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第163話 甘やかされたい人々!

「どう言うことじゃメタトロン! おんし、まさか……!」


「落ち着けネプトゥーヌス。ジョゼ姫たちがこっちに向かっている」


 血相を変えて再び上半身をメタトロンへと乗り出すネプトゥーヌス。


 メルクリウスはその怒りを即座に抑え、そしてとうとうこちらに向かってきたジョゼやフィーナたちに軽く手を上げ、動きを止めさせた。


「ジョゼ姫、フィーナ嬢、少々血なまぐさい話になるがいいかな? それでも聞くというなら僕は止めないが」


「それがクレイ兄様に関することであるなら、私には聞かなければならない義務がございます」


「関係があるのはむしろ我々の方だな」


 ジョゼの主張に対し、軽い拒絶を含んだ言葉がメルクリウスの口より発せられ、それを察したフィーナが軽く肩をすくめる。


「なるほど、だから聞いてほしくないってことね。戻りましょうジョゼ、どうやら殿方たちは私たちに聞かせたくない話をしてるようだわ」


「……分かりました」


 ジョゼはメルクリウスをじっと見つめた後、メタトロンと化したクレイの赤い髪と瞳に視線を移す。


「天使メタトロン、後でクレイ兄様に聞く分には構いませんね」


「無論」


「あまり無理は為されぬよう」


 そして頭を下げると、先に戻っていったフィーナの後を追った。


「少し前までまだまだ少女と思っていた二人だが、この旅でどんどん女性になっていくな」


「……先ほどの続きをしよう。よいなクレイ」


 ジョゼたちが離れたことを確認したメルクリウスが感想を述べると、先ほどまで何ごとも無いように振舞っていたメタトロンの声がよどむ。


 しかし随分と楽にはなったようで、一息をついたメタトロンは目の輝きを取り戻し、口を開いた。



「パンとサーカスにより、生きる活力を放棄して自分の命を他人に委ねるようになった、まるで人形のような状態となった市民たちを見た信者たちは、自分たちにも何か似たようなことができないかと考えた。そして……誰にでも平等に訪れる死に、殉教と言う価値を与えてしまったのだ」


「カリストアの教えのために死ねば、天国で永遠の存在に生まれ変わるというあれか」


「考える力を失い、生き人形のようになった市民たちに吹き込まれたその甘い誘惑。しかしそれでも教えがなかなか広まることは無かった」


 メルクリウスは当たり前だというように鼻で笑った。


「死とは不可逆的な絶対の変化。昔から人間たちに入り混じっていた我らが、直々にそう教え込んでいたからな。姿を現さぬ天主などと違って、現実に生きる皇帝の力と崇拝を市民たちは知っており、その皇帝すら罰する我らの言うことだ。疑うことすら……」


 メルクリウスの言葉が止まり、メタトロンがその後を継ぐ。


「……だから信者たちは考えた。旧神をおとしめようと」


 メルクリウスの頬を流れる一筋の冷や汗と同期するかのように、つぅっと滑らかに言葉は続けられる。


「皇帝を越える権力と力の持ち主。永遠の生命を持ち、神罰と言う威をもって我らを尊しと崇めよを行動理念とする、地上に生きる者たちとは別次元の存在である旧神をおとしめようとな」


「それが何もしない神の創造、か」


 無言で頷くメタトロンに、メルクリウスは複雑な表情を向けた。


「その頃の僕たちの栄華は、頂点を極めていた。地上の人間たちに対する訓戒も行き渡り、信仰が安定へと変化していたゆえに、オリュンポス山の頂上で終わること無き宴に興じ、監視を怠っていた」


「確かにそうじゃな。永遠の終わらぬ生命を持つゆえに、短命ゆえに短い間に変革を遂げる人間たちの急激な変化を予想しとらんかった。知恵のリンゴを食した者の末裔が持つ力を、侮り過ぎておったんじゃろうな」


 メルクリウス、ネプトゥーヌスはやや覇気を失った声でそう言うと、決して戻らぬ過去に思いをはせた。


「君たちがしばしの休息をとっていたことも幸いし、何とかカリストア教の信者たちには何もしない神は受け入れられた」


「どういうふうに?」


「我々の神は、現実の厳しさに抗いながら生きる人々に、さらに天罰を下して矯正するような恐ろしい神ではない。それどころか現実に苦しんでいる人々を、死後の世界で救ってくれる慈悲深い神だと」


「恐ろしい神とは。言われたものだな僕たちも」


「そして以前から教え込まれていた殉教と、新しく産み出された何もしない神は恐るべき反応を示し、君たちの信徒を次々と奪い取っていった」


 メタトロンの説明を聞いたメルクリウスは、いつも飄々としている彼には珍しく、怒りを露わにした表情で唾を吐き捨てた。


「この国にまだ強固な地盤を持たなかった頃のカリストア教団にとって、それはさぞかし都合のいい神だっただろうな。教えを信奉する信者たちに何もしてやれなくても、自分たちが何もできなくても、ただ教えのために死ねば天国でいい思いができる。そううそぶけば良かったのだから」


 吐き捨てるようにメリクリウスが言うと、メタトロンはそれに異論を唱えるどころか薄暗い表情で頷く。


「奴らはその隙間に更に付け込んだ。我らは何もしない神の代わり、つまり地上における主の代理人であり、皇帝と同じく尊き存在であると。何もしないことを正当化するどころか、自分たちの神聖化までしたのだ」


 人生の終焉、黄昏の刻限。


 闇を交えた緋の目となったメタトロンは、ぽつりと呟いた。


「そう……主は何もしてやれない……それを何もできない神などと……」


「ん? 何かゆうたかのメタトロン。少々飲み過ぎたか頭がふわっとした意味しか理解できんようなんじゃが」


「いや、メルクリウスに同意しただけだ」


 メタトロンはそう言ってごまかすと、自分の迂闊な発言を自嘲するように小さく鼻から息を出した。


「それでも信者はなかなか増えなかったが、ネプトゥーヌスが言っていた公認によって状況は一変する」


「ひょっとするとおんし、公認された理由を知っとるんか?」


「皇帝と教皇の間に交わされた密約の場に我も立ち会っていたからな。殉教を教え込まれ、命を喜んで捨てるようになったカリストア教の信者たち。それを見た皇帝は、兵が信者となれば最強の軍隊ができあがると考え、教えを公認して軍に信者を紛れ込ませた」


「その結果がドローマの統一か」


「後に子孫がコンスタンティノーブルで手痛いしっぺ返しを食らったがな」


 メタトロンは首を軽く振り、手を地面と平行に振る。


「これは……? 東ドローマの王都周辺の地図か」


 地面に浮き彫りとなった模様を見たメルクリウスはそう言うと、顔を上げてメタトロンを見た。


「かつての大帝国ドローマは統一された。だが元老院や発言を増した教徒の影響力から逃れるべく、皇帝は遷都を余儀なくされた。おそらく君がドローマで調べようとしているのは、遷都せざるを得なくなった原因ではないかメルクリウス?」


 その言葉を無視できず、メルクリウスはチラリと視線を周囲に泳がせた後にメタトロンを見つめた。


「……君は奴らが未だ垂らし続けている毒の正体も知っているのか?」


「戦わずして勝つ、を最も成功させた組織。そう言っていたのは君だ」


「なるほど」


 雄弁は銀、沈黙は金。


 いつかユーピテルに自分がそう言ったことを思い出し、メルクリウスは気恥ずかしそうに後ろ頭をかいた。


「他者から答えを恵んでもらうのは、オリュンポス十二神の自尊心にそぐわぬであろう。よって手がかりとなるものを二つ君に」


「お願いしよう」


「弱者を守るは強者の義務である」


「ふむ」


「弱者を弱者と証明するものは存在しない」


「……それは二つ合わせると答えになるのではないか?」


「君らしくもない。式は解答を以って完答とするのではないだろう」


「承知した」


 確認といった感じで発せられたメルクリウスの問いを、メタトロンは君の能力を信じているといった内容の答えで返す。


「では沈むとしよう」


「感謝する。ゆっくりと休んでくれ」


 メタトロンがそう言って目を閉じると、やがてその髪は燃えさかる真紅から温かみのある赤茶色に落ち着き、開かれたまぶたの下には髪と同じ人懐こい赤茶色の瞳が現れた。


「……世間話は終わったかい?」


「ああ」


「さっきお前に聞こうとした生きた情報は、俺の目で確かめてからにするよ。変な先入観を植え付けられちゃったからさ」


「まったく自分勝手だな君は」


「ごめん。でもそこは自分をしっかり持ってるってことで勘弁して」


 メルクリウスは軽く両手を上げ、仕方がないというように小さく首を振ると、ジョゼたちに向かって右手を上げた。


「話……では無かった。よく休めたしそろそろ出発しよう」


 そして彼らはドローマを包む城壁、そしてその周りを更に囲んでいる周辺国からの流入民の方角へ歩いていく。



 そしてクレイたちが去った後、大地に黒い泥がポコリと浮かんだ。



[ふー危ない危ない。衰えているとはいえ、さすがにオリュンポス十二神だよ。もう少しで見つかっちゃうところだった]


 そこからずるりと抜け出たのは、白を基調とした上着とズボンに身を包み、その至る所に光を乱反射する小片が縫い付けられている麗人、堕天使アスタロトであった。


[あの太陽神ルーですらボクを見つけることができなかったのになー。でも面白い話は聞けたからいいよね]


 豊かな胸を持ち上げるように腕組みをし、未だ大地に残された汚点である黒い泥だまりにアスタロトが喋りかけると、驚くことに泥は瞬時に清廉な清水へと変化を遂げていた。


 アスタロトは少し悔しげな表情になると、澄んだ水たまりから溢れる水流から目をそらし、その現象を引き起こした人物へ声をかける。


[数々の神罰を地上に下してきた、威をもって我らを尊しと崇めよとする荒々しい天主を演じてきたルシフェル様は、これからどうするんだい?]


[教皇領に行くに決まっているだろう]


 水たまりから浮かび上がってきたのは、遠目には布を体に巻き付けたトーガという服装にも見える、白い貫頭衣に長めの袖が付いた服を着たルシフェルであった。


[えー、ちょっとボクは遠慮したい……]


[いいから来い。元天使の俺とお前であれば、教皇領の天使の守護に引っかかる可能性は無い]


[可能性が無いんじゃなくて低いってだけじゃないか……ちょっと!?]


 ルシフェルはアスタロトからの苦情をスルーすると、必死に抵抗するその腕を握ってずるずると教皇領へ引きずっていった。

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