第102話 勝利よりも大切なこと!
船が出港してから二時間ほど後。
「空はなぜ青いんだろう……」
クレイは膝を抱えて地面に座り込み、ぼんやりとした表情でレオディール領の港町、ラィ・ロシェールから沖を見つめていた。
「おいクレイ」
そんなクレイの後ろでは、先ほどから海賊のような幅広の帽子をかぶった男が何度も話しかけている。
しかしまったくの無視を決め込んでいるクレイに業を煮やしたのか、帽子をかぶった男、つまりディオニシオはとうとう前に回り込んだのだが、それでもクレイが反応する様子は無い。
「おう、どうしたクレイ。このディオニシオ様の迎えを無視するたぁいい度胸じゃねえか」
とうとう脅しにかかるディオニシオであったが、それでもスルーされてしまった彼はとうとう肩を落として落ち込んでしまい、それを見かねてか一人の少年が声をかけた。
「ヘプルクロシアからの航海中、ティアマト様と色々とありまして」
「サリムか。少し会わない間に随分とツラ構えが変わったな」
「恐れ入ります」
ようやく構ってくれる者が現れて嬉しいのか、ディオニシオはニヤニヤと笑みを浮かべると値踏みをするようにサリムの全身を睨み付け、それでも動じないサリムを見たディオニシオは満足げに頷いた。
「最初に会った時はあんなにビクビクしやがってたくせによ。今じゃ堂々と俺のツラを見てやがる。これだからフォルセールの野郎どもは気に入らねえんだよなぁ」
「申し訳ありません。クレイ様の執事として恥ずかしくない行動をとれるよう、これからもディオニシオ伯爵様にご指導いただければ幸いでございます」
「ケーッ! 嫌みの受け流し方も堂に入ってきやがった! ますます気に入らねえからお前にはこれをくれてやる!」
言うが早いか、ディオニシオは自らの懐に手を入れると短刀を取り出し、それをサリムに握らせる。
「あ、ありがとうございます」
「おっ、ようやく年齢に見合ったツラに戻りやがったな。その短刀は肌身離さず持っておけよ? いざと言う時に役に立つ武器を隠し持っておけば、心の余裕に繋がるからな」
「はい!」
サリムの返事を聞いたディオニシオは上機嫌となり、未だに茫然と沖を見つめているクレイをチラリと見ると、建ち並ぶ倉庫の間でネズミ鳴きをしている女性たちに手を上げる。
「結構結構! よぉし! 憎たらしく成長しやがったガキどもの成長を祝って、今日はお前らに女の……」
「女がどうしました? ディオニシオ伯」
「うぉっと!? こ、こいつぁジョゼフィーヌ王女。ご機嫌麗しゅう」
しかしその上機嫌は明らかに年少の少女、下手をすれば彼の孫と言っても通用しそうなジョゼを見た途端に吹き飛んでしまっていた。
「クレイ兄様たちが何を祝われるのかは分かりませんが、フォルセールでは陛下たちが兄様の報告を首を長くしてお待ちのはず。一刻も早く戻らねばならぬ身ゆえ、お気持ちだけ受け取っておきますわ」
「ま、まぁそんな所でしょうなハハハ」
ディオニシオが上げていた腕はシオシオと力なく降ろされ、倉庫の影から様子を伺っていた、露出が多めの女性たちも恨めし気な視線をジョゼに送る。
そんな周囲の様子をジョゼはまったく気にする様子もなく、次々に指示を出して帰路の準備を整えていった。
「サリム、フィーナお姉様とディルドレッドと協力して、クレイ兄様を馬車に積み込んでちょうだい」
「承知いたしましたジョゼフィーヌ様」
「エメル様は素性が素性ですので、あちらでディオニシオ伯と一緒に入国手続きを。私も着いていきますのでご安心ください。エンツォ様は……まぁなるようになるでしょう」
両手を広げたエンツォが倉庫の影に消えていくのを見たジョゼは、そっと溜息をついてエメルと一緒に入国手続きに向かう。
「あ、あら? なぜ貴女様がここに?」
そこでひと騒ぎあったことを、茫然と沖を見つめていたクレイが知る由は無かった。
「そー! そうなのですわ! せっかくティル・ナ・ノーグで悠々自適に暮らしていたのに、お前がいると争いが絶えないなんて言われて追い出されて、食べ物が無くてひもじい思いをしてたから髪を売ったら、それがアスタロトに利用されたなんて言われてまた怒られて! ひどいんですのよ!」
「そうなのですか。今まで大変な苦労をなされたのですねメイヴ様」
しばらく後、フォルセールに向かう馬車の中にはなぜかメイヴがいた。
その向かい側にはジョゼが、困った顔を隠そうともせずメイヴの愚痴を聞いており、そのジョゼの隣では、クレイが苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「なんで王族専用の馬車にお前が乗ってるんだよメイヴ」
「あらあら、クレイ様は女王という称号をご存じないようですわね。よろしかったら寝所の中でお教えしましょうか?」
「俺の寝台は一人用だからお前みたいなデカ女は入れないぞ」
「新しくすればいいだけですのに、フォルセールってそんなに貧乏……あら、これは私としたことが口が滑りましたわホーッホッホッホ!」
「アッハハハハハ。フォルセールで扶養じゃなくて不要にしちゃうぞ?」
「わ、分かりましたから剣を突きつけるのはお止めくださいな。今の私は丸腰ですのよ」
ようやく黙ったメイヴに、クレイとジョゼはホッと息をつく。
しかしすぐにまた別の話題を持ち出し、喋り始めたメイヴにクレイは呆れ、次々と変わっていく話の内容を無視すると、港でメイヴから手渡されたルーからの手紙に視線を落とした。
エメルの入国手続きにジョゼが向かってしばらく後、我に返ったクレイが見たのはジョゼの隣で高笑いをするメイヴと、至福の表情になっているディオニシオを肩で支えながら歩くエメルだった。
どうやら色々と騒ぎを起こしたメイヴは、ルーによって国外追放の処分を受けたようであり、しかしメイヴ一人で放り出しては、またひと悶着を起こしてテイレシアに迷惑がかかるであろうということで、クレイたちが乗った船にルー自身が放り込んだとのことであった。
(フィーナとディルドレッドさんに世話を押し付ければいいだなんて、ルーさんもいい性格してるよ。でも一つ問題が残ってるんだよなぁ……しかも最悪な奴が)
クレイは馬車の向かい側に座っているメイヴ、そして他の馬車に乗っているフィーナ、ディルドレッド、エメルのことを考えて落ち込む。
(四人もの女の人と一緒に帰ってきた言い訳をどうすりゃいいんだよおおお!? ティナの時でさえ皆にあんな態度されたのに!)
クレイは頭を抱え、そしてその難問が解決する前にフォルセールへと到着した。
(三日もあったのに、解決の糸口がまったく見つからなかった……まぁ考えたくなかったからなんだけど)
領主の館に帰ったクレイは視線を下げ、悩みながら廊下を歩いていた。
三日間の道中がまったくの暇だったというわけではない。
ヘプルクロシアに出発する前、文字の練習を兼ねて報告書をこまめに書いておくように、と硬くアリアとベルナールに言い含められていたクレイは、暇を見てはヘプルクロシアでの出来事を書き留めていた。
報告書ばかりにかまけてはいられないと分かっていつつも、それを現実からの逃避に使っていたクレイは、その作業に没頭せずにはいられなかったのだ。
(記憶はすぐに自分に都合がいいように変わる、薄れる、消える。でも文字や絵に書きおこすことでそれらははっきりした形として残り、さらには目で見えるようになることで自分の考えがまとめやすくなる、か。でもアーカイブ術を使って保存しておけばいいだけだよなぁ)
(君がフォルセールを出発する前は、まだアーカイブ術が仕えなかったのだから仕方あるまい。それにアーカイブ領域はまだまだ情報を入れる余地があるとはいえ、人間たちの情報を無条件に受け入れる余裕は無いぞ)
(ちぇ、分かったよメタトロン)
クレイは口を尖らせると、ふと思いついたことをメタトロンに尋ねる。
(聖典も報告書みたいなものなのかな? カリストアの発した御言葉は、ほとんど聖典で俺たちに伝えられてるんだろ?)
(そうとも言えるし、違うとも言える。あれはすでに捻じ曲がったものが多いからな)
(そうなのか)
予想が外れ、残念がるクレイにメタトロンは苦笑し、理由を説明する。
(最初の解釈からして間違っているものもあれば、写本の途中で間違えられたものもあるし、ひどいものになると原本の文字そのものが汚すぎて、写本の作業をしたものが勝手に意味を変えたものもある。長い歳月が過ぎれば仕方がないことだがな)
だがその説明は途中から愚痴となり、メタトロンは諦めたような溜息をつくと、さらに愚痴をこぼした。
(それでも人が口伝で教えるよりは余程いい。主の御意思どころか、成された御業ですら次々と自分たちの都合のいいように作り替え、自分たちの地位を盤石にしようとする、あのうじ虫どもに比べればな)
(お、おい……メタトロン?)
(何度奴らの愚かな行為をやめさせようとしたことか。時には我自らの手で、また時には権力の手を借り、時には奴らが導くべき民衆たちの手を使って。だが奴らは一度手にした甘美な果実、その醜悪な地位への執着を決して捨てようとはしなかった)
(メタトロンってば! お前いきなりどうしたんだよ!)
(……すまない、子供に聞かせるような話では無かったな。捨てたはずだった過去の話だ)
(まぁ俺も一応は貴族の一員ってことになってるから、そういった話に無縁な訳じゃ無い。気にすんなよ)
クレイはメタトロンを慰め、そして先ほどからノックをためらい、前をうろうろとしていた扉を睨み付ける。
(よし! 入るぞ!)
そしてクレイは、シルヴェールたちが待つ執務室の中に入って行く。
報告書を提出し、そこに居並ぶテイレシア首脳陣にいくつかの質問を受け、だが今回は女性に関することは何も言われなかった。
(……陛下や王妃様はともかく、ベルナール団長にも何も言われずに済むとは思わなかったな。勝手にメイヴまで連れ帰ったことくらいは怒られると思ったのに)
今回の特使における活動報告を終え、廊下を再び歩いていたクレイは独り言、というよりはメタトロンに相談をする。
力を取り戻しつつあるのか、最近ではクレイの疑問にそれとなく意思を返すことが良くあり、その助言によってクレイは急速に精神面での成長を果たしつつあった。
(思い当たることはある。だがそれを言って、君の考えや行動に影響が出ることを恐れたのかもしれん)
(何だよ思い当たることって)
そしていつものように、クレイの疑問にメタトロンが答える。
(大きな風車を回すには、大きな風が必要だということだ)
(……感情を出せなくなったアルバ候のため?)
(おそらくはな)
その答えはおおよそヒントと言ったもので、抽象的なものが殆どであったが、単に正解を返してそこでクレイの思考を止める物ではなく、クレイの思考をさらに促すものであった。
(ヘルメースだけでも面倒なのに、これにあの三人まで加わったら手に負えないな)
クレイは溜息をついてメタトロンにそう答えると、自室へと戻って行った。
「戦いには勝った。だがそれより大切なことを知った……か」
その頃クレイが去った執務室では、シルヴェールが感慨深げな表情を浮かべていた。
「いつの間にか成長するものだな。子供というものは」
誰に言ったわけでもないその独り言。
それに反応したのは一人の白髪の男だった。
「何を言われるかと思えば。世間を知らぬクレイを成長させるため、ヘプルクロシアに送り込んだのでしょうに。陛下も人が悪いですな」
「私はアルバの助言に従っただけだぞ、ベルナール」
苦笑し、答えるシルヴェールの後を追いかけるように、一人の美しい女性がどこか遠くを見つめながら呟いた。
「集団を率いる立場に一度立ってみることは、間違いなく人を成長させますわ。単に指示を出すだけではなく、その指示を出した結果がどうなるかを知った時、人は先々を考えた行動をとるようになりますから」
「お前がそうだったようにか? クレメンス」
静かに微笑むクレメンス。
「いいえ、私は未だその境地には至っておりません。ですが知らない所で支えてくれる親兄弟はいたようですわ」
「それに気付けるものもあまり居ませんがな」
「知恵者のベルナール団長にそう言っていただけると嬉しいですわね」
クレメンスはそう言うとシルヴェールを見つめる。
「どうやらクレイに任せて構わないようですわね」
「うむ。ジョゼの誘拐は予想外だったが、それによってクレイが得たものもまた予想以上のものになったようだ」
「ではクレイに任じるといたしますかな。商業国家、ヴィネットゥーリア共和国に我々への支援を求める特使を」
「うむ。王都の結界が解放され、魔物たちの活動が活発化している今、遠国であるヴィネットゥーリアへ出せる使者はクレイをおいて他におらぬ」
ヘプルクロシアより戻って束の間。
こうしてクレイは引き続き、ヴィネットゥーリアへと旅立つことになったのだった。




