第143話 交わらない二色!
夕方、国境を超えたクレイたちは、近くにある宿場町で一晩を過ごすことにする。
「今日はここに泊まろう。俺たちは表向きは隊商の護衛に着いた騎士で、帰りはそれほど大規模な隊商じゃ無いことと、テイレシアの警備を手厚くしたいからということで先に帰ってる手筈になってる」
「バヤール様とカリストー様はどうなさるのですかクレイ兄様? それにイユリはどう見ても獣人ですが……」
「魔物に襲われていた隊商……うん、奴隷商人の生き残りってことにしよう。バヤールさんは護衛で、カリストーさんとイユリは商品だな」
バヤールとカリストーの何か言いたげな顔をクレイは黙殺すると、意気揚々と公職にあるものが優先される高級宿の入り口をくぐった。
「割とあっさり納得していただけましたね」
「騎士団が隊商の護衛をするようになって長いからな。その分だけ信用も諸国に積み重なってるんだろう」
すんなりと部屋に通されたクレイとジョゼたちは、太陽の香りのするふわふわのシーツと布団を見てお互いに微笑んだ。
前回の天魔大戦の契機ともなった、王国の諸領地への騎士団の遠征。
王都が陥落した後、向かった領地での仕事が無かった彼らの食い扶持を確保するための苦肉の策が、隊商の護衛であった。
最初は偵察、あるいは内部からの破壊工作を疑った諸国も、度重なるテイレシア首脳陣の来訪、そして大陸に名高きフォルセール教会の説得により承諾する国が増え、今では自由に往来する権利をほとんどの国で黙認されていた。
「諸国を通るために身分証もはっきりした物が発行され、それが本物だと保証できる人も年月に従って増えていく。それら信用という大切な財産を失わないためにも、受け継いでいく俺たちが頑張っていかないとな」
「はいクレイ兄様」
「イユリもがんばります! 姫さま、どうぞお座りください!」
「ありがとうイユリ」
「あ……」
元気よく椅子を引くイユリに向かって所在なさげに手を上げたサリムに、クレイはニヤリとする。
「仕事を取られちゃったかなサリム」
「いえ、私は王女様の侍女ではありませんから」
と言いつつ不満げな表情をするサリムにクレイとジョゼは微笑み、イユリは困ったように三人の顔を代わる代わる見つめる。
「さて、それじゃカリストーさんを見てボーっとなっちゃった宿のご主人を助けに行くか……っと、忘れないうちに剣の状態を見ておくか」
どうやらあっさりと泊まれた理由は他にもあったようである。
クレイはミスリル剣を抜いてその具合を確かめると鞘に再び納め、食堂と酒場を兼ねた一階へと降りていった。
明くる日クレイたちは出立し、二日後に問題なくヴェラーバ共和国への国境付近へ到着する。
「あれがゴブリンというものなのですね。初めて見ました」
「俺もだ。でもヘルマがあるからか、こっちには来なかったな」
いや、実際には魔物と遭遇していたが戦うことは無かったようである。
「ううん、クレイ様を見て逃げたみたいだよ。処刑なんとかって言ってた。後、サリム様にもすごく注意してました」
「何だよそれ!? っていうかイユリ魔物の言葉が分かるのか!?」
「わかるのと、わからないのがいますよ。ゴブリンは中級? だから少しわかる感じ」
「ランクによって違ってくるのか。しかし魔物の言葉が分かるなんて、イユリは偉いな」
クレイはそう言うと、ニコニコとして尻尾を振っているイユリの頭を撫で、通訳に関しての労をねぎらう。
「さぁ関所を越えればヴェラーバだ。何とかしてイユニさんと合流してマルトゥと会わせよう」
しかし今度はそう簡単には行かなかった。
「え? 首都で騒ぎ?」
「うむ、何やらまた魔術による爆破などで騒ぎになっている。いつものように死人は出ていないが、フランキ元首がお持ちになっている商会の倉庫が被害にあったそうだ。すまないが急ぎの用事でもない限り、お主たちを入国させるわけにはいかない」
こうしてクレイたちは、関所の手前で足留めを喰らうことになった。
「参ったな、そんなにゆっくりしていられる場合じゃないんだけど……こんな時、王族だと緊急の用事だって言えば通してもらえるのかな」
速やかに追いかけられるよう、身分を隠して移動していたのがあだとなったか。
クレイがそう考え、だがどちらが正解だったか、などと答えを出してもしょうがないことだと気づいた時、ジョゼが不安そうに口を開く。
「この間にマルトゥが問題を起こしたら……」
ジョゼのその悩みは外れており、当たってもいた。
なぜならこの時すでに。
「マルトゥっていうルー・ガルーが……捕まった!?」
翌日、入国の許しを得たクレイたちが急いでイユニたちを追いかけ、見つからずに二日が過ぎた時、町で得たその情報にクレイは世界がぐらついたように感じた。
その日の夕刻。
クレイたちの姿は、首都ヴェラーバにほど近い町にあった。
「どうします、クレイ兄様」
「どう、って言われてもな……少し考える時間を貰ってもいいか?」
落ち込んだ表情でそう言うと、クレイは町で集めた情報を紙に書き留め始める。
一、マルトゥは潜伏先に一人で潜んでいる所を見つかった。
二、武器は剣以外に所持しておらず、魔術による抵抗も無かった。
三、所持していた金は偽造された粗悪なものだった。
(破壊工作は魔術で行われた、だがマルトゥは一人で隠れてて、魔術による抵抗も無かった。つまりパルチザンの奴らに見捨てられたとしか思えない状況だ。捕まった最初の罪状も偽造通貨によるものだし……いやマルトゥを捕まえるためにヴェラーバ側が偽造貨幣をすりこませたのか?)
「クレイ兄様」
クレイがあれこれと情報を整理し、どうにかしてマルトゥを助け出そうと考えを進めていた時、ジョゼが何かを決断した顔で手を上げる。
「どうしたジョゼ、悪いけど考えをまとめるのにもうちょっと時間が欲しいところなんだが」
「分かりました。それではクレイ兄様が考えをまとまるための一助として、私の意見を述べさせていただきます」
そう言ったジョゼの顔は、いつもの慈悲ではなく非情のものであった。
「マルトゥが工作について自白する前に、マルトゥを操っていた黒幕、十人委員会の№2であるマリーノ様を告発し、ヴェラーバ共和国に引き渡すことで両国の争いを未然に防ぎます」
ある程度は予想がついていた、だがそれでも最近のジョゼからは信じられない言葉が出たことに、クレイは一気に緊張の度合いを深めた。
「……ジョゼ」
クレイはジョゼの名前を呼ぶと、すぐ隣で話を聞いているイユリをチラリと見る。
「気にしなくても大丈夫ですクレイ兄様。これは昼にマルトゥが捕まったと聞いてより、イユリとよくよく話し合った上に決めたことですから」
「そうか」
ジョゼがそう答えるのを聞いたクレイは、じっとイユリを見つめる。
「気にしなくても大丈夫、クレイ様。あに様は群れから外れちゃったの。かか様と、あたしに気づいていたのに、あたしたちの所に戻ってこなかったの。だから気にしなくても大丈夫」
イユリは無邪気な笑顔でそういうと、ジョゼにそのまま笑顔を向けた。
いつもよく動く尻尾を、だらりと垂れ下げたままに。
「……二人の意見はよく分かった。だけど、俺としては獣人国の建国にどうしても必要なマルトゥを、最後まで助けることを諦めたくない。できるだけのことはして……それでもダメなら諦めよう。それでいいか?」
ジョゼはしばらく黙り込んだ後に何かを言おうとし、それを飲み込む。
「分かりました、クレイ兄様。それでは私たちは隣の部屋に控えておりますので、考えがおまとまりになったらお呼びください」
そしてジョゼがイユリの手を取り、隣の部屋に通じる扉を開けようと立ち上がった時、窓の外を見ていたクレイがぽつりとジョゼの名を呼ぶ。
「ジョゼ」
「はい、クレイ兄様」
「お前が悲しい時は俺も悲しいし、お前が苦しい時は俺も苦しい。だから……俺に嘘をつくようなことは……なるべくしないでくれ」
「分かりました」
そしてクレイもジョゼも視線を合わせようとしないまま、別々の部屋に分かれた。
「サリム、悪いけど一人にして貰ってもいいかな」
「私は二人でいても一向に構いませんが」
「……頼むよ」
「承知いたしました」
サリムはクレイの頼みを聞くと、ジョゼとは違って窓のそばに立つクレイの横に立つ。
「私はいつでもクレイ様のそばに付き従い、その指示に従うことを喜びとする者です。それでは隣の部屋に控えておりますので、何かあればすぐにお呼びくださいませ」
そして裏表のない、柔らかな笑顔を浮かべると一礼をし、隣の部屋へと向かった。
「なんでこうなっちゃったんだろうな……」
窓の向こうには鮮やかな赤の夕日、そしてすぐそこに迫る夜の濃紺が見事なグラデーションを描いている。
交わりそうで決して交わらないその二色、そしてその狭間にあって様々な変化を見せる、本来は真っ白なはずの雲を見たクレイは、がくりと肩を落として窓の枠を掴んだのだった。
結局クレイがジョゼやサリムを呼ぶことはなく夜は明ける。
「食事にしよう皆。その後すぐ首都ヴェラーバを目指す」
クレイが扉を開けた第一声はそれだった。
宿を発って数時間後、クレイたちの姿は郊外に拡がる草原にあった。
「クレイ兄様」
「うん」
「考えはおまとまりになりましたか?」
「……」
言葉に詰まったクレイは、その背中でかすかな溜息が発せられたのを感じ取った。
「クレイ兄様がマルトゥを助けたいのは分かります。それがテイレシアや他国の利害などではなく、個人的な義憤によるものだということも」
クレイは答えない。
ジョゼも答えを期待していなかったのか、すぐに話を続けた。
「それだけに個人の私的な感情で公的な判断は下せない。迫害され続けた獣人ルー・ガルーであるマルトゥは助けたい、だけどそのためにテイレシアの国益を損じることはできないと思い、悩まれているのでしょう」
「……うん」
黙り込んでいたクレイが、観念したように頷くと、ジョゼはきゅっとクレイの背中を抱きしめた。
「その罪悪感は私がすべて負いましょう。マルトゥを助けることができたとしても、その後に各国との関係が悪化することは避けられません。ですからマルトゥを見捨てることを、王族であり、今回の交渉役でもある私がここに決定いたします」
「いや……それは……」
クレイが迷いを見せた時、大熊に変化したカリストーの背中に乗っていたサリムが叫びをあげた。
「クレイ様! 前方で何やら軍らしき人たちが争っています!」
「何だって!?」
その時すでに前方ではいくつかの砂塵が巻き起こっており、その数は見る間にどんどん数を増していく。
≪これは……アルテミス様の気配です!≫
≪くそっ! 考えられる中でも最悪のケースか! 急いで争いを止めるぞ皆! バヤールさん間に割って入って!≫
≪承知≫
「ジョゼ! 前方の争いを止めに入るからしっかり捕まってろ!」
「はいクレイ兄様!」
カリストーの念話を受け取ったクレイはすぐさまミスリル剣を抜き、バヤールを駆って前方に突っ込んでいく。
――そこで待っていたのは――
「うぎゃっ!?」
[領境の森で兄上が世話になったらしいな、小娘]
[おいおいあんま手荒にするなよアナト、程々にしておかねえと、この前みたいに肉の塊が押し寄せてくる悪夢で俺の安眠がな……ってまたお前かよ]
「アナトさん!? それにバアル=ゼブルじゃないか!?」
クレイは後背に軍勢を控えさせている二人を見て驚く。
それは彼の前からいつの間にか姿を消していた旧神バアル=ゼブル、そして女神アナトだったのだ。