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第162話 奇跡を見てしまった者たち!

「何もしない神の創造……?」


 メルクリウスの言葉は意外であり、想定の外にあり、それゆえにクレイの興味をそそった。


 確かに太古の時代はどの宗教も、神は罪を犯した者に天罰を下すなど、積極的に人と関わる存在だったはずである。


 それがある時期を境にして、ある宗教が隆盛を極めることになった出来事を境にして、急に神は虚ろな存在となり、人に天罰を下すことをやめ、偶像や象徴などの曖昧な定義に成り下がっていった。


「それがカリストア教を率いていた者たちが犯した罪。この世界に垂らした最大の毒だ」



 ある時期とはドローマ帝国におけるカリストア教の国教制定。


 一神教であるカリストア教を国教とすることは、即ち他宗教を認めないということである。


 国家による公認から数十年を経ただけで、単独公認のような恩恵に預かれることは、異常と評して差し支えない事態であった。



 クレイがその異常に気づいた時、いやその少し前からか。


(どうしたメタトロン!?)


 彼の内から尋常ならぬ高ぶりが生じた。


(……罪には罰を……悔いを以って彼奴ばらを切り刻む刃と化さん……)


 それは彼の内に眠る天使の王、メタトロンの怒り。


 隣にいるメルクリウスの表情がたちまち緊張に彩られ、身構えてしまうほどの憤怒――炎の精霊力――が辺りを包もうとした時。


「ほたえなメタトロン。ガビーがおらん時にまたおまんが暴走したんじゃ、ガビーの立つ瀬が無いきに」


 ネプトゥーヌスが静かに呟き、右手にトリアイナを召喚すると周囲に柔らかな水の精霊力を撒いて炎の精霊力を中和した。


「ねークレイ、今なんかおかしくなかったかしら? すごい熱気を一瞬だけ感じたんだけどー?」


「何でもない。それより今のうちに英気を養ってくれフィーナ」


 離れた所でお茶を楽しんでいたフィーナたちにクレイはそう言い訳すると、ネプトゥーヌスが酒瓶からグラッパをグラスに注ぎ、じわりと手で温める姿を見つめた。


「元々ここには別の宗教がいくつもあったんじゃがの。カリストア教はそれほど布教が行き届いてなかったにも関わらず、ある皇帝がそれまでの宗教と急に同列にした。公式な宗教の一つに指定してしもうたんじゃ」


「何で?」


 クレイが発した疑問にネプトゥーヌスはしばし考え込み、ようやく思いついたという風に軽く顔を縦に振った。


「まぁ色々と説はある。皇帝の母親が信仰していたから、息子である皇帝自身も隠れ信者だった。国中で他宗教と非合法な争いが絶えなかったからやむを得ず認めた、または命知らずの信者たちを、兵士や暗殺者として借り受けるために認めた、などじゃな」


「ふ~ん……暗殺者ね」


「おっとせっかくもらってきたグラッパが温まり過ぎてしまう」


 先ほどのメタトロンに続き、急に不機嫌になったクレイに慌てたネプトゥーヌスは顔を反らし、酒瓶に入れてあったブドウの搾りかすの蒸留酒、グラッパをちびりと飲み込んで誤魔化した。


(また飲んでる……ネプトゥーヌスもしょうがないなぁ)


 ネプトゥーヌスが過去の信者を暗殺者扱いしたことに、実はクレイもそれほど怒っているわけではない。


 敵対まではいかずとも、さほど好意を持っていない他者から見れば、カリストア教がそのように見えただけの話である。


(それだけだとは分かってても……うーんやっぱりモヤモヤする……)


「……話を続けよう」


 割り切って考えられないクレイの顔を見たメルクリウスは、放っておいても解決しないと考えたのか話を先に進めた。

 

「まず行われたのは、信者が国民の一割にも満たない宗教の公認。それを実施した皇帝は、大きく四つに分かれて内乱を続けていた国内を程なく鎮圧した。それは幾つかの妄想を掻き立てるに十分な物だった」


「……つまり?」


「君の考えていることが正解の一つにあるかもしれんな」


 何者かによってひそかに沈められた過去が、メルクリウスの述べる事実の列挙によって徐々に引き上げられる。


 クレイにとってそれは、信じていた教えそのものが悪のように感じるようになっていくもので、メルクリウスが淡々とした口調で話す横で、彼は必死に反論の材料を探した。


「長年にわたって他者を引きずり落とし、自分たちの生きる場所を確保してきたカリストア教は、謀略や謀殺に長けるようになっていた。ここドローマに来た時も、他宗教との争いは絶えなかった。そこに目を付けた皇帝が、自分の都合のいいように利用するために公認しても不思議はない」


「……だけどそれはカリストア教を信奉する者たちがやったことで、カリストアの教えそのものには無関係だろ?」


 しかし反論は成し遂げられず、クレイは逆にメルクリウスの口から手痛い小言を耳にする羽目になる。


「いつ僕がカリストアの教えを問題とした。今僕たちがやるべきことは、過去の検証であって糾弾ではないぞ」


「うん……」


 あくまで仮定の話、推測である。


 だが考えもしなかったそれらに、まだ少年の心しか持たぬクレイは打ちのめされ、落ち込んでしまっていた。


 そこに先ほどメルクリウスの言葉に激高し、ネプトゥーヌスにたしなめられたメタトロンの意思がクレイの内に響いた。


(……少しメルクリウスたちと話がしたい。表に出ても良いだろうか)


(どうした。お前がそんな控えめな態度をとるなんて、今の夏の時期に雪が降りだすんじゃないか?)


(君たちに話さねばならないことがある。だがその内容は、君にとって大きな負担となるであろうからだ)


(わかった)


 短い了承の後に、メタトロンがクレイの意識の表層へと浮かぶ。


 その僅かな変化に気付いたのか、ネプトゥーヌスはすぐに片眉をピクリと動かし、問いを発した。


「……メタトロンか?」


「如何にも」


「久しぶりじゃの。どうじゃ一杯」


 そしてヴィネットゥーリアで購入したのか、美しい透明度を誇るガラスの酒器をネプトゥーヌスが差し出す。


「遠慮しておこう。酒はいらぬ毒気を我に吹き込む」


「じゃから差し出しとるんじゃろ」


 ニンマリとネプトゥーヌスが笑うと、仕方がないというようにメタトロンが右手を……


「……まだ未成年だからダメ! だそうだ」


 差し出すが、どうもクレイから猛抗議を喰らったらしく、メタトロンはうんざりとした表情で右手を引っ込めた。


「まさかそんなことで断られるとは思わんかったわい。おんしも随分と変わったもんじゃ」


 ネプトゥーヌスも差し出した酒器を引っ込め、中に注いだグラッパを自らで喉の奥に流し込んだ。


「のう、かつてここドローマで隆盛を誇ったミトラース教のご本尊よ」


 そしてネプトゥーヌスから何気なく発せられた毒気を、メタトロンは顔色一つ変えずに吹き戻した。


「長い旅の途中、どこか立ち寄った場所でそのように呼ばれたこともあるかもしれぬが、覚えておらぬな」


「そういうことにしとくかの。しかしミトラース教がカリストア教によって衰退し、消滅した事実。おんしはどう考えとるんじゃ」


「世の中に永遠は無く、栄枯盛衰は魔法で定められた世の理である」


「ミトラース自体がカリストアの地ならしじゃった、そういうことか?」


「憶測や推測で時を浪費する愚かさを汝は知るべきであろう。我が宿り主も気をやきもきさせているぞ」


「かつて敵対した者たちを容赦なく屠ってきた裁きの天使が、宿っている少年に気を使うか。なるほどユーピテルが気に掛けるわけじゃ」


 ネプトゥーヌスはメタトロンに乗り出した姿勢をやめ、地に腰を下ろすと背を反らし、のんびりとあぐらをかいてメルクリウスを見る。


「話を邪魔して悪かったの」


「なかなかに興味深いことが聞けたと僕は思っているが。さて」


 そしてメルクリウスが話を再開しようとした時、メタトロンが軽く右手を上げてそれを遮った。


「昔話をしたいがいいだろうか」


「承知した」


 短い承認の言葉の後、メタトロンの口は厳かに開かれた。



「ある日、善良なる一組の夫婦の間に一人の赤ん坊が生を受けた。夫婦の愛情を受けて真っ直ぐに育ったその男の子は素直であり、優しくあり、そして周囲の人々を幸せにする穏やかな笑顔を持っていた」


 メタトロンは丘の上から海を見つめた。


 その向こうに在る何かを、あるいは何らかの刻を。


「その子はやがてその地に元々根付いていた教えを、彼なりの解釈で広め始める。素朴で理想の人間像を語る彼の元に人々は集うようになり……そして妬みをもその身に集めるようになった」


「人ゆえか、世のゆえか、それとも……魔法のゆえか、メタトロン」


 メルクリウスの問いにメタトロンは答えず、話を続けた。


「彼は刑死となった。それだけならよくある話だ。だがその後が問題となった」


「何があったんじゃ?」


「主が……主の慈悲が、彼を蘇らせてしまったのだ」


 一瞬にして場に緊張が走った。


「主は物質界に手を出されぬ。下されぬ。だが何らかの拍子に、主にも抑えきれぬ衝動が走って御力の振動が発された時、それは奇跡として物質界に顕現する。十年前に王都奪還が失敗した時、フェルナンと言う男の身に起きたように」


 ジョーカーに心臓を貫かれながらも演説を貫き通し、王都の民の心に希望の光を降り注いだフェルナン。


 人間では決して成し得ぬその偉業を聞いた時より予想はしていたが、やはりそうであったかと十二神の二人は頷いた。


「彼は尊き御方として再生を受けた。そして幾つかの道筋を残して姿を消すと、それらの言葉は告げられた信者たちにより伝えられ……」


 そこでメタトロンは、激情を耐えるかのように歯を食いしばる。


「尊き御方の身は、虚飾で彩られることとなった」


 続けて右手が固く握りしめられ、話は続いた。


「復活という奇跡を、人の身から見れば仕方がないとも言えただろう。ゆえに最初は我らも傍観に徹した。だがいつの間にかそれは、尊き御方に師事した信者たちをも、尊きものと偽るための材料となっていたのだ」


 メタトロンは吐き捨てるように言うと、声のトーンを落とす。


「我らは信者たちを追放した。尊き御方の奇跡を見て、熱病にかかったようになった彼らの熱狂を覚ますために。だがそれは、彼らの無法を助長させるだけでしかなかった。教えを広める自らを正義と主張し、教えを信じぬ他者を悪と断じて処分する彼らは、既に狂信者の目をしていた」


「じゃが、その信者たちを率いていた天使がおんしなんじゃろ?」


「……そうだ」


 メタトロンは心中を暴れ回る激流を抑えようとしてか、苦し気な表情となるとそこで言葉を区切る。


 そして誰かを安心させるように微笑を作ると、再び口を開いた。


「我は追放された信者たちを率いた。信者たちがそんな有様になろうとも、幸薄かれど多からんことを、と見捨てなかった尊き御方が、表には出さずともお望みになったがゆえに。そして仲間を助けるべく、我にすべてを委ねると後を託して消えていった旧……ため……」


「む?」


「どうしたんじゃメタトロン!」


「……大事ない……これは……話さねばならぬ……我の責任だ」


 メタトロンは額に脂汗を浮かばせ、苦しむ様子を見せるも、すぐに顔を軽く振って視線を上げた。


「……その旅の途中で信者たちの影響を受けた我は、より一層の激しい断罪を他教徒に課し、それを見かねたサンダルフォンは、一度は堕ちかけた狂気より目覚めながらも、魔王ルシフェルを天使長ルシフェルに戻すべく救済しようとして禊祓みそぎはらえを使用し……堕天した」


「なるほど、これまでの経緯は分かった。だが話を聞く限り、我々が聞かなければならない内容では……」


 宿り主たるクレイの身を案じてか、メルクリウスは話を制止しようとするが、メタトロンの口が閉じられることは無かった。


「そして我と代を重ねた信者たちはドローマへと辿り着いた。そこで信者たちが見たものは……政府への不満をそらすため、民衆に無条件で与えられる食料と娯楽だった」


「パンとサーカスか」


「如何にも。そして政治に対して無気力無関心となった民衆たちを見た信者たちの頭に、自分たちの権力を絶対的なものとする考えが浮かぶ。財や権力の無い自分たちにも無条件で民に与えられる、貴賤を問わず万民に与えられるものを利用する考えが」


「……まさか」


 メルクリウスの頬を、一筋の冷や汗がつたう。


「そうだ。それが先ほど君の言った、何もしない神の創造だ」


 信者たちを率いていたメタトロンの口から直接語られた驚くべき真実。


 メルクリウスとネプトゥーヌスは、自分たちが信じていた世界の一部が溶け、その中から裏切と刻まれた巨大な石碑が現れるのを感じとった。

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