第16話 森の迷子!
「お、おいクレイ……」
「……何? なんか用?」
「あたしが悪かったからさー、そんなにスネんなよ」
「アルテミスにとってはどうでもいいことかも知れないけど、俺にとっては一年に一度あるかどうかの機会だったんだよ!? 煮込まずに火で焼いた俺のお肉……」
あれから村に戻ったクレイは、見事に食べ尽くされたイノシシやシカの肉の残骸を見て意気消沈していた。
「ほら、貴方たちも謝りなさい。こっそり隠れて肉を食べていたなんて……もう私は情けなくて情けなくてこのまま消えはててしまいたいくらいです……」
「ごめんなさい! でも生だとあまり美味しくないんだね肉って!」
「何ですって!?」
落ち込んでいたラファエラは、子供の一人がそう答えたのを聞くと同時に法術の発動に必要な解析を行い始める。
クレイの知っているラファエラであれば、既にあっさりと発動まで行使しているはずであるが、なぜか人目があるところでは時間がかかってしまうのが彼女の法術だった。
(あがり症なのかな?)
とりあえず安どのため息をつくラファエラを見て一安心したクレイは、少し離れた所で不貞腐れたようにそっぽを向いているサリムを見る。
その視線に気づいたのか、サリムはクレイの方を睨み付けるが、クレイの身分を思い出したのだろう。
「すいませんでした!」
顔を歪めるとクレイに近づき、頭を下げて怒りを込めた口調で謝罪をする。
「あ、気にしないでいいよサリム。騎士の皆も……あ、サリム!?」
彼らの周囲に居た騎士たちのうち、何人かがその無礼な態度を見て血相を変えてサリムへ詰め寄ろうとするが、それは即座にクレイが取り成したことによって止められていた。
しかし当のサリムはその場から走って逃げだしており、クレイは困ったようにその後ろ姿を見送った。
「困った子たちですね。とりあえず悪い風がお腹に入ることは避けられましたが……まったく小さい子供は目が離せませんよ」
「ラファエラ司祭も大変だね。こんなところまで来て子供の世話だなんて」
カラカラと笑いながら言うクレイをラファエラはじっと見つめ、溜息をつく。
「本当にその通りです」
「えっ俺もなの?」
しかしラファエラはクレイの疑問に答えることなく、目を伏せるとサリムが走り去った方向、フォルセールへと続く道に開いた門へ歩いていった。
(……そう言えばサリムって天魔大戦の戦災孤児なんだっけ)
前回の天魔大戦の最後の戦い、王都争奪戦。
その途中で王都を占拠する魔族たちが、攻め入った聖テイレシア王国軍を脅迫するため、城壁から堀の中に叩き落された子供の一人がサリムだった。
(絶望した人は魔物へと生まれ変わる……堀へ落とされ、助けも来ない絶望から魔物と転じ、そこから陛下の起こした奇跡によって再び人へ戻ったのがサリム)
クレイは空を見上げる。
(ひょっとしたら、俺を魔物の子供と言って憎んだのは……自分自身に向けての言葉だったのかな)
詳細は分からない。
だが、クレイは今すぐにサリムと話さなくてはならないと思った。
「大変です! フォルセールへ戻るとばかり思っていたサリムの姿が見えません! ひょっとすると、途中で森の中に入ってしまったのかも……」
そう叫びながらラファエラが村に戻ってきたために。
「小隊を三つに分ける! 私は一隊を率いて王城方面! 他の二隊はベイルギュンティ領とレオディール領へそれぞれ捜索を始めよ!」
即座に捜索隊が編成され、慌ただしく開拓村から出ていく。
クレイもまたアランの後へ着いていこうとしたが、門を出る前に直ちにラファエラに押し留められ、村に残ることとなっていた。
「なんで俺は行っちゃダメなんだよ! サリムが心配じゃないの!?」
「心配だからこそ行かせられないのです。先ほどの様子を見る限り、サリムが貴方を見れば姿を隠してしまい、かえって捜索の邪魔になる可能性があります」
「そんなことある訳が……! そんな……こと……」
クレイは次第に声を小さくし、ついに下を向いてしまう。
「大丈夫です。皆を、そしてこの私を信じなさいクレイ。必ずサリムを無事に連れ戻してみせます。エレーヌ様、申し訳ありませんがアルテミスと一緒に村とクレイの守りをお願いします」
「承知した。サリムに何かが起こらないうちに連れて帰ってやってくれ司祭殿」
クレイの両肩に手を置いて抑えているエレーヌを見たラファエラは、すぐさま飛行術を発動して森の中へ飛んでいく。
その姿を見たティナは目を丸くし、口をあんぐりと開けてクレイの方を向いた。
「ラファエラって本当に人間なの? ウチあれほど精度の高い上に高速で移動する飛行術とか見たこと無いんだけど」
「そうなんだ」
「ウチ前にエルフの里、トーレ・モレヴリエールでお世話になってたんだけど、その時に何度もエルフたちが買い出しで木の上から飛んでいくところを見たの。でもラファエラの飛行術って、エルフですら勝負にならないほど制御が凄いのよ」
「ふーん……あれ? トーレ・モレヴリエールに居たんならティナとエレーヌ姉って顔見知りなんじゃないの?」
クレイは肩に置かれた手がやや強張ったのを感じつつ、エレーヌの顔を見る。
「いや、私が住んでいたのは別の里だし、そもそも私がエルフの里を出てから二百年は経っている。ティナがその間に里に来たのなら私が知っているはずが無い」
「そっか」
「大丈夫だ。サリムはきっと皆が連れ戻してくれる。私たちはここでその帰りを待つとしよう」
そう諭してくるエレーヌ。
だがクレイの肩に置かれた手に籠められた力が弱まることは無かった。
「サリムのことが心配なんだね」
「……そんなことはない。ラファエラ司祭やアランの手腕を信じているからな」
手と同じように強張った顔でそう言うと、エレーヌは何かを振り切るように村の周囲を見回ってくると言ってから、ようやくクレイのそばを離れていく。
「お姉様……」
その姿を心配そうな顔で見つめるアルテミスを見たクレイは、エレーヌを元気づけて欲しいと彼女に告げたのだが、てっきり喜ぶものとばかり思っていたアルテミスの顔は、より一層暗いものとなっただけだった。
「そんなこと言って、あたしが居なくなった隙に村の外に出るつもりだろ」
「出ないよ。俺が一人で助けに出たら、俺に何かあった時に皆が困るだろ?」
「……まぁいいか。一応言っておくけど、余計なことするなよクレイ」
アルテミスはしばらくクレイの顔を見上げると、諦めたような口調でそう告げてエレーヌの後を追っていった。
「出ないよ……」
そしてクレイは慌ただしくなった村の中を見回すと、周囲を囲む柵の様子を見るために村の裏門の方へ歩いていく。
気づかった声をかけてくるティナに適当に返事をしながら、数分ほどクレイが柵を見回った時のことだった。
「貴方たちどこに行くの!」
どこからか女性の声が聞こえてきたのは。
「どうしたのおばさん!」
急いで駆け付けたクレイが見たのは、柵の向こうを見ながら慌てる中年の女性の姿だった。
「クレイ様!? 丁度良かった! 実は先ほど柵の隙間から、孤児院の子供たちが抜け出す姿を見たんです!」
「こんなところに……」
女性が指差した箇所には、苔が生えてやや腐食した柵。
クレイが点検を始めた個所の背後、死角になっている場所だった。
(俺が見て回った箇所は、冬前に新しくしたところだったのか……くそ! いつもならこんな初歩的なミスはしないのに!)
クレイは歯噛みをし、女性にエレーヌとアルテミスに子供がいなくなったことを連絡するように伝える。
「俺はこのままあいつらを探しに行く! サリムならまだいいけど、あいつらはまだ森の中に入れるような年じゃない!」
「ちょっとクレイ!? あんたさっきと言ってることが……!」
そしてクレイはティナの声を無視すると、腐った柵を力任せに切り倒して外へと駆けだしていった。
「クレイ! あんた外に出たはいいけど子供たちが行きそうな場所に見当はついてるんでしょうね! あても無しに探し回ったんじゃさっきあんた自身が言ったように皆が困るだけよ!」
「あいつらはまだ十歳にもなってない子供だ! まだ遠くには行ってないはず!」
「小さい子供なら森の中にも隠れやすいでしょ! ちょっと頭を冷やしなさいよ!」
クレイはティナが彼を叱りつける声に足を止め、悔し気に周囲を見渡す。
「ティナはどう思う? 妖精は小さい子供を見守る存在なんだろ?」
しかしクレイの質問を聞いたティナは、困ったような顔をしていた。
「え? えーとそんなこと聞かれても……あ、そうだ。ウチ小さい子供ってあまり好きじゃないし」
「えー!?」
「そんなびっくりしなくてもいいでしょ! とりあえずこんな所にまでサリムって子に着いてくるくらい仲がいいんだから、サリムを追いかけたんじゃないの?」
当てずっぽうに答えたようなティナの助言。
しかしそれを聞いたクレイは、途端に顔を明るくしていた。
「サリムの後を追いかけたか……うん、その線が一番可能性が高いかも。ありがとうティナ!」
クレイはティナに軽く頭を下げ、サリムが向かいそうな場所を考え始める。
(サリム……森の中に入ったってことはトイレ? いやいやそんな馬鹿な。第一それならラファエラ司祭がすぐに見つけるはずだし……森の中に入って森を越える……森の向こうにある王都へ?)
クレイはそこまで考えると、サリムが王都に行く目的について思い当たる節があることに気付く。
(サリムは俺と同じ孤児だ……ひょっとしたら調査隊に潜り込んだのは、両親が死んだ王都を見たいため……?)
クレイは脇目もふらず、すぐに王都の方角へ走り出す。
しかしサリムや子供たちが見つかることは無く、他の捜索隊が発見したとの合図である閃光球も上空に放たれることなく、森の中は次第に薄暗くなって行った。
「ヤバいなぁ……夜になったら狼とかの危険な獣が出るだけじゃない。魔物が出る可能性だって十分にあるのにどこまで進んだんだよサリムたちは」
王都陥落より数年間、この森は幾度となく激しい戦いによって消滅と再生が繰り返されてきた。
そのせいか魔力が森のあちこちに吹き溜まり、十年が経とうとする今でも術による探索がほぼ出来なくなってしまっていた。
「それと人間って安定した存在だから、内に秘めた力を外に出すことが難しいらしいんだよ。だから自分の中だけで完結する精神魔術を使える人は多いけど、精霊と交信する必要がある精霊魔術を使える人はごく少数になるんだってラファエラ司祭が言ってた」
「だから天使のあんたやウチは子供たちの力を感じにくいって訳ね」
「うん……ああ、王都が見えてきちゃった。サリムたちもどこかに居るのかな」
何本かの木々の向こうには広めの草原が広がり、いくつかの丘を越えた向こうには王都の城壁……ではなく、闇の壁がそそり立っている。
「何あの人……」
またそのすぐ傍には、闇の壁に向かって走っていると思われる一つの人影がその直前で動きを止めており、遠くから見ても筋肉で盛り上がっていると判る顔は、これ以上無いほどの歓喜で埋め尽くされていた。
「うーん、人じゃなさそうね。こんなに離れてても怖いくらいの力を感じるし」
「ああ、アバドンって言う最上位魔神の一人らしいよ。魔神を統率してるらしいから、力を感じるのはそのせいじゃないかな? 昔は各地を放浪してたらしいんだけど、闇の壁が出来た時にいつの間にか現れてたんだってさ」
アバドンを興味深く見つめるティナの視線を追うように、クレイも幾度か見たことのある最上位魔神を見つめる。
逆立った金髪、筋肉ではち切れんばかりの肉体は漆黒のコートで覆われ、その所々には鉄の鋲が撃ち込まれており、襟には獅子のようなふさふさとした毛。
だが面長の顔からは舌がだらしなく伸ばされ、ヨダレを撒き散らしながら宙で止まったままのその姿は、あらゆる意味で近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。
「なんかキモい」
「それは言わないであげようよティナ。それよりサリムたちを探そう」
しかしそう言ったクレイがそこで立ち止まったため、ティナは何があったのかと彼女が止まっている肩の隣、つまりはクレイの顔を見る。
その表情はティナが今までに見たことがないもの。
居なくなった親の影を追い求める子供の、やや寂しげなものだった。
「どうしたのよクレイ。サリムたちを探すんじゃなかったの?」
「あ、うん。ごめんよティナ」
そしてクレイが闇の壁へ頭を軽く下げて森から出ようとした時、左に明らかに草木の色とは違う白を基調とした、だがやや汚れてくすんだ灰色の衣服が目に入る。
「見ーつけた! 日が暮れる前で良かったよホント……あ! 逃げるなサリム!」
「待ちなさいあんたたち! さっさと帰らないとウチがワイン飲めないでしょ!」
しかしようやく見つけたサリムたちは、クレイとティナの目の前で再び森の中へ逃げ込もうとする。
それを見たクレイが逃すまいと走り出し、アバドンの脇を走り抜けた時。
「うわああああッ!?」
彼の背後で何かが激しく爆発した。
「や、闇の壁が……消える!?」
この十年間、魔族の手に落ちた王都から周囲の領地を守ってくれていた闇の壁が、クレイの目の前で薄れていく。
[ほほー、本当に壁が消えちまった。こりゃ大した術だぜ]
[当たり前だ。誰が作り出した術だと思っている]
消えた闇の壁の向こうに現れた二つの巨大な存在。
再び世に現れた旧神バアル=ゼブルと、魔族の頂点である堕天使ルシフェルの登場に、世界は凍り付いた。