第１５１話 フェーデするぞ！
求めていなかったガビーの来訪。
しかし来てしまったものは仕方がなく、クレイは白い法服姿の少女を居心地の悪そうな目で見つめながら、これまでの経緯を説明していた。
「色々あったんだよ。とりあえずこれは殺し合いじゃなくてフェーデだから、バアル＝ゼブルたちと戦うことになったことを責めるなら、自力救済そのものを否定することになるぞガビー」
「そういう細かいことはいいから。争いを禁じられてるなら争いを避けるための努力を尽くしなさいよ」
「したんだよなぁ……あれ、どこ行くんだよガビー」
不満げに呟くクレイを余所にガビーは背を向け、アナトと対峙するサリムを見て感心したように頷いていた。
「やるじゃないサリム、いつの間にアナトと戦えるようになったの?」
その言葉にガビー以外の全員がポカンとした顔となるが、その疑問に答えたのは龍王バハムートであった。
「余の気配に気づかぬか、矮小なる小娘よ」
「え? どうしちゃったのよ、昔アタシが育てたバハムートみたいな話し方しちゃって」
「ふん、まるで余が昔仕えたマスターのようなことを言うではないか」
「何言ってんのよ、バハムートは天竜大戦の途中でそこのメタトロンに倒されて、それからまた転生しようとしたからアタシが去勢したのよ? それからはバハムートじゃなくてティアマトになったはずだけど」
「……」[……]
その言葉にバハムートを含めた全員がポカンとした顔になる。
「ひょっとして、その時に引っこ抜いたタマがまだ生きてたのかしら? ドラゴン族ってすごく生命力が高いから、大地と同化して復活したとか」
「ガビーすとおおおっぷうううう!?」
クレイは慌ててガビーに近寄り、その口を塞いだ。
しばらく後。
[お前らやる気ねえならイユニとマルトゥをこっちに渡して帰れよ]
「俺のせいじゃないだろ! チクショウせっかくヴィネットゥーリアに置きざりにしてきたのに! だからガビーが来るのは嫌だったんだ!」
近寄ってきたバアル＝ゼブルに、クレイは嫌味を言われていた。
[分かった分かった。つーか俺らと戦わせるためにガビーを呼び寄せたのかと思ったら、そうじゃねえみたいだな]
「戦力は欲しいんだけど……何と言うかマイナス側に振りきっちゃいそうで怖いんだよね」
がっくりと肩を落とすクレイを、バアル＝ゼブルは鼻の頭をポリポリと掻きながら気の毒そうに見つめる。
[まぁ新たにガビーが加勢したとしても、そっちの品性を疑う評判が立つだけでこっちは困らねえんだが、予想外の結果が出て面倒なことになっても困る。さっさとそっちの用件を終わらせて再開しようぜ]
「……ありがと」
呆れた顔のバアル＝ゼブルにクレイは渋々頭を下げ、自分を蚊帳の外にして盛り上がっている会話の元へ恨めし気な視線を向けた。
「あーなるほど、タマじゃなくて卵の中心、本体の玉だったわけね。それで大地に撒かれた精を元に成長して、ベヒーモス山脈になったと」
「そういうことになろう。道理で記憶が鮮明な部分とあやふやな部分に分かれておるわけだ。しかし我が本体が二つに分かれ、実際に戦ったのはそのティアマトの方というなら、何ゆえ我にあの天竜大戦の記憶が?」
「そうねー。ティアマトの方も戦った相手は竜族じゃなくて自分が産んだ眷属だったし、何百年か前にヘプルクロシアに行こうとしたら本気であたしに攻撃してきたし、長生きしすぎてボケちゃったのかしら」
「何やら別の時空を作り出してそこに移り住んだらしいが……どうしたクレイ、何やら浮かぬ顔をしておるが」
すっかり世間話に夢中になっている天軍の副司令官と、かつてこの大地を支配していた竜族の王。
クレイは胸を吹き抜ける虚しさに耐え、冷たい視線を二人に向けた。
「バハムートさんもベヒーモス山脈で会った時に別空間を作り出して住んでたじゃん。まだどこかでティアちゃんと繋がってるんじゃないの? 中枢神経って奴とかで」
「ふむ、そうなると存在の核を持つ余と、核が本来の力を行使するために必要な肉体であったティアマトに分かれたことになるな」
「元に戻ったらとんでもないことになりそうだな……」
クレイはヘプルクロシアに渡る船の中での出来事を思い出し、全身を襲ったおぞ気に耐えるようにブルリと身を震わせる。
[まだ終わらねえのかよ。おいガビー、お前さん何しにここに来たんだ? 何もする気がねえならとっととフェーデを再開したいんだが]
そこにとうとうしびれを切らしたのか、近づいてきたバアル＝ゼブルが呆れた口調で話しかけると、ガビーはいきなりクレイを睨み付け、詰め寄って口を開いた。
「あ、そうだったわ! ちょっとクレイ! いきなり叙階をしろだなんて何考えてるのよ!」
「何考えてるのかはそっちだ! いきなり何を口走ってんだよ!」
クレイはどこぞの旧神並みに口の軽い、というか何も考えていない発言をしたガビーへの怒りで全身をわなわなと震わせる。
しかしそのクレイの怒りに気付かないのか、ガビーのお喋りは留まることを知らない。
「確かにメタトロンとアタシの許可があればアンタは天使の階級が上がって力が大幅に増大するわ! でも力天使の名が意味する高潔、美徳はアンタに一番縁遠い言葉だか……ら……」
「んん? どうしたガビー。おしゃべりのお前が途中で口を閉じるなんて珍しいじゃないか」
そしてクレイが指をボキボキと鳴らし始めたのを見たガビーは、さすがに命の危険を感じたのか即座に口を閉ざした。
そこにバアル＝ゼブルがスッとガビーの近くに移動し、何気ない世間話を始めたと言わんばかりの口調で話し始める。
[やれやれ、つまりお前さんはクレイのスケールをアップするために来たって訳か?]
「えーと……まぁ、そんな感じ。でも叙階には後一人、法務側の天使が必要だから、本当はこの場でできないのよ」
[ほう?]
意外な事実を聞いたとばかりにバアル＝ゼブルが目を細め、興味深そうにガビーを見つめる。
「だけど全員の同意を得るのが難しい場合、王、法、軍の三権のうち二権の同意を得られれば叙階の認可を下せるってことになってるの。つまりメタトロンとアタシの許可があれば、クレイの叙階は執り行えるってわけ」
「おい、なんか重要っぽいことをペラペラ喋ってるけど大丈夫なのかガビー。後でメタトロンに怒られても知らないぞ」
「いいのよ。基本的に叙階なんてこんな戦闘中にやることじゃないし、それに堕天使のアスタロトって奴が魔族にいるから、そいつに聞かれたらこんな情報はすぐにクェ」
得意気に喋っていたガビーの口がいきなり止まり、ドスンと地面に倒れ込む。
[クックック、貴重な情報をありがとよガビー]
その影から現れたのは、フェーデを再開するための理由を適当にこじつけたといった、待ちくたびれた様子のバアル＝ゼブルだった。
[天使の叙階に必要なガビーをこんな姿にしちまって悪ィなクレイ。んじゃ始めるか]
地面に転がり、口から泡を吹いているガビーに気の毒な視線を向けつつバアル＝ゼブルは提案する。
クレイもまた憐憫の表情でガビーを見下ろすと、その提案に対して即座に頷いた。
「了解。叙階も終わったからガビーのことは気にしなくていいよ。こいつなら何があっても大丈夫さ」
[あん? 何だそりゃ]
あっさりとガビーを見捨て……いや信用しているといった趣のクレイの発言を聞いたバアル＝ゼブルは、不思議そうな目をクレイに向ける。
「叙階自体はメタトロン一人だけでもできるんだけど、後の言い訳が大変になるから天軍所属のガビーを呼んだんだってさ」
[おいおい、やけに落ち着き払ってると思ってたら、最初からそれを知ってたのか? そんじゃガビーをここに呼んだのは何のためだったんだよ]
「死人に口なし。ガビーが来た事実だけがアリバイのために必要で、ガビーに許可を貰えても貰えなくてもどっちでも良かったんだよ。むしろガビーを説得する手間を省けたし、締め落としてくれて助かったかも」
[お前……それはさすがの俺でも引くわ]
クレイが倒れているガビーに笑顔を向けた途端、その場にいる全員がクレイから一歩、あるいは内心で遠ざかる。
「え、なんで」
動揺するクレイ。
「まだ年端も行かぬ、あのようないたいけな少女を捨て石にしながら屈託のない笑顔を……」
「死人に口なしとは、やはり処刑天使との噂は本当……」
「まだ成人しておらぬ子供と聞いていたが、やはりあのメタトロンを宿しているだけのことは……」
再燃する処刑天使とメタトロンの噂。
「どうなさるのですフランキ様!」
「だから我々は反対しているのですぞ! テイレシアに助力するなど!」
「分かっている、分かってはいるが……だがバアル＝ゼブル様があのようなことを考えていたとあっては、これでは……」
配下に詰め寄られるフランキ。
ガビーが倒れたことにより、今まで水面下に隠されていた不満が一気に噴出し、場は急速に混迷を深める。
「うっわ、クレイそんな奴だったのか? さすがのあたしも引くわ」
「そういうとこじゃぞクレイ」
「二人ともうるさいよ! 大体ガビーを締め落としたのは俺じゃなくてそこのバアル＝ゼブルだから! 責める相手間違ってるから!」
「あたしはガビーを見捨てたことにドン引きしてるんだぞ」
「そういうとこじゃぞクレイ」
「……」
クレイはとうとう堪りかねたのか、ディアーナとネプトゥーヌスの二人を怒鳴りつけるも、すぐに反論をされてしまっていた。
孤立無援、助けは無し。
それでも戦いに向かわなければならないのか。
見た目は成長していても、まだ十五歳という少年の身でありながら。
[お、おいクレイ……]
クレイの目に光るものを認めたバアル＝ゼブルは、さすがに申し訳なく思ったのか所在なさげに声をかける。
「……フェーデ」
[お、おお?]
「フェーデ! するんだろ!」
[お、おう! フェーデするぞ!]
「フェーデするぞ!」
胸に去来する何かに耐えるように唇を一文字に引き絞ったクレイが吠え、そのお叫びを合図にフェーデは再開された。
