒッ!?」


 生返事を返すと、クレイは背中に感じていた視線が妙な痛みに変化したのを感じて後ろを振り返る。


「堕天使がなぜ私たちと同じ部屋にいるのですか……事と次第によっては教皇様に訴え出て、エクソシストの一個連隊を派遣してもらいますよ」


 そこにはジョゼが暗い表情でクレイの背中に爪を立てており、その余りの怖さと痛みにクレイは絶句したままアスタロトに苦笑いを浮かべた。


[ああ、ごめんよ姫様の立場も考えずに。でもフィーナが宿に困ってるって言うからさ、そっちも放っておけなかったのさ。だから今夜一晩だけでもボクたちを一緒に泊めてくれないかな? 迷惑はかけないように魔王サマにも言っておくからさ]


「うう、あの魔王が貴女の言うことを聞くとはとても思えませんが……」


 ジョゼは悩み、申し訳なさそうにベッドの上に腰かけているフィーナの顔を見た後、アスタロトの乳房を恨みがましい目で睨み付けながら一つの提案をする。


「堕天使アスタロト、フィーナお姉様。いくつか私の質問に答えてもらいます。その内容次第によっては一緒に泊まる許可を出しましょう」


 ジョゼはそう言うと、アスタロトとフィーナと一緒に隣の部屋に移動していったのだった。



「……どうしたのだクレイ」


「ああ、ようやく帰って来てくれたかメルクリウス。お前の帰りを一日千秋の思いで待ちかねていたぞ」


 それから数十分ほどたった後、ドアがノックされた後に一人の緑色の神が現れ、部屋に残った微妙な雰囲気を感じ取ったのか怪訝そうな表情でクレイに話しかける。


「それが……ん?」


 帰ってきたメルクリウスに早速クレイが相談しようとした直後、部屋の外から何やら言い争う声が響いてくる。


「あーそうか……メルクリウスが戻ってきたってことは……」


[なかなか明るい部屋だな。王都に戻ったら部屋を一つ増やすか]


 部屋のドアには魔王ルシフェルと、何やら疲れた表情で槍をルシフェルに撃ちつけるサリムの姿があったのだった。

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