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夢幻郷リンカネーション  作者: 霞弥佳
第一章 充溢大樹
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夢はあなたを覗き込む 4

 僕の足は、男子寮から遠のいていた。


 自分の感情が、あそこまで揮発性と可燃性の高いものだと認めたくなかったからだ。エリオットへの尋問が私刑めいた結果に終わってしまったことを、僕は後悔していた。水面に浮かぶたった一滴の油の玉みたいに、僕は据わりの悪さを噛み締めていた。エリオットが脅威でないことがわかったのは喜ぶべきことに違いないのに、ただただ後味が悪かった。人間のていでいる小動物かなにかを悪戯に嬲ったあとの、拭い切れない自己嫌悪。俯瞰すれば僕の側には落ち度はないはずなのに、どうしてここまで気分が淀むのだろう。


 僕はとにかくエリオットの、そしてドミニク・バルヒェットのいる寮から離れたかった。エリオットにはある種のうしろめたさが、ドミニクに関しては言わずもがな、あの男にはこれ以上は極力出会いたくない。反社会的な不良学生が自分を大きく見せたいがために、必要以上に悪ぶってみせるその仕草を見ていられないからだ。彼が学内の情報に精通していることは確かだろうが、あの幼稚な精神性に上から高圧的にされるのは我慢ならない。苛立ちの種になるだけだ。あいつこそ、愛情ルミナにぶち殺されてしまえばよいのだ。従兄弟のよしみとは言え、一瞬でも奴に危機を知らせようと思ったのがバカバカしくなる。


 しかし、ドミニクの語ったジルケ・ヘラーについてをそのまま右から左に受け流すのも賢い行いとは言えないだろう。学内の生徒の間で飛び交う信頼性を欠いたゴシップの末路。実習棟の幽霊。エリオット・アイスラーが目にかけていた少女。幾度の致死的な自傷を経て、その命を絶つに至った精神異常者。


 こうして考えると、なんだか出来すぎている気がする。不自然な偶然とも言うべき奇怪さが、僕の周囲に霧のように重たく鎮座している。無防備な背中を押されて、決められた道筋を無理やり歩まされているのではないかという息苦しさを感じていた。


 珍妙なカルト宗教の一員めいた口ぶりのエルンスト・エックハルト、エックハルトと瓜二つの顔を持つエリオット。そのエリオットがコナをかけていたジルケ・ヘラーは発狂し、不可思議な死を遂げた。関連性を並べてみたところで、新たに浮かび上がってくるものは何もなかった。今の出来そうなことと言えば、あのドミニクの言う通りジルケ・ヘラーとエリオットの関係、そしてジルケの死が真実であるかどうかの裏付けを取ることぐらいに思えた。


 エリオットが転生者かもしれない、という仮説はどうやら誤りと考えていいだろう。さっきの彼の様子を見る限り、彼に僕の四象の槍を防ぎきるような芸当はできそうにない。勢い任せの失態にしては、怪我の功名といえるだろう。ジルケの奇妙な自殺にエリオットがどう関わっているかは調べてみないとわからないだろうが、裏から彼のケツモチを請け負っていたというドミニクの言い分からして、エリオットがジルケ殺しの下手人とはどうも思えなかった。かと言って、依然として彼が疑わしい人間であることに変わりはない。幼馴染だからなんだっていうんだ、長々と僕を騙くらかして悦に入っているのかもしれないんだ。殺人鬼とつるんでいる可能性はゼロじゃない、気を引き締めておいて損はすまい。


 気が付くと、僕は女子寮の建つ街道の並びを歩いていた。時刻は薄暮にさしかかり、周囲のアパートメントやサルーンからは香味野菜と各種スパイスの香りが漂い始める。土曜日の日暮れ、閑静な寮周辺の道には暇を持て余した学生の往来が増え始める。開けた街道と街道を縫うように張り巡らされた住宅街の区画には、格安で腹を満たすためのメニューが据えられた大衆食堂がそこここに軒を連ねている。基本的に、土曜日曜になるとおおよその店舗は店を閉める。書店だろうがブティックだろうが工芸店だろうが、先ほどアンナと出逢った街道沿いの雰囲気のように――――あのカフェだけは例外のようだが――――閑散とするのが平時のツェレファイスの姿だ。にも拘らず、周囲の店に目を向けると、これからが稼ぎ時だと言わんばかりに店主がメニューボードを店先に置き始めている。学校内の食堂が営業していない土日の午後営業こそが、かき入れ時なのだ。


 その往来の中で、僕は小柄なエリナ・ノーザンクロイツの姿を捉えた。すれ違い様にお互い視線が合って、僕たちは軽く会釈した。


「ごきげんよう、アルフレート」


 ぎりぎりまで、僕はそのまま知らん顔で通り過ぎるか否かを悩んでいた。先日のことをすっかり忘れられるほど、僕の記憶は不確かなものじゃない。僕は顔を引きつらせながら、彼女の様子を観察した。その身なりは校舎で見る制服の着こなしに比べてややルーズで、よれよれになったオーバーサイズのシャツにだぼついたカプリパンツ、足元は安っぽいサンダルといった感じだ。


「奇遇ね、腹ごしらえ?」


「ちょ、ちょっと散歩……かな」


「珍しい、アンタってこういう人込み……っていうか、そうなりつつある場所って好きじゃないのかと思ってたわ。騒がしい居酒屋か何かで相席になるのなんて絶対に御免被る、的な」


「そういう、エリナこそ……」


「アタシはちょこっと運動して汗流してきたとこ。アンタもジョギングくらいしたらどう? アンタ、今度の奉納の舞手なんでしょ」


「だ、だから二つ返事で了解したわけじゃないんだってば……」


「まだうじうじ悩んでんの? メリッサさんからの頼みなんでしょう、受けなさいよ。アタシも出るんだから。一体何をそこまでうだうだ考える必要があるんだか……」


「奉納演舞って……め、目立つじゃないか。目立つのが嫌なんだ。晴れ舞台に相応しい人間なんかいくらでもいるだろ。僕は誰に迷惑をかけるつもりもないし、かけられたくない。お互いウィンウィンの関係でいたいだけなのに、僕を引きずり出すような真似をみんなでするからどんどん面倒になっていくわけで」


 伝え聞いた話によれば、奉納演舞とやらは納魂祭のために毎年誂えられる儀場の祭壇で行われるものらしい。世界樹を仰ぐ学園敷地の中心で、大勢の有象無象に見守られながら無益な殴り合いをさせられるわけだ。いくら怪我はしないからって、そんなの見世物小屋の晒し者と変わらないじゃないか。そんなのを見て喜ぶのも、そんなのに出場して気持ち良くなるのも、僕とは何ら関りのない陽キャラだけのはずだ。僕抜きでだって十分成立するはずなのに、どうしてメリッサ従姉さんがそこまで僕に拘るのか理解できなかった。


「じゃあハッキリ断ったわけ?」


「そういうわけでも、ないけど……」


「煮え切らないわね。当日までもうすぐなんだから、あんまり彼女を困らせるんじゃないわよ」


 エリナの小言を聞きながら、僕は彼女の後頭部が視界に入るよう何気なく立ち位置を動かした。先日僕が駅で彼女を突き飛ばした際にできたはずの深い傷は、どこにも見受けられなかった。


「なに?」


「いや……あのさ、どこかで頭を怪我したりしなかったかと、思って」


「アタシが? どうして?」


 今日のニ十キロランでも転んだりなんかしなかったわ。エリナはきっぱりと言い切ってみせた。


「じゃ、じゃあ……昨日の夜は何してた? どこかに出歩いたりは?」


「何よ、急に……用もないのに寮の門限破って出歩くわけないでしょうが」


「僕と会ったりは?」


「会うわけないじゃない、昨日の夕方に軽くお茶してから、アンタと顔突き合わせたのは今が初めてだもの」


 やはりアンナやアザレアの一件と同じように、僕の体験した昨日の出来事の一部は、彼女にとって無かったことになっているらしい。理由は未だ不明のままだったけど、僕は安堵の溜息をつかずにいられなかった。


「何よぉ、寝惚けちゃって。夜中にアザレアと一緒に帰ってきてからこっち、ずーっと寝てたわけ? 夢なら枕もとで見なさいよ、情けない」


「夢……そ、そうだよ。夢だよな、アンナも……そう言ってた」


「アンナも?」


「さ、さっきアンナと話をしたんだよ、昨日……僕の見た夢……そう、夢についてさ」




 場所を手近なベンチに移して、僕はエリナに一連の出来事を打ち明けた。僕の隠し持っているPCや、アキヨシとエックハルトについてのことだけは伏せておいた。見た目にそぐわず豪胆な気質のエリナのことだから、こんな与太話なんか一笑に付すだけだと思い込んでいたが、存外彼女は茶化すことなく僕の話に耳を傾けていた。


「改めて話したら……す、すっきりしたよ」


「そう? それは良かった」


 普段のずけずけものを言う彼女らしからず、エリナは顎に親指の先端を添えて、何やら言葉を選んでいるらしかった。


「アンナにも言われたよ、神経過敏になりすぎなんじゃないかってさ」


 僕はさっきアンナに鷲掴まれた手首をエリナに見せつけた。


「夢なんかより、現にこうやって触れられる人間を信じないでどうするんだ、ってね。それにしても、すごい握力だったなあ」


「あの子、実家はいいとこの農家だもの。小さいころから家畜相手に格闘してるんだから、そこらの男なんかより腕っぷしは強いはずだわ」


「ははは、道理で……」


「それで、アンタ自身は納得がいったわけ? 二人が死んで、殺人鬼がツェレファイスに潜伏してるかも、なんて一連の出来事は単なる夢だってことに」


「ま……まあね。だって、そう考えるしかないわけだし」


「それにしちゃあ、顔色が良くないんじゃない? 元から色白だっていっても、限度はあるでしょ」


「貧血か何か……かな」


 エリナは大きく深呼吸して、薄紅色の唇から息を吐いた。


「今も、誰かに見られているなんてことは感じない?」


「え……?」


「例えばあの、串焼きの店の軒先。あの人混みの隙間から、アンタの言う殺人鬼が覗いていたりしない?」


 不穏な物言いに、ずきりと痛みを伴って心臓が跳ね上がる。視線の先の人混みに、例の金髪の少女の姿は、ない。視界を上下左右に動かして、周囲を見渡す。いない。愛情ルミナは、いない。立ち上がって往来を見渡す。殺人鬼の姿は、ない。


「ちょっと、落ち着きなさいよ」


 エリナに肩を押さえられ、僕は再びベンチに腰を下ろした。僕の様子を伺うエリナの表情は、穏やかなものではなかった。


「何が、たかが夢よ。普通じゃないわ、今のアンタ」


「普通じゃ……ない……?」


「顔中真っ青にして、一体アンタはいま、何を探してたの? 架空の人殺し相手にそんな反応する?」


 そう言われて、僕は背中一面を覆う悪寒に震えあがった。インナーのシャツがぐっしょりと冷や汗で濡れている。首筋も同様に、玉の汗が浮かび上がっていた。それを拭う掌もまたべとべとだった。


「架空……そう、架空だよ、いるはずないんだよ殺人鬼なんて。アンナもアザレアも生きてる、それが証拠だ! エリナだって、け、怪我なんかしてないだろ!?」


「でも現にアンタはそうして怯え切ってる。居もしない殺人鬼にね」


「こんなのただの疲れのせいだ、寝不足が続いてるからだよ」


 僕の主張は、エリナには空虚な強がりにしか聞こえなかったらしい。


「近いうちに、病院で診てもらった方がいいと思う」


 口ぶりや表情には一切の遊び心もなしに、エリナはそう言い放った。

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