第10話 仲良しの執事と苦手な義母!
つつがなくリュファスが収監された後。
「お帰りなさいませクレイ様」
「ただいまベル兄!」
クレイは実家であるフォルセール城の領主の館へ、久しぶりに帰っていた。
何時に帰ってもいつも玄関のホールで出迎えてくれる銀髪の執事、ベルトラムが下げた頭に元気よくクレイが呼びかけた瞬間、その横から冷たい声が発せられる。
「ベルトラム、ですクレイ。いくらアルバ様が幼少の頃からベル兄様がここに仕えているとは言え、貴方はこのトール家の跡取りとして育っている身。いい加減に呼び方をきちんとしたものに変えなさい」
「申し訳ありませんアリア義母様! クレイ=トール、ただいま戻りました!」
その冷たい声の持ち主、クレイの義母(つまり領主の妻のはず)であるアリアは何故かメイドの服を着ており、ベルトラムの横に並んでホールに立っていた。
「不満が顔に出ていますよ。私は貴方とは立場が違うのですからベル兄様と……」
「アリア様」
そしてクレイが少々口を尖らせていることに気付き、叱責を続けようとしたアリアの名を静かにベルトラムが呼ぶ。
「何ですか?」
「これからは奥方様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
先ほどまで厳しくはあったものの、それでも和やかな雰囲気とクレイに感じられていた玄関のホールは、ベルトラムの静かな声と共に冷たい物へ変化する。
刹那、アリアは喉を詰まらせたように黙り込み、それを見たクレイは慌てて玄関の外を指差す。
「えっと、二人に見せたいものがあるんだ!」
その声に従い、ベルトラムとアリアがクレイの指先を目でたどると。
「妖精のティンカービール! どうやら二人とも卑しげな人間に見えるけど、ティナって呼ぶことを許してあげるわ!」
まさに傍若無人なティナの挨拶。
だがそれを聞いたアリアとベルトラムの二人からは、まるで怒りを感じず。
「クレイ……貴方と言う子は……」
「親子……でございますかね……」
むしろ息を噴き出し、今にも笑い出しそうな顔となっていた。
「え、なんか意外な反応って言うかもう見慣れた風景って言うかそんな感じ?」
昔、城の外で狼の子供を拾って帰ってきた時は、二人とも烈火のごとく怒っていたことを思い出したクレイは訳も分からず首を捻る。
「後でセイに聞けば何か分かるかもしれませんよクレイ。とりあえずそのティナと言う妖精を連れて、陛下とアルバ様の所へ貴方が帰ったことを伝えてきなさい」
「……はい」
アリアにそう言われた途端、先ほどまで元気だったクレイの顔と口調が下を向く。
その浮かない様子を見たベルトラムはすかさず口を挟み、まだ精神が成熟しきっていない少年のクレイに心の準備をさせるべく一つの提案をした。
「その前にお着換えでございますな。さすがに迷宮で一仕事を終えたこの格好のまま、シルヴェール陛下とアルバ様の前には出られますまい」
「あ、そうだねベル兄……ベルトラム」
ベルトラムの意見に同意した直後、クレイはしまったと言う顔になって首をすくめ、慌てて頼りになる執事の呼び名を言い直す。
「そうですね。お願いしますベル兄様」
「承知しましたアリア様」
しかし彼が予想した義母からの叱責は無く、アリアは笑顔のまま軽く頭を下げると厨房の方へ向かった。
だがアリアが振り返り際に見せた顔は、先ほどのベルトラムのやりとりを悔やむものであり、クレイは思わずアリアの後を追いかけようか悩んでしまう。
「クレイ様も色々と思う所はございますでしょうが、今の所は汚れた服を着替えるのが先決でございますな」
「うん」
だがその決意を押しとどめるように、ベルトラムはクレイの部屋の方角を手の平で指し示したのだった。
「紅のシャツ、緋のズボン、長めの上着は朱色……なんだか今日の衣装は妙に赤づくめだけど、何か意味でもあるの? ベル兄」
「詳しいことは私にも分かりませぬが、クレイ様が天使となられたと聞いた途端、アルバ様からこの衣装を用意しておくように、と仰せつかりまして」
大鏡の前に立つクレイの背後からベルトラムは答え、クレイにも衣装の細部が見れるように小さい鏡をあちこちに動かしながら答える。
「天使って白のイメージなんだけどな……それにベル兄にも秘密にしておくなんて、よっぽどのことだよね」
「アルバ様が現在お考えになっていることを、すべて私に話す決まりがあるわけではありませぬが」
「決まりが無ければ話さないような間柄にも見えないよ。領主様……と幾多の死線を共に乗り越えてきたんだよねベル兄も」
「さようです。クレイ様の義父であらせられるアルバ様と共に」
改めて確認するように、あるいは念を押すように、もしくは訂正を求めるかのようなベルトラムの発言によって。
二人の会話は少しだけ止まる。
「……なんで義母様は誰に対しても打ち解けないんだろう。領主様と話をしている時も、なんだかよそよそしいよね」
「不器用なのですよ、アレは」
そして先ほどの発言により、少し目線を逸らしてしまったクレイをベルトラムは優しい瞳で見つめ、答えた。
「私と同じ孤児院にいた時から感情を表に出すことが苦手で、トール家に仕えるようになってからは更にひどくなりました。そして友人でもあった王女アデライード様が、前回の天魔大戦であのようなことになって一人になってからは――」
ベルトラムはそこで言葉を区切り、首を振って軽く息を吐く。
「夫であるアルバ様や周囲の方々と、自分の身分の差に余計に引け目を感じるようになったようなのです」
「義母様だけじゃなくて皆だよ。義母様が皆に気を使ってるように、皆も義母様に気を使ってる……」
「そうでございますな。しかし歯がゆいことに、今すぐ手を打てる解決策があるわけでもございません。我々ができることは……」
「少しでも元気が出る話題を提供すること!」
ニカッと笑うクレイに釣られ、思わずベルトラムも笑顔を浮かべる。
「さて、それが分かっているクレイ様は今からどうなされるのですか?」
「う……」
そしてその笑顔を、やや皮肉の混じった物に変えて尋ねてきたベルトラムにクレイがたじろいだ時、元気が無さそうな声で質問がされる。
「ねー、ウチが飲むワインは……?」
「あ、ごめんごめん。えっと、今日からティナもこの領主の館で住むことになるから、最初に紹介しておかなければならない人たちがいるんだ。ワインを飲むのはその人たちに挨拶をしてからだよ」
何の悪気も無く答えるクレイ。
しかしそれを聞いたベルトラムの顔は、痛みをこらえるような渋い物に変わる。
「安請け合いしてもらっては困りますなクレイ様。ワインと言うのは高額な物で、おいそれと飲めるような物では無いのですぞ」
「え! そうなの!? 箱の中でティナを見つけた時、一緒にごろごろ入ってたからそんなに珍しい物じゃないのかと思っちゃった」
「嘘でしょ!? あんたウチを騙してここまで連れてきたってワケ!?」
怒り出すティナと、困ったように横にいるベルトラムを見つめるクレイ。
それを見たベルトラムは、やや目を細めてティナを見つめた。
「ふむ」
「な、なによ」
その途端、先ほどまで落ち着きなく空中をふわふわと漂っていたティナがクレイの影に隠れる。
「鋳掛屋か。ティターニアの眷族であれば良し。だが私が昔会った彼女は、眷族にこのような無礼を他国であろうと許すような妖精では無かった」
「ティターニアって誰? ウチそんな妖精知らない」
「ヘプルクロシアの名を持ちながら、ヘプルクロシアの妖精を統べるティターニアを知らない妖精……ティナと言いましたか。何者ですか貴女は」
クレイの影より必死に抗弁するティナ。
だがベルトラムの発する圧力に抗するにはまるで足りず。
「その証を立てるために今から陛下と領主様に会うんだよね? それとも今のうちに知っておく必要でもあるの?」
「確かにクレイ様の言う通り、ここで正体を判明させる必要はありませぬな」
しかしクレイがティナを庇うと、ベルトラムはあっさりと引いて主人の意に従った。
「それではクレイ様。陛下とアルバ様の下に参りましょうか」
「うん」
ドアを開けるベルトラムと、ティナを肩に乗せた姿で部屋から出ていくクレイ。
その姿を確認したベルトラムはドアを閉め、前を歩くクレイとティナがひそひそ話をしている姿をじっと見つめる。
そしてティナのクレイに対する無礼な言動や態度がやや影をひそめたのを見て、ベルトラムは満足げな微笑みをその顔に浮かべたのだった。