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第154話 ムカつくんだよ!

「いきなり何を……」


 クレイの口から出た言葉のあまりな内容にジョゼは絶句する。


 だが当の本人であるクレイの顔は穏やかな物で、とても冗談を言っているようには見えないものであった。


「いや、違ったな。ジョゼ、お前は欲張ってもいいんじゃない。欲張るべきなんだ」


 そのクレイの顔を見たジョゼは、自分があまりに小さな存在のように感じられ、やや目を伏せてしまいながらも何とか抗弁を図った。


「何度も言わせないでくださいクレイ兄様。私は王族なのです」


「俺も何度でも繰り返そう。王族だからだジョゼ」


「え?」


 そして今までに教わってきた、培ってきた価値観とはまるで反対の意見を聞いたジョゼは黙り込み、キョトンとした表情でクレイを見る。


「王侯貴族は国を富ませ、民を潤わせる。何万もの、何十万もの民をだ」


「はい」


「そんな王族の一員であるお前が、たった数人の獣人を幸せにすることを諦めてどうする。家族と共に暮らしたい。そんなささやかな夢ですら他人のために手放そうとする優しい者の幸せを」


「あ……」


「お前は欲張らなきゃならない。いずれ聖テイレシア王国の指導者となるお前はテイレシア国民のため、より多くの人の望みを叶えようとする欲張りにならなければならないんだ」


「……!」



 ジョゼは目を見開く。


 進まなければならぬ道はすぐそこにあった。


 いや、目の前に無数に拡がっているはずの道を見ようとしたジョゼは、その複雑さと長さによる困難によって目を背けていたのだ。



「しかし、今の状況を解決する手段は……私にはありません」


 そして今のジョゼは、その困難によってまだ迷っていた。


 ジョゼは自分の無力を嘆き、力なく呟く。


 それに伴うように束縛から解かれたクレイは、ジョゼに近づいて頭に優しく手を置いた。


「ジョゼ、国家ってなんで家って文字が含まれてると思う?」


「……国に住む者たちを守る家……だからです……」


「うん。俺はそれに、家族って意味も含まれると思ってる」


「かぞ……く……」


 その言葉に、ジョゼの眼からはついに涙がこぼれ落ちてしまっていた。


「だからお前は欲張れ。欲張って、より多くの人々が幸せになる選択肢を選んでいくようにするんだ。その上でお前にできないことがあれば、できるようになる方法を俺たちが考えだす。何とかする。なぜなら……」


 クレイはミスリル剣を掲げ、面白そうに見つめてくるバアル=ゼブルに切っ先を突きつける。


「そのために俺たち天使がいる! そのためにベルナール団長たちが臣下として仕えているんだ! 俺たちは国家と言う組織の下に集い、そして前に進み続ける! 魔族に占領された王都を取り戻し、聖テイレシア王国の誇りを取り戻すためにも!」


 いつの間にかクレイが掲げたミスリル剣の切っ先の震えは止まり、兵士は裁きの天使メタトロンを見るが如き畏敬をクレイへと向けていた。


 だが。


「……なかなかに見事なご口上でした天使様。ですが情を以って国家を運営するには、人はまだまだ未熟に過ぎます」


 ヴェラーバ共和国の国家元首フランキ。


 彼だけは揺れ動く感情ではなく、揺るぎなき法の条文に基づいた裁きによって動いていた。


「その未熟なる人間の編み出した争いの解決方法フェーデ。力持つ者のみが優遇され、力なき者は踏みにじられるのみのこの解決方法に、天使様の守護すべき正義は存在しませぬ。このまま我らに獣人たちをお引渡し願った方が、四方丸く収まるのでございますが」


「……うるさい」


「は?」


 子供のような(実際にまだ子供なのだが)クレイの呟きを聞いたフランキが、訝し気にクレイを見つめた瞬間。


「うるさい! うるさい! うるさい!!」


「て、天使様!?」


[んーだよ、殺されかけて頭がおかしくなっちまったのかクレイ? いきなり子供みたいに喚き散らしやがってよ]


「うるさいよ! 俺はまだ子供だ! 子供が子供みたいにして何が悪い! 何が正義だ! 正直に生きてきた、力なく優しい人たちを救えない正義に何の価値があるっていうんだよ!」


 先ほどジョゼを励ました時とは打って変わり、いきなり大声をあげて騒ぎ始めたクレイにバアル=ゼブルは半眼を向ける。


[んじゃ子供は子供らしく、正義の戦いは大人に任せて引っ込んどけよ]


「それも嫌だ!」


[何だそりゃ、我儘だなお前]


「子供がワガママを言って困らせるのは当たり前だろ!」


[あー面倒くせえこと言い出しやがったな……って、そういや前にそんなこと言ってた奴がいたな]


 バアル=ゼブルは面倒そうに溜息をつき、マイムールの感触を確かめるように軽く振る。



[そろそろ終わらせるか。アナトの方も終わったみたいだしな]


 バアル=ゼブルの視線の先には、ボロボロになったサリムの体をジョゼの足元にどさりと置くアナトの姿があった。



「殺してしまったのですか? アナト様」


[殺しはしていない。だが勝負の邪魔をされては困るから、フェーデが終わるまでは体を動かせないように脳幹の一部を破壊させてもらったよ]


「……今すぐに治していただくわけには?」


[それはクレイ次第だね]


 アナトは冷酷な笑みを浮かべ、バアル=ゼブルと対峙しているクレイを見る。


[心配するな。竜の血を浴びたこやつであれば死ぬことはないだろう。またお前が法術で癒し続ければ、痛みを和らげることくらいはできるはず。だがそれは聖霊の偏在を招き、クレイが傷ついた時に法術で癒すことができなくなることを意味すると覚えておくがいい]


 残酷な二択を迫られたジョゼは、服に泥がつくのも構わず膝をつき、倒れたままのサリムの両手を握る。


「大丈夫ですサリム。きっとクレイ兄様が助けてくれますよ」


[残念ながらそれはありえんな。私は兄上と違って甘くない]


 ジョゼがサリムに励ましの言葉をかけた直後、アナトは嘲笑を残してバアル=ゼブルの元へと向かった。



[兄上、クレイの相手は私が]


[あん? お前まさかさっきの我儘で妙な情が湧いたんじゃねえだろうな]


[むしろ過去を乗り越えるうえで必要なことと思ったまででございます]


[あー……]


 いきなりのアナトの申し出に、バアル=ゼブルは困ったように後頭部をポリポリと掻く。


[つーわけらしい。クレイ、お前本当に降参しなくていいんだな? アナトは時々無茶しやがるからここでやめておいた方が……]


「嫌だ」


 クレイの断固とした返事にバアル=ゼブルは軽く首を振り、アナトの肩を軽くポンと叩いて背中を向ける。


[向こうのお嬢ちゃんに引き渡せる程度にはしとけよ]


[努力いたします]


 そしてバアル=ゼブルが数歩を歩いた距離で、クレイは周囲の状況が一変したことに気付く。


[兄上の癪に障るとは大した奴だ。ここで一思いに殺してやろう]


「それも断る!」


[その権利はお前には無い]


 大海の戒めのような息苦しさは無いものの、五体と五感が圧倒され、押し潰される重圧。


(対の先……! バアル=ゼブルの先の先には及ばないけれど、これなら何とかできるか!?)


 クレイはアナトの振るったレーヴァテインをアイギスで防ぐのではなく、あえて一歩前に踏み出でて、相手の攻撃が届く前に自分の攻撃を当てようと試みる。


[その判断は正しい]


「くあッ!?」


 しかしそれは叶わなかった。


 アナトのレーヴァテインの一撃を食らうことはなかったものの、それによって気が抜けたクレイはアナトの蹴りを喰らって吹き飛ばされてしまったのだ。


[今まで殻に閉じこもっていたのを止め、前に出ることで相手の不意を突く。アルバトールと同じく戦闘のセンスはいいが、それを遂行する実力は伴っていないようだな]


「残念だけど、これから伴っていくところなんだよね」


[ほう……感触は悪くなかったが無傷とは]


 すぐに立ち上がったクレイを見て、アナトは感心したように頷く。


[だがまだまだ我らの域には達していない。これから実力を伴わせていくと言っていたが、残念だがその前に死んでもらおう]


「そうはいかない」


 クレイがそう言うと、右手に持つミスリル剣が細かく震えだす。


「優しく正しい人たちが、他の人たちに遠慮するあまり犠牲となる世界。そいつをぶっ壊すまで俺は死ねない」



 そう呟くクレイの頭には、あの日のアルバトールの悲しげな顔がありありと思い浮かんでいた。


 自分のことしか考えず、考えなしにアルバトールにひどい言葉をぶつけてしまい、それでもなお自分に笑顔を向けようと、必死に努力しているアルバトールの顔を。



「ムカつくんだよ。自分が誰かの幸せを押しのけた上で、その幸福を享受しているんだと知ろうともしない奴らが」


 次の瞬間、ミスリル剣は細かい粒子となって消え、その代わりにクレイの右腕には燃える炎の剣が握られていた。


[……エデンの園を守る炎の剣か]


 楽園へ邪悪が侵入するを防ぐ、燃え盛る炎。


 だがその剣を振るえるのは、極一部の限られた天使のみのはずである。


[メタトロンを宿している時点でその資格はあるか。いいだろうクレイ]


 そう独り言ちると、アナトは神剣レーヴァテインを構える。


 クレイもまた炎の剣を横に一閃すると、アナトへ力強い咆哮を叩きつけた。


「俺は強くなる! 強くなって、世界中の誰よりも強くなって、アルバ候のように優しい人たちが遠慮なく笑える世界にしてみせる! そのための一歩として、アナト! バアル=ゼブル! お前たちをこの場でブッ倒す!」


[よく吠えた!]


 クレイとアナトの気が膨れ上がり、ネプトゥーヌスとディアーナが作り上げた結界すら押し広げ、破裂させるかと思われた瞬間。


[……クレイ、お前さっき言ったことは本心か?]


「何がだよ」


 下がったはずのバアル=ゼブルから発せられた一つの疑問。


 それをクレイは無視できず、アナトを睨み付けながら答えた。


[世界中の誰よりも強くなるって言っただろ]


「本気だ」


[やめとけ。そんなもんロクな死に方しねえぞ]


「自分が傷つくより他人が傷つけられる方が効く。自分で言ったことをもう忘れたのかバアル=ゼブル」


[チッ……この頑固者が]


 バアル=ゼブルは脇に唾を吐き捨て、アナトを睨み付ける。


[楽に死なせてやりな。なぶり殺しなんざ……人の死に方じゃねえからな]


 そしてそう言うと、バアル=ゼブルは再び下がっていった。



――貴方様の悲しみを少しでも減らしたいと、あいつは一人で――



 そして不貞腐れた表情で大地に身を投げ出すと、思い出してしまった昔のできごとに胸を塞がれた。


[長生きなんざ、するもんじゃぁねえなぁ……]


 感傷。


 およそ毎日を気楽に生きているこの旧神に最もそぐわぬ言葉であろう。


[チッうるせえな]


 そしてその評価が正しいと言わんばかりに、クレイとアナトの剣戟がバアル=ゼブルの物思いを吹き飛ばした。


[あの馬鹿野郎が。過去を乗り越えるとか言っておきながら、アルバトールにやられた時とまったく違わねえじゃねえか。くだらねえガキの世迷言なんかに惑わされやがって]


 バアル=ゼブルの視線の先には、アナトと互角に打ち合うクレイの姿があった。


 幾号を越えて尚互角。


 先ほどまで迷いに迷っていたクレイの姿からは、まるで想像の付かぬ戦いが眼前で繰り広げられていた。


(……いや、なんかおかしくねえか?)


 ネプトゥーヌスとディアーナという二人の力ある旧神により、強靭な結界の中で二人の戦いは行われているはずである。


 だが二人が打ち合う力はどんどんと増すばかりで、攻撃の余波を押さえるのも苦労しているようだった。


(まさか……こいつは!?)


 バアル=ゼブルは慌てて周囲を見渡す。



――ウオオオオォォォォオオ――



 するとそこには、先ほどからのクレイの発言、そして戦いぶりに熱狂するヴェラーバの兵がいた。


(クソッタレ! クレイの野郎、周囲の観衆を味方につけただけじゃねえ! いつの間に信仰心を自分の力に変える業まで身に着けてやがった!?)


 その刹那、一際大きな爆音がバアル=ゼブルの背中から轟く。



「正しいからじゃない。俺たちが正しいことをするからこそ、人々はついてきてくれるんだ」


「ほうほう、なかなか面白い話じゃいのう。しかし強い敵と戦わせてくれると聞いて着いてきたが、まさかこれほどの極上の相手と戦わせてくれるとは思わなかったんじゃいの」



 そこには額に一つの目を輝かせたクレイが、その背中から伸びた一本の黒い腕によってアナトを吹き飛ばした姿があった。

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