第14話 生まれついてのハンター!
ここは領境の森の中。
「……本当によろしいのですか? アルテミス様」
「構わん、やれ」
明るいオレンジ色の髪を持つ少女はそう呟くと、うっそうと生い茂った草木の向こうへ鋭い視線を送り、組んでいた腕をほどいて軽く身構えたのだった。
その頃のクレイたちと言えば。
「あれ? エレーヌ姉なんかいい匂いがするけどどうしたの?」
「ああ、今から行く森にアルテミスがいるのでな。用心のために香水をつけた」
「何それ意味わかんないんだけど」
朝起きると同時に軽めの朝食をとった後かなりの速さで天幕などを片付け、アルテミスたちが拠点としている森の開拓地にウキウキとしながら向かっていた。
無論その目的は肉。
しかも塩漬けではない新鮮な肉である。
食べ物が無い冬を越し、痩せていた獣たちも春先から芽吹いてきた植物たちを食べ、美味しくなり始めるこの時期。
普段であれば領内に狩猟場を持てるような、一部の上流階級だけが好きな時に口に出来る獣肉だが、シルヴェールが国王に就いてからは冬を無事に越せた記念として、また厳しい冬を生き延びることができた先にある目標として。
許可を得た一部の民だけとは言え、庶民でも気軽に肉が食べられるように領境の森において狩猟が解禁されていた。
「……ウチは食べないからね」
「やった! 俺の取り分が増える!」
隊を行きかう喜びの声を、先ほどから不思議そうに見つめていたティナは、その理由をクレイに聞いた途端に顔を曇らせ、更には喜びを隠そうともしない周囲の様子に顔を歪ませて答える。
「ほんっと人間って野蛮で自分勝手よね。他の生き物の生命を奪ってまで生きたいだなんてウチ信じられない」
「別にいいんじゃない? 人が何でも食べるのは、それだけ生き抜くことに対して真面目ってことだし。飢えて人がバタバタ死んじゃうような状況じゃそんな贅沢は言ってらんないよ。一番大事なのは、食べ物になってくれた命に対する感謝を忘れないこと!」
笑顔のままで答えるクレイを見たティナは、まだ言いたいことがありそうな不満そうな顔をしつつも、これ以上の口論を嫌ったのか黙り込んでしまう。
「ほう、身内との表面上の争いは好んでも、後にまで残る深刻な争いは嫌うか。それを見る限りお前はやはり妖精のようだ。安心したぞティナ」
「からかわないでよエレーヌ! ウチ子供に対してムキになってやり込めるような大人げないことしたくないだけなんだからね!」
「わかったわかった」
ムキになって反論してくるティナにエレーヌは涼し気な顔で答えると、そのままクレイの横へ馬を進める。
「クレイ、なぜ馬を離すのだ?」
「いや、ちょっとこの距離だと香水の匂いがきつくて……なんだか自分の容姿に自信が持てなくなってきた年齢の女の人くらいキツイよエレーヌ姉」
「……そうか」
しょんぼりするエレーヌ。
その姿にクレイは少々心を痛めるも、エレーヌばかりに心を囚われるわけにはいかなかった。
何故なら彼は、先ほど遠くに発生した異常を感知していたのだ。
近づいてくる一陣の風。
間近を騎馬隊が駆け抜けていくような体を揺さぶる地響き。
「な、なんだ……?」
「気をつけろ! 何かがこちらに猛スピードで近づいてくるぞ!」
新人と見られる隊員の一人が異常に気が付いて周りを見回した時、隊を率いるアランは既に剣を抜いて身構えていた。
旧神と呼ばれる、民の信仰を失いつつある古き神々。
幾つかの神族に分かれた中でも、最大と言って良いほどの勢力を誇るオリュンポス十二神の一人、アルテミスがいるこの地で敵襲があるとは思っていなかったのか、隊員たちは剣を鞘に固定するストラップをつけたままであり、抜剣できたのは鞘がリング製のアランのみだった。
「巨大物体を補足! 数は一体!」
「散開せよ!」
まったくの不意打ち。
周囲は木々に囲まれて騎乗の優位を封じられ、こちらに迫りくる物体を防ぐ陣も無く、地面に突き立てて迎え撃つ歩兵用槍の固定も到底間に合う時間ではない。
よって、エレーヌがその迫りくる巨大物体の最初の犠牲になったのは当然の成り行きと言うものだった。
「フゥゥゥゥォオォォォオッ! オッ! オッ! 姉ッ! 様ッハァァァァアアア!」
と言うわけで。
「では開拓地に向けて再出発する! 副団長は我らの行軍に不備が無いか、少し離れた場所から確認しつつクレイと一緒にゆっくりと着いてきていただきたい!」
「アランさん、久方ぶりの再会を喜ぶ時間を二人にあげたいんだけど」
「うむそうだな! では副団長! 我々はお先に!」
「ま、待てアラン! 上官の命令不服従は重罪……うにゃああ!?」
「森林浴! 森林浴ですわアテーナーお姉様! アルテミスがこの森に着いてからずっと吸収しまくった森成分を、思う存分に肌トゥー肌で吸収してお姉様のうるおい成分となさるのです!」
「耳に息を吹きかけるなァァァァアア!」
巨大物体、旧神アルテミスの従者であるカリストーの背中から飛び降りた赤毛の少女アルテミス。
髪の毛に木々の葉っぱと、顔に木々の枝による物と思われる数条の傷をつけたまま、彼女はエレーヌの背中にしがみ付いてハファファファと生ぬるい息を吐く。
(ごめんねエレーヌ姉)
任務中のため、それほどゆっくりとは出来ないクレイたちは、再会を喜ぶ一人に押し倒された女性へ一礼すると、食料を分けてもらうために開墾地へと向かった。
「ほう、去年来た時より随分と開墾が進んでいるな」
丸太で作られた大掛かりな柵の中に、同じく丸太づくりの家が二十軒ほど立ち並ぶ集落の中に入ったアランが呟くと、広場の真ん中で獣をさばいている作業を物珍しそうに見ていたクレイがアランに質問をした。
「この開拓地には何人くらい住んでるの?」
「そうだな、百人は軽く超えていたと思うが、詳しいことはラファエラ司祭殿に聞いた方がいいだろう。生と死に際して立ち会うのが聖職者の仕事だからな」
クレイの隣に立ち、彼の肩に止まっているティナと何やら話していたラファエラは、彼女の意見を推薦したアランに軽く微笑んで少し考え込む。
「百二十三人だったと思います。去年の視察の時点で身ごもっていた何人もの女性が、この春先にどんどん産んでいきましたから」
そこにタイミングよく赤子の泣き声が響き渡り、それを聞きつけた母親と見られる女性が慌てて一軒の家の中に入って行く。
その平和な光景を見たクレイは、自分が拾われた時も乳を与えてくれた女性がいたと聞いたことを思い出し、少しだけ感傷に……
「そう言えば以前エレーヌ副団長に聞いたことがある。クレイが拾われた時、副団長の乳を懸命にまさぐっていたらしいな」
ブフォッ
浸ろうとした矢先にとんでもない過去を露呈され、クレイは慌てふためく。
「ええッ!? 何それ!?」
「何と言われても、赤ん坊が乳を欲するのは少しも不思議では無いだろう」
「そりゃそうだけどさ! よりによって今そんなことを話さなくてもいいじゃん!」
あまりに必死なクレイの顔を見て、アランは自分が気付かぬうちにとんでもない失策をしでかしたのかと怪訝な顔となる。
「どうしてだ?」
「だってアルテミスの耳って……危ないアランさん!」
天空に煌く、美しい一筋の光。
だがそれが自分たちの方へ向かっているものだと瞬時に把握したクレイは、慌ててアランの胴へタックルをし、その体もろとも横へ飛びのく。
「なッ!?」
いきなり飛びかかってきたクレイに、地面へ押し倒されたアランが文句を言おうとした時、その顔は凍り付いた。
なぜならつい先ほどまで彼が立っていた場所、落ちてきた角度で言えば彼の胸のあたりに、一本の矢が突き刺さっていたのだ。
「相変わらず正確無比だなぁ……さすがは遠矢射る狩猟の女神アルテミスだ」
「ななな……」
「ダメだよアランさん。アルテミスは地獄耳なんだから、遠く離れてても迂闊なことを喋ると命に関わるよ」
泡を食った表情で地面に固まってしまったアランへそう言うと、クレイは当然あるべき第二第三の攻撃に備えて身構える。
一度獲物と認定した対象は逃がさない。
それが彼の知っている狩猟の女神アルテミスだからだ。
「あれ? アルテミスの威圧が……消えた……?」
しかし一向に次の攻撃は来ず、それどころか彼女の発する威が消えたのを感じたクレイは、不思議そうに呟きながらも次の攻撃に備えて心を研ぎ澄ませる。
だがそこにアルテミスと同じく、彼の古い知り合いである一人の男性が横から声をかけてきたため、彼はそちらを向いて笑顔で挨拶をした。
「久しぶりだねクレイ」
「お久しぶりですアポロンさん」
「うん、過剰な感情を見せない節度のある挨拶。会う人によって態度を変える君のそつの無さにはいつも感心するね」
温和な笑顔で挨拶をしてきた、アルテミスと同じくオリュンポス十二神の一人、アポロンへクレイは笑顔で会釈を返して返事とすると、再び不思議そうな顔で森の方角、つまりアルテミスがいる方角を向く。
「アルテミスがまた騒いでいるようだね。狩人たるもの、獲物に勘付かれぬように伏せて待つのが常識であるだろうにまったく節度の無い」
「あ、さっき獲物を見つけたから騒いでるんだと思いますよ」
「本当かい? だがそれにしては……ん?」
アポロンは地面に突き刺さった一本の矢を見つけて溜息をつく。
「なるほど、大体なにが起こったか想像はついた。ところでクレイ」
「はい!」
「ひぎゃああああ!?」
クレイが返事をすると同時に、自然体で立っていたアポローンの右腕が消え、肩に止まっていたティナが悲鳴を上げる。
「うん、鍛錬は怠っていないようだね。その調子で行けばアルバトール君を超える日もそう遠くないことだろう。自分の力を過信せず、むやみに誇示せず、ただ研ぎ澄ませることに腐心したまえ」
「ありがとうございました師匠!」
そしてアポロンの顔を見ていたクレイの死角、つまり下方からクレイのアゴへと正確に放たれた、鞭のようにしなった右腕をなんなく避けたクレイを見たアポローンは、満足そうに頷くと再び温和な表情となって一軒の家の中へと入っていき。
「ではクレイ、アルテミスが戻ったら後のことはよろしく頼むよ」
そして戻ってくるなりそう言うと、アポローンは手ぬぐいと水の入った桶をクレイへ手渡すと竪琴を持って広場へと向かい、そこに集まっている女性たちと親し気に話し始めるのだった。
「な、何なのあの人……ちょっといい男かなーなんて思ってたのにいきなり殴りかかって来るなんて」
「ああ、俺の拳闘の師匠だよ。オリュンポス十二神の一人で、その中でも屈指の実力を持つアポローン。予言の神でもあって、多分これも……あ、来た来た」
森の影から現れた漆黒の肌を持つ一人の女性、つまりエレーヌがその肩にかついだ一人の少女の頭を見たクレイは、苦笑しながら呟く。
「まぁ、これは予言とか大層なものじゃなくて予想の類かな」
そこには大きなタンコブが一つ、ぷっくりと膨れ上がっていた。