第114話 崇高なる龍王の一部の犠牲!
(なるほど、これがバハムートの所へ俺を連れてきた理由か)
クレイはそう呟くと、脳裏に焼き付いた発動プロセスを思い出す。
バハムートのあまりに巨大な体躯と強大な力によって、今までの敵では到底あり得ないほどに引き延ばされたアポカリプス発動のプロセスを。
(その通り。加えて二段階に力を減衰させるプロセスに便乗し、未熟な君の目にも何とか発動プロセスが映るようにした)
(至れり尽くせりだね)
(せっかくのガビーのお膳立てだ。最大限に利用させてもらった)
(そっか)
やはりバハムートは嘘をついていたようだ。
そう確信したクレイが軽く肩をすくめると、消えていく鱗の向こうから再び赤ん坊姿のバハムートがふわりと現れる。
「見事なりクレイ。余の鱗のみならず、各所で独立している中枢神経の一つを消滅させるとは、なまなかの使い手にはできぬことであるぞ」
そして小さい手を胸の前で合わせると、パチンパチンと激しく叩き合わせてクレイを褒めたたえ始め、それを見たクレイは照れ臭そうに後ろ頭を右手で掻いた。
「あーはい、ありがとうございます……で、その中枢神経って?」
「余の身体を適当にイイ感じで動かしてくれる可愛い奴らだ。まぁトカゲの尻尾が意志を持ったようなものと考えれば、そなたにも理解できるのではないか? 余がベイルギュンティ領を取り囲む山と化してからずっと眠らせておったが、出番と聞いていきなりやる気を出しおってな」
「シッポ……」
クレイはヘプルクロシアで戦い、そして記録上は行方不明となった可哀想な一頭のドラゴン、ギュイベルが残したピチピチと跳ねる尻尾のことを思い出して溜息をついた。
どうやらクレイは、二段階ではなく三段階の手加減をされていたようである。
それでも消滅と聞いたクレイは不安になって少し顔を逸らし、態度が再び気さくなものとなったバハムートをチラリと横目で見た。
「……消滅させちゃって良かったの?」
「中枢神経も余の一部、つまりドラゴンであるから巨大になり過ぎる前に転生するのはやぶさかではない」
「デスカ」
力を持って生まれた者の余裕と言うべきか、特に目的を持たずに生を送る存在の性分と言うべきか、それとも長年を生きて細かいことに拘らなくなったのか、バハムートの性格は割とゆるいものらしい。
そんな彼が率いるドラゴンと天使の間に、なぜ天竜大戦などというものが起こったのか。
単に自分たちの決めた、ただそこに在るという生涯に干渉されるのを是としなかっただけか。
クレイは再び溜息をつくと、本体とは別々に転生する身体の一部を持つというバハムートのデタラメな生態に軽く首を振った。
「これで俺への用事はおしまいでいいのかな? バハムートさん」
「できれば領域についても教えておきたい所であったが、さすがの余でも今はこれが精一杯であるな」
――グラリ――
その瞬間、バハムートの精一杯という言葉が正しいことを証明するかのように世界が揺れた。
「時間だクレイよ。マスターによろしくな」
「分かった」
逡巡をする様子すら見せずに返事をしたクレイをバハムートは眩しそうに見つめ、そして右手を軽く上げるとニギニギを数回する。
「この貴重な経験、きっと忘れません」
そのバハムートの仕草を別れの挨拶と判断したクレイが即座に頭を下げ、暗転していく世界とその創造主に礼を言った次の瞬間、彼は再びバヤールの背に跨っていた。
≪何かあったのかクレイ≫
≪何でもないよバヤールさん≫
機敏に自分の異変を感じ取ったバヤールをクレイは安心させると、ごつごつとした岩やじめじめとしたコケへ視線を向ける。
(一瞬……いや、まるで時間が経っていないのかコレ?)
クレイが誰に言うともなく、いや誰かに聞くようにそう考えると、彼の中に眠る一人の天使がその疑問に答えた。
(アーカイブ領域への接続、及び領域を介したやりとりがほぼ時間を使わぬように、時間の流れが異なる別世界である真なる領域での出来事だ。こちらで時間が過ぎていないのも当たり前のこと)
(ふーん……ってことは時間の流れは平等じゃないってことなのか)
(平等にすれば崩壊に通じる。この物質界を安定させるために主が発動された、無数の魔法の一つによってそう決められている)
(え、平等じゃない方が崩壊しそうな感じなのに、平等にしたら崩壊に繋がるのか?)
そして説明を聞いたクレイが驚いて尋ねると、メタトロンはその質問こそが不思議なのだと言わんばかりにあっさりと答える。
(平等では差異が生じぬ。差異が生じねば区別がつかぬ。結果、何が良くて何が悪いのか、何が安全で何が危険なのかすら分からなくなり、混沌とした状況を作り出してしまうのだ)
(区別がつかないから……? うーん、もう面倒だから全部一緒にしたらいいんじゃないかそれ)
(それでは流れができぬ。高きから低きへの恩恵、低きから高きへの憧憬。魂の成長を促すため常に自他との区別を作り出さねばならないのだ)
(……それこそ争いに繋がって崩壊しそうなんだけどなぁ)
(止まっている二輪車を安定させるには支えが必要だが、走っている二輪車は支えを必要としない。つまりはそう言うことだ)
連綿と続くメタトロンの説明。
それを聞いていたクレイは理解に苦しみ、屁理屈と位置づけ、しかし最終的にはもう少し考える時間が必要と判断して生返事を返す。
(あー……ハイハイそう言うことね)
(そう、停滞は衰退と言うことだ)
(そうね)
(君は段々とガビーに似てきたな)
(反論できないのがムカつくな)
そうクレイが悪態をついた時、彼の隣を飛ぶように歩いていたヘルメースが前方へ魔術の光を飛ばした。
「そろそろ外に出るぞ。と言っても日が暮れてダンジョンの中とあまり変わらないがな」
そしてクレイたちは一つの村に辿り着き、村長の家へと挨拶に向かったのだった。
その翌日。
クレイはそれらの出来事を思い出しながら、野兎の家族をじっと見つめていた。
「しかし丸々と太ってて美味しそうだな……」
「クレイ兄様……」
遠く離れたところから耳を立て、こちらの様子をうかがってくる可愛らしい野兎の家族に、食欲丸出しの発言をするクレイ。
ジョゼは馬車の中から野兎へ愛おし気な視線を向けていたのだが、それをたちまち冷めたものへと変えてバヤールに跨ったクレイへ向ける。
「やめときな若様。勝手に獲ったことがエルネスト様にバレたら、昔の俺みたいに山賊をやる羽目になっちまうぜ」
すると馬車を守るように馬で並走していた初老の男性が苦笑し、ジョゼの冷たい視線からクレイを庇うように少し前に出てそう言った。
「ちぇ、分かってるよカロンさん。俺もいつまでも子供じゃないから」
「ヒヒヒ、そう言ってすぐ意地を張るところが子供の頃のリュファスにそっくりだわな」
カロンと呼ばれた男性は馬上で背を逸らして高笑いをする。
その姿を見たクレイは面白くなさそうに口を曲げ、徐々に草原から小麦やトウモロコシの畑へと姿を変えていく周囲へ目を逸らすのだった。
元討伐隊の隊長カロン。
剣術の腕は並みより少し上程度だが、歩んできた経歴の複雑さと経験の豊富さを買われ、今はベイルギュンティ騎士団の相談役に収まっている。
そのような重職に就いている彼が、通常ではあり得ないルートでベイルギュンティ領に入ったクレイたちに同行しているのは訳があった。
「でも凄い偶然だよね。カロンさんの生まれた村がダンジョンの出入口に一番近い村で、そこに里帰りしてるタイミングで俺たちが来るだなんて」
「それもこれも俺の……じゃなかった、クレイ様とジョゼ様の人徳って奴だな!」
「おお! なるほど人徳!」
馬車の外で盛り上がるクレイとカロン。
「相変わらずだなカロン」
「おっとこいつぁ姐さんお久しぶりで。女っぷりに一層磨きがかかったようで何よりでさ」
それを見たエレーヌが声をかけると、カロンは照れ臭そうに後ろ頭をかいてお世辞を述べた。
「初めて会った時からお前は変わらんな。山賊をまとめる頭目にしては調子が良すぎて、てっきり他にまとめ役がいるのかと思っていたぞ」
「そういう姐さんはちょいとお優しくなったんじゃありませんかい? ひょっとするとアルバ候以外のいい人でも……」
「バ、バカやめろそういう話は!」
「おっとっと、こいつぁうっかりだ」
血相を変えて馬車から体を乗り出し、落ちそうになるエレーヌを慌ててジョゼとフィーナが支える。
その姿を畑で働いている農夫たちが目を丸くして見ているのに気づいたカロンは再び高笑いを上げ、何でもないと手を上げると前方に見えてきた関所に備えて身分証を懐から取り出すのであった。
「さて、こっからは石畳が整備されてるから、馬車の乗り心地もちょっとはマシなもんになるでしょう」
関所を通った後にカロンがそう言うと、馬車の中からひょっこりガビーが顔を出す。
「大丈夫よ。誰が馬車に乗ってると思ってんの」
「こいつぁ失礼ガビー侍祭。それにしてもいいんですかい? あんたまでクレイ様たちに着いてきちまって。フォルセールが手薄になり過ぎるんじゃ」
「クレイによると大丈夫らしいわよ」
「へぇ、そうですかい」
カロンは目をパチパチとしばたかせた後、やや驚いた顔でクレイへ話しかけた。
「もう戦略のことまで口を挟めるように?」
「挟まないと苦労ばっかり背負わされちゃうんだよ。可愛い子には旅をさせよなんて言うけど、俺はもっと楽に生きたい!」
「苦労をさせるのが旅をさせる目的なんですがねぇ。しかしそれをもうそこまで成長なさっているとは、何ともまぁクレイ様の行く末が楽しみですな」
カロンは微笑み、前から来た領内の巡回をしているらしき騎士たちに軽く手を上げる。
騎乗していた騎士たちはそれを見るとただちに下馬し、馬車の中に居るジョゼへと膝をついた。
「お役目ご苦労様です。貴方たちのような騎士がいれば、魔族を王都から追い出す日もそう遠くないことでしょう」
お手本のような慰労の言葉をジョゼが発すると、騎士と同じように下馬をしたカロンは軽く何回か頷き、そしてクレイの方を見てニタリと笑みを浮かべた。
「さてジョゼフィーヌ様、今日はもう少し行った所にある街に宿を取っておりますのでそちらに一泊。明けた次の日は、そこからマロールセリユに一度寄るように、とエルネスト様に命じられておりますのでお立ち寄りを」
「時間にそれほど余裕があるわけではないのですが……仕方ありませんね。領内を通らせてもらうのに素通りしては、エルネスト伯の沽券に関わりますから」
「素早いお察しに感謝いたします」
ジョゼの返事にカロンは恭しく頭を下げ、それを見たジョゼはカロンの気配りを労い、クレイにやや冷たい視線を向けた。
「元は平民、次に山賊、そこから討伐隊と、礼儀を学ぶ暇も無かったはずのカロンでさえこうなのです。今からでも遅くないですから、きちんとした礼儀をクレイ兄様も習うべきですね」
「いや……俺もやろうと思えば……」
不満げにクレイが呟くと、馬車の御者台に乗ったサリムが苦笑する。
「チェレスタで宮殿の扉を破壊しようとした人の言葉とは思えませんね」
「……兄様?」
「おおおお前! 何てこと言うんだよサリム!」
「アンタ馬鹿ねー。常から正しいことをしていればそんなこと言われずに済むのよ」
「いや、お前が言うなよガビー」
年少者たちの醜い争いが起きる中、年長者たる騎士たちは目配せをしてお互いに頷き合うと、巡回に戻ると言って立ち去る。
「あっ! ガビーのせいで騎士の人たちに鼻で笑われたぞ!」
「そう感じるのはアンタが未熟なせいだからよ!」
カロンとジョゼは子供の喧嘩に付き合ってられないとばかりに先に出発し、しばらくそれに気づかなかったクレイたちは慌てて後を追った。
「やっぱりお金がある領地は違うなぁ……」
次の日、ベイルギュンティ領の中心であるマロールセリユについたクレイは、街の南北を貫く広々とした石畳の道路を見てそう呟いた。
近くには領内の各所をめぐった後に海へそそぐ運河が、道路に並行するように流れており、ここから見るだけでも十を超える船が、様々な物資を乗せて優雅に行き来している。
「兄様、あまりエルネスト伯を待たせるのはよろしくありませんわ」
「分かった」
そして領主の館の前には、数百人を超える人々ですら楽に集まれるほどの広大な広場。
クレイはフォルセールとの違いに溜息をつき、そしてやや苦手とするエルネストと会うことを思って肩を落とすのだった。




