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第115話 残されていた遺品!

 宮殿前の広場を通り抜けたクレイの目に映ったのは、職人による豪奢な彫金細工が為された重厚な扉だった。


 訪れるものに安らぎを与える様々な草花が彫り込まれた扉が開けられると、次に見えたのは風変わりな形に刈り込まれた植木や、巨大な噴水を取り囲むようにいくつもの小さい噴水が配置された庭園。


 庭師たちの創意工夫がこれ見よがしに設置されている庭園に、クレイは羨まし気な視線を送りつつ通り抜け、苔むす様子もまったく見られぬ真っ白な宮殿に入っていった。



「私、見たことのないお菓子ばかりですクレイ兄様」


「うーん、さすがのブルックリンさんでもこんなに沢山のお菓子を揃えるのは難しいだろうな……」



 一旦クレイたちは客間に通されるも、そこに用意されてある大量のお菓子をすべて賞味する間もなくエルネストの謁見室に呼び出される。


「失礼しますエルネスト伯」


「どうぞ」


 部屋に入ったクレイは、真正面にある机の上に積み上げられた真っ白な紙束と、その隙間から覗き見える一人の中年男性に一礼をする。


 灰色の縞模様となった髪を油できっちりと後ろに流し、見事に反り返った口ひげを生やしているその男は、入ってきたクレイを見ると同時に今までペンを落としていた紙を丸め、壁際にあるツボへと持って行く。


 そこには古く黄ばんだ紙と、まだ新しい真っ白な紙の数々が混在していたが、エルネストはそれに気をかける様子もなく紙筒を無造作に差し入れ、再び机に戻ろうとしたところで新たに部屋へ入ってきたジョゼへ優雅に頭を下げた。


「望外の御来訪、このエルネスト感謝いたしますジョゼフィーヌ様」


「久しぶりですねエルネスト」


「ご無沙汰しておりますエルネスト伯」


「……クレイ君はもう少し嬉しそうな顔をしてはどうかね」


 そこで三人の間に挨拶が交わされるも、クレイに対して返ってきたのは答礼ではなくお小言であった。


 それでも小さい頃からこのような説教を幾度も受けていたクレイは、見られることを覚悟の上で渋面を作っていたこともあり、即座に前もって用意していた返事をエルネストに返す。


「申し訳ありません。こちらに伺う前にフォルセールとの違いをまざまざと見せつけられてしまったのもので、どうすればベイルギュンティのような華やかさをフォルセールに備えられるかと思案しておりました」


「それは殊勝な心掛け。このエルネスト新しい天使の自己研鑽に頭が下がる思いである」


 役者はエルネストの方が上のようであった。


 貼り付けたような笑顔からやや崩した程度の微笑みを以って、クレイからの嫌味を賛辞で返したエルネストは、ジョゼに対しては惜しみない笑顔を向けて晩餐会への招待をする。


「当然クレイ君も参加してもらうぞ」


「……えーと俺は……テーブルマナーがまだちょっと……」


「そう言うと思って町の名士などの賓客は呼んでいない。いい機会だから最新のテーブルマナーを学ぶ場とするように」


「ハイ」


 そしてクレイにそう言うと、エルネストは再び執務へと戻るのだった。



 その晩。



「……なんか落ち着かないな」


 招待されたクレイは、日光が屋根やレースのカーテンに遮られる昼間よりよほど明るいのではないかと思わせる眩しい光の中、そう呟いていた。


 目の前には数々の趣向を凝らした肉料理や魚介料理が並び、それを飾る食器、テーブルは豪勢その物。


 天井には何物にも光を遮られることのないシャンデリアが煌々と輝き、下からもその光を補佐するように銀の燭台がずらりと設置され、まるで日中の外にでもいるような明るさを周囲にもたらしていた。


(俺たちがここに来るとの知らせが、ラヴィ・ラビラントを抜けた当日に届けられたとしても、これだけの食材を揃えるのは……)


 そこまで考えたクレイは、胸中に湧き出でた感情――嫉妬――に気付いて自分に腹を立てる。


(ベイルギュンティだとそんなに難しくないのか。むしろこれだけの食材を揃えるのが日常なのかも知れないな……あーもー何なんだよ! 陛下がいるフォルセールより豊かだなんて反則だろ!)


 それでもクレイは目の前に次々と運び込まれて行く料理に目と鼻を質にとられ、行儀よく椅子の上に座ったままでいる。


 その隣にはジョゼ、エルネスト、そして騎士団の相談役であるカロン。


(……あれ? この人たちいつから居たんだ?)


 そして彼らの周囲を取り囲むように、上品な服を着た町の名士やその妻が、優雅な仕草でずらりと卓についていた。


(……ひょっとしてこれ……賓客か? あれ? 俺すごいピンチなんだけど、なんでカロンさん笑ってんの? んー……アレまさか?)


 罠にはめられたことにクレイが気付いた瞬間、エルネストによる晩餐会の挨拶が始まったのだった。



 そして生きた心地がしない晩餐会が終わった後。



「おや若様どうしたんで?」


「ひどいよカロンさん! って言うか皆でグルになって俺をはめたの!?」


 宿泊に使うゲストルームに着いた途端、クレイは案内をしてくれたカロンに噛みつき、それを見たジョゼが長いため息をついた。


「まさか緊張しすぎて私のアドバイスも届かないなんて……」


 食器でガチャガチャと音をたてたり、スープを飲む際にスプーンの上で冷ますために息を吹きかけたり、落としたナイフを慌てて自分で拾ってしまったりなどなど。


 クレイが晩餐会でしでかした失態の数々を思い出したジョゼが再び溜息をつき、それを見たクレイが慌てて言い訳をしようとした時。



「戦場に出る前に勝ちを収めよ。まさかここまで準備が足りていないとは思っていなかったぞクレイ君」



 ゲストルームの扉から静かに声が発せられ、騒がしかった場はすぐに静まり返った。


「どうやら君は晩餐会に賓客を呼ばないと言いつつ、実際には呼んでいたことに怒っているようだ。しかしそれは、君が私のことを勝手に身内と思い込んで油断したことによるものではないのか? クレイ=トール=フォルセール殿」


「……いきなり何を」


「魔族が王都を占領しているこの時、国内は一枚岩となって有事にあたっている、そう考えていたのではないか?」


 反論しようとした矢先、畳み込まれるように発せられたエルネストの発言にクレイは言葉を詰まらせた。


「戦争中は調略によって敵味方の判別が非常につきにくくなる。そんなことを君は考えていなかったというのか? ヴィネットゥーリア共和国へクレイ君は何をしに行くのだ」


「……テイレシアへの融資をするよう、十人評議会へ交渉に……」


「するよう、ではない。するように仕向けるため、だ」


「はい」


 エルネストの苦言が、助言に変化を遂げたのを目ざとく感じ取ったクレイは、下がりかけていた顔を上げ、エルネストと視線を合わせる。


 それを見たエルネストは自分の失態とクレイの成長を同時に認め、自分でも知らないうちにやや表情を緩めてしまい、それを見たクレイやカロンは目配せで意思を通じ合わせる。

(ちなみに先ほどクレイは晩餐会でウェイターを呼ぶのに手を上げ、大声を出すというマナー違反をしたばかりである)


 しかしまだそこに到達していないジョゼは胸の前で手を合わせ、はらはらとしながら状況を見守った。


「十人評議会はいずれ劣らぬ交渉の達人。交渉とは折衝。如何にしてこちらの不利を悟らせず、相手の有利を受け流すか。一言で言ってしまえば、いかに相手を騙すかだ」


「騙す、ですか?」


「そう、如何にして自分の条件より相手の条件を優先させたように見せかけるか、相手に気付かれないように騙さなければならない。そこで一つクレイ君に聞きたい。人を騙す時、一番大事なことは何か知っているか?」


 急なエルネストの質問にクレイは十秒ほど考え、思いついた考えを恐る恐る口にする。


「えぇと……上手なウソ?」


「上手な嘘に必要なものとは?」


「……分かりません」


「いくばくかの真実」


 エルネストの言葉を聞いたクレイは、食い入るようにその瞳を見た。


「いくばくかの真実によって自分を相手に信用させる。真実の情報を聞かせることによって、嘘の情報が自分の知らない情報なのだと錯覚させるのだ。信用が成立していない交渉が成立することはない」


「分かりました。しかとこの胸に刻んでおきます」


「そのように願いたい。それでは私はカロンと少し話がしたいので、これで失礼させて頂く」


「それじゃジョゼフィーヌ様、クレイ様、俺も失礼いたしますぜ」


 そしてエルネストの話が終わった後、ゲストルームの扉はカロンの手によって、おごそかに閉められる。



「……アレ? 俺もここに寝るの?」


「家族同然ですから不思議はないのでは?」


「まぁ……そうなのか?」



 明くる日、クレイが見たジョゼの顔はなぜか不満そうであった。



「お早うございますエルネスト伯」


「お早うクレイ君。ご機嫌麗しゅうジョゼフィーヌ様」


「お早うエルネスト……」


 朝食のため、広間に入ったクレイは先に座っていたエルネストに挨拶をする。


 しかし機嫌が良さそうに見えたエルネストの顔は、浮かないジョゼの顔を見るなりその顔を不審そうなものへと変えていた。


「よく眠れましたかジョゼフィーヌ様」


「ええ、とてもよく眠れました」


「さようですか」


 そしてジョゼと二言三言交わすごとにその顔は不満げなものと変わり、とうとう眉間にしわを寄せて不機嫌へと変化する。


「あのー……エルネスト伯?」


「何かね」


「ナンデモナイデス」


 声と態度が金剛石のように硬くなったエルネストを見たクレイは、何かを察して即座に大人しくなる。


 しかしそれも長続きせず、運ばれてきたオードブルを見た彼は、途端に目を丸くして小声を上げた。


「あれ? 俺がテリーヌを食べられるようになったことをもう御存じなんですか?」


「知らせてきたのはそちらではないか? 念のためにもう一度確認をしてみようと考えたのは私だが」


 その説明を聞いたクレイは驚いてテリーヌを見つめた。


 うっすらとしたオレンジともピンクとも言える色のゼリー、そのゼリーの色に合わせるように上に乗っているオレンジの球体は、塩漬けにされた魚卵だろうか。


 そして何よりもクレイの目を引いたのは、その淡い色のテリーヌを際立たせる漆黒の浅い皿だった。


「エルネスト伯、伯さえよろしければ、この器についてお伺いしてもよろしいでしょうか」


「欲しくなったのかね」


「最終的にはそうお願いするかもしれません」


「そうか」


 エルネストは口ひげを手でこすり、ややもったいぶった後に口を開く。


「これは遥か極東の島国から来た一人の男が持っていた品らしい。らしいと言うのは、この器――漆器――を譲り受けたのが私の父上だからだ」


「極東……ですか」


「そう、遥か東の大国をさらに超えた世界の最果てにある島国。黄金の国と呼ばれ、一風変わった教えと風習を持つ神の国らしい」


「神の国!? 人じゃなくて神々がその島国に住んでるんですか!?」


 エルネストの方へ身を乗り出したクレイをジョゼが睨み付ける。


「お兄様」


「あ、ごめんジョゼ。エルネスト伯! 神の国ってそういうことですか!?」


「いくら何でもそれは無いだろう。自然が豊富で人跡未踏の地が多く、禁足地と言って立ち入り禁止の場所も多いようだから、何が存在するか分からない場所を以って神が住まう土地だと吹聴しているだけと私は思っている」


「なるほど」


 相槌を打った後、クレイは再び漆器と呼ばれた器に魅入られる。


 吸い込まれそうな、しかし何物の力をも跳ね返すような凛とした色合い、漆黒の艶、そして木製にしては堅牢な肌触り。


 保護剤として木製の窓枠に塗るニスにも似ていたが、この漆器に比べれば児戯も同然に思えた。


 この器一つにどれだけの手間暇、そして情念が籠められたのかと、クレイは呆然としながら漆器を手に持って色々な角度から見つめる。


「気に入ってくれたようだが……残念ながらこの漆器はすでに譲る先が決められていてな。たとえ陛下の要望であろうと渡すことは出来ない」


「そうなんですか」


 クレイはあからさまにがっかりすると、器を傷つけぬように慎重にナイフでテリーヌを切り分け、フォークで口に運ぶ。


 その姿を見たジョゼは微笑ましい気分となり、しかし一つの心配事が胸に浮かんだジョゼは身を正してエルネストへ向き直る。


「エルネスト。そんな大事な品を、賓客も呼んでいない朝食で使っても良かったのですか?」


「はい。むしろ余人に見せてはならぬこれを、今のうちにクレイ君に見せておかなければと思った次第です」


「俺に……?」


 ある目的でクレイに見せたのだというエルネストをクレイは不思議そうな顔で見つめ、対してエルネストは決意を秘めた目でクレイを見つめた。



「この漆器は、アバドンの災厄の折に私の父上が先代のアルストリア領主、ガスパール伯より譲り受けた品だ」



 エルネストの説明を聞いたクレイは、即座に沈痛な面持ちとなった。


「アルストリア領を襲った蝗害、それによる大飢饉……ガスパール伯が私財の殆どを投入して、なお領民を飢えから救うことはできなかったと言われるあのアバドンの災厄ですか……」


「そう、そしてそれだけに留まらず、隣国のヴェイラーグ帝国もそれに乗じて侵攻してきたことにより、アルストリア領は未曽有の大被害を被った……その時に父はこの漆器と引き換えに大量の食糧の支援を行ったのだ」


「つまり、この漆器は……」


「ガスパール伯の形見だ」


 クレイは先ほど喉を通ったテリーヌが、胃の中で石のように重いものへ変化したのを如実に感じ取る。


 そんなクレイの気持ちを悟ったのか、エルネストは続きの話をしてクレイの気を逸らさせた。


「肉体や物の傷は元に戻せても、心の傷はなかなか治ることはないもの。遺品であるこの漆器を現アルストリア領主ジルベール伯の手元へと戻したい気はあるが、それは今ではない」


「ではいつお返しになるのですか?」


「如何に敬愛する父の遺品とは言え、かつて食料の代金と引き換えにしたものを無償で返還してもらうのはジルベール伯の矜持に関わろう。だが何らかの戦に勝利し、その祝いの品と言うことになれば……」


「ジルベール伯に変換するその時は、ヴェイラーグ帝国の討伐後、と言うことですか」


 クレイの言葉にエルネストは力強く首を縦に振る。


「今は奴らの穴倉に籠っていてさすがのジルベール伯も手が出せぬようだ。だが今度出てきた時は逃がしはせぬだろう」


 クレイは自分を変えるきっかけとなったジルベールのことを思い、空になった漆器を両手で捧げ持った後テーブルに置く。


「天使になった身ゆえ、人の戦争には加われぬ身なれど、いざ戦いが勃発した際には必勝の祈りを捧げさせていただきます」



 そしてクレイは朝食を終えると素早く身支度を整え、挨拶も早々にエルネストの宮殿を立ち去ると、街の宿屋に泊まっていた仲間と合流する。


「晩餐会? んー……なんか生きた心地がしなくて、味が良く判らなかったと言うか……うわ引っ掻くなよガビー!」


 そしてヴィネットゥーリア共和国への国境へと向かったのだった。

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