第125話 一歩踏み込んだ関係!
「君は獣人たちの国を、テイレシアの盾とするつもりではないのか?」
容赦ないメルクリウスの指摘にクレイは動きを止める。
しかしそれも一瞬のことで、すぐにクレイは顔を上げた。
その瞳に激しい意志の炎を燃やしながら。
「当然そうなることも考えてる。けど今の獣人たちに必要なのは、成立がいつになるか分からないベストではなく、なるべく早く成立できるベターだと思う」
「では聞くが、本当に獣人たちに国が必要なのか? 今の彼らに必要なのは安息であって安全では無いと思うが」
「お前はそう言うけど、今の獣人たちが一息ついてる安息の状態なんじゃないか? 奴隷と言う自由の無い身分ではあるけど」
「ふむ」
即答したクレイをメルクリウスは興味深げに見つめ、思わず右手をあごに当てる。
その反応を見たクレイは今が畳みかける時と判断し、一気にメルクリウスをまくし立てた。
「でもそれに満足できない者たちが安全を勝ち取ろうとして、安息を乱している。それなら今のうちに安全に必要な方策を立てておくべきだ。なぜなら他の者たちが獣人に手出しできないようにするために必要な、国家の樹立はすぐにできるわけじゃないからな」
「確かに」
「そしてもしもその期間を短くする方法があるとするなら……」
クレイは不安そうに見つめてくるイユニを安心させるようにじっと見つめ返し、そしてメルクリウスの顔を睨み付けた。
「獣人の国を成立させた後、どこかの国が後ろ盾につくことだ。もしくはゼウスのおっちゃんのような神が後ろ盾にする、つまり眷族にすること」
「む……しかしそうなると当然……」
クレイの言葉にメルクリウスは息をのんで苦笑いを浮かべ、同時に先ほどまで重かった部屋の雰囲気は一気に軽くなる。
「……まいったな、君がそこまで考えているとは思わなかった。テイレシアが戦争によって勝ち取った土地に、君の発案にそって獣人たちが建国し、その後ろ盾に我々がなってしまえば、今の付かず離れずといった友人関係から一歩踏み込んだ関係にならざるを得ないじゃないか」
「文句はアルテミスに言うんだね」
「彼女の浅慮はいつものことだ」
クレイとメルクリウスは同時に苦笑し、ベッドの上でイユリと遊んでいたガビーを見つめた。
「な、なによ……なんで二人ともアタシを見るわけ?」
「短慮と浅慮は君も同様だからさ」
「そうそう。それに心当たりがないとそんなにビクビクしないぞ」
「う、うるさいわね二人とも! それよりメルクリウスは情報を仕入れに行ったんじゃなかったの!?」
「その通りだが、建国の話をまとめておくほうが僕にとっては余程重要だったのでね」
慌てふためくガビーを余所に、メルクリウスは落ち着いた仕草で断りを入れて口を開く。
「マルトゥは十人委員会の№2であるマリーノが後ろ盾となっている」
「え、もう黒幕まで突き止めたのか?」
「ヴィネットゥーリアにはいささか浅からぬ縁があってね。ここにイリアスがいれば昔語りをするのもまた一興だったろうな」
「仕入れに来てたイリアスさんに仕事を押し付けておいてよく言うよ」
クレイの指摘をメルクリウスは無視し、続きは出発してからと告げる。
「目的地はヴィネットゥーリア共和国の十人委員会№3の邸宅。その昔イリアスが建立したヘルマの資金の多くを拠出した、ジョヴァンニに系譜がつながる家だ」
メルクリウスはそう言うと、食事をしてくると部屋を出ていく。
そして数分後、クレイは宿のおかみにお連れが仕事の邪魔をするとの苦情を延々と聞かされたのであった。
その頃王都テイレシアでは。
[呼び立ててすまんなジョーカー]
[相談とは何だモート]
中心である王城の広間に、魔族の中でもひときわ強大な力を持つ二人の姿があった。
一人は堕天使ジョーカー。
人々を楽しませる道化師の姿をしている彼は、その格好に反して情に惑わされない冷徹な性格と、人の感情の裏をかく狡猾な頭脳を持つと、王都の民からも恐れられる存在である。
そしてもう一人は旧神モート。
ジョーカーより頭一つ分は高いその頭部には一本の髪の毛もなく、黒いマントに覆われた全身は、晴れを祈願する際に吊るされるテルテル坊主を連想させるどこか可愛いもの。
しかし彼が一歩踏み出した際に揺れたマントの下には、かなりの重量を感じさせる真っ赤で無骨な全身鎧が見え隠れしていた。
[少し悩み事があってな。相談できるような奴がお前しかいないのだ]
踏み込んだ足より、地響きがしてもおかしくないほどの重圧を放つ旧神モートを見ても、堕天使ジョーカーの声は少しも動揺を見せない。
[手短に頼むぞ。私もすぐに出かけねばならんのでな]
そしてジョーカーの口から発せられた素っ気ない返事を聞いたモートは、閉じられたままの右目を小さく震わせ、左目の上にある太い眉をピクリと上げて苦笑した。
[そうか。この前のフォルセール侵攻失敗でルシフェルの勘気をこうむり、役職をとかれてから時間ができたと思っていたが]
[それほどお怒りになられていたわけではないし、私としては自由に動けるようになって助かっているくらいだ。むしろ気の毒なのはベリアルの方だったな。まさか奴も今回の件で魔神の統率力を疑われるとは思っていなかったようで、申し開きに顔を白黒させていたぞ]
ジョーカーはそう言うと、左右で白黒に分かれた仮面の下からくぐもった笑いを漏らす。
人が悪い、そうとしか受け取れないジョーカーの笑い声を聞いたモートは軽く肩をすくめ、一つの疑問を口にした。
[魔神の統率はアバドンに任されていたのではなかったか?]
[ルシフェル様が今回の侵攻を見逃したのは、あえて失敗させてアバドンの魔神たちへの支配力を高めるためだったらしい。まあアバドンが統率するための時間を将棋で奪っていたのは、当のルシフェル様だがな]
[しかしここまで痛い目を見ても、ベリアルはまったく懲りていないように見えるが]
[それが魔神と言うものだ。むしろ反省して、妙にしおらしくなるほうが気持ち悪いと言うものだ]
ジョーカーが鼻で笑う姿を見たモートは再び肩をすくめ、そして悩み事を口にする。
[実は悩み事と言うのはエレオノールのことでな]
[どうした、またベリアルと一悶着あったのか?]
人から吸血鬼に転生してより、黒づくめの衣装を好んで着るようになった少女の姿をジョーカーは思い浮かべ、右手を軽くあごに当てる。
それまで普通の人間であったにも関わらず、モートの片目をダークマターの依代として吸血鬼となった結果、エレオノールは魔族を含めた中でもかなりの実力を持つこととなっていた。
それこそベリアルの洗練された性的嫌がらせにも、力づくで対抗できるほどに。
[いや、ベリアルがエレオノールに婚姻を申し込んできた問題は力づくで解決した]
[何をやっているのだお前たちは]
しかし返ってきたモートの返答内容はまるで間の抜けたもので、ジョーカーは声にやや怒りを込めてそう言い放った。
功名心にはやる魔神たちが集まっただけの烏合の衆を何とかまとめあげ、苦労してフォルセールを攻めるも奮戦空しく敗北し、領境の森で追い討ちをかけられ傷ついて帰ってきたというのに、その留守を守っていた者から出た相談がこれであったのだから無理もないのだが。
だがモートはその理由に気付かないのか、不思議そうな顔でジョーカーを見つめるだけだった。
[エレオノールが嫌だと言うのだから仕方あるまい]
[そういうことを言っているのではない! フォルセールとの戦いで敗北したばかりだというのに、その損害を気にしようともしないとは何事だ!]
[無論そちらはそちらで心配だ。しかし解決の目処が立っていないのは今からお前に相談するほうだ]
戦いで敗北したというのに緊張感がまるで無いモートの姿に、ジョーカーは更なる怒りを覚えて怒鳴りつける。
[私もすぐに出かけねばならんのだから手短に頼むと言っただろう!]
[うむそうだった。実は最近エレオノールが俺を見る目が変なのだ]
そしてようやく出てきたモートの悩みにジョーカーは内心で頭を抱え、呆れた声で返答をした。
[そうか]
[その時期がフォルセール侵攻の頃と一致していてな、お前がいなくなったのと何か関係があるのかと思って聞いてみたのだが]
[ふむ]
[俺がルシフェルやバアル=ゼブルなどと一緒にいる時はそうでもないが、一人で考え事をしている時などはあからさまに冷たい目で見てきてな]
しかし話が進むにつれ、ジョーカーの目は濁っていく。
[なるほど]
[しまいには時には街に出たらどうだとか、恋人の一人でも作ってみてはどうか、などと冥府と死の支配者であるこの俺に言ってくる始末なのだ]
[それは凄いな]
[確かに今回の天魔大戦で王都を占領してからは、王族専用の抜け道を探すために広間にこもりっきりで、殆ど街の視察などやっていなかった。そこに王都を支配する魔族の一人としてそれはどうかと思う、などと言われては反論する余地もなくてな]
[悪いのはお前じゃない]
モートは機械的に返ってくるジョーカーの返事を聞くやいなやパッと顔を明るくし、何度もうなづいて右拳をグッと握りしめた。
[お前もそう思うか! やはり俺は悪くなかったな!]
[いいから外に出ろ]
しかし即座に信用していた味方の裏切を見たモートはしょんぼりとうなだれ、トボトボと広間を出ていく。
そして扉を開けた直後、モートは何か心残りがあると言うようにジョーカーを振り返った。
[……そう言えばどこに行くのだ? いくら参謀の任を解かれたといっても、不在のまま行方知れずでは都合の悪いことがあるかもしれんぞ]
[せっかくルシフェル様に言ってアナトを遠ざけてもらったのだ。この隙にテスタ村に行って感動の再会をしようと思ってな]
[後でどうなっても知らんぞ]
[そうなった時はそうなった時だ。むしろそちらの方が面白い]
[そうか]
止めてほしかったのだろうか。
扉の向こうに消えていくモートの足取りは重く、それを見送ったジョーカーはやや気の毒そうな視線をその背中に向けるも、女々しい同僚にこれ以上構っていられないとばかりに広間の扉へと背中を向けた。
[我らがこちらに戻ってきたのはつい最近だが、外の世界では十年以上が経過しているか。会うのが楽しみだなノエル……いや天使サンダルフォン、そして少女エルザよ]
そして高笑いを浮かべた次の瞬間、堕天使の姿は広間から消えていた。