15年目の高揚 7
監督室のデスクに座るメリッサ従姉さんは、ことのほか優しく僕を迎え入れてくれた。物々しい雰囲気はなく、至って柔らかな態度のまま、彼女は僕に対面の椅子を勧めた。
「学校は楽しい?」
お互いに紅茶で口元を湿らせ、一息ついてからの一言だった。お茶請けの焼き菓子を齧ったところに声をかけられたので、少しどもってしまった。
「い、いきなり何?」
「言葉通りの意味。どう、いまアルくんは楽しいと思ってる?」
「楽しいっていうか……まあ、退屈はしてないかな」
「本当?」
「嘘ついたってしょうがないだろ……」
「誰かとケンカしたり、虐められたりってこともしてない?」
「してないよ」
「ダウト。バツとして、これは没収」
そう言って、メリッサ従姉さんは僕の小皿の小ぶりなスフレを一つ摘まみ上げ、口の中に放った。学園きっての才女とは思えない、奔放でいたずらっぽい仕草だった。
「私は何でもお見通しなの。監督生の中でいちばん偉いんだから」
どうやら、ついさっきのドミニクとのいざこざを指しての、従姉さんなりのお小言らしい。
僕の居心地悪そうな顔を眺めて満足したのか、従姉さんはさぞ可笑しそうにくすくす笑った。
「しょうがないよね、男の子だもの。それくらいは、私だって大目に見ます」
「それより……あのどうしようもない連中を何とかするのが道理ってものじゃないの」
「それを言われると耳が痛いものね」
メリッサ従姉さんもドミニクも、学園の出資者の血統に連なる生徒の一人。生徒の身でありながら学園内でも稀有な発言力を有する権力者ともいえる。それ故に、二人が衝突した際に生じる学園内における人事間の軋轢を思えば、一概に彼女に泣きついて何とかしろとも言えないのであった。無論、学内風紀粛清がいち生徒の思惑一つでどうにかなるわけでもない。
「万一、アルに何かあったら私が駆け付けるから」
「さっきは来てくれなかったのに」
「万に一つのうちの大事件じゃなかったから……じゃ、ダメかな?」
「別にいいよ、僕もアンナも怪我させられたわけじゃなかったし」
「ごめんなさい」
口元では笑みを浮かべながら、その目つきの憂いは隠しようがなさそうだった。
「ねえ、今日の呼び出し……もしかして、僕の魔技術についてだったり、する?」
「当たらずとも遠からず、ってところかなあ。もちろん心配はしてるけど、あのボンクラのドミニク相手にあそこまで立ち回れるなら、取り越し苦労で終わりそう」
メリッサ従姉さんとは、確か3歳ごろからの長い付き合いだ。彼女が六歳で故郷から離れ、このツェレファイスに入学するまでの間、ずいぶん過保護に面倒見てもらった覚えがある。
「今日は、その……話したいことがあって」
「遅刻のことなら反省してるよ」
「それはただのきっかけ。もちろん、ちゃんと毎日学校には来てほしいとは思ってる。アルくん、昨日は午後の授業さぼってたしね」
「ごめんなさい……」
調査に向けて必要そうな道具を見繕うのに待ちきれず教室からこっそりエスケープしたのは、すっかりバレているようだった。
やんわりとほほ笑んだ従姉さんは、やがてその表情をやや神妙そうなものへと変えた。彼女は膝に置いていたポシェットから何かを取り出し、それを僕の目の前に置いた。
スマートフォンだった。
タッチパネルが罅割れて、純白のボディもまた見る影もなく傷だらけになったスマホ。それは、僕がかつて紛失したはずのスマホと同じ機種のものに相違なかった。
「これを……どこで?」
「その前に一つだけ確認させて。アルくんは、これが何かわかるの? これが何に使う道具なのか、誰がこれを作ったのか、どこで作られたのか」
「メ、メリッサ従姉さんが答えてくれないと、僕も……僕も、その。こ、答えに詰まるというか」
これまで僕は、極力モルペリアや前の世界のことについては誰にも口外しないで生きてきたつもりだった。幼いガキにしか過ぎない僕の前世についての記憶なんて、どうせ誰が信じるわけでもないだろうし、万一そんな荒唐無稽な――――剣と魔法の世界でこう断じるのもおかしいのだけれど――――話を鵜呑みされて、根掘り葉掘り追及されることを避けたかったからだ。こんな世界で異端として定められた人間が辿る末路なんて、想像もしたくない。だからこそねぐらにしている廃病院の施錠は厳重にしてあるし、そもそも病院の敷地と建物を買収したりもした。
昨今のAtuberブームの立役者たちも同じことをしているだろうが、スマホを無くして且つ縁者にそれを見つかってしまうなどというミスをやらかしたのは、さすがに悔やんでも悔やみきれない。
従姉さんの両のまなざしが、返答に窮する僕の顔を射貫いている。
金属細工のような長い睫毛で飾られた瞳の色は深い緑――――翠色。
図らずもその色を見て、件の殺人者を連想してしまう。
ぞっと、背筋が震える。潤滑油のような気味の悪い手汗がどこからか湧き出す。
散らばる死体。
飛び散る血痕。
ルミナ・サバト。
空色のレインコート。
狂気が振るう真紅の凶器。
舌が乾いて、喉が詰まりそうなほどになった。僕はまるで何かを誤魔化すかのように、冷めかかった紅茶に手を付けた。
スマホが僕のものではないという可能性もある。その場合シラを切りとおせば従姉さんを納得させられるかもしれないが、紛失したのは実家の敷地だ。使っていた機種も同じだし、間違いなくこれは僕のスマホだろう。そうでなければ、故郷の周辺にたまたま僕と同じ境遇の転生者がいて、たまたま僕と同じ機種のスマホを使っていて、そしてたまたまそこで取り落としたりしていなければならない。
そんな奇跡に縋るほど僕はバカではないし、そこまでして従姉さんを騙して煙に巻くのは気が引ける。
「私たちの実家。お屋敷の水路で見つけたの。去年のクリスマスに帰省したとき」
従姉さんが重い口を割って話し始めた。
「こんなにつやつやで、それに……精巧な、機械と言っていいのかな。こんなものを見たのは初めてだった。まるで、違う世界に繋がる窓みたいに、この機械は色んな景色や文章を読ませてくれた」
こんな有様になっても壊れていなかったのか。女神のスマホの頑丈さは目を見張るものがあるらしい。
「……ロックが、かかってたはずなんだけど」
「シルヴェストリ叔父様の書斎のダイヤルキーの番号と同じ四桁だった」
こちらが折れたことを悟って、従姉さんはぱっと顔をほころばせた。
「やっぱりこれ、あなたのものだったの」
「だったら、どうする。教務課に話を上げる?」
「ううん。どうしてそんなことをする必要があるの」
「じゃ、じゃあ……なんで、わざわざ僕を呼び出して……こんなものを見せつけたりしたの」
「落とし物の持ち主に目途がついているのに、黙っているわけにはいかないでしょう」
「そ、その割には……従姉さんだって、黙ってたわけじゃないか。僕が入学してきてから、もう二ヶ月近くも経ってるんだぜ」
「それは……その……ね。なかなか私も言い出せなくて。ただでさえ、あなたの場合は属性に関して、再試験や再診断だとかでバタバタしてたし。それなのに、私なんかが悩みの種を増やしに行くわけにもいかないでしょ」
「悩みの……種?」
「自分で作ったにしろ、手に入れたにしろ……こんな凄いものを手に入れることができるあなたは、やっぱりただの魔術師なんかじゃない。劣等生なんかじゃ断じてない。現に、だからこそ、ここにいる多くの人たちは、あなたのことを受け入れられないでいる。そのことに、多少なりとも思うところがあるからこそ、あなたは私の問いかけに対して渋ってみせた。違う?」
少しだけ考えてから、僕は答えた。
「違わないよ。違うのは、従姉さんが僕を買いかぶりすぎだってだけだ」
自慢の弟分を誇らない姉貴なんているはずないわ、従姉さんはそう言って笑った。
「私、入学前に少しだけあなたに話をしたと思う。これからあなたはとっても辛い目に遭うかもしれない。後ろ指を指されたり、誰かにひどく謗られたり、時にはひどい大怪我をしたりするかも……って」
それは決してあなた自身が悪いわけでもなく、あなた以外の誰かに絶対的な責があるわけでもない。
だから、あなたの個性が誰かを傷つけたりするものでない限り、あなたは個性を誇りなさい。
確か、そんなような綺麗事だった。高潔な両親に育てられた従姉さんらしい品のある格言。どうにかして伝えていきたいものなのだが、残念ながらドミニクのような連中を目の当たりにした後では素直に受け入れることは難しい。
「あなたがこれを公にしたくないというのなら、私はあなたにこれを返そうと思う。この中に書き記されているもの全部忘れて、金輪際この機械に関する話はしません。少なくとも私は、あなたを謗ったり傷つけたりするつもりはない。それだけは本当」
「従姉さん……」
「あなたの持っている個性は……力はきっと凄いものなのだと思う。けれどこの機械や、もしくはあなたのもっと違う力を奮って、この世界の誰かを傷つけたりするつもりなら、私はこれを然るべき場所へと送らなければならない。あなたのことも。だから、約束して?」
「な……何を?」
「困ってる人を見捨てないこと。命を大切にすること。誰かを傷つけたりはしないこと」
なんだか小さい子に諭すような訓戒だ。女児アニメのお説教みたいで、僕は背中がむずがゆくなった。それでも、従姉さんの表情は真面目そのものだった。
「約束、できる?」
「約束するよ。従姉さんや、アザレアにだって誓える」
「よく言えました」
嬉し気に言って、従姉さんは無残なスマホを僕の方へと差し出してきた。
「ごめんね、変に試すような真似しちゃって。本当はね、ちょっと惜しくなっちゃったの」
「惜しくなった?」
「そ。だってこんな面白くて刺激的なもの、他にないじゃない。たっぷり堪能させてもらっちゃった」
どんなに大人びて見えても、好奇心が首をもたげてくるのを抑えきれないあたり年相応なのだろう。しかし、このまま個人端末を取り上げてさようならというのも気が引けてくる。スマホやPCなしでの数年間は、退屈で狂いそうだったことを思い出すと、なんだか罪悪感にも似た気持ちが湧いてくる。
さっきまでは自分の進退を案じるほどの苦境に立たされてはいたものの、ここまで自分を案じてくれる従姉さんを一方的に邪険にはしたくなかった。
「あ、あのさ。これ……違う世界の窓に繋がってるみたいって言ってたでしょ」
「うん」
「機械の用途としては、その違う世界を覗くためと思ってもらっていいんだ。本当に、ただそれだけ。暇潰しに他に何ができたわけでもない……」
「でも、こっちが指定したキーワードに応じたことを何でも答えてくれたわ」
「じゃあそれを信じて、例えば……ものすごく強い、一発でたくさんの人間を焼き殺せる爆弾の作り方を知って、実際にそれを作って……じゃあ、これが果たして今の僕らの世界で正常に炸裂させられると思う?」
「……できるの?」
「僕は、できっこないと思う。だって、別の世界だよ? もしかしたら誰かが既に用意しておいた空想の世界かもしれないじゃないか。今言ったものすごい爆弾だって、その機械が言うにはこの世界じゃ存在すらしていないような元素を使ってようやく出来上がるような、質の悪い妄想の産物なわけだろう。炸裂させることはおろか、たったの一個だって作れっこないよ。所詮は僕みたいなボンクラが片手間で覗けるようになっただけの、どこぞの誰かが書き散らした狂人のチラシの裏に過ぎないのさ。従姉さんは、僕らの使っている魔術が全く存在しない世界なんて想像できる? 従姉さんや僕らにとっては、今見えているこの世界だけが現実なんだよ」
なんだか自分の発言が矛盾している気がする。グレープコーラの件に関しては、従姉さんには話していないから、そこをつつかれることはないだろうけど。
「つまり……何が言いたいの?」
「だ、だから、その……これは、従姉さんが言うほど危ないものじゃないっていうか……のめり込みすぎさえしなけりゃあそこまでおかしなもんでもないっていうか」
ああ、まどろっこしい。もどかしい。また持病のどもりが顔を出しそうだ。
僕は言葉を紡ぐのをやめ、モルペリアからもらった新しいスマホを取り出した。個人情報を一括初期化すると、僕はそれを従姉さんへと差し出した。
「従姉さんが、もしそんな二次創作みたいな世界を好きになってくれたんならさ。これ、使ってみてくれないかな」
一瞬きょとんと眼をまん丸くしたメリッサ従姉さんだったが、状況を呑み込むと、いつもみたいに穏やかに笑いかけてくれた。
「それじゃあ、強欲ついでにもうひとつお願いしてもいい?」
「な、なに?」
「奉納演舞について、候補の伝手ないかなあって思って」
僕は愛想笑いを張り付けたまま、そそくさと監督室から退散した。