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夢幻郷リンカネーション  作者: 霞弥佳
第一章 充溢大樹
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15年目の高揚 1

Dormons, dormons tous

眠れや眠れ、いざや蜜月の新枕


Ah que le repos est doux!

おお、いとしき夢のなんと心地よきことか!

「はいどうもー、ご無沙汰してます、エルフの国よりさわやかお届け! 愛情ルミナのナイトアワーへようこそ!」


 映像の中、大げさな身振りで金髪の美女が、甲高い扇情的な声色で視聴者へ語りかける。白人ながら、実に流暢な日本語。


「今日はぁ、前回放送の投票の通り、サクラメントオオクワガタの捕獲にやってきました!! クワガタなのにいろんな魔法が使えるってことで、ちょっと今回はマジで危ないかもなんですけどぉ」


 その背景は、闇の帳を纏った木々に覆われている。光源は、彼女付きのスタッフが持参したのであろう白のランタン。明度の高さが視聴者の目を焼くことも厭わないのは、配信従事者が作業に慣熟していないことを伺わせる。


 愛情ルミナと名乗った美女が口にするトークも非常につたない。滑舌は悪くないし、声の質も透き通っていて耳に障るタイプでもない。ただ、話にオチがない。話題の転換に脈絡がない。水着も同然の不埒な衣装で乳房の谷間を垣間見せ、とりあえずの男性視聴者数を稼いでいるだけにすぎない。その数実に一万人強、AV嬢のプロモーションの方がまだ魂胆に対して凝った内容を充ててくるだろう。


 女を売り物にしているのなら、どこまでもその肢体を倫理規定ギリギリのラインでなめまわして配信すればよいものを、サブパーソナリティらしき男の粘っこいだみ声が、愛情ルミナ嬢への没入を妨げてくるものだからたまらない。ディレクター兼任だろうお前のハマってるFPSなんか知るか、スケベなエルフがおバカに振る舞っている映像だけ流れていりゃあいいんだ。


 早い話が、どこまでも下世話で浅薄な素人仕事なのだった。


「実用性さえなけりゃ、こんな動画見なくて済むんだけど」


 僕はこのパーソナリティが大嫌いだ。


 愛情ルミナはそりゃあ可愛い。Atuber(エイチューバー)の中じゃトップクラスの容姿をしていると僕は踏んでいる。


 Atuber――――すなわち、オーグメンテッド・ユーチューバー。


 拡張世界のユーチューバー、つまりは異世界人の動画配信者ってことだ。


 パーソナリティがカクテルの蘊蓄を無知なルミナ相手にダラダラと語って尺を稼いでいる間、僕は動画枠の側にある関連動画の一覧に目を向けた。


 美少女CGモデルに声優の演技を乗せて、人格を持った一人のパーソナリティのように振る舞わせるヴァーチャル・ユーチューバーは、今でもネットユーザーの間で根強い人気を誇っているらしい。界隈にそこまで詳しいわけではないけれど、外面の取っつき易さに反してなかなかにトークが軽妙なものも少なくなく、バカにしたものでもない。


 再生数、実に数百数千万にものぼるそんな彼らの営業活動の軌跡に混じって、昨今勃興してきた新たなジャンルが、関連動画欄のそこここに並んで主張していた。愛情ルミナの動画もそのうちの一つだ。


 一目見ると、愛情ルミナはいかにも男性受けしそうなブロンドの美女だ。目鼻の彫りの深めな、ちょっぴり童顔の白人だ。まん丸な碧眼はまるで猫のようで、それでいて体つきは大柄すぎず、しかし出るところはしっかり出た官能的な容姿。その中で、特殊メイクと見間違うほど歪に、長く真横に延びた耳が、初見の視聴者の目を釘付けにする。


 いわゆるサブカル界隈におけるエルフ耳だ。


 よくできたジョーク動画として消費されるには、愛情ルミナをはじめとするAtuberたちは精巧すぎた。サブカルに多少なりとも精通した人々が想像する剣と魔法のファンタジー像そのままの世界を、演出のための小道具のみならず、出演者から舞台に至るまで緻密に用意した彼らに、ネットユーザーたちが食いついた。


 ある者は種も仕掛けもないように炎を発し、あるいは水を出し、それをまとめて凍らせたりした。


 ある者は外科手術の現場に押し入り、治癒の魔術とやらで痛々しげな複雑骨折の傷を完治させてみせた。 


 ある者は赤い鱗に覆われた巨大な竜の生態を追い、見事その姿を一般のお茶の間へと届けてみせた。


 こんなものはヤラセだと誰もが貶し、しかし種も仕掛けも暴けないまま、いたずらに彼らの配信する動画の再生数を伸ばし続け、やがて一部はここではない異世界とやらに娯楽性を見いだし始めた。


 だからこそニコニコ動画やDaylymotion、Xvideoにまで連中は転載して回ったのだろうし、未知の世界に馳せる感動の共有に躍起になっているのだろう。純粋に「異世界ファンタジー」を楽しみたい者から、種や仕掛けを暴いて、見知らぬ誰かが纏っている神秘をひっぺがしたいが為に、めぼしい法人の情報やネット掲示板を日がな一日洗うような下世話な暇人まで様々だ。


 無理もない、僕だってきっと彼らと同じ立場だったなら、クリスマスやハロウィンと同じ薄汚い資本主義の拝金精神に憤り、必死になってバックについている制作会社を割り出そうとしていただろう。


 だが、今の僕にそんな事をする必要はない。


 そんなの決まってるじゃないか。


 僕は種も仕掛けもわかってるんだ。


 何せ僕は、異世界側の人間なんだから。



 

 愛情ルミナの動画のシークバーが残り10分にさしかかる。


 相も変わらずパーソナリティのマウンティングじみた煩わしい自分語りが流れ、ルミナ嬢はその内容を理解しているかどうか怪しい、ふわふわした表情を浮かべている。


 これまでの動画なら、このあと適当に出没した野生動物を愛情ルミナが魔法とやらで撃退しておしまいだ。危険な魔法生物を相手取り、いかにも大自然をナメ腐っているような頭の緩いブロンドの巨乳女が、半ベソかきながら危機を脱する。この手の動画の常套手段である。


 しかしながら、この愛情ルミナほどもったいない逸材は他にいないだろう。これだけの容姿と魔法の才がありながら、彼女に対するユーザーの評価は、中堅よりやや格下という印象。動画の平均再生数や評価数がそれを如実に表していた。それらのほとんどは彼女の容姿、主に乳や尻目当ての即物的な下心を持った底辺男どもによるものといっていいだろう。


 僕もまた異世界における魔術師の端くれだ。その気になれば彼女をプロデュースして数字を稼ぐなんて容易いはずだ。今の時代、スマホひとつで配信業が成り立ってしまうわけで、やってやれないことはないのだ。それに、今の僕には魔術だってある。大半の動画でイキってる連中なんかより、僕の方がよっぽど高等なことができる。愛情ルミナは出会いに恵まれなかったんだ。僕みたいなストイックな人間に配信を持ちかけてさえいれば、こんな風俗嬢じみた営業をしないで済んだのに。


 動画のシークバーが残り2分の位置にまで迫る。


 へらへらと表情筋を弛緩させ、官能的に身体をわざとらしくくねらせていた愛情ルミナの顔に、明確な感情が浮かび上がったのは、動画内12分46秒時点のことだった。


 固定カメラが写したのは、赤黒い鮮血を正面から浴びせかけられた愛情ルミナの姿だった。その血の持ち主は、寸前に言葉を唐突に切ったパーソナリティの男性に違いなかった。


 彼女は絶叫した。


 端正な美貌が恐怖に歪み、猫の瞳のような双眼からぽろぽろ涙を流した。細かな血飛沫が吹き上がり、哀れなその男の首は胴から遠く離れた位置へとカボチャみたいに転がっていった。残された男の首から下が、画面奥へと倒れ込んだ。声から肥満体を想像していたが、思ったよりもずっと痩せ形の男だった。


 相当に親しい関係だったのだろう、愛情ルミナは男の死体に向かって、わざわざ敬称を付けて呼びかけていた。


 血痕と血だまりで彩られた惨状に、新たな登場人物が現れた。カメラに背を向けているので、顔まではわからない。よしんばちらりと横顔が映ったところで、その相貌は大きな医療用マスクで入念に隠されていた。水色のレインコートに身を包み、頭部をすっぽりとフードで覆っている。ただ、男を殺した凶器だけははっきりとわかる。それはナギナタか、それとも槍か。長い柄の先端にギロチンの刃先を取り付けたかのような形状の凶器、らしきものだった。


 殺人者の握るそれは、透き通る水晶のような材質で形作られていた。ぼんやりと、それ自体が淡く紅色に発光しているようだった。兵器にしては美しすぎ、芸術にしてはおぞましすぎる。花弁や波濤を思わせる装飾が刃だけでなく柄にも施されていて、それらは一様に赤黒く血塗られている。


 いつもの魔法はどうしたんだよ


 こいつなら失禁しても数字はとれるだろうけどよぉ


 別にこんなんで抜きてぇわけじゃねえぞ


 hotgooで検索だゾ


 グロなんか求めてねぇんだけど


 草


 弐 撃 決 殺


 そんなコメントが、シークバーの移動に合わせて流れていく。


 行為を咎める者、糾弾する者。更なる惨劇を求め、囃し立てる者。刑に処される罪人を囲い、罵声を浴びせていきり立つ大衆たちの心情は、今も昔も変わっていない。そんな彼らの意志を汲んでか、レインコートの処刑人は狂気を頭上に振りかぶり、迷いなく愛情ルミナへと振り下ろした。袈裟斬りにあった彼女は、死に絶える魚のようにぱくぱく口を開閉させて地に伏した。断末魔の呻きが弱弱しくなるに従い、喉笛の傷口から湧き上がる激しい出血もまた穏やかなものへと変わっていく。


 殺人鬼は二人の遺骸をぼんやりと見下ろし、豚の屠殺を終えたかのような平静すら感じさせる足取りで、カメラの視界からその姿を消した。サブパーソナリティの男が殺されてから、たった四十秒弱のうちの出来事だった。


 視聴者にとっては、徹頭徹尾これは娯楽にすぎないのだ。仮にこれが本当にやらせなんかではない、正真正銘の殺人シーンであったとしても、惨状を踏みにじるように乗っかる無責任なコメントの奔流がやむことはないだろう。


 非日常たる異世界ファンタジー、そこにまたがるように突如として現れたさらなる非日常。お間抜け女のおちゃらけバラエティを引き裂く、息をのむような残酷描写のサプライズ。水を得た魚のごとくに歓喜するのは当然のことといえる。


 無責任に惨劇を煽り立てる大衆の側にほど近い感性を有しているわけではない、そう聖人ぶって見栄を張れば嘘になる。認めよう、僕も思った。おもしろい、興味深い、もっと見せろ、どんな仕組みだ、どういうエンターテインメントなんだ、と。ただまあ、僕はこの手の炎上にガソリンを注いで暴徒みたいに騒ぐだけのイキリオタクたちに比べれば、まあ上等な部類の人間にあたると思っている。少しばかり、こいつらよりかは長生きしてるわけだしね。


 年長者として、最低限、人間として。僕は僕にできそうなことを少しばかり考えていみた。


 そうして僕は、この悪辣きわまる殺人者をとっつかまえてみようと思ったんだ。


 多分これは僕にならできると思うし、そんじょそこらの院卒魔術師なんかじゃ歯が立たない相手をノしてやりゃあ、少しは故・ルミナ嬢の溜飲も下るだろう。何より、暇つぶしにはもってこいだ。


 僕は15年前に死んだ。くだらん人生、産まれ出たことそのものが悔恨みたいに感じるような生き方だった。


 だからこそ、後悔のないように生きようと誓ったんだ。少なくとも、暇つぶし一つとっても、退屈しないような、そんな生き方を。


 ルミナ嬢の動画が終わり、続いての関連動画が再生された。


 動画名は、『ルミナ・サバトの現場で焼肉してみた』だ。言うまでもなく釣り動画だった。


 またルミナ嬢と似たり寄ったりの美女が官能的な衣装で現れ、しゃべり慣れていなさそうなディレクターとの漫談を始める。件の殺人動画は、「ルミナ・サバト」だとか「死んでみた」といった、内容を茶化すようなタグを付与され、各動画サイトへと瞬く間に拡散されていった。今さっきまで僕が閲覧していた動画は、ブックマーク登録するよりも早く規約抵触を理由に削除された。しかし、この瞬間にもどこぞのサイトにルミナ・サバトは転載され続けているのだろう。


 暇を持て余した有志によて、元動画のアップロードから一週間もしないうちに、ルミナ・サバトの現場は特定された。固定カメラが殺人鬼の飛び入りで揺れた瞬間に映し出されたとある建造物――――木々の合間を縫い、天にそびえる灯台だった。それに加えて植生と、またルミナ・サバト以前の動画から、愛情ルミナとスタッフが拠点にしているのであろう地域が割り出されたのだ。


「やってやれないことはない、イモ引いて後悔するよりマシだよね」


 ヴァラキア共和国シルヴァニア郡リミノクス。それがサバトの現場候補として有力だった。


 ネット、そして異世界を騒がす正体不明の殺人事件。


 少なくとも、今の僕にはこの不謹慎な好奇心をねじ伏せるだけの暇つぶしは思いつかなかった。この凶暴な功名心を満足させるだけの餌は、ほかになかったんだ。


 後悔を遺すような生き方をするつもりは、毛頭ないんだから。


 僕は転載されたルミナ・サバトの動画を開き、シークバーを動画の後半付近へと移動させた。血の海に静かに沈む二人。遺骸を無感動に見下ろすレインコートの狂人が、ウインドウの中で佇んでいる。


 フードとマスクの隙間から垣間見える、殺人鬼の爛々と輝く緑瞳。


 僕は、それをしっかりと目に焼き付けた。

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