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第123話 バアル=ゼブルの欲しいもの!

「あ、あの……もし……バアル=ゼブル様……?」


[おっと、女が困ってちゃ助けねえわけにはいかねえな]


 戸惑うイユニの声の後にバアル=ゼブルがふわりと身を起こし、谷間に埋まっていた顔が露わとなる。


[子を思う親の心が産み出した火事場の馬鹿力って奴か。泣かせるねえ]


「申し訳ありません! 我が子の行方を知っておられると分かった瞬間に頭が真っ白になってしまいまして……」


[気にすんな。アナトの方もまったく気にしちゃいねえしな]


 そうバアル=ゼブルが言うと同時に、魔族の二人を除いた全員がアナトの方を向いた。


 バアル=ゼブルに害をなす者は例え味方であれ容赦はしない、そう噂されている(実際に容赦しないのだが)女神もまた先ほどのバアル=ゼブルのように動きを見せていない。


[ふむ……なるほど]


 それどころかアナトは何やら得心がいったとばかりに何度も頷いており、それは今の一連の出来事に何やら学ぶことがあったというものだった。


(不気味な)


 クレイたちがそう思った直後、アナトが何らかの術を発動させる。


(ん? あれアーカイブ術か?)


 そしてアップロードは終わり、アナトは運ばれてきたメインディッシュである、牛肉を生ハムで包んで焼いたサルティンボッカをクレイが見ている前で口に運んだ。


(今の流れで何か重要な情報ってあったっけ……?)


 クレイが内心で首を傾げた時、彼の中に間借りしている存在から厳格な意志が浮かび上がる。


 慣れてしまったとはいえ、自分とはまるで違う性格の意思が内にあるというのは相応に嫌なものであり、だが有用な情報をもたらしてくれることの多いその意志メタトロンの言葉をクレイは受け取った。


(不用心なものだ。いくら魔族と天使の保存するサーバー……記録領域が違うとはいえ、パスワードもかけずにアップロードするとは)


(何か問題あるのかそれ)


(法術による念話と一緒で、力あるものならパスワードがかかっていない情報の内容を簡単に知ることができる。もちろん管理者の我も同様だ)


 その意志を受け取ったクレイの目がキラリと光る。


(ふーん、ちなみに今のは何をアップロードしたんだ?)


(私事に関わることだな。実に彼女らしい情報だ)


(何をアップロードしたんだ?)


 クレイの知的好奇心に、メタトロンがうんざりとした意思を返す。


(本人に聞きたまえ。アーカイブ術を発動させたことは分かっているのだから、話せる範囲の情報であれば話すだろう。そして我はそれを判断する立場に無い)


(聞けるわけないじゃん!)


(ではそのままにしておくことだ。ただ一つだけ我から言えることがあるとすれば、彼女は戦術と戦略の両方を試し、その結果をアップロードしたということくらいか)


(……聞いてみるか)


 魔族の中でも最強と呼ばれ、幾度となく天使たちと死闘を繰り広げてきた重要人物の一人であるアナト。


 そのアナトが戦術と戦略について検証をしていた、という見過ごせない情報を聞いたクレイは覚悟を決め、再び自分にしなだれかかってきたアナトを恐る恐る見る。


「さっきアーカイブ術を使ったみたいだけど、何か重要な情報でも?」


[気になるのか?]


「それなりに。別にアナトさんが綺麗な女性だからってわけじゃないよ」


[本当にお前は変わった奴だな。今までに見てきた天使とはだいぶ違っているようだ]


 そう言うとアナトは更に体を密着させ、クレイを挟んで反対側に居るエレーヌの歯ぎしりをする姿を見て愉快そうに微笑むとクレイの耳にそっと口を近づける。


(天使であるお前と密着した場合にバアル=ゼブル兄様が嫉妬するかどうか、獣人であるあのイユニとやらのどこに兄様が性的な興味を持つかを観察し、その結果をアップロードしただけだ)


(……それだけ?)


(それだけだ。兄様がこの昼食の場をセッティングした時に、お前の席に座るようにお願いした甲斐はあったな)


(用意周到だね)


(後はアスタロトお姉様に報告するだけで状況は整うというわけだ……今から帰国するのが待ち遠しい……)


(……用意周到っスね)


 なるほど戦術と戦略の検証で間違いないようである。


 クレイは背筋をぞっとさせ、何も知らずにはしゃいでいるバアル=ゼブルを見た。


 どうやらメインディッシュも片付いたようで、テーブルには砂糖でコーティングされたフルーツが上にどっさり乗った焼き菓子トルテと、レモンをやや厚めにスライスしたものが添えられた飲み物レモネードが運ばれてきている。


[ああ、レモネードは蜂蜜抜きでな。その代わりに炭酸水って奴か? そいつを入れてくれ]


[蜂蜜を抜くのですかお兄様?]


[ああ、そっちの方が刺激的な味がして楽しめるからな]


[さすがお兄様! 素敵ですわ!]


 何も知らずに調子に乗ったままのバアル=ゼブル、何も知らずに誉めたてているといった顔の裏で綿密な計画を練っているアナト。


(……お幸せに)


 クレイは胸の内でそっと十字架を切る。


「そう言えばマルトゥの話はどうなったのさ」


 そして先ほどの騒ぎでうやむやになりそうだった、マルトゥについての話題を切りだす。


 先ほどからずっとそわそわしていたイユニは、クレイの助け舟を聞いた途端に頭上の耳をピンと立て、ふわふわの茶色の尻尾をパタパタと振る。


 何とか顔には出していないものの、その様子を見ればイユニが喜んでいることは一目瞭然といった感じであった。


[おっとそうだったな。どうやらそのマルトゥって奴なんだが、パルチザンの一味らしいぞ]


「知ってる」


 既に知っている情報を再び教えられたクレイはややムッとするも、次にバアル=ゼブルが口にした情報でその不機嫌はただちに消し飛ぶ。


[そんでそのパルチザンなんだが、どうも後ろ盾がいるらしくてな。そいつがヴィネットゥーリア共和国の十人評議会の一人って話だ。つまりヴェラーバで暴れてるパルチザンの本拠地も、ヴィネットゥーリアにある]


 ヴェラーバ共和国と敵対する国の一つであり、今回の旅の目的地の一つでもあるヴィネットゥーリア共和国。


 その指導者の一人がパルチザンを裏で操っているということは、当然その目的はヴェラーバの弱体であるだろう。


「……面倒な話になってきたね」


 他国の指導者がその後ろ盾になっているということは、反奴隷活動の結果が上手くいこうと無かろうと、パルチザンを構成するメンバーを待つ運命はおそらく死。


 その考えに至ったクレイが重く沈んだ時、バアル=ゼブルの軽い口調によって彼の意識は再び外へと向く。


[ま、特別サービスで話せることはこれまでだな]


 バアル=ゼブルはそう言うと、テーブルの上に置かれたレモネードを右手で取り、背もたれもついていない丸椅子の上で器用に踏ん反り返った。


「神様なのにケチくない?」


[機密事項はその情報の一文字につき金貨一枚の価値がある。かつて王都で自警団の団長を務めていた爺さんの言葉だ]


「つまり?」


[こっから先はお前さんの返答次第ってことだ]


 クレイは少し黙り込むも、自分を心配そうに見つめるイユリの視線に気づき、心配するなとばかりに微笑む。


「話す条件は何なのさ」


[そいつぁ簡単だ。そっちのイユリって獣人とその娘、そんで問題が解決した後はマルトゥって奴もこっちに引き渡しな]


「……目的は?」


[俺がヴェラーバに来た目的はもう知ってるんだろ? 下手な奴隷を買い付けるよりは、高品質って分かってる獣人を連れて帰った方が安上がりの上に信用もついてくるってもんだ]


 至極当然のようで、しかし不可解な理由。


 いくらルー・ガルーであるイユニが働き者であるとはいえ、イユリはまだ子供だしマルトゥがどんな獣人なのかはまだ不明である。


 イユニがたった一人で、総数がどの程度かすら分からない魔族すべての世話が出来ようはずが無いのだ。


「他に目的は無いの? いくらイユニさんが働き者でも一人じゃ過労死しちゃうだろうし、マルトゥってルー・ガルーが魔族の世話ができるとは限らないよ?」


[心配すんな。俺の姉にあたるアスタロトって奴と、もう一人のエレオノールって吸血鬼で回してる程度の仕事量だ。アスタロトがいない間はそのエレオノールって奴が手が回る範囲で何とかしてたんだが、そろそろ休みが欲しいとルシフェルに愚痴ったみたいでな]


「うわブラック……」


[まったく魔族にあるまじき働き者だぜアイツは……ん? どうしたボウヤ。確かサリムって言ったっけか]


「いえ、何も」


 しかしそう答えたサリムの顔は真っ青であり、誰がどこから見ても彼に何かが起こったことは明白である。


 そしてその変化がエレオノールの名が出た直後であり、更にサリムが元々王城で働いていた子供であったという事実を合わせると。


(そのエレオノールって吸血鬼がサリムの知り合いってことか……知り合いが……吸血鬼……知り合い……の……)


 クレイは再びぼうっとし始めた頭をぶんぶんと振ると、サリムの顔を気遣わしげに見つめる。


 そしてその視線に気づいたサリムが微笑むのを見たクレイは、やはり微笑みを返した後に視線をテーブルクロスの縫い目へと逃がした。


(……話したくなればサリムから話す。それだけだ)


 クレイは胸に感じたチクリとした痛みに再び顔を上げ、そして偶然バアル=ゼブルと視線が合ってしまい、その瞬間にニヤリと笑みを浮かべたバアル=ゼブルの顔を見て疑惑の念を生じさせた。


(でもイユニさんの件に関してはやっぱりおかしい。フランキ元首に貸しがあるなら、獣人奴隷の値段もそれなりに融通してもらえるはずだ。わざわざ俺たちと一緒にいる、連れ帰るのに障害がある獣人奴隷である理由は無い……つまりイユニさん自身を欲しがる理由がある?)


 クレイはそう考えると、バアル=ゼブルと一緒に昼食をとるなど出来ないと言って、イユニの娘であるイユリと共に姿を消したガビーのことを思い出し、法術による念話でガビーを呼び出す。


≪おいガビー、ちょっと話があるんだけどいいか?≫


≪いいけど……ちょっと待ってちょうだい。念話を一度暗号化するから≫


≪分かった≫


 暗号化という言葉の意味をクレイは知らなかったが、何となく雰囲気でバアル=ゼブルたちに念話の内容を聞かれないようにするための手順と察し、数秒ほどそのまま待機する。


≪いいわよ。まったくもう、魔族の前で念話をするなとは言わないけど、もうちょっと力の弱い相手の時にしてもらえないかしら≫


≪ごめん、ちょっと緊急の用事だったんだ。イユリちゃんにイユニさんのことを聞いてみてくれないか? 実は獣人の中でも高貴な血を引いているとかそんな感じの奴≫


≪あー、聞くまでも無いわ。あたし本人から聞いたから≫


≪マジかよ≫


 あっさりと求めていた情報が手に入ったことに、クレイは内心ですっ転んだ後にガビーに続きを促す。


≪大マジ。えっと、イユニはルー・ガルーの中でも一、二を争うほどの有力な部族、白銀の天狼族と呼ばれた一族の長の娘だったらしいの。まぁ元々力があっただけにその誇りが邪魔をして、獣人たちが互いに仲間を奴隷として売るようになってからは没落したらしいんだけど≫


≪ふーん……じゃあバアル=ゼブルたちがイユニさんを担ぎ上げて獣人をまとめ上げて国を作り、その信仰を集めるって出来そうかな?≫


 少し前に獣人の国があればいいと考えたことを思い出したクレイは、バアル=ゼブルがそう考える理由について思いを巡らし、ガビーに尋ねる。


≪難しいんじゃないの? 元々がバラバラだから簡単にはいかないでしょ。でも一代でヴェイラーグ帝国を築き上げた雷帝イヴァンの例もあるし、何とも言えないかな≫


≪分かったサンキュー。後でお礼を渡すから、イユリちゃんと美味しいものを思う存分食べてくれ≫


 ガビーの歓喜の意思を受け取ったクレイは、自分の財布の中身の計算を始めようとし、その瞬間に再び真正面のバアル=ゼブルと視線が合う。


(あ、なんか変な目で見てる)


 念話で連絡をとった時点でそうなることは覚悟していたが、思ったより警戒されているらしい。


(というか俺の中にいるメタトロンより警戒される相手って……あ、オリュンポス十二神か)


 なるほど警戒されても仕方がない。


 そう考えたクレイは、先ほど自分が思いついた考えを目の前にいるバアル=ゼブルから引き出すため、一つの構想を口にした。


「そっちが出せる情報がそれまでならイユニさんは渡せないな」


[お前さんがイユニを渡してくれるなら残りも喋るぜ?]


 クレイは首を振り、その提案を否定する。


「どっちみちイユニさんは渡せない。できればイユニさんには獣人たちの国を作るための柱、王族になってもらいたいんだ」


[あっ! おい俺のナイスアイデアを横取りするんじゃねえクレイ!]


 そしてクレイがイユニを王族にすると言った途端、バアル=ゼブルは立ち上がって色々な意味で慌て始め、少しそうした後に手を顔に当てて諦めたように天を仰ぎ、最終的に不貞腐れた顔で椅子に座った。


[国を作るっつっても場所がねえだろ]


[ヴェイラーグ帝国なら土地が余ってるんじゃないかな。テイレシアはあの国に相当な貸しがあるみたいだしね]


[チッ]


 どうやら土地のアテも一緒だったようである。


 クレイは肩をすくめると、バアル=ゼブルに笑いかける。


「俺の望みはここまで。後はイユニさん次第だけど、どうする?」


「わ、私でございますか……」


 話題を唐突に振られたイユニは戸惑い、考え、最終的にもう少し考えさせてもらいたいといったところに落ち着く。


[まぁ構わねえさ。その時間を与えるために、ヴィネットゥーリア共和国にマルトゥがいるって教えたんだからな]


 その返答を予想していたのか、バアル=ゼブルはいつものひょうひょうとした態度を変えずに答え、深刻な顔のイユニを気にするなと慰めた。


「……神様だなぁ」


[お前俺のことを何だと思ってたんだよ]


「変な神様」


 バアル=ゼブルは軽く噴き出し、そして注文が出そろったテーブルの上を軽く眺めると厨房の中にいるダイリデスを呼びつける。


[面白いモンを見せてもらった礼だ。ここの代金は俺が全部もってやる]


「いいの?」


[悪いと思うならこれから先も俺を楽しませるこった。行くぞアナト]


[はいお兄様]


「え、いつの間に」


 先ほどまで隣にいたはずのアナトが、いつの間にかバアル=ゼブルの隣に立っていることに気付いたクレイは背筋を寒くさせる。


[ヴィネットゥーリア共和国で待ってるぜクレイ]


 バアル=ゼブルとアナトの姿が歪み、それに従うようにそよ風が店の中をふわりと抜ける。


 次の瞬間、二人の姿はクレイたちの前から消えていた。

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