第126話 旧神の視察!
ジョーカーが広間から姿を消して少し後、街の方では。
[視察と言っても何をすればいいのか……これはエレオノールを連れてくるべきだったかも知れんな]
街に出たモートが、夏に差し掛かろうとする初夏の日差しを恨めしそうに見上げ、頭部から光を乱反射させていた。
(む? 何やら人間の様子がおかしいようだが……?)
それを見た街の人々はたちまちその眩しさに目を背け、原因であるモートはすぐに周囲の異常に気付くと、身分を隠すためにマントのフードをそっとかぶる。
すると目の前に第二の太陽が現れたと言わんばかりに目を逸らしていた街の人々の視線は、モートが遠ざかるにつれて通常のものへと戻っていき、フードの下から様子を伺っていたモートは、やはりそうなのかと言わんばかりに顔を下に向けた。
(俺から目を逸らしている……それもそうか。テイレシアの奴らがこの王都を奪還するために攻めてきた時の出来事を思えばな)
実情はまったく違うのだが、モートの頭はすでに一つの思い出で埋まっていた。
王都奪還作戦、ウォール・トゥルゥー。
その際に魔族は王都を攻めてきたテイレシア軍を退けるために子供たちを人質にして脅迫し、そして攻めてきた外に呼応して内から反乱が起きないよう、街を守ってきた自警団をリビングデッドにして襲わせたのだ。
何より町の人々の精神的支柱だった自警団団長、フェルナンの死。
その死は人々ならず、一部の魔族の者の心にも深い傷跡を残していた。
(お前がいれば、今回のこともうまく助言してくれたのだろうか……)
詮無いことを。
モートは軽く首を振り、毎日のように神である自分を怒鳴ってきた自警団団長の顔を思い出す。
そして本当に自分が困っていた時は、王都を占領している敵であるにも関わらず、親身になって相談に乗ってくれた老人の優しさをも思い出してしまい、胸にじくりとした痛みを感じてしまっていた。
[あれは……以前バアル=ゼブルと八雲がよく通っていたという店か?]
どこへともなく歩いていたモートは、街角にある一軒のカフェテラスの看板に、プロロコープと書いてあるのを見て足を向ける。
そして外に置かれているテーブルに少ししか客がいないのを見たモートは、以前に聞いた話と違っている店の様子に少し困惑した。
(開店したらすぐに満席になるほどの人気、と聞いていたが……)
先ほどフードを被っていなかった時と同じように、自分から顔を背ける客の間をぬって店の扉に近づき、頭をかがめて中に入ったモートは、すぐにその理由を知る。
「い、いらっしゃいま……せ」
[イラッ・シャ・イマセ]
[おお似てる似てる。お前がこの店をもらったほうが流行るんじゃねえか]
[ま、どっちみち金は払わねえけどな]
そこにはテーブルの上に登った全身鎧姿の上級魔物一体、それを囲むように角を生やした三体の黒い魔神の姿があり、店のカウンターの向こうには二人の子供が怯えた顔を出してモートを出迎えていた。
子供のその顔を見た瞬間、モートは魔神たちが何をしているかの理由を察するが、彼は素知らぬ顔をしたまま店内を見渡し、口を開いた。
[何をしている貴様等]
おそらくこの店は現在、人間たちに恐怖などの負の感情を発生させる、魔族のための食事処となっているのだろう。
外にいた客はおそらく撒き餌で、何も知らない他の人間たちを、ここは安心な店だと勘違いさせるためのものと言ったところか。
そしてフードをかぶったままのモートに気付いていないのか、魔神たちはまるで態度を変える様子もなくモートの問いかけに返事を返す。
[あん? この状況を見て分からんなら言ってやっても分からんだろう]
[それとも俺たちと戦いたいか? この店をやってた人間みたいになぁ]
[あ~あいつは傑作だったな。日頃からフェルナンのことをバカにしてたくせによ、あの死にぞこないが本当に死んだ直後に急に手のひらを返して俺たちに殴りかかってきやがって。威勢が良かった割には、ちょっと俺がねじり上げたら塩の柱みたいにパッタリ動かなくなってよ]
何か面白いものを思い出したのか、そこで魔神と上級魔物は一斉に笑い声をあげ、モートは鷹揚に頷いた。
[なるほど、おおよその事はつかめた]
そこそこに複雑な事情があるようだ。
分からないのは子供たちがこの店をやっていることだが、よくよく二人の顔を見れば、王城で働いていた孤児たちの中に見た覚えがある。
(さてどうするか。味方とあっては、気に入らぬからといって殺してしまえば面倒なことになる)
考え事を始めたモートは、手近な魔神の頭を無意識のうちに軽く握りしめ、宙づりにしながら手ごろな解決方法を探り始める。
[お、おい! てめえ何しやがる!]
が、どうもそれは魔神たちの不興をかう行為だったようである。
[……うるさい奴だ]
考え事の途中で怒鳴りつけられたモートは、思考の邪魔をした魔神の一人をフードの下からぎらりと睨み付け、委縮させた。
[俺は大事なことを考えている最中だ。邪魔をすれば消失させるぞ]
その迫力に一体の魔神は後ずさるも、最初に発言をしたもう一体の魔神はまるで気にせずにモートへ忠告を飛ばした。
[なかなかに肝が据わった奴だ。今その手を離せば見逃してやらんこともないが、どうする]
[目はそう言っていないようだ。戦いを好むか魔神どもよ]
忠告を飛ばした魔神が口の端をニヤリと吊り上げた瞬間。
[俺の頭を放しやがれ!]
モートの手が緩んだのか、頭を掴まれていた魔神がするりと地面に降り立ち、右手に無形の力を集中させてモートの顔を殴りつける。
当然のようにフードはめくれ上がり、隠されていた顔があらわとなるもモートは微動だにしない。
そして唯一最初から見えていた口がわずかに動いた瞬間。
[リプカ=キムブンガ]
モートの周りを、荒れ狂う炎の精霊が包みこんだ。
モートの顔に手を伸ばしていた魔神が炎に包まれたと見えた瞬間、そこにはもはや白い灰しか残っておらず、それもすぐに窓から入ってきたそよ風に吹かれて消えた。
[ふん。味方とあれば、反逆罪を適用せぬわけにもいかんか]
自分のそばには魔神どころか元々何も存在しなかったとでも言うように、モートは鼻で笑って頭をぞろりと撫で上げると、彼の正体を知って恐怖で固まった魔神と上級魔物へ冷たい視線を送る。
[モ、モート……]
[様をつけろ]
[モート……様]
モートは視線と額をぎらりと光らせ、どちらが上なのかの格付けを終わらせると、カウンターの内側で震えている子供を見た。
[家に帰るのだな。お前たちにも仲間がいるだろう]
できるだけ優しい声で言ったはずだったが、それでも子供たちには恐ろしいものだったのか二人の顔は真っ青になる。
[どうした。そこにいる魔神どもが気になるなら俺が送り届けてやってもいいが]
続けてそう言うと、ようやく子供の一人が震える声で答えた。
「家……こ……こ……です」
[店主の子供だったか]
「ブラ……リーダーがここの店主と知り合いで……」
「リーダー?」
モートがそう尋ねた瞬間、店の入り口が激しい勢いで開けられ、ぶら下げてある鈴がけたたましく音を立て、黒髪の子供が踊り込んでくる。
「無事かお前たち!」
「落ち着くんだエドガー、中の様子も確かめずに……おや、これはモート様ではありませんか」
そこに現れたのは、かつてこの王都テイレシアを守っていた自警団の中心人物の一人、隊長を務めていたブライアン。
そして孤児たちのまとめ役をしていたエドガーだった。
[まだ生きていたかブライアン。団長であるフェルナンは戦死し、自警団の団員は全滅とルシフェルに聞いていたが]
「おかげさまでこのように生き恥をさらしております」
ブライアンと呼ばれた若者は、王都を支配する魔族の中でも屈指の強さと地位の高さを誇るモートをまるで恐れる様子もなく、穏やかな笑顔のままスッと明るいブラウン色の巻き毛に覆われた頭を下げる。
不思議なことに、先ほどモートに屈服させられたばかりの魔神はおろか、人の感情のみならず肉体まで食事とみなす上級魔物ですらブライアンには興味を持っていないようで、彼らの視線はブライアンと一緒に現れたエドガーにしか向いていなかった。
(相変わらず得体の知れん男だ。我らにとって察知しにくい人間である、というだけでは説明のつかぬ何かを隠し持っている気がするのだが)
モートは何の力も感じられない、感じられなさすぎるブライアンに軽いため息をつくと、それ以上の興味を持つ無意味を悟って背中を向ける。
[明日の午前。王城に出頭しろブライアン]
「ご用件は?」
[綱紀粛正のために自警団を再結成する]
「分かりました。入城に必要な身分の証はどのように?」
あっさりと承諾したブライアンにモートは鼻白むも、少し考えた後に懐から一本の短剣を取り出して魔力を込める。
[俺の魔力を注いでおいた。お前が王城に近づけばすぐに分かる]
「お心遣い感謝します」
モートは深々と頭を下げたブライアンの頭頂部を一瞥すると、マントをばさりとひるがえして悠々と店を出ていく。
[お前たちにも話を聞く。有用なものがあれば、先ほどの無礼は無かったものとして命は助けてやろう]
そして魔神たちの横を通り過ぎる時にそう呟くと、魔神と上級魔物は大人しくそのモートの言葉に従い、店を出ていった。