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第161話 何もしない神!

「教皇領バティストゥーカンってどんな所なんだ? メルクリウス」


「……カリストア教の総本山だろう。その教義の信徒であり、更には主の御使いでもある天使の君がそれを聞くのか?」


「いくら信徒だろうが天使だろうが、知らないものは知らないよ」



 ヴィネットゥーリアを出発してから一週間後。


 クレイたちは教皇領を取り囲むように、あるいは守るように存在する、ドローマ市街を見下ろす丘の上に立っていた。


 そこでクレイから意外な質問を聞いたメルクリウスは、続いて発せられたクレイの言葉に呆れたように両手を上げ、傍らに立っている白い法服を着た美しい幼女、フォルセール教会の侍祭であるガビーへ顔を向けた。


「ガビー、さすがに君なら知っているだろう」


「知らないわ」


「なぜだ」


「残念だけど、興味がないことまで調べる努力は持ちあわせていないの」


 ガビーがやや冷たい口調でそう言うと、その顔を見たメルクリウスは首を軽く振って溜息をつく。


「一体何があったんだ。そんな厳しい顔をする君は見たことが無いぞ」


「知りたいのなら自分で調べなさい。それが貴方の役目でしょ」


「手っ取り早く調べるなら君に頼むのが一番そうだが」


「それが一番の遠回りにならなければいいけどね。目の前にぶら下げられたエサは、いつだって誰かが撒いた罠だと疑うことを勧めるわ。旧神メルクリウス」


 取り付く島もない。


「どうしたと言うのだ。以前アルバトールとここに来た時は、君も教皇領の中に入っていたではないか」


「あああ、あの時は陛下がいたから仕方なかったもん!」


 だが所詮はガビー、隙だらけである。


 メルクリウスの何気ない一言に動揺すると、先ほどまで感情を見せなかった硬い表情は崩れてしまい、ガビーが何を考えているのか丸わかりになってしまっていた。


「とにかく! アタシは教皇領には行かないから! 絶対に!」


 どう見ても自分の失敗を隠すためにそう言い放ったガビーを見たクレイは、無駄にプライドが高い彼女を慌てて引き留めるフリをする。


「え、マジかよガビー。お前がいないと俺困っちゃうんだけど」


 棒演技というも愚かしい、三歳児のほうがよほどマシなど、傍から見れば挑発しているようにしか聞こえない発言がクレイの口から紡ぎ出されると、即座にガビーはその取り成しに乗っかっていた。


「え~……どうしよっかなぁ……クレイがそこまで言うんなら……」


「どうするんだ。宿の問題もあるんだから早く決めてくれないと困るぞ」


 そして構って欲しいアピールをするガビーを見たクレイは即座にイラッとした表情になり、傍らでそれを見守るジョゼやディアーナは心配そうに二人を代わる代わる見つめた。


「……どうせ何日も逗留する訳じゃ無いし、アタシやっぱり教皇領には行かないわ。メルクリウス、クレイをお願い」


「分かった」


「無理に頼み込んで行くような場所でもないしな。誰か一緒に残って欲しいなら俺から言ってみるけど、どうする?」


「んーん。アタシもちょっと一人で考えたいことがあるから……いいわ」


 クレイの突き放す発言に噛みつくこともなく、ガビーは寂し気にそう答えるとツテがあると言って一人で宿を探しに行く。


「ディアーナ、ちょっといいか?」


「おう! あたしにとってもガビーは友達だから心配すんな!」


 クレイが頼もうとした内容を聞くこともなく、ディアーナは軽く手を振ってガビーの尾行を開始した。


「ディアーナは優秀な狩人だ。獲物に見つかるようなヘマはするまい」


「見つかってもヘタに追い込むようなことをしてくれなければいいさ。それじゃあ教皇領に向けて出発!」


 ガビーのことが心配ではあったが、今回の教皇との顔合わせは外遊の目的の一つである。


「あ、いや違うんだ。あたしは友達とかくれんぼしてるだけ……この町には今日来たばっかりだぞ! ひったくりなんかしてない!」


 町の周辺を巡回する衛兵に呼び止められて涙ぐむディアーナに小さく手を振ると、クレイは教皇領へと足を向けた。



 教皇領バティストゥーカン。


 領地の一辺が一キロメートルにも満たない、へたをするとそこらの町よりも小さな面積しか持たない、小さな小さな領地である。


 だがその小さな領地が周囲の国々に、いや半島はおろか大陸全土に及ぼす影響は、世界中を見渡しても比肩するものは無い。


 その理由は、カリストア教と呼ばれる宗教の聖職者たちのみが施術できる、法術と呼ばれる奇跡。


 怪我や病気をたちどころに治す力を拠り所とし、アルメトラ大陸に存在する数々の国に、いやそれ以外の大陸にすら見えぬ支配を及ぼすとされるカリストア教の中心地に向かうべく、クレイたちはドローマの街を守る城壁へと向かっていた。



「でも旧神も法術を使えるんだよな? メルクリウス」


「当然だ。むしろ法術を扱えるようになってしまったから、天主を疎んじるようになったと言っていい」


「どゆこと?」


 クレイは王城テイレシアより更に高く、広範囲にわたって建設されているドローマの城壁を遠目に見ながら生返事を返す。


「我々が天主の影響下に置かれていることを示す事象だからだ。元々我らにも治癒術はあったし、今でも使うことはできる。だがその効果と効果範囲は、年々弱まってきているのだ」


「……信仰が弱まってるってことか。でもそんなことを俺に言ってもいいのか?」


「別に構わんさ。君もヘプルクロシアで、旧神について色々と学んだのだろう?」


「なるほどね。それでさっきの話に戻るけど、教皇領ってどんなところなんだメルクリウス?」


 クレイの発した質問に対し、メルクリウスは不可解だとばかりに眉を寄せて答える。


「先ほど君に説明したばかりだろう。領地としては狭いがその影響力は大陸でも随一だと」


「そんなどこの文献にでも書いてあるような情報が欲しいんじゃないよ。俺が欲しいのは今の人々が紡ぐ生きた情報であって、昔書かれた文献の古い死んだ情報じゃない。以前お前が教皇領で見た、生きた情報をくれ」


「……ふぅ、君はどんどんと生意気になっていくな。よかろう」


 メルクリウスは額に軽く手を当て、溜息をついた後に口を開いた。


「一言で言うなら、戦わずして勝つ、をこの世界で最も成功させた組織の根拠地だ」


「……へ? 戦わずしてって、どこと戦う……あれ? 戦わない?」


 クレイはメルクリウスの口から発せられた、あまりにも意外な答えに頭がついていかず、黙り込んでしまう。


「もちろん最初からうまくいったわけではない。争いが続く日々もあった。だが昔この地を中心とした大帝国ドローマの皇帝に認められ、国教になった時点から、その組織は世界にじっくりと毒を垂らしていったのだ」


「法術は傷や病気を癒してくれる聖なる術だろ。そりゃ大金を積んだり、長い時間を祈りに注ぎ込まないといけない、ある意味聖職者に選んでもらえた人間しかかけてもらえないものだけど、毒は言い過ぎだろ」


「そんな単純な話ではない。だから僕は毒と言ったのさ」


 そう言った後にメルクリウスが珍しく目を尖らせ、周囲に慌ただしく視線を飛ばす。


「どうしたメルクリウス。まだ城壁には遠いし、周囲には誰の気配も感じないぞ」


「今一瞬だけ誰かの視線を感じた気がしたのだが……どうやら君の言う通り誰もいないようだな」


「だろ? ここはもう教皇領のすぐ近くだし、魔族はそうそう近づいてこないだろ。バアル=ゼブルですら来たがらなかったくらいだし」


 楽観的なクレイの台詞に、メリクリウスは首を振る。


「だからこそ油断は禁物だ。僕自身にも確証が取れていない話だけに、無関係な者に聞かれてしまっては困るからな」


 クレイはメルクリウスのただならぬ様子に足を止め、そしてジョゼに向けて休憩をしようと提案をした。


「ジョゼ、長旅で疲れてるだろ? 城壁で入国の審査があるだろうけど、そこで休憩が取れるとは限らないからここで一度休もう」


「しかし今回は融資を頼みに行ったヴェラーバやヴィネットゥーリアの時とは違って私たちは国賓です。それにクレイ兄様が天使となった報告でもありますから、特権待遇ですぐに入れ……」


「いいから休もう! なっ!?」


「あ、はい……」


 肩を掴み、迫真の表情で迫ってくるクレイに負けたジョゼは、フィーナたちに休憩を告げるべく首を傾げながら歩いていった。


 それを見届けたクレイは、食いつくようにメルクリウスに詰め寄る。


「で、戦わずして勝つってどういうこと?」


「カリストアの死後、教えが成立してからしばらくの間、信者たちが周囲の別宗教と闘いの日々を繰り返していたことは君も知っているな?」


「知らない」


「……君は本当にカリストア教の信者なのか?」


「それはカリストア教の教えじゃなくて歴史の範囲だろ。そんなことまで習ってないよ」


 クレイは心の中で舌を出すと、メルクリウスに堂々と嘘をついた。



 情報は水溶液のように、濃い方から薄い方へとどんどん移動していく。


 メルクリウスの持っている情報がどの程度か分からない以上、自分の知らない情報を引き出すには何も知らない風を装うのが一番だった。


 もちろん既に知っている情報が出る場合もあるが、それは無知である自分からの質問で望む方向へと誘導しようと考えていた。



「仕方がないな。ではカリストア教がどこで誕生したか、くらいは知っているな?」


「サラヴィーラ半島の北西側、地中海のほとり……だっけ」


「そう、そこには龍脈が集う場所に合わせて建設された町があり、そして龍脈によって自然に集まった天主の因子が、奇跡的な確率で晶析……受肉して、一人の赤ん坊が生まれた」


「それが開祖カリストア?」


「そう、かつて世界中に散らばった天主の因子は人間に混ざった。それぞれの地の、それぞれの神の地に産まれ、育ち、死んでいくまでの間に培った経験、それぞれの教えを内包した存在が一つの人間に宿った。それがヨシュア=カリストアだ」


「……へ? 主の因子が世界中に散らばって人間に混ざった?」


 それはクレイにとって初耳であった。



(おいメタトロン、今の本当か?)


(我はあずかり知らぬ。そもそも人と言う種が、主の精気を吹き込まれた一組の男女から生まれたのだから、因子は元々内包している)


(人を天使にする天使の角笛は?)


(あれは天使の一部を注ぎ込むものだ。そもそも主のおわす御座は、この物質界とはまったく違う世界に在るから、主が自ら関わろうとしなければ注ぐことなど不可能だ。聖霊の因子と言うなら別だが、龍脈自体が聖霊の一部なのだから話の流れがおかしいことになる)


 すかさず自分の内に在る天使の王メタトロンにその真偽を聞くも、返ってきた返事はクレイの期待には添わないものだった。


(おそらく彼らは何かを勘違いしているか、見てきた事象から憶測で語っているかのどちらかだろう。かなり真実に迫ってはいるがな)


 クレイはメタトロンに礼を言うと、メルクリウスに話の続きを促す。


「おう、なんぞ楽しい話をしゆうち聞いたが、何の話じゃ?」


 そこに酒瓶と魚の干物をぶら下げたネプトゥーヌスが加わり、クレイとメルクリウスは苦笑いを浮かべながら会話を再開した。



「新興宗教だったカリストア教は、自らが生きていく地を切り拓くべく他者の血を流した。それ自体は仕方がないだろう。既に他者の権益で埋まっている地に割り込むには、それらを排除するしかないのだからな」


 クレイの顔がどんどん複雑なものとなっていく所を見たメルクリウスは、話の後半を慰めに割いて話を続けた。


「戦いは続いた。何十年、何百年と続けばそれなりに消失も増え、埋まっていた権益に隙間も空いてくる。そこに群がり、更に隙間をこじ開け続けた彼らは、いつの間にか我らの本拠地オリュンポス山をも越えて地中海の北岸にまで勢力を広げていた」


「そこがこのドローマか……」


「そんなこんなで彼らは居場所を確保した。多くの宗教の中の一つだったカリストア教は、程なく唯一の宗教となり、そして後世まで残る最大の罪を犯した」


「それは?」


 今までに見たことが無いほどに暗く、静かで、だが激しい衝動である怒りを内に秘めたメルクリウスの顔に、クレイはゴクリと生唾を飲み込む。



「何もしない神の創造」



 そして発せられた一言の持つ圧に、クレイは全身が飲み込まれるのを感じた。

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