第103話 大切なお客様!
次の日の朝。
「クレイ、朝食の後に少し時間をもらいたい」
「分かりました陛下」(うわアレがバレたのか? それともアッチか!?)
朝食の席でシルヴェールにそう言われたクレイは、内心で何がバレたのかと動揺しつつもそれを表に出さずに了承した。
「ヴィネットゥーリア、ですか? あの長靴半島の付け根の」
「そうだ。お前がヘプルクロシアに行っている時、フォルセールが魔族の侵攻にあったのは知っているな?」
「はい。ベル……トラムから聞いています」
「その時に第四城壁が手ひどく荒らされてな。各地から集めた資材もめちゃくちゃにされ、このままでは建設がままならぬ状況になったのだ」
「戻ってくる途中、ひどく壊されてるなとは思ったけど思いましたが、そこまでとは」
クレイが悔しそうに言うと、その向かいに居るシルヴェールもまた沈痛な面持ちで頷く。
「予算が足りぬ。補完するための収入も足りぬ。増税すれば金は手に入るが、徴収される側が納得するまい」
「徴収される側である国民を守るための城壁なのですがな」
「その日を暮らすのがやっとの民にすれば、増税は今すぐに死ねと言われたも同然のことだからな。納得しないのは当然だ」
ベルナールの発言をたしなめるようにシルヴェールは苦笑すると、クレイに先ほどの説明を続けるために机の上にある書類の一部を手に取り、その内容を再度確認した。
朝食後、クレイはフォルセールの中心にある領主の館にある執務室で、シルヴェールとベルナールの二人と会っていた。
魔眼のことを伏せて報告書をまとめたのがバレたのかと、クレイは内心ヒヤヒヤしていたのだが、そこで命じられたのは別件だった。
「よってお前にヴィネットゥーリア共和国に行ってもらい、そこを統治する十人評議会に会って、我が国への融資を取り付けてもらう」
シルヴェールの口調はいたって軽いものであったが、その内容のあまりの重さにクレイは絶句した。
(ヘルメースをつけるから大丈夫だって言われても……そのヘルメースが一番の不安要素なんじゃないか……)
シルヴェールから説明を受けた後、執務室を出たクレイの顔はどんよりと曇り、その足取りはひどく重いものとなっていた。
(どう思う? メタトロン)
気分転換のため、先ほどから彼の中に眠る存在、天使の王メタトロンに意志を投げかけても返事はかえってこない。
(あー、また寝てるのかな?)
何度か試すも、なしのつぶてと言った感じで返事が無いのを確認したクレイは自室に戻り、今度は天使としての報告をするためにフォルセール教会へと向かった。
十年ほど前、義父アルバトールの中にいたメタトロンは、ヘプルクロシアでの戦いで力を消費しすぎ、後のことをアルバトールに託して転生の儀に臨んだという。
そのせいか、今のメタトロンは大幅に力を失った状態であり、魂の眠りと呼ばれる休眠状態に入ることが多かった。
(それでも前よりは随分と寝ることが減った……つまり力が戻りつつあるということなのかな)
クレイは自分の考えにゾッとした。
今まではやろうと思えば、自分の意思で身体の支配権を取り戻すことができた。
だがメタトロンが完全に力を取り戻した時、それができるのだろうか?
(……アルバ候の体調が良かったら聞いてみるんだけどなぁ。魔族が攻めてきた時の疲れが抜けてなくて、朝食も別々に摂られてたみたいだけど大丈夫なのかな)
クレイは溜息をつき、自室の扉を開ける。
(ベル兄が戻ったら聞いてみよ)
そして赤の装束に着替えると、今度はダリウスに顔を会わせる憂鬱に溜息をつきながら館を後にした。
「と、言うわけなんです」
「なるほど、大体のことは分かった。だが君はまだ話していないことがあるのではないか?」
「ええと、細かいことまで話すと何日も必要に……」
「重要なことだ。いや重要だからこそ私に話せないということか」
教会についた後、告解をする部屋でダリウスと話していたクレイは、間近に迫った厳格な顔にひるんで思わず身を遠ざける。
「メタトロンを出したまえクレイ」
「え」
「極微量だが、君の身体に残るダークマターについて聞きたいことがある。天使の法を司る者として、我らが王に直々に問いたださねばならない重要案件だ」
「ええと……それがさっきから返事が無くて……俺も困ってて……」
「ふむ」
心底困ったように説明するクレイの顔を見たダリウスは、その真偽を問うようにその瞳をじっと覗き込み、数秒ほどした後に顔を離した。
ダリウスの正体は天使を産み出せる天使、厳格なる法の守護者ラドゥリエルである。
メタトロンが王としての権力をもって天使を統制するなら、ラドゥリエルは法をもって天使の秩序を守る、つまり人間界で言うところの司法のトップと言える存在なのだ。
ちなみに天軍を率いるミカエルは、前回の天魔大戦の終盤でメタトロンと同じく転生の儀に臨んでおり、表向きには現在のところ行方不明ということになっている。
「どうやら本当のようだな」
「ね! それとダークマターのことだけど、こっちはあまり思い出したくないことが……セットなんだ……」
「顔が青いぞクレイ」
「詳しいことはヘプルクロシアのディアン=ケヒト様に聞いて」
「分かった。では帰ってよいぞクレイ」
意外とあっさり解放されたことにクレイは驚き、そしてこのフォルセール教会の司祭であるラファエラと侍祭のガビーの顔を未だ見ていないことに気付いた彼は、それをダリウスに尋ねる。
「何やら急患が出たようでな。二人ともそちらに行っている」
「そうなんだ。でも法術って軽々しくかけちゃいけないってガビーが言ってた気がするんだけど」
「そう、軽々しく扱ってはいけない貴賓の問題だ」
「……ひょっとしてアルバ候のところへ?」
クレイはふと胸をよぎった嫌な予想を口にするが、ダリウスは軽く微笑んだ後に首を振ってその考えを否定した。
「貴賓とは高貴なお客のことを指す。それにアルバトールの所へは、ベルトラムが行っているのだろう?」
「うん」
「おそらく機が来れば君にも教えるだろう。陛下御自身の口からな」
「え、貴賓ってもしかしてヘプルクロシアから連れ帰ったフィーナたちのことじゃないよね!?」
「別に急患だからと言って、そのすべてが悪い病気や怪我とは限らないものだ。安心して家に帰りなさい」
「はーい……?」
クレイは首を捻りつつも、ダリウスの言葉に素直に従って家路につく。
ダリウスはその後ろ姿を見送ると、クレイの姿が完全に見えなくなってからぽつりと呟いた。
「だが君にとっては悪い出来事となるかもしれんな」
それはそれは、人の悪そうな苦笑とともに。
「う~ん、何なんだったんだろさっきのダリウスさん」
フォルセール教会を出たクレイは、領主の館に通じるいつもの大通りを通って帰っていく。
いつものように出店がずらりと並んだそこは、いつものように威勢のいい呼び込みも次々に発せられており、しかしクレイは考え事をしていたのと、今晩はフィーナたちを歓迎する宴があることもあって、クレイはそれらの呼び込みに軽く手を上げるだけで済ませていた。
「おやクレイ様お悩み事かい? それならウチのネクタリンを食べたら頭がスッキリするよ!」
しかし一人の老婆が発した呼び込みの内容をクレイは無視できず、思わず足を止めてしまった彼は、しまったという顔をしながら老婆へ憎まれ口をきいた。
「え~、でもこの前もらった奴はすごく酸っぱかったよ?」
「だからスッキリするんじゃないかい! 甘いものばかり食べてそいつに慣れちまったら、もっと甘いものでしか満足できなくなるよ! そんな甘い食べ物があるかどうかも分からないのに、さ!」
勢いよく喋るせいで、老婆の唾が先ほどから次々とフルーツに飛んでいくのを見ていたクレイは、こっそり魔術でそれらを消去すると苦笑いを浮かべ、これ以上の犠牲を出さぬように財布を懐から取り出す。
「あ~もう分かったよ。じゃあ三つ……いや、七つおくれ」
「おや、そんなに食べて夕ご飯は大丈夫なのかい?」
「食いぶちが増えちゃってね。これでも足りないくらいなんだ」
「おやまぁ……仕方ないねぇ。じゃあこっちの売り物に……するにはもったいないくらいの味の奴をおまけしてあげよう」
「あ、じゃあそれは別の袋に……こっちの緑色の袋に入れてもらってもいいかな?」
クレイと老婆は数秒ほど無言で視線を合わせた後、ニヤリと笑って互いに頷き合う。
「はいどうぞ。滅多に食べられない味のネクタリンだから、くれぐれも渡す人に気をつけるんだよクレイ様」
「分かった! 絶対に取り違えないようにするね!」
クレイは嬉しそうに老婆に手を振ると、足取りも軽く領主の館へと戻って行った。
そして領主の館に戻った彼は、早速お土産を特定の者に渡す。
「え、お土産? 私に?」
「そんな驚くなよフィーナ。教会の帰りに寄った出店のお婆さんがおまけしてくれてさ。味はちょっと悪いかもしれないって言ってたけど、まぁ売り物だからそこまでひどくないと思う」
「なんだか悪いわね。でも異国の味ってどんなものか興味あるわ」
「おや、私にもですか? クレイ様」
「うん、遠慮しなくていいよディルドレッドさん」
クレイはヘプルクロシアでの思い出に浸りながら、爽やかな笑顔でフィーナとディルドレッドへ桃に似た果実、ネクタリンを渡していく。
「後は……フィーナ、メイヴを見なかったか?」
「さっきアリアさんに連行されていったわよ。メイヴ様が丸腰だったこともあるでしょうけど、相変わらず迫力あるわよねあの人」
「そっか」
クレイは緑色の袋に入った二つのネクタリンを見つめ、二人に渡しに行くための労力と難易度を比較し。
「じゃあ仕方ないな。二人とも戻ってきそうにないし、二人で余ったネクタリンは食べてくれよ」
「分かったわ。一つはガビーに取っておいて、余った一つはディルドレッドと半分こにしようかな」
「ああ、何という慈悲深さ……私フィーナ様を一生お守りいたします」
「ガビーに取っておくって、アイツいるのか? フィーナ」
鮮度が重要な果実なのに、急患の所に行っていつ戻ってくるか分からないガビーのために取っておく。
そのフィーナの行動を不思議に思ったクレイが尋ねると、彼女の口からあっさりと答えは返ってきた。
「さっき国王ご夫妻の寝所にラファエラ司祭と一緒に入って行ったわよ」
「へ? さっき……?」
(そう言えば今朝の執務室には王妃様はいなかったな……じゃあ急患って王妃様? でもダリウス司祭は貴賓って言ってたよな? あれ?)
クレイが頭を捻ると、先ほどまで求めても返ってこなかった意志が頭の中に響き渡った。
(おそらくミカエルが戻ってくるのだろう)
(おわっ!? 何だよ起きてたのかメタトロン)
(ラドゥリエルは苦手でな)
(お前……狸寝入りしてたな?)
メタトロンは答えない。
(二人とも似た者同士に思えるんだけどな。まぁいいや、それよりミカエルって?)
(天軍の指導者だ。主に代わって我が天使たちの営みを導いていくのに対し、ミカエルは天軍を率いて魔族たちと戦う役目を担っている。今は前回の天魔大戦で転生しているが、素体に宿る手筈が整ったのかもしれん)
(誰に宿るんだろ? 天啓を受けた人の噂は聞いたことが無いけど)
(おそらく国王夫妻の子供だ)
(ジョゼに!?)
いきなりの展開に肝を冷やすクレイ。
確かにラィ・ロシェールでの手際は大したものだったと、後でフィーナに聞きはしたのだが……?
(いや、王妃のクレメンスが懐妊したらしい。その子供に宿るのだろう)
(イ・モーディしちゃったか)
(何だそれは)
(こっちの話。え? でもそれって……どうなるんだ? お前から聞いた話だと、転生した天使は元の人格に馴染むってことだったよな? でも生まれてない赤ん坊に人格とか無いだろ?)
(無論だ。赤ん坊より遥か前の段階だから、人格を問うどころの話ではない。産まれるかどうかすら判断できないくらいだ)
(だから急患? なのかな)
メタトロンは頷き、クレイの考えに同意する。
(今の段階で素体に馴染んでしまえば、人としては異例の速さで成長して産まれることとなる。国王夫妻から見れば、ミカエルが我が子の人格を飲み込んで産まれたように見えるだろう。それだけは避けねばならん)
(なるほどね……何か俺にできることはある?)
(何も無い。こういう時に男はうろたえるだけで無力だ)
(見るだけしかできない自分の無力さに嘆く、か……)
クレイとメタトロンは同時に溜息をつき、そして苦笑する。
(今日は宴だし、落ち込んでたら心配されちゃうから気分を切り替えていこう。フィーナたちの歓迎会と、俺がヴィネットゥーリア共和国に行く送迎会を兼ねてるから、そこそこ豪勢なものになるってさ)
(では羽根を思う存分に伸ばしたまえ。おそらくその宴は、君の昇格祝いも兼ねることになるだろうからな
(また昇格するのか?)
(ああ、既に我の許可はダリウスとラファエラに出してある)
(天使の昇格か……ヘプルクロシアでもやったのに早いな)
(白龍ギュイベルを倒しただけでなく、曼荼羅も成し遂げてバロールとクー・フーリンもその身に宿したのだ。早く昇格させなければ、君の魂は破裂して消えてしまう可能性がある)
(うへ……じゃあまたあの儀式をやることに……あれ?)
クレイはヘプルクロシアでの儀式で気を失い、宴を欠席したことを思い出す。
(今日はこれから宴があるし、やらないよね?)
(我らの常識を信じたまえ)
(天使の常識って、人の常識に合ってるんだろうな……?)
不安になったクレイは執務室に逃げ込み、何とか事なきを得た。