第13話 緊急事態!
と言うわけで。
「あ! ラファエラ司祭おはようございます!」
顔がゆるみきったエレーヌに捕まったクレイは、この窮地を脱するべく周囲をきょろきょろと見回し、そして今回の王都調査隊に同行すべく、詰所に訪ねてきたラファエラを目ざとく見つけて助けを求めていた。
「おはようクレ……い? あの、何をしていらっしゃるのでしょうエレーヌ様」
「昔馴染みへの軽い挨拶だが」
「挨拶……挨拶……? あ、ハグってやつですね。申し訳ありません、どうも教会の中で育つと世事に疎くなりがちなもので」
どうも良く判ってなさそうな顔をしたラファエラが、愛想笑いをして答えた後に首をかしげる。
「でもクレイには刺激が強すぎるのではないでしょうか……妙にエレーヌ様の胸に顔を密着させすぎている気もしますし」
「今更恥ずかしがるような仲でもないだろう。私は先代の領主の時から家族ぐるみの付き合いをさせてもらっているしな」
「そう……でしょうか? でもそれがお互いの距離を表しているなら仕方ありませんね。それでは私はアランに挨拶してきます」
「ええええええええええ!?」
無駄だった。
そして約十分後。
乗馬したアランが再び隊列の先頭に立ち、全員に号令をかける。
「それでは出発する! 明日の夕刻には領境の森が望める丘に到着し、野営の準備ができるように進むぞ!」
「はーい……」
「きちんと返事をしろクレイ! フォルセールの次期領主がそんな態度で、騎士団の皆に示しがつくと思っているのか! そんな腑抜けた心構えでは、魔物を退ける聖水の効果は得られんぞ!」
出発に先立ち、先ほど支給された透明の容器をクレイはジト目で見つめ、そのままアランへと顔を向ける。
「……まずアランさんがエレーヌ姉に示しをつけてよ」
「だが一週間と言う長い期間の最初から張り詰めていては身がもたん! 少々緊張をといておいたほうがいいだろう!」
あっさりと意見を翻したアランを見て、クレイは自分の左肩へ視線を移す。
そこには黒く艶やかな笑みが、口の端から鋭い光を発する歯をのぞかせていた。
「では出発! 副団長は我らの行軍に不備が無いか、少し離れた場所から確認しつつクレイと一緒にゆっくりと着いてきていただきたい!」
「何で二人きりになることが確定されてるのさ!? さっきまで遅れるなって言ってたくせに!」
アランが指示した内容に、思わずクレイは悲鳴を上げて抗議をするが、見事なまでに随員すべてがそれを聞き流す。
「分かった。きちんと見ておくから安心して進むがいい」
「ではお先に!」
先に出発した騎士たちの、妙に早い行軍のペース。
これでは疲れて途中でへばってしまい、逆に行軍が遅くなるのではないか。
(……もしくは飢えた黒狼に追い立てられる白羊の群れ、なのかなぁ)
クレイは今日何度目かになる溜息をつくと、目の前で自分を心配そうに見つめてくるラファエラを見つめ、無駄とは分かっていつつも無言で助けを求める。
「ん? もちろんクレイはきちんと見ておくから安心して良いぞラファエラ司祭」
「あ、ああ、そうですか……申し訳ありません、クレイがまだ赤ん坊の頃からずっと面倒を見ていたものですから、大きくなっても心配で心配で。それではくれぐれもよろしくお願いしますエレーヌ様」
エレーヌに丸め込まれたラファエラが、首を傾げつつ離れていく姿を見たクレイは、すぐそばから聞こえてきたティナの声に恨めし気な視線を送る。
「何これすっごく美味しい! この前リュファスにもらったチョコレートって奴と一緒かと思ってたら中にお酒が入ってる!」
「そんなに喜んでもらえるとこちらも嬉しくなってくるな。ブルックリンという港町ローレ・ライを本拠地としている商人と私は知り合いでな、必要ならまた材料を取り寄せてもらうから遠慮なく言うといい」
「買収されてる……」
前回の天魔大戦後から急速に発展を始めた甘味、いわばお菓子の数々。
それらの成果の一つ、チョコレートボンボンを口に入れたティナの喜びように、クレイは頭を抱えた。
――目の前の問題を放置すれば、悪化するのみだよクレイ――
この忠告もまた義父であるアルバより何度も聞いていたはずのクレイは、目上からの忠告を本当に理解できるのは、実際に体験してからだと言うことを学んだのだった。
そして。
「ねー兄貴、騎士団の人たちの食べ物を勝手に食べちゃって大丈夫かな」
「心配すんなって、悪いことをしても謝れば何とかなるってガビー侍祭様が言ってただろ。それより食える時に食っとけって!」
「でもこの中、何だか臭いよ……それに悪いことをした子供は、赤の魔物が食べに来ちゃうって言ったのお兄ちゃんじゃない」
「騎士団の皆がいるんだから大丈夫だって! ほらバレないうちにさっさと食べるぞ!」
この時誰もが気づいていなかった。
この時荷馬車の中から子供たちの声がしていたことに。
その日の夕刻。
「どうして黙って潜り込んだりしたんだ!」
野営地の設置に取り掛かった騎士たちは、荷馬車に積んだ天幕の中に潜り込んで眠りこける子供たちと、食べかすを発見したのだった。
「落ち着けアラン。ここから子供たちだけを引き返させるわけにもいかないし、このまま連れて行くしかあるまい」
「しかし今回の目的地は、魔族が封じられた王都結界の調査ですぞエレーヌ副団長! 子供たちの安全を考えると連れて行くわけにはいきません!」
エレーヌに対して弱気だったアランも、思わぬ闖入者を見てはそのような態度をとってばかりではいられないようで、かなりの怒りを伴った口調でエレーヌに抗弁する。
そこから少し離れた場所では、予定外の随員である子供たちがラファエラに説教されており、彼らと年齢が近いクレイと言えば慌てふためく大人たちから離れ、ティナとともに野営地周辺の警戒にあたっていた。
彼にしては珍しい、少々青ざめた顔で。
(まさかサリムたちが着いてきてたなんてね。相変わらずの悪ガキっぷりだな)
自分のことは棚に上げつつ、警戒もせずに無言で藪の中に入って行くクレイ。
その肩に止まるティナは幾度となく注意をするが、それにも曖昧に頷くだけで、真面目に聞いている様子は無かった。
(魔物の子……孤児院に居た頃はよくサリムにそう呼ばれてたな)
フォルセール領主であるアルバを義父――アルバ候――と呼び、その妻であるアリアを義母と呼んでいるクレイ。
それらの事実が示す通り、彼はフォルセールを代々治めるトール家に入った養子であり、その前は孤児院に居た。
そしてその前、つまりクレイがこの世に産まれ出でた時。
それは人の女性からではなく、魔物からだった。
彼の義父であるアルバが、ある村の近くに出るようになった魔物を討伐する任務に出た時に、討伐した魔物から出てきたのがクレイなのだ。
最初は孤児院で育てられていたものの、次第にその出自が問題となり、とうとう以前より孤児院で彼を可愛がっていたアデライードに引き取られることとなり。
そんな経緯を経てトール家の養子となったクレイは、複雑な感情を孤児院のかつての仲間に抱いていた。
「でも天使と成った今じゃ、あいつらを守ってやらなきゃならない立場なんだよなー。あー! つらいけどやるしかないなー! あーつらいわー!」
「……つらいのは分かったからきちんと見回りしてね。ウチあんたのお目付け役を仰せつかってるから、見回った結果になにか不備があったらウチまで怒られるんだからね」
「ちぇ、判ってるよティナ」
そして周囲に異常が無いことを確認したクレイは、すっかり設営が終わった野営地に戻って行った。
闇に潜む艶やかな黒の肢体に気付くことなく。
それから三日後の昼前。
行軍の間に色々と問題は起きたが、それらはすべてクレイとエレーヌの間に起きた少々破廉恥なモノであったので責任者アランの権限によって黙殺され、表向きには問題なく彼らはフォルセール領と王領テイレシアの境にある森へ到着していた。
もちろんそのことについてクレイが苦情を言わなかったわけではない。
「責任者って率いている隊に問題が起きないようにするものであって、黙殺するものじゃないと思うんだけどアランさん」
「事態の悪化を防ぐのも責任者の役目なのだ。分かってくれクレイ」
そのようなやりとりが昨日も行われたものの、アランの弱気な顔を見てしまったクレイはそれ以上強くは言えなかったのだ。
(もー、アランさんも暴……権力に弱いな)
自他ともに厳しく接するアランも、どうやらその信念が確立するから受けていた理不尽な暴力の前には無力のようであった。
「この手はあまり使いたくなかったんだけどなぁ……」
それに気づいたクレイは、ある一人の女神をエレーヌへの対抗手段とすることを思いつき、野営に予定されている場所へ着いた直後にアランのところへ来ていた。
「そう言えばアランさん、食料に余裕はあるの? 一週間の行程って言ってたから余分には持ってきているだろうけど、孤児院の子供たちが増えちゃったよね」
「ああ、少し前からイノシシやシカの狩猟が解禁され、森にアルテミス殿たちが狩りに入っているからその肉を分けてもらう予定だ。帰りには精肉や加工した干し肉などをフォルセール城に輸送する手筈になっている」
「あ、そうなんだ。俺てっきり結界の調査をするだけかと思ってたよ」
アランは苦笑いを浮かべ、本来ならこのような仕事は商人や獣肉業の者がやるべきなのだが、とぶつぶつ愚痴をこぼす。
どうやら慢性的な財政難に陥っているフォルセールを運営する首脳陣は、騎士団の仕事ついでに別の仕事をやらせることでコストカットを図っているようだった。
「クレイもアルテミス殿に会うのは久しぶりではないのか? お前が後学のためと言って討伐隊に着いていってからかなり経つからな」
「うん、アランさんさえ良かったらちょっと会って話をしてもいいかな」
「そうだな、今回は行軍がかなりスムーズに進んだから時間の余裕はある。ゆっくりとはいかないまでも、久方ぶりの再会を喜ぶくらいの時間はとれるだろう」
クレイはアランに礼を言い、周囲の警戒へ向かうべく離れていく。
その顔はちょっとだけ悪かった。