第116話 それぞれの立場と事情!
二日後。
「お役目ご苦労です。貴方たちが関所で目を光らせているからこそ私たちが安心して暮らせるのですよ」
ベイルギュンティ領と国境を接するヴェラーバ共和国との関所で、クレイはジョゼが国境を守る衛兵たちに労いの言葉をかける姿を茫洋としながら見ていた。
「ここから保養地で有名なティースやムナコを通って、ヴェラーバ共和国からミランノ公国に入り、そこを越えたらようやくヴィネットゥーリア共和国か……」
愚痴にも聞こえるクレイの呟きは、当然彼が乗っているバヤールにも聞こえており、それを聞いたバヤールは可笑しそうに念話を発する。
≪私とお前だけで向かっていれば、とっくにヴィネットゥーリア共和国についている頃なのだがな≫
≪うん、着くことが目的じゃないから≫
≪ククク、そこに気付くとは……成長したなクレイ≫
クレイの説明に対し、オツムのネジが一本外れているのではないかと思わせる返答をしたバヤールに、クレイは頭を抱える。
≪外交から逃げ回って他国の重鎮と顔合わせしなかったツケが回って来たんだよ。それに天使の叙階を何度か受けてるうちに急激に背が伸びちゃったこともあって、ジョゼみたいに顔パスってことが出来ないから他国との交渉には……≫
そして更にバヤールに説明をしようとしたクレイは、離れた場所でアルテミスと話していたヘルメースが近寄ってくるのを感じ取り、そちらへ視線を向けた。
「クレイ、ここから僕のことはメルクリウスと呼んでくれ。アルテミスのことはディアーナだ」
「ん? いいけど……えーと両方とも君たちのこっちでの名前だったっけ」
「かつて存在した大帝国ドローマ。そのプライドが他国の神をそのまま信奉するを潔しとしなかったのさ」
「ふーん、なるほどね。でも呼び名を変えても、中身が一緒ならどうにもならないと思うんだけど」
もっともなクレイの疑問を聞き、ヘルメースは苦笑する。
「ドローマは我らを信奉していた土地を支配はしたが、文化は乗っ取られてしまったともっぱらの評判でね。その悪評を払しょくするべく、このドローマの神々こそが我らオリュンポス十二神だったのだとするため、この地で信奉されていた神の名前をそのまま流用したのさ」
クレイはヘルメースの説明に少しの間だけ首を傾げ、そして目をぱちぱちとしばたかせた後に口を開く。
「んー? つまり実際にはどちらの国の神様だったかなんてどうでも良くて、声高に我らのものと主張することが目的だったってこと?」
「どんな愚かな主張でも、それが何十年も続けば信じ込むものが多数出てくるものだからな」
「……アホらし」
「確かに愚かな行為に見えるが、非常に有効な手でもある」
「嘘を言い続けることが?」
ヘルメースは不思議そうな顔をするクレイを見てニヤリとする。
「君がアホらしいと言ったことが答えさ。それだけ人は未来の危険に関して無関心なのだ。いずれ訪れる破局、すぐ隣まで来ている浸食。しかしそれらが実際に自分の身に何か起きるまで、なかなか人は動かない」
ヘルメースはそこでやや声色を低いものとする。
「そう、まるでこの物質界を象徴するかのような安定をもって」
その言葉を聞いたクレイはやや目を見開き、感心したようにヘルメースを見つめた。
「そんな見方もあるんだな」
「悠久の時を過ごしていれば、暇つぶしにそんなことを考える時もある」
「そっか」
クレイは短く答えると下を向き、すぐにヘルメースの顔を見る。
「なんでヘルメースはヴィネットゥーリア共和国との交渉に力を貸してくれるんだ?」
「陛下から要請があり、成功報酬もそれなりに働きに見合ったものが出る。フォルセールの皆とも浅からぬ付き合いだし力を貸すにやぶさかではない。そんなところか」
クレイの疑問が唐突なものであったにも関わらず、ヘルメースは協力する理由をすらすらと答える。
それを聞いたクレイは表情をやや複雑なものとし、その微妙な感情の揺らぎを見て取ったヘルメースはクレイの顔をじっと覗き込んだ。
「今更そんなことを聞くとは、何か心配事でもあるのか?」
クレイは更に悩む様子を見せた後、ついに踏ん切りがついたのか深呼吸をしてからヘルメースに告白する。
「なんか今回の旅が決まってから、皆の態度がおかしいんだよ」
「おかしいとはまた曖昧な表現だな。具体的にどうおかしいのだ?」
「それが分かってれば悩まないよ。分からないように皆が隠してるからこうやってヘルメースに聞いてみたんだ」
「それでは流石の僕にも答えられないな」
「本当にヘルメースがそう思ってるならね」
そこで二人は口を閉じ、しばしの間お互いの顔を見つめる。
だがそれほど時もたたぬうちに関所の番所から修道服を着た少女が姿を現して近づき、呆れた声で仲裁に入った。
「アンタたち関所の衛兵たちが見ている前でなに険悪な雰囲気作り出してんのよ」
「腹の探り合いしてた」
「クレイの悩み事について相談をしていただけさ。ひょっとして僕たちの仲に嫉妬させてしまったかなガビー」
クレイがふくれっ面で理由を説明した直後に、ヘルメースが発した言葉を聞いたガビーは、それをジト目で受け止める。
「関所を抜けてからゆっくり嫉妬させてもらうわね。行くわよ二人とも」
ガビーは腰に手を当て、呆れた表情で先頭に立って馬車が待つ関所の門へ歩き始める。
彼女が行く先にはクレイたちが通る門とは別にもう一つの門があり、そこではフード付きのローブを着た親子が、衛兵と押し問答をしていた。
「だからダメだと言っているだろう。ここを通りたいと言うのであれば、お前を購入した主人と一緒に来るんだ」
「それがその……今のところ私は誰の元でも働いておらず……」
「野良か。それなら尚更ここを通すわけにはいかん」
「そんな! 奴隷商人にさらわれてしまった息子が、この先の国にいると聞いたのです! どうかお慈悲を!」
どうやら訳ありのようである。
好奇心旺盛なクレイは空馬の状態でバヤールだけを先に行かせ、自分はこっそり引き返すと衛兵の所へ向かった。
「そんなことを言われても人には人の決まりと言うものが……ん? ジョゼフィーヌ様のお付きの者が何か用か?」
「何か気になってね。この親子がどうしたの?」
「聞いたところでは最近まで奴隷商人に連れ去られていたようでな。離れ離れになった家族に会うために、はるばるヘプルクロシアからヴェラーバ共和国まで歩いていこうとしていたようなのだ」
「ふーん……奴隷ね」
「ん? お前どこかで会ったことが無いか?」
「いえ?」
クレイが急激に成長したことは、さすがにベイルギュンティの端までは届いていないらしい。
成長期に入る前だったとは言え、同世代の子供たちより少し低めだったクレイの身長は、今や平均的な大人の身長より少し高めなくらいまで育っている。
顔もややふっくらとしたものから引き締まった精悍なものとなっており、こうまで育ってしまうと別人と言ってよく、クレイは目の前の衛兵が自分にまるで気付いていないことに面白がりながら、落ち込んでいるローブ姿の女性の様子を見る。
「あれ? お姉さんどこかで会ったことが無い?」
「いえ? 先ほどあなた様のお連れの緑色の人にもそう言われましたが、まったく私の記憶には……」
「何やってんだアイツ」
クレイは瞬時にヘルメースに抱いた殺意を押し殺し、フードの下に隠れた女性の顔を見る。
(やっぱりどこかで見た顔だ。でもどこで……?)
クレイがそう考えた時、女性が手を繋いでいる子供が声を発する。
「あ、悪い人たちから助けてくれたお兄ちゃんだ!」
その聞き覚えのある声に子供の方を見たクレイは、ヘプルクロシアで助けたルー・ガルーの少女を視界に入れたのだった。
「なるほどね、事情は分かった」
「そちらのエンツォ様に貰った通行手形で、ヘプルクロシアからテイレシアまでは渡航できたのですが、こちらの関所では獣人と人間は違うの一点張りで……」
「ヘプルクロシアは同盟国だし、エンツォさんが身元保証人ならフツーに通してくれるかも」
クレイは関所のゲートから少し離れると、そこでコソコソ話を始める。
すると手が空いたのか、それともクレイたちが危険な話をしているとでも思ったのか、先ほど揉めた関所の衛兵が近づいてきて口を開いた。
「おい、そこで何を話している。さっきも言ったが、その通行手形は一応正式なものだが人間用であって獣人用じゃないし、ここから先はヴェラーバ共和国だ。もしもお前たちが何か問題を起こしたり巻き込まれたりしたら、獣人であったとしても国家間の問題に発展する可能性がある」
衛兵はそこまで言うと、クレイの方をチラと盗み見て咳払いをする。
「獣人が人間の真似事をしようなどと思うな。大人しく引き返すのだな」
そうして衛兵はきびすを返し、新しく来た旅商人の検査を始めた。
「イーだ! 分からず屋なんだから!」
衛兵が離れた途端にルー・ガルーの少女は舌を突き出す。
「まぁまた奴隷商人に捕まったら面倒なことになるから仕方がないさ。俺の仲間に翅妖精が一人いるんだけど、珍しい存在だから攫われたら一大事ってことで、今回はお留守番で我慢してもらってるしね」
初めて会った時には餓死寸前だった少女と母親が、すっかり元気になった姿を見たクレイは、じんわりと温かい気持ちが滲み出てくるのを感じて思いついた提案を口にする。
「どうする? 義理とは言っても、一応俺はフォルセールの領主の息子だから衛兵に口利きはできると思う。袖すり合うも他生の縁って言うくらいなのに、貴女たちが困っている時にまた再会するのは偶然とは思えない。良かったら関所を抜ける手助けをしたいんだけど」
「いえ、私のような愚かなルー・ガルーでも、人間たちが関所を通るのにどんなに苦労しているかくらいは知っております。今日は大人しく引き返して、いずれどこかの旅商人に荷役として仕えて、その方がヴェラーバ共和国に用事が出来た時にまた戻ってきます」
「……それって奴隷になるってことじゃないの?」
「残った家族はこの子とヴェラーバ共和国にいる息子だけですから。例えどのような苦労を背負うことになろうとも、再び一緒に暮らせるようになる幸せを思えば容易いことです」
だがルー・ガルーの女性は聡明であった。
獣人であっても、人間たちのルールを破ることは賢明ではないと理解している彼女は、少女の手を取ってベイルギュンティの方へ戻っていく。
(これで……いいのかなぁ……)
クレイが恨みがましい目で先ほどの衛兵の方を見ると、なぜか衛兵はルー・ガルーの親子を呼び止めるように手を上げかけており、しかし直後に首を強く振った彼は、再び任務に戻ろうとする途中でクレイと目が合う。
(いや引き返せって言ったのはそっち……ん?)
クレイは不安そうな衛兵の顔を見た瞬間、先ほど彼が口にしていた言葉の数々を思い出していた。
(んー、衛兵としては問題を起こしたくない……通して国際問題が起きたら自分では解決できないだろうしな。それに獣人と知り合いの俺に気を使ったのか? ジョゼの付き人なら後で王室との関係をこじつけられるかもしれないし。えーと、後は獣人が人間の真似事をするな……あ、なるほど)
クレイはぽんと手を打ち、衛兵にニコリと笑う。
それを見た衛兵は安心したのか、近づいてきた隊商の前に槍を横切らせて手続きの開始を告げた。
(やっぱりそうか。獣人は人間と一緒の手続きをする必要が無いんだな)
そもそも人間社会と獣人社会は別もの、つまり言ってしまえば獣人たちは野生動物と同じである。
人間界に溶け込んでいる獣人は別だが、この親子は主人を持っていない、つまり人の庇護下に無いので、正式に通過手続きをした方が後々問題になっただろう。
(でもそれを直接言ったら、商人が獣人を非合法な物品の取引に使うようになったりして面倒なことになるから言えないのか。ここら辺の法をこっち側が定めても獣人たちはバラバラだから伝わらないだろうなぁ……誰か獣人たちの国を作ってくれればいいんだけど)
クレイはそんなことを考えると、先ほど関所を越えたジョゼたちの後を追うふりをして衛兵に目配せをする。
「ヘルメース様によろしくお伝えくださいクレイ=トール=フォルセール様。貴方様の任がつつがなく終わることをこの地にてお祈りいたします」
「つつがなき一日こそが最良の一日。貴方にとっての今日も、良き一日であらんことを」
どうやら誰かの入れ知恵があったらしい。
関所を通り抜けたクレイは、こっそりとベイルギュンティ領側に戻り、ルー・ガルーの親子に詳細を説明して離れたところから国境を越えさせたのだった。




