第147話 待ち受ける絶望!
2021/11/23
145~146話を改稿しました。
ガラッと展開を変えましたので見直していただけると助かります。
「洗脳って、何でそんなことを……」
いきなりアナトの口から暴露された驚くべき事実。
いや、それは一つの可能性としてクレイの頭の中に常にあった。
だが王都にずっと封印されていた魔族が解放された時期、そしてそれ以前からのマルトゥのパルチザンにおける活動期間のズレ。
つまりは時間的な問題から排除していた考えでもあった。
あまりに自らにとって、そして周囲にとって都合のいい予想であるため、敢えて排除した甘い誘惑。
(罠、か……? だが何のための、そして誰をはめるための罠なんだ?)
そうクレイが考えたのも無理はない。
いくらふざけていても、はぐらかそうとしても、最後には協力してくれていたヘルメースの突然の裏切り。
親密と思っていた味方と、そして親密な関係になりつつあった敵が、その裏では何を考え、何をしようとしているのかは分からないのだ。
(俺を戦いに引きずり込むため……もしもマルトゥを魔族が操っていたとなればマルトゥは無罪、逃がそうとしたイユニさんも同じく。そしてテイレシアとの関係も良好のまま……つまりオリュンポス十二神との確執も無くなるだろう)
クレイは手早く考えをまとめ、反証の解答で結論を出す。
(だけど俺たちの間に拡がった混乱と不和が、すべて丸く収まる事実を口にするメリットは魔族にとって皆無だ)
その仮定を検証するために必要な情報も時間も今のクレイには無く、それでも何らかの手掛かりはないかとクレイは全力で思考を回す。
だが目の前のアナトの口からは、美しく情欲を誘う女神の口からは、クレイが望んだ結末を次々と正当化する甘い誘惑が紡ぎ出されていた。
[先ほど口にしたはずだが。神は天主の下僕たる教会の者どもとは違い、下した神託をわざわざお前たち人の子にも分かるよう、親切に噛み砕いて説明したりはせぬ]
それはクレイが望んだ答え、マルトゥを洗脳していたという事実をこのタイミングで口にした意図では無かったが、今のクレイには目の前に転がった甘い果実を無視できなかった。
「……だよね」
破壊による混乱、疑惑による不和。
それら負の感情は、魔族にとって耐えがたき誘惑、生きるに欠かせぬ甘露なのだから、マルトゥを洗脳して操り、暗躍させることに矛盾は無かった。
それに。
(この二人になら、騙されてもいいかなって思えちゃうんだよな。なんだかそれは……俺をいい方向へと導く嘘なのかもって)
クレイはふと頭をよぎった考えを振り払い、アナトを睨み付ける。
「じゃあ、ずっとマルトゥを洗脳して操ってたのか? 昔受けた恩をずっと感謝し続けているフランキ元首を騙してたのか? ヴィネットゥーリアにマルトゥを潜伏させたのも、ヴェラーバとヴィネットゥーリアの間に戦争を起こさせるため……?」
[さあな、その辺の事情は私には分からん。詳しく聞きたいのなら、私の姉である堕天使アスタロトに聞くのだな]
「堕天使アスタロト……」
まだ見ぬ強敵の名前を聞いたクレイは、身を包んだ緊張感に全身を震わせる。
だが今の彼が戦う相手は別にいた。
[まったく先走りやがってバカヤロウが。まぁさっきの暴露を聞いたフランキが動揺して、俺の言う通りの条件にしたからいいけどよ]
[申し訳ありません兄上]
魔族の中でも最強と謳われる女神アナト、そしてあのユーピテルの口から直々に旧神の中でも最速と評価されたバアル=ゼブル。
戦える者がクレイしかいない今、フェーデの作法にのっとるならば、あの二人を同時に相手しなくてはならないのだ。
「……こりゃ大変だ。せめてガビーがいてくれればなぁ」
クレイが思わずこぼした愚痴に、不安気な表情で見つめていたジョゼがすぐに反応する。
「やはり諦めた方が……クレイ兄様がここで死んでしまわれては、元も子もありません」
「もう状況がそれを許さない。大丈夫さ、フェーデは果し合いで決着をつけることが主な目的で、殺し合いをするのが目的じゃない」
「はぐらかさないでください! 果し合いの末に死んでしまった例はいくつもあります!」
もっともなジョゼの発言に、クレイは困ったように後頭部をかく。
「だけど死ななかった人の方がずっと多い……」
「それはフェーデを行った者が人間同士の場合です! クレイ兄様は天使! そして戦う相手は魔族の二人ではありませんか!」
クレイは頭に手を置いたまま、離れたところで立っているバアル=ゼブルとアナトに視線を向ける。
「いずれ戦わなければならない相手だ。なら今ここである程度のルールに守られたフェーデで戦った方が、まだ安全だ。ずっと逃げ回っているだけでは何の情報も得られない」
そう言うとクレイは心配そうに見上げてくるイユニと、カリストーの上で不安そうに見つめてくるイユリに手を振った。
「ジョゼ、俺たち王侯貴族や天使に民が従ってくれるのは何でだと思う」
唐突なクレイの質問に、ジョゼはよどみなく答える。
「ノブレス・オブリージュ。財や地位、力を持つ者はそれに見合った責任がついてきて、その責任を果たすからこそ民はついてきてくれます」
「そうだ」
クレイは力強くうなづく。
「俺たちに民が従ってくれるのは俺たちが正しいからじゃない。正しいことをしてくれるから従ってくれるんだ。つまり悪しき者から弱き者を守る戦いから、俺たちは決して逃げてはいけない。俺たちが俺たちであるために逃げてはいけない。だから今のジョゼがするべきは……」
そしてフェーデに挑むべく、ジョゼに背中を向けた。
「弱き者、つましく働く人々を守護すべく、魔族の二人を打ち倒してこいと俺に命令することだ」
力強く言い切るクレイ。
だがその背中に返ってきたのは、ジョゼの弱音だった。
「後、何度こうやって見送ればいいのですか」
「……ジョゼ?」
「何もできない私は、戦いに臨む人の背中を見送るしかできない私は、後どのくらいクレイ兄様の背中を見送ればいいのですか!」
小刻みに震えるジョゼの声。
クレイは振り返り、うつむいているジョゼに微笑んだ。
「お前はただ、出迎えてくれればいい」
「……え?」
涙を流すジョゼに、クレイは再び微笑んだ。
「戦いが終わった後、俺を出迎えてくれ。帰る場所が無いのは……多分つらくて、思っているよりずっと怖いことなんだ」
「出迎え……る……」
「ああ、出迎えてくれる人がいる限り、守る場所がある限りきっと俺は頑張れる。つらい思いを我慢して見送ってくれるお前を悲しませないために、絶対に生き残ってお前の所に戻ろうとする俺の力となるんだ。それじゃあ行ってくる、ジョゼ」
「あ……」
クレイは話を打ち切り、バアル=ゼブルたちの方へ足を向ける。
だがその背中にかけられた言葉は、先ほどジョゼが発した言葉とは意味も、込められた意志もまるで違うものだった。
「クレイ兄様、ご武運を」
力強く背中を押してくれる、激励の言葉へと変化を遂げたジョゼの声を受け、クレイは歩いていく。
「お供しますクレイ様」
「頼んだ覚えはないぞサリム」
その隣にはいつの間にか槍を持った一人の青年が並んで歩いており、クレイは見慣れたその顔に溜息をついた。
しかしサリムは主人の呆れ顔を見ても怯むことなく、それどころかニンマリと笑みを浮かべる。
「クレイ様がいなくなったら、私は誰に仕えれば良いのです?」
「嫌なことを聞くなぁ。そんなこと一度も考えたことないぞ」
クレイは再び溜息をつき、サリムの足を止めるべく彼にかける言葉を考え、すぐにいくつもの候補を思いつく。
「分かったよ、俺のために死んでくれるか? サリム」
「御心のままに」
そしてその中から最も言いたくなかった言葉を口にすると、クレイはその一歩ごとに、大切な人たちを守るという闘志をみなぎらせていった。
[お、やっと来やがったか。姫さんとの最後の別れは済んだのか?]
「最後の別れって、なんで殺す気満々なんだよ。フェーデは果し合いであって殺し合いじゃないぞ」
[私と兄上を敵に回して戦うということはそういうことだからだ。引き返すなら今のうちだぞクレイ]
「俺も綺麗な女の人とは戦いたくないんだけど、ここで引き返しちゃったら可愛い妹分が泣きそうでさ」
[……] [……]
ぷー
フェーデを始める前、戦う相手であるバアル=ゼブルとアナトの二人と軽く会話を交わしたクレイは、目の前で噴き出した魔族たちにジト目を向ける。
「……やるの? やらないの?」
[お、おうわりぃわりぃ。まぁその前にだ、お前その封をしたまま俺たちと戦うつもりか?]
クレイは自分の手足をバアル=ゼブルが指差したのを見て、そこに大海の戒めがあったことを思い出す。
「って言ってもなぁ……おーいネプトゥーヌスのオッサン、この戒めは外せないの?」
返事は無い。
クレイの視線の先で、ネプトゥーヌスのオッサンは後頭部を押さえてうずくまっていた。
「ダメっぽい」
[そうか]
「バアル=ゼブルはこの戒めを外せないの?」
[俺は楽に勝ちたい]
「俺も」
二人は顔を見合わせ、首を捻る。
[そんじゃあっちで後頭部を押さえてる大人に頼みこみな。大抵の大人は子供の言うことを聞いてくれるもんだからよ]
「聞いてくれなかったら?」
[そいつぁ悪い大人って奴だから、そんな悪い大人に将来お前がならないようにすりゃいい。お前たちの寿命が短くどんどん代替わりするのは、そこで悪い流れを断ち切って良い流れにしやすくするためだぞ]
「ふーん……今の状況の解決にはぜんぜん繋がらないけど覚えとく」
[おま……]
クレイはバアル=ゼブルの不満げな顔を見た後、ふうむと首を捻るとオッサンのところへ歩いていく。
「テイレシアを出る時にディオニューソスさんからワインを一本もらったんだけど」
「なんじゃと!」
そしてうっかりクレイがワインのことを口走ると、地面にうずくまっていたオッサンはいきなり起き上がり、顔に欲望をほとばしらせる。
「誰に渡そうか悩んでるんだよね。とりあえず今回は教皇領にも訪問する予定だから、ずっと教皇様に渡そうかと思ってたんだよ」
「そんな海のものとも山のものとも知れん奴にやる必要は無い! 同じオリュンポス十二神のよしみでワシがもらう!」
「俺もそう思うんだけど、今から強敵と戦うって大事な時に俺に戒めとか言って俺に封印をかけたオッサンにあげるのも何か違うかなって」
クレイは残念そうに言うと、ネプトゥーヌスの顔をチラチラと見る。
「……おんしゃまだ分かっとらんのか? そういう所がメルクリウスの怒りを買ったんじゃぞ」
しかしクレイの揺さぶりはネプトゥーヌスには通じず、逆に失望をさせてしまったようだった。
それでもクレイは悪びれた様子もなく、交渉は打ち切りとばかりに首を振ってうんざりしたように両手を上げた。
「解除してくれないんじゃ仕方がない。結界はディアーナに頼んだけど、それでも万が一ってことがあるからジョゼをきちんと守ってくれよ、大海を統べる偉大なネプトゥーヌス」
「すまんの、ワシも解除したいのは山々なんじゃが、その戒めを解除できるのはおんし自身だけなんじゃ」
「えっ」
そして更なる揺さぶりをかけようとしたクレイは、ネプトゥーヌスがぽつりと呟いた言葉に思わず目を見開いた。
「何それどういうこと」
「あー、つまりじゃ、そのVer.5はおんしの今の天使の階位……能天使か。その階位の枠にメタトロンの力を擦り合わせるのが主な目的じゃから、おんしとメタトロンの力が同調しないと外れんようになっとるんじゃ」
「……」
グェ
クレイは無言でネプトゥーヌスに近づき、ギュッと首を絞めた。
「何でそんなもん着けたんだよ! 直前まで魔族がすぐ近くにいたんだから、戦いになる可能性はあっただろ!?」
「その場のノリじゃ! ちゅうかおまんがワシを日頃から敬っておけば、こんなことにはならんかったじゃろ!」
「そんなことは日頃から敬われるようなことをしてから言ってくれよ!」
[おーい、話はいつつくんだお前ら]
「話したけど絶望が肩に取り付いただけだったよチクショウ!」
そしてクレイは魔族との絶望的な戦い、フェーデに挑んでいった。