第107話 気になるひと!
「ほう、私がいない間にそのような面白いことがありましたか」
「日頃より油断ならぬ奴だとは思っていたが、ヘプルクロシアへの派遣、そして昨日の宴でトラウマを克服したことによって、精神的に一気に成長したようだな」
フォルセール領主の館の書庫、今は国王の執務室となった部屋で、二人の男が楽し気に話をしている。
一人は聖テイレシア王国の国王であるシルヴェール、もう一人はテイレシア王国騎士団の団長、ベルナールである。
クレイとの話の後、二人はクレイの申し出によって変わる現状を確認しながら、それを補完する方法を話し合っていた。
「ジョゼフィーヌ様の護衛としてアルテミス、ヴィネットゥーリア共和国の十人評議会の抑えとしてフィーナ嬢ですか」
「色々と理由をつけてはいたが、詰まるところあいつは自分が楽をしたいだけだな」
「優秀な怠け者、というわけですな」
「その通りだ」
二人は含み笑いをし、そして見る見るうちに育っていく少年の未来にかつての英雄の姿を重ねる。
「アルバと同じことにならぬように、支える我らも成長せねばな」
「クレイに負けてはおられませんからな。ところでそのクレイはどうしたのです? 姿が見えないようですが」
「随員の説明を兼ねて、フィーナとディルドレッドを町の観光に連れて行くそうだ」
「なるほど、ではやりますか」
そして頷き合った二人は、今回の魔族侵攻による負傷者への補償、破壊された設備の補修など戦後処理に黙々と励み始める。
「……レナは何をしている?」
「浮かれております。それよりクレメンス妃はどうなされたのですか」
「同じく浮かれている。書類のミスが目立つようになったので、しばらく仕事から遠ざけて頭を冷やしてもらっているところだ」
「……」「……」
そしてしばらく二人は無言で見つめ合うと、施政を手伝ってくれる人材をまず選定することにしたのだった。
「へー、それであたしを随員にしたってわけ?」
「とにかく今は時間が貴重だからな。ヘプルクロシアのお前にこんなことを頼むのも変な話だけど、十人評議会の無茶な要求に目を光らせてくれ」
「いいわよ。タダ飯とタダ働きは正義に反する行為だし」
「恩に着る。頼んだぞ正義の味方」
その頃、クレイとフィーナはフォルセールの高層住宅が立ち並ぶ区画を歩いていた。
まだ戦闘機などの空を飛ぶ兵器が大量に存在しない、この時代であるからこそ成立する都市形態、周りをぐるりと城壁で囲まれた城郭都市であるフォルセールは人が住める区画に限界があり、また大きな地震が無いこともあって高層住宅を建てるのが一般的であった。
「ディルドレッド、貴女もいいわね?」
「勿論でございます。このディルドレッド、フィーナ様の行くところであればたとえ火の中水の中、喜んでお供つかまつる所存です」
そしてフィーナ騎士団の中で今でも彼女についてきている唯一の騎士、ディルドレッドにフィーナが問いかけると即座に承諾の返答が成され、それを聞いたフィーナは満足そうに頷いた。
「さすがディルドレッドね。貴女の忠誠心に疑うところはまるで無いわ」
「ありがたきお言葉」
うやうやしく頭を下げるディルドレッド。
その間にフィーナは一つの露店の主人と交渉し、人間が入れるほどの大きさをもつ木の箱を売ってもらうと、紐をつけて引っ張れるようにする。
「じゃあディルドレッド、この中に入ってちょうだい」
「は? この中に……でございますか?」
「ええ、貴女さっきも服のお店に突進していたでしょ? クレイが法術で直してくれなかったら私が弁償する羽目になっていたわ」
「このディルドレッド、フィーナ様の命令とあればたとえ火の中箱の中、喜んで飛び込む覚悟でございます」
そしてディルドレッドは箱の中に入り込み、クレイが魔術を使ってそれを浮かせると三人はセファールの店へと向かった。
「へー、ここがエメルさんが働いてるお店? でもなかなか繁盛してるお店って聞いてたのに、まるでお客さんがいないみたいよクレイ」
「そりゃ魔族に攻め込まれた直後だからな。言ったろ? この店の主人が元魔族だって」
「あー、皆怖がってるってわけね……」
「そう言うこと。だからまず誰かがお店に入って呼び水になってあげないとね。おはようございまーす、セファールさーん、いますかー?」
四階建ての建物の一階にあるセファールの店。
そこには程々に年月を重ねたことがわかる、程々に汚れ傷ついた木のドアがあり、職人ではなく魔術によって仕上げられたガラスの窓がついているそれを開けたクレイは、人気のない店の中を見渡して声をかける。
「う~ん、返事が無いな……」
「でもカギは開いてたし、留守ってわけじゃなさそうね……奥の作業場にいるんじゃないの?」
「かな? ちょっと見て……あ、すいません」
だが訪ねた店の主人であるセファールは見つからず、フィーナの提案を聞いたクレイが店の奥にあるドアを開けようとした瞬間、中から白い法衣を着た一人の女性が姿を現していた。
「いいえ、こちらこそ」
「あ、あのー……セファールさん、いますか?」
「奥に居ますわ。それでは失礼」
「は、はい」
クレイはその美しい女性に、一瞬で目と意識を奪われてしまっていた。
黄金色に輝く豊かな髪は一筋の乱れも無く腰まで届き、少し下がった眉と目じりは儚く優しげなもので、長いまつげと泣きぼくろが強い印象を残す、美の女神アプロディーテーもかくやと思うものであった。
店を出ていく女性の後姿に、熱を帯びた視線をずっと送っているクレイを見たフィーナはその目の前で手のひらをぶんぶんと振り、まるで反応が無いのを見て溜息をつく。
「ちょっとクレイ?」
「はいフィーナさんこちらクレイです」
「ダメみたいね……もしもしー、どなたかいらっしゃいませんか~?」
[はーいただいま~]
そして腑抜けになったクレイを見たフィーナは、代わりに奥の作業場に向かって呼びかけ、この店の主人であるセファールを呼んだのだった。
[この二つの衣装を手直しすればよろしいのですか? フィーナ様]
「はい、そんなことを言ってた気がします」
[ええと……それだけでは詳細がまったく分からないのですが……クレイ様、しっかりして下さいクレイ様]
黒い修道服を着たセファールが、くるくるとした黄色い瞳をしばたかせながらクレイの頬をぺちぺちと叩く。
[反応がありませんね……困りました。これでは私、まったく注文内容が分かりません]
セファールはおっとりとした口調でそう言うと、首を傾げる。
同時に次々と背中から胸へ向かって流れ落ちる髪にフィーナは目を奪われ、それが一段落付くと未だに自分の世界から戻ってこないクレイに冷たい視線を向けた。
「もう! 観光に連れて行ってくれるって言ったから楽しみにしてたのに、これじゃ今日はこのお店だけで終わっちゃうじゃない!」
フィーナはふくれっ面になると、店の外から洋服の数々を指を咥えて見つめていたディルドレッドに入店の許可を出す。
「ああ、私のような供の者にも寛大に入店の許可を出してくださるとは感激の極みですフィーナ様!」
「騎士としての節度ある行為を期待するわディルドレッド。すいませんセファールさん、クレイが正気に戻るまで商品を見せていただいてもよろしいでしょうか?」
[はい、それはもちろん……でもクレイ様がこのように我を失ったままになるのは珍しいですね。何があったのでしょう]
「さっきお店から出ていった女の人を見てからなんですよ」
椅子に座って幸せな顔をしているクレイを見たセファールがそう言うと、フィーナが先ほど会った女性のことを説明する。
[あ、それはガビー様ですね。何やら久しぶりに本気を出す必要があったからだとか言われてました]
「何だってえええええええ!?」
途端に正気に戻ったクレイは、一人でブツブツと口喧嘩を始め、それが一段落するとセファールに頭を下げた。
「挨拶が遅れて申し訳ありませんでしたセファールさん。実は今日の用件は……」
そして服の仕立て直しを注文したクレイは、エメルの姿が未だに見えないことが気になり、再び店内を見回してセファールにそのことを尋ねる。
[エメルさんなら上の部屋でちょっとお休みさせています。環境が変わったと言うこともありますが、やはりこの前の魔族の侵攻で住民の方々の意識が変わったらしく、意識的、無意識的な悪意が感じられますから]
「あー、やっぱりか……お店がガラガラなのもそのせい?」
[戦いが終わった後で忙しい、この状況で服を買うのは不謹慎、など色々あるでしょうが、やはり私が魔族に身を置いていたという事実は、かなり住民の皆さんに影響を与えていると思います]
セファールはそう言うと、向こうで笑い声をあげながら服を選んでいるフィーナとディルドレッドを見て楽し気に微笑む。
[今はまだ少々の蓄えがあるので持ちこたえられますが、このままの状況が続けば店をたたまなくてはいけないでしょう。領主様やエステル様、多くの人たちに格別のご好意をたまわった身としては、そうはさせたくありませんが……]
「セファールさん」
[何でしょうクレイ様]
呼ばれたセファールは、少し前まで子供の顔をしていたクレイが、いつの間にか大人の顔つきとなっていたことに驚きながら返答する。
「人間がやってるお店が潰れることも日頃から当たり前に起きてる。それを店がうまく行かなくなったのは魔族だから、なんて理由をつけちゃダメだと思う。客が来ないのはまだ町の人から信用されていない、ひいてはセファールさんがまだこの町に溶け込もうとしてないからじゃないかな」
[それは……]
「余所から来た人が、そこに前からいる人たちに信用されるためには、長い年月をかけて信用を積むか、何倍もの努力を見せて信用を勝ち取るかの二つだ。八雲って人も、そうしたんじゃないの?」
[……!]
クレイが知っているはずのない情報を口にするのを見たセファールは、目を見開いて驚きを見せる。
「あ、驚かせてごめんなさい。メタトロンがちょっと教えてくれたんだ」
[……なるほど、そうでしたか]
セファールは自嘲の笑みを浮かべ、かつて王都で過ごした幸せな日々を思い出す。
[そうですね、自分が魔族だったことにちょっと肩ひじを張り過ぎたかも知れません。今度エステル様が見えられた時に相談することにします]
そして町の顔役、自警団の団長を務めるエステルの名を出すと、セファールはニコリと笑ってクレイに頭を軽く下げた。
[気を使っていただいてありがとうございますクレイ様。ご要望の仕立て直しは、大急ぎで仕上げさせてもらいますね]
「うん。うん……うん?」
[?]
しかしクレイは再び一人で話し込み始め、セファールがそれを不思議そうに見ていると、クレイが申し訳なさそうな顔で口を開く。
「あの~、セファールさんって、王都で……自警団の執務を手伝ってたって、ホント?」
[あ、はい。つたないものではありましたが、フェルナン……様のもとで何年か働かせていただきました]
一瞬だけセファールの顔がつらそうに歪み、それを予想していたクレイは少しだけ頭を下げるとすぐに顔を上げる。
「俺が陛下に口添えするから、良かったらテイレシアの政務を手伝ってもらえないかな? 時間が空いた時でいいから!」
[それは……]
「この前ベルナール団長が過労で倒れたみたいだし、陛下もここ数日間ずっと働き詰めなのに、いつも仕事を手伝ってた王妃様やレナさんの姿が見えないんだよ! お願いセファールさん!」
[……私の方は構いませんが……]
「ありがと! じゃあ陛下には俺の方から言っておくね!」
嬉しそうに笑うクレイを見たセファールは、内心でこの子にはかなわないな、と負けを認め、頃合いを見て戻ってきたフィーナが持っている服をいくらか値引きする。
「いいんですか? 縫製も作りもすごくしっかりしてて、肌触りも滑らか……定価の二倍で売っていてもおかしくない服ですよこれ」
[長いお付き合いになりそうですから気にしないでください。これは手付けと思っていただいて結構です]
「ありがとうございます!」
しばらく後。
笑顔で店を出ていくクレイとフィーナに、セファールもまた明るい笑顔となって手を振る。
そして上の部屋にあがってエメルを起こすと、クレイから頼まれた服の仕立て直しに笑顔で取り掛かるのだった。