第104話 テリーヌとの邂逅!
その夜、つつがなく宴は開かれる。
建設途中の第四城壁が破壊されたばかりと、苦しい台所事情ではあるが、同盟国ヘプルクロシアからフィーナたちを迎えての宴である。
出席する人数こそ少ないものの、できる限りの趣向が凝らされた紙細工の飾りつけ、量を多く見せるために底上げされた料理の盛り付けなど、決してヘプルクロシアを軽んじているとは思われないような工夫が、そこかしこに見受けられるものであった。
「……」「……」
「どうしたフィーナ、以前に来た時とは打って変わって大人しいな。ディルドレッド殿、そのように硬くならずリラックスしていただきたい」
「あの、フィーナお姉様、なにか気になることでもございましたか?」
しかしそう言った心づかいが届いていないのか、それとも何か魂胆があるのかと疑っているのか、あるいは別の理由があるのか。
シルヴェールの左隣に座るフィーナとディルドレッドの顔は、その反対側に座っているジョゼが思わず心配してしまうほど渋いものであり、女王メイヴに至っては眉間にしわをよせ、血走った眼でホスト側の席に座っているクレイを睨み付けている始末であった。
「どうしたクレイ、先ほどからまるで目の焦点が合っていないぞ」
「……あ、はい……申し訳ありません……」
クレイもまた、シルヴェールの問いかけにすぐには答えられないほどに衰弱しており、それはこの宴が開かれる前に、四人の間に何らかの事件が起こったことを表していた。
「ふう、宴の主役たちが揃ってこのような有様とはな。仕方あるまい、このまま進行するか。それでは皆のもの、主に今日の恵みを感謝するのだ」
シルヴェールがそう言うと、宴の出席者が揃って祈りを捧げ始める。
フィーナたちもそれに倣う形で祈りを捧げ始めた手前、クレイ一人だけが茫然としているわけにもいかず、必死に気力を振り絞って手を組み、感謝の祈りを捧げ始める。
(三人……は卑怯……だ……)
頭の中でいくつも鐘を鳴らされているような感覚を覚えながら、それでもクレイは感謝の祈りを捧げていく。
そしてまだ茫洋としている頭で、クレイはある一つの記憶、昔ヘルメースに聞いた偉人の言葉を思い出していた。
(女性を恐れる必要はない。だが女性たちには注意すべきである)
先ほどからキーンとしている耳と、ふらふらする頭を何とか押さえつけ、クレイは何とか祈りを終える。
そして十分ほど後。
(あーようやく頭痛が治まって来たよ。まさかあんなにフィーナたちが怒るとは思ってなかったな……まぁあの酸っぱさじゃそうもなるか?)
正気に戻ったクレイは、宴に次々と持ち込まれてくる前菜がいつになったら全員に行き渡るか、ソワソワとしながら様子を伺っていた。
その最中、フィーナと目が合った彼は気まずそうに視線を逸らそうとするが、その矢先にフィーナに愛想笑いを浮かべられ、それを見たクレイはホッとしながら愛想笑いを返す。
ようやく機嫌が直ったのかと思ってホッとしたクレイは、宴が始まる直前の出来事を思い出すのだった。
それは宴の開催時間も間近に迫った時のこと。
自分の部屋に戻って身支度をしていたクレイのところに、三人の女性が訪れる。
言わずもがな、クレイのお土産であるネクタリンを口にしたフィーナたちである。
本当にかなり衝撃的な味だったようで、ノックを聞いたクレイがドアを開けた途端、彼女たちは鋭い眼光を放ちながら部屋の中に踊り込んできたのだ。
自分の部屋で油断していたこともあるだろうが、クレイは必死に抵抗を試みるもいきなり襲われた不利を取り戻せず、ついに力尽きて押し倒されてしまう。
そしてとうとう口にネクタリンを捻じ込まれそうになったその時、危機的状況を間一髪救ったのはクレイの曼荼羅の中に眠るモリガンだった。
「いい加減にしなさいあなた達! クレイもそこまで酸っぱかったとは知らなかったと言っているではありませんか!」
お分かりとは思うが嘘である。
テイレシアについてより、曼荼羅の中から異国の様子を興味深く、要ははしゃぎながら見ていたモリガンは、当然クレイとバザーの老婆のやりとりも見ていたのだ。
もちろん二人は、ネクタリンを使った犯行を直接口にするような愚かな真似はしていないが、それでもあのように怪しい笑い声を二人でしては、バレない方がおかしかっただろう。
と言うわけで、ネクタリン本体を食べさせられることは無かったものの、そのフィーナたちに味だけでも確かめろと言われ、果肉をひと舐めしたクレイは思わずメイヴの顔に吐き出してしまい、彼女の怨みを更にかってしまったというわけである。
(列席者の順番的にそろそろ終わりかな? とりあえずヴィネットゥーリア共和国への旅の準備は明日からにして、その間を縫ってフィーナたちの御機嫌取りでもするか)
クレイがそう考えていた時、ゲストであるフィーナの口から一つの疑問が発せられる。
「テリーヌはありませんの?」
「ん? あれか……あれは……ちょっとな」
その疑問を聞いたシルヴェールが言葉を濁すと、フィーナはしばし不思議そうな顔をし、そしてすぐに残念そうに目を伏せた。
「残念です。見た目はウナギのゼリー寄せに似ていながら、味はまったく違う料理がテイレシアにあると聞いて楽しみにしていたのですが」
「ん? う、うむ……まぁ、テリーヌは……庶民の……保存食のようなものでな、名高いブルックリン家のご令嬢には相応しくないと思って用意しなかったのだ。そうだなアリア」
「はい。事前に何かお好みのものが無いか聞いておくべきでした。こちらの不手際でございます」
シルヴェールは助けを求めるようにメイド姿のアリアを見つめ、アリアはそれを受けてただちに謝罪をする。
その二人の姿を見たクレイは、ゼリー寄せという単語に何かモヤモヤしたものを感じ、フィーナにウナギのゼリー寄せについて聞いた。
「一度も聞いたこと無いけど、ウナギのゼリー寄せって何なんだ?」
「食べたこと……じゃなくて聞いたことも無いの? ヘプルクロシアではかなり一般的な料理なのに……何だか変な話ね」
「うん、テリーヌも聞いたことはあるけど一度も食べたこと無いんだ」
「えええ!? でもお父様はテイレシアの家庭なら普通にどこでも食べてるって言ってたわよ?」
「うーん……」
クレイは残念そうなフィーナの顔を見た後、一つの提案を口にする。
「ちょうどいい、明日はエメルさんの様子を見にセファールさんの店へ行こうと思ってたんだ。だからその後にイリアスさんの店にも顔を出してテリーヌを……」
「待ちなさいクレイ」
「待ちますアリア義母様」
しかしクレイの提案は、アリアの言葉を聞いたクレイの背筋がピンと伸びると同時に途中で止まり、その口も一文字に閉ざされてしまう。
「……」
そしてクレイの動きを止まったのを見たアリアはしばらく考え事をし、そして諦めたように一つの溜息をついた。
「どうしたアリア」
「厨房の者に、テリーヌがあるか聞いてまいります」
「いいのか?」
「たまには残り物ではないものを食べてもらってもいいでしょう。アルバ様には後で私が話をしておきます」
「いや……そうか、わかった」
来賓席の一部を除き、和やかだった広間の雰囲気は一変する。
その空気を感じ取ったクレイとフィーナは互いに顔を見合わせ、さりげなく相手を気遣うふりをしながら責任逃れを始める。
(な、なんだか大変なことになったみたいね……クレイ貴方あんなこと言って大丈夫なの?)
(俺そんな重要なこと言ったのか……? むしろ最初にテリーヌとか言い出したお前の方が心配だぞ)
さすがにシルヴェールが目の前にいる状況では、汚い罵り合いはできないらしい。
ギスギスした雰囲気を何とか隠し通しながら、クレイとフィーナの二人がお互いに相手を心配しているアピールを始めて十分ほど経った後、アリアが料理に使う一つの型枠を持ち帰ってフィーナだけを呼び寄せる。
「兎と野菜のゼリー寄せテリーヌです」
「へぇ、これがテリーヌなんですか。でもなぜ私だけ?」
「色々とありまして」
「ではいただきます。うん! 全然生臭くなくて美味しい! それにすごく優しい味ですね」
宴の進行を無視して一人だけ始まったフィーナの食事は、なんだか楽しそうである。
「ちぇ、なんだよフィーナだけ……」
いつも厳格で冷たい表情をしている義母が、クレイに対する時には見せないような優しい顔をしているように見えたクレイは、面白くなさそうに自分の席でそう呟いた後、こっそり二人の裏側に回る。
「まてクレイ! テリーヌに近づくのではない!」
それに気づいたシルヴェールがただちに叫ぶも遅かった。
「へぇ、これがテ……リ……? うぎゃああああああああああ!?」
その時すでに、ただ事ではない状況がクレイには生じていたのだ。