第111話 人にやさしく!
次の日の早朝。
クレイたちを見送るため、村の人々が総出で外に出ている中、当のクレイは村の出口から少し離れた場所で二人の旧神に頭を下げていた。
「それじゃ行ってきます師匠。ワインの贈り物ありがとうディオニューソスさん」
「君の天使の叙階に使おうと仕込んでいた品だから気にしなくてもいい。それにしても思っていたより天使になるのが早かったねクレイ」
「ひょんなことから死んじゃって……聞いたらアルバ候もそんな感じだったらしいです」
「……トール家の人間はそんなにしょっちゅう死んでるのかい?」
「いえいえ、そういうわけじゃないんですけど!」
クレイは慌てて手を振り、心配そうに見てくるディオニューソスに否定をする。
「クレイ兄様、そろそろ出発しませんか?」
「分かったジョゼ。それじゃ今日もお願いバヤールさん」
そこにジョゼが馬車の窓から顔を出して出発を提案し、その内容に頷いたクレイは脇に控えていたバヤールに跨って、先に出発した馬車の方へと向かう。
ジョゼ、サリム、フィーナ、ディルドレッド、ヘルメース、アルテミス、ガビー、そしてバヤールとコンラーズ。
アルバトールの時には無かった大勢の仲間の元、クレイはベイルギュンティ領へと向かった。
森の中は朝もやが立ち込め、下草には朝露が降りて、初夏から夏に変わろうとするこの時期特有の、力強い生命の息吹を感じさせる植物たちの色をより濃くする。
そんな中バヤールに乗ったクレイとその隣にいるヘルメースは、馬車を先導するようにゆっくりと走りながら話をしていた。
「ほう、陛下の差し金だったか。いつもは渋りに渋った挙句アルテミスの所に結局来ないエレーヌ姉が、今回に限ってすんなり承知したことを不思議に思っていたところだ」
「俺も最初はなんでこんなことを……って思ったんだけど、気付いてからはすんなり物事が進んだよ。でもそれなら何で最初から言ってくれなかったんだろう」
クレイはそう言いながら隣のヘルメースを見る。
如何に今のバヤールが後ろの馬車に合わせて歩いているとは言え、それなりの速度が出る速足の歩みである。
それを涼しい顔をして着いてきているのは流石に神と言うべきか、それとも彼が履いている羽根が着いたサンダルの故か。
そんなことを考えていると不意にヘルメースが口を開いたため、クレイは慌ててヘルメースの足元から顔の方へ視線を上げた。
「そんなものだろう。我らの主神ゼウスも時に我らの理解が及ばぬ行為と発言をし、それらの意味するところが後で分かることがある。それどころか我らが気付き得なかった恩恵もあるかもしれないな」
「なんで先に言わないんだろうな」
「言わずとも成果が出る、言えば水疱と帰する事柄が含まれる、色々と理由はあるだろうが……」
「あるだろうが?」
ヘルメースはすぐに答えを教えるべきかどうかを迷い、だが今回クレイに同行する目的を思い出した彼は、興味津々といった感じで自分を見てくるクレイへニヤリと笑みを浮かべる。
「今回の場合はクレイ、君に気付かせるべき問題ということ……つまり言ってしまえば君の成長の機会を逃すことになる、と言ったところか」
「そうだろうなぁ……」
感慨深げにクレイが呟き、前方に開けている森の出口へ顔を向けた時、再びヘルメースは口を開いた。
「王、皇帝、そして主神。なんらかの集まりの頂点に立つ者は、そうした周りの者を振り回す行為、行動、発言が多い」
「あー確かにゼウスのおっちゃん時々ホント訳わからないことするよね」
クレイが手綱を手放してまで腕を組み、うんうんと頷くという器用な真似をしているところを見たヘルメースは苦笑し、話を継いだ。
「そしてそれら上に立つ者のやることが理解できない時に口にする言葉は、何故そんなことをするのか、ではない。何故こうしてくれないのか、でもない」
「何て言うんだ?」
「何故そうせざるを得ないか、だ」
――サァッ――
ヘルメースの発言と時を同じくして森が開ける。
一気に明るさを増した周囲にクレイは体が浮き上がるような錯覚を覚え、しかし天空から地上を照らし出す太陽の光を、個々で受け止めて逞しく育っていく草木の圧を体中で受け止めた彼は、現実における自分の座標を思い出してすぐに今のヘルメースの言葉を口にした。
「何故……そうせざるを得ないか……」
「そう。我らのような一個人から見る世界と、上に立つ者から見る世界では見えようが違う。我らは我ら一人一人だけの世界を優先して見ているが、上に立つ者は我々の無数の世界をすべて見渡す必要があり、そしてそのすべての幸福を考えなければならない」
「でもその中には当然相容れない世界があるし、手が回らない世界もあるよな? そんな時はどうするんだ?」
「一つを選ぶ、どれも選ばない、落しどころを探る。色々とやり方はあるだろうが、どんなに苦労して、どんなに上手くやったとしても批判が出ることは避けられないな。それが先ほど言った理解できない行為や発言に繋がる訳だ」
「……やってられないね」
「そう、それが上に立つ者の孤独だ。せめてすぐ近くにいる我々だけは上に立つ者のやることを信じ、その真意を理解するようにしたいものだな」
クレイは頷き、今までには無かった尊厳の眼差しでヘルメースを見つめた。
「どうすればいいの?」
「うん? そうだな……とりあえず上に立つ者の意味不明な行為や発言に至るまでの経緯、そしてそれらがもたらす結果について予測する。そして思いついたら自分から情報を集め、その裏付けをとることか」
「ふむふむ」
「君は幸いアーカイブ術を使えるようになったから、それを使えば容易に裏付けは取れるだろう」
「メタトロンが起きてる時じゃないと使えないからなぁ……」
「今の君の立場では急ぐ必要は無いだろう。陛下の重臣ともなれば意見具申などで必要になってくるかもしれないが」
「そうだね、ありがとうヘルメース!」
「これも年長者の務めだ。気になることがあればいつでも聞くといい」
開拓村を出る時とは明らかに態度が違うクレイに、ヘルメースは再び苦笑をすると、軽く大地を蹴ってふわりと前に跳び、ぽつりと呟く。
「かと言って上に立つ者を盲目的に信じていると、後で痛い目に遭うことがあることも事実だがな」
途端にクレイはがくりと頭を下げ、ヘルメースを恨めし気な顔で見た。
「名君と呼ばれた者が暴君で終わることは少なくなく、名君から暗君になった者の悪政が、賢者の一言で露見して崩壊することもある。だが現在においてはそう言ったことは殆ど見られない」
「何で?」
「法術の奇跡を以って、アルメトラ大陸の殆どに影響を持つようになった教会と言う組織が成立し、民のために王や皇帝を監視すると自称するようになったからさ。しかもタチの悪いことに、そいつらは情報と言う武器も手にして、布教と言う形で人々の間に入り込み、洗脳に励んでいる」
「……へ?」
「と言うのが僕の世界から見た教会だ。なにしろ僕たちが旧神と呼ばれる立場にまで落ちぶれたのは、教会の躍進が原因なのだからな」
「……バロールさんもそんなことを言ってた」
落ち込んだクレイを見たヘルメースはくすりと笑い、後ろの馬車に乗っているはずのガビーへと視線を向けた。
「だが僕は忙しく動き回る必要に駆られるようになった今の状況も案外気に入っている。他の神々、ゼウスを始めとするオリュンポス十二神もな。おそらくこれがここに在るではなく、先へ在り続ける喜びなのだろう」
「そっか」
「それと賢者の一言が悪政を暴くことが殆ど無くなったのは、王や皇帝が側近に多くの賢者たちを招くようになってその意見を聞くようになったからさ。多くの賢者の考えを、賢者一人の考えで覆すのは至難の業だ」
「ベルナール団長みたいな人でも?」
「そのベルナールはどこで働いている?」
しまった、という顔になったクレイをヘルメースは優しくスルーする。
「付け加えるなら、招かれなかった程度の才しか持たぬ賢者の一言で覆すのは難しい、だな。もちろん権力の元に集うことを嫌う偏屈なものもいるだろうが、それは同時に自分には権力者を変える力が無いことを認めるものでもある」
「何が正しいのかよく分からなくなってきたな……俺はこの先、この目に見えるものや人のことを信じられなくなっちゃいそうだよ」
「だからこそ人は成長する」
クレイは目をパチパチさせ、神々しい(実際に神なのだが)顔をしているヘルメースを凝視した。
「目に見えるものなどと言わず、目に見えぬ壁すら乗り越えたまえ。自分の誤りを知ったならそれを正し、その経験を人と共有して共に成長するのだ。君は今回の天魔大戦のみならず、メタトロンにも選ばれた天使なのだからな」
「ちぇ、分かったよ」
拗ねた口調の答えにまるで合わないクレイの輝く顔。
その顔を見たヘルメースは、その顔を見れただけでこの旅についてきた成果があったと内心で思うのだった。
その日の夕刻。
「ここを通るのか? ヘルメース」
「妹君を置いていくのであれば通らなくてもいいが」
「……俺が悪かったよ。行こうか」
ベイルギュンティ領をぐるりと囲む山々、ベヒーモス山脈。
クレイたちはそこを貫くダンジョンの一つ、ラヴィ・ラビラントの巨大な入り口の前に立っていた。
「何、そんなに心配しなくてもいい。この迷宮にはなぜか魔物が存在しないからな」
「あー、そうなんだ……」
「ただし季節によって経路が変わる。発見されて以降、迷宮の中で食料や水が尽きて野垂れ死にする者が続出したため、この迷宮に入るものはいなくなった」
「ふーん……あれ、今から迷宮に入るってことは、中で野宿するのか?」
迷宮の中に入ったクレイは、後ろで不安そうにしているジョゼたちを見てヘルメースに説明を求める。
「このヘルメースが女性にそんな苦労を背負わせると思うか?」
「思わない」
「では説明しよう。洞窟を超えた先に小さいながらも集落がある。自分たちが食べる分だけではなく、領地の外へ穀物を出荷している農村への食料も生産している村だ」
「なんでそんな面倒なことを?」
しかしヘルメースの説明を聞いたクレイは、余計な手間をかけているとしか思えない内容に首を捻った。
「ベイルギュンティは周囲を山で囲まれているから、穀物を港に集約してそこから出荷している。港に近い地域の作物は他領の外へ、山に近い地域の作物は領内で消費するようにしているらしい」
「便利なようで不便だね。自分たちで作った物も食べられないなんて」
「競争心を煽る意味もあるのだろう。他国へ出す作物に追いつけ追い越せ、領内の作物に負けるな追いつかれるなと言ったところか。まぁ山脈からの湧水が豊富な山側の方が有利なようだが、そこは領主の差配でうまく誤魔化しているようだ」
「エルネストさんも苦労が絶えないね。それじゃ行こうか」
現ベイルギュンティ領の領主、エルネストの名前を出したクレイは恐れ気も無く先頭に立ち、迷宮を進んで行く。
しかしそれからさほど時を置かずして、クレイは異常を感じる間もなく異常現象に巻き込まれることとなった。
次の日。
「クレイ兄様、あそこにも野兎の家族がいますわ」
「さっき見かけたばかりなのにな。噂には聞いていたけど、本当にベイルギュンティの土地って肥沃なんだな」
ヴィネットゥーリア共和国との国境を持つベイルギュンティ領。
聖テイレシア王国の南東部に位置し、フォルセールと隣接するこの領地は代々ノゥリチュア家によって治められ、現在は先代の領主エドゥアール伯爵の後を継いだエルネスト伯爵によって治められている。
領主であるエルネスト伯爵の温厚、篤実な人柄がそのまま領地に乗り移りでもしたような、温暖な気候に恵まれており、テイレシアはもとよりアルメトラ大陸全土を見渡しても最大級の穀倉地帯である。
ベヒーモス山脈と呼ばれる、全長が五百キロメートルを優に超える山々で領地全体を囲まれており、その山々から湧き出でる水が流れた土地は、不思議なほど植物が良く育つのだった。
(まぁカラクリを知ってしまえばなんてことは無いんだけど……いややっぱりあるか。まさかベヒーモス山脈が、一体のドラゴンからなるものだなんて、以前メタトロンから聞いてた俺ですら信用できなかったしな)
クレイは苦笑いを浮かべてそう考えると、後方にそびえ立つ山脈を振り返って昨日自分を襲った怪現象を思い出していた。
≪憤怒のメタトロン……まさかまだのうのうと生きていたとは……≫
「誰だ!? 皆気をつけ……あれ? どこだここ」
いきなり頭の中に響いてきた念話にクレイは驚き、仲間に注意を呼び掛ける。
しかしそこに仲間の姿はなく、更には周囲の景色もごつごつとした岩やじめじめとしたコケから、黄金色の柔らかな光に包まれた草原へと姿を変えていたのだった。




