第160話 自警団本部(予定)にて!
[俺は悪くない]
[奇遇だな、俺も悪くないぞ]
「いや、悪いことをしたから二人ともここに連れてきたんですけどね」
魔王と旧神が連行されたここは自警団の本部(予定の建物)
庭付きではあるものの、なんの変哲もない一軒家にしか見えないこの建物の中で、魔族きっての権力者たち二人は不機嫌そうな顔で黙り込み、対面に座る影が薄い一人の人間に困った顔をされた。
[こいつが無理やり俺を教皇領まで連れていこうとしたから断っただけだぞ! つまり被害者だ! それがなんで俺まで連行されてるのか説明しやがれブライアン!]
「貴方が力づくで断ったから街中に被害が出たんですよバアル=ゼブル様。被害者と言うなら町の人に謝罪して復元してからにして下さい」
[魔王である俺の言うことを聞けば何も問題が起こらなかったのだ馬鹿者。お前のせいで俺の貴重な時間が浪費されたのだぞ俺こそ被害者だ]
もう一人の自称被害者、いや被疑者がそう言うのを聞いたブライアンは、食卓の上で頭を抱えた後にふてぶてしい態度の男を睨み付けた。
「貴方は貴方で何をしてるんですか八雲隊長。変な黒いマントを脱いでさっさと復職してください。貴方とバアル=ゼブル様が壊した街の復興で、今は猫の手を借りたいほど忙しいんですよ」
[八雲ではなくルシフェルだ。今は魔族を統制するのに忙しい]
「忙しいのにわざわざ教皇領へ?」
「忙しい中を縫って行くのだ。この俺の仕事を疑うのかブライアン」
「ふぅ、困りましたね……エドガー、ちょっと来てくれないか」
一向に進まない取り調べと、白紙のままの供述書を見た影の薄い男ブライアンは、隣のリビングで老婦人と談笑していた少年を呼ぶ。
「なんですかブライアンさん。イヤな汚れ仕事は全部自分が引き受ける、昨日そう大見得をきったばかりではありませんか」
「喉が渇いてね。僕とこの二人に紅茶を持ってきてくれないか」
「分かりました……あ、いえ僕がやりますから座っていてくださいエリザベート様」
「いいんですよ。ちょっとくらい体を動かさないと、年よりはすぐに動けなくなってしまいますから」
エドガーに続き、リビングから出てきた老婦人がそう言うと、魔王と旧神の二人は示し合わせたように目を伏せる。
「お久しぶりですね二人とも。好みは変わってらっしゃらないかしら」
その老婦人は、かつて自警団を率いていた老将軍フェルナンの妻、エリザベートであった。
「この葉でいいんですか?」
「まぁまぁすいません。お客様を働かせてしまうなんて、あの人が見ていたらきっと怒って……」
エリザベートはそこで言葉を区切ると、ポットとカップを軽くお湯で温める作業に移る。
[お、おう婆さん。元気そうで何よりだ]
「お陰様で。また若い人たちに囲まれる毎日を送れるようになって、こちらこそ若さをいただいたようで感謝しておりますわ」
[何かあればジョーカーに言うといい。良きに計らうよう伝えてある]
「今のままで十分ですわ。食事を一緒にできる人がいるだけで心が温まるのを感じるくらいですから」
穏やかな春の日差しのような笑顔を見た魔族の二人は、気後れでもしたのか落ち着かないように視線を泳がせ、そしてお互いの顔を見た。
(おい、どうすんだよ)
(ブライアンに言われたとおりにお前が街を直せばよかろう)
(お前もやっただろ!)
かつて八雲とアナトが争って王城を破壊しつくした時のように、すっとぼけるルシフェルにバアル=ゼブルが怒りをぶつける。
「どうぞブライアンさん、お二人も争ってばかりいずに、紅茶でも飲んでゆっくりなさって下さい」
そんなギスギスした雰囲気を和らげるかのように、エリザベートはふわりといい香りがする紅茶を食卓の上に置き、リビングへと戻っていく。
「エリザベートさんもこちらでお飲みになりませんか? どうもこの二人から調書をとるのは難しそうなので、少し世間話でもしましょう」
そこにブライアンが声をかけ、その内容を聞いたエリザベートと、言った本人であるブライアンを除いた三人が渋い顔をした。
「まあ、よろしいのですか?」
「よろしいも何も、ここは貴女の家です。既知の友人を呼び、お茶を飲むのは当たり前のことでしょう」
「あら……ではお言葉に甘えて」
そして並んだ渋い顔の面々を見たエリザベートは、すぐに何かを察したのか、先ほどの柔らかい笑顔とは別の嬉しそうな笑顔で椅子に座る。
「そう言えばこの紅茶はどうやって入手されたのですか?」
「これはですね……」
それから数時間。
[……ジョーカーに言っておく]
[復元しておくからもう勘弁してくれ婆さん]
その間ずっと愚痴と恨みつらみを聞かされたルシフェルとバアル=ゼブルは、街の修復と民に対する謝罪を約束し、物資の更なる調達と定期的な補充を約束する羽目になった。
「ごめんなさいね八雲さん、バアル=ゼブルさん。何か一つ大きな手柄を持ってきたら、自警団の予算を増やしてくれるって食事の時にジョーカーさんが言ってたものだから、つい要らぬ口添えをしてしまいました」
[まぁ別にいいけどよ……ジョーカーのヤロウが朝夕のメシどきにいつもいねえのは、婆さんの所に来てたからとは知らなかったな]
「自分から申し出て下さったんですよ。何でも純然たる魔族には人間の温かい感情が毒になるから、かたき討ちをしたいなら自分をもてなすのがいいだろうって」
[ほう、あのジョーカーがそのようなことを言うとは、実に興味深い]
「ええ、本当に……」
そう言うと、エリザベートは力なく笑う。
百の言葉より、なお雄弁に老婦人の心情を語るその笑顔を見たルシフェルは軽く頭を下げ、失礼するとの別れの言葉を発して外に出た。
[行くぞバアル=ゼブル]
[お前ホント自分勝手だよな。じゃあな婆さん]
家の外に見送りに出たエリザベートが、いつまでも手を振っている姿を見た二人はそそくさと路地に入って姿を消し、そして飛行術を使って上空へと移動した。
[……婆さんまだ外にいるのか?]
[いや、さすがにもう中に戻るようだな]
軽くうなだれ、名残惜しそうに家の中に入っていくエリザベートを見たルシフェルは顔を横に向け、バツが悪そうに口を曲げた顔をしたバアル=ゼブルへ鼻を鳴らす。
[仕事だ。旧神は以前と同じように自警団の仕事を持ち回りで手伝え]
[おいおい俺は出張から戻って来たばかりで疲れてるんだが?]
[嫌ならお前だけはやらなくてもいい]
[やらないとは言ってない。つーことはお前の供はしなくていいんだな?]
[暇そうな奴ならもう一人心当たりがある]
ルシフェルはそう言うと王城の方へ飛んでいった。
[え? 嫌だよボク今食事を作ってるし、新しく来た奴隷たちの教育もやれってキミたちが言ったんじゃないか]
[俺の言うことを聞かぬ役立たずどもの世話なら自警団に見てもらうことになった。行くぞアスタロト]
[まぁそれなら……じゃあ奴隷たちの世話は任せたよエレオノール]
[そりゃないよアスタロト様!? ぜんっぜん俺の仕事減ってないじゃんって言うかむしろ増えてるよルシフェル様!?]
エレオノールの苦情をルシフェルは右から左へといった感じでやり過ごすと、窓の外へ身を躍らせて飛行術を発動させたのだった。
「じゃあイユニさん、元気でね」
長きにわたった融資の交渉も、決まる時は一瞬である。
というより一瞬で決まるだけの材料は揃っていたので、後は幾つかの憂慮すべき点を片付けるだけだったという方が正しいだろう。
何にせよ、目の前の問題がすべて片付いたクレイたちは、今度は教皇領に向かおうとしていた。
「色々と申し上げたき儀はございますが、お忙しいクレイ様たちにはこれだけを申し上げます。お世話になりました」
「なごり、おしゅう、ございます!」
問題の一つ、ルー・ガルーの親子であるイユニたちを、教皇領に行くまでの間オリュンポス山に預ける約束を取り付けたクレイは、未だ意識がはっきりとしないマルトゥをチラリと見てイユニとイユリに手を振る。
「うん、マルトゥが治る頃には俺もオリュンポス山に行くよ。今回のことでは俺もゼウスさんたちにお世話になったしね」
「お任せください。イユニたちの教育……ではなかった、オリュンポス山への道中はこのカリストーが責任をもって送り届けます」
「教育……?」
「それではディアーナ様をよろしくお願いしますクレイ様」
「あ、はい。さよならカリストーさん」
「さらばだ。僕もそのうち顔を出すと皆に言っておいてくれ」
そして何食わぬ顔で手を振るメルクリウスをクレイは半眼で見つめ、これ見よがしに盛大な溜息をついてみせた。
「いや、お前も帰っていいんだぞ? ヴィネットゥーリアとの交渉は終わったんだからさ」
「今までは君の付き添いだったが、今度は僕の仕事でカリストア教の偵察だ。以前アルバトールとシルヴェール陛下の付き添いでこちらに来た時、色々と気になったことがあったのでな」
「あ、そ……エレーヌ姉、メルクリウスの見張り頼んだよ」
「任せておけ。今回の件で置いてけぼりになった腹いせというわけではないが、腕が鳴るぞ」
「待てクレイ任務の障害をわざわざ押し付け……」
死を連想させるエレーヌの笑みに黙りこむメルクリウス。
「待て! その目をやめろ!」
そしてその場に居合わせた全員から、市場に売られていく可愛い家畜を見るような悲しそうな瞳で見送られると、そのままずるずる引きずられていった。
目指すは教皇領バティストゥーカン。
半島のほぼ中央、西端に近いところに存在する小さい領土である。