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夢幻郷リンカネーション  作者: 霞弥佳
第一章 充溢大樹
13/26

駄女神さまはいまいずこ 1

 PCの時間表示は午前二時を示していた。


 ディスプレイには、三時間ほど前からアニメが垂れ流され続けている。どこかの誰かが録画して違法アップロードしたものだろうと思った。内容は頭に入ってこなかった。とりあえず美少女が日常を送ったり、外連味の利いたデザインの巨大ロボットが格好良く暴れてくれてさえすればそれでよかった。ほとんど似たような内容だったし、取り立てて頭を使わずに眺めていられる映像が欲しかっただけだし。


 僕は足元の箱からグレープコーラを取り出して、ぐびりと一気にあおった。炭酸が食道で勢いよく弾け、噎せた。味はしなかった。


 ディスプレイの灯りが、瓶のコーラをワインレッドに透かして光らせた。


 赤。赤。リボンの赤。アンナのリボン。血まみれの、リボン。


 赤。赤。アザレアの、髪。頭髪。


 赤。エリナの赤。広がる血だまり。


 レインコートの処刑人。そいつの振るう、赤い槍。


 鮮血を頭から被った、アンナ殺しの愛情ルミナ。


――――困ってる人を見捨てないこと


――――命を大切にすること


――――誰かを傷つけたりはしないこと


 何一つ、守れなかった。小さな子供に誓わせるような内容の約束を。


 アザレアを見捨てた。


 殺人の現場をふらふら冷やかしに行った。アンナの死をおもちゃにした。


 四象の槍なんていう魔術を振りかざしていい気になったし、おまけにエリナに怪我をさせた。


「僕のせいじゃ……ない……ふ、不可抗力だ、全部……」


 傍らに置いておいたゴミ箱に、僕はこみ上げてきた胃液を吐き出した。舌と歯列がねばねば糸を引いて気持ちが悪い。すぐに二口目のコーラを口に含んで飲み下した。


「僕は……僕は何も悪くない、僕は何もしてない。僕のせいじゃない、アンナも、アザレアも……!!」


 事実に縋って何が悪い、実際に手を下したのはあの愛情ルミナだ。僕は身を守るのに必死だった、他人を助ける余裕なんてなかったんだ。そうさ、十五歳の学生に一体何ができたって言うんだ? 何に赦しを請う必要がある、何に引け目を感じる必要がある? エリナだって、いきなりあんな風に威圧されたら、誰だって驚いて拒絶するに決まってるじゃないか。あれはエリナが撒いた種だし、あの怪我だって僕の正当防衛のはずだろう?


 そういえば、アンナと同じく無断で寮の門限を破っている扱いになっているのはアザレアも同じだろう。日が昇れば、きっと二人の死が白日に晒される。寝耳に水の勢いで、リミノクスの警察から学校に二人の訃報が届けられる。家畜みたいに解体されて、体の中身をあられもなく放り出した二人に、沢山の人間が殺到するんだ。無断外泊の女生徒が夜遊びに興じすぎた結果だとか、そんな醜聞に仕立て上げられる。


 あの殺人鬼のせいで。


 僕の、せいで。


「僕の、せいじゃない」


 ほんの少し、目立ちたいっていう欲を出すことの何がいけないんだ? 神様の逆鱗にでも触れたって言うのか? なんで、どうして僕は、ここまでビビり散らさなきゃならないんだ? 女神がついてて、稀有な魔力の才能にも恵まれたこの僕が。納得いかない、だいたい悪いのは人殺しだろ? 道理が通んないよ。


 そもそもどうして愛情ルミナがあんなことをする? 愛情ルミナは、実は死んでいなかった? あり得ない、ネットでは彼女が致命傷を負ってから絶命の瞬間までがつまびらかに晒されている。じゃあ、僕が今さっき目の当たりにしたあの愛情ルミナは何なんだ? 死体が蘇ったとでもいうのか?


「ここまで……追ってくるなんてこと、ないよな」


 廃病院のすべての窓や出入り口は、モルペリア製のダイヤルロックとセキュリティワイヤーで頑丈に施錠してあった。さすがに愛情ルミナが振るっていた銛やナイフ程度じゃびくともしないはずだ。ここ以上に厳重なセキュリティは、ツェレファイスじゅう探したってないだろう。


 廃病院の周囲はシャッター街もいいところで、このあたりには住宅も少ない。必然的に街道沿いの灯もこちらには届いてこないので、僕の私室を含めて辺りは真っ暗だ。PCのディスプレイだけが、この付近一帯における唯一の光源だった。そういえば、電気ってどこから通じてるんだろう。こうしてPCもスマホも使えるってことは、この世界のどこかには発電所があるんだろうけど。それを言ったらネットの回線はどうやって繋がってるんだ? 神様のやったことだから、その辺を僕が考えたってしょうがないのか?


 僕は帰宅してから四本目の瓶コーラの栓を抜いた。


 三十分アニメのエンディングが流れる中、僕はアキヨシに押し付けられた動画を思い出した。メッセージアプリを開いて、わざわざ圧縮もしないで直貼りしてきやがったクソ重たい動画をダウンロードしてやる。


 とにかく、何かしていないと不安だった。胃の下の方が、ざわざわして落ち着かなかった。



 アキヨシ:2023/6/09/19:25

 彡(゜)(゜)


 アキヨシ:2023/6/09/19:56

 幸島千彰って聞いたことある?


 アクセル:2023/6/10/02:00

 知らない。誰それ? 声優?


 アクセル:2023/6/10/02:00

 動画今から見るよ



 数日ぶりの返信の文面を打ち込んでいる最中、嫌でもアキヨシの書き込みに目が行って仕方なかった。


「幸島……千彰……」


 聞いたことある? だなんて惚けたことを言って、一体何のつもりなのだろう。


 幸島千彰は、僕の妹だ。生前の幸島直輝の身内。それ以上でも以下でもない。問題なのは、どうしてアクセルというアカウントに対してこんな書き込みをしたのかだ。


「僕が誰だか、わかってるのか? 特定されたのか、僕……?」


 仮にアキヨシが趣味の悪いヲチ野郎として、僕の前世の個人情報なんて握ってどうするつもりなのだろう? 現状僕に前世への未練なんかないわけだし、正直言って幸島千彰がどうなろうと、僕にはどうすることもできない。僕の実家にイタズラでもするのか? それこそただの変質者の奇行にしかなるまいし、掲示板でそれを報告したところで、一日分の祭りの燃料にもなりゃしないだろう。


 それにしても、特定されたにしたって一体どこから? 例え生前の僕の死体やスマホが手元にあったって、異世界人アクセルとどうやって結びつけるっていうんだ?


 とりあえずシラを切るような返信はしたけど、アキヨシの奴がマジでやばい変態だったのなら、即座にブロックしてやる心の準備はあった。


 特定といえば、不気味なのはあの愛情ルミナの発言だ。アンナと、そしてアザレア殺しの現行犯。


 確か僕のことを、おにいちゃんだとか呼んでいた。


 あの狂人の言葉をそのまま馬鹿正直に解釈するとなると、あいつは僕の妹か、大穴で弟ってことになる。だとすると、愛情ルミナは自分を幸島千彰だと思い込んでるやばい奴ってわけか? それとも僕と同じように幸島千彰は死んで、ヴァラキアに転生したその魂がそっくりそのまま愛情ルミナに潜り込んだってことか? どんな天文学的な確率なんだ。


 既に愛情ルミナ自体が一週間近く前に死んでいることをひとまず置いておき、なるほどその推測で話を進めるとなると、なら、どうして幸島千彰は初対面であろうアンナとアザレア、そして僕を狙って襲ったりしたんだ。動機はどうなる。身内にそんなイカレた殺人鬼予備軍がいた家庭では僕は育っちゃいない。尊敬されこそしなかっただろうが、殺されるような恨みを買っていた覚えはない。


 となれば、あの愛情ルミナについては単なるリミノクス在住のサイコパスとだけ認識しておくほかなさそうだ。イカレサイコってのは、よく殺したい相手を近しい身内に当てはめてから殺すって言うしね。この前見たアメリカの実録モノ番組で言ってた。


 結論としては、つまり愛情ルミナは僕とは無関係のクソ野郎ってことだ。僕は何も悪くない。悪くないんだ。


 しかし、アキヨシの書き込みと自称幸島千彰の関係性はどう説明すればいいんだ? アキヨシのヤツ、結局どういった意図で幸島千彰の名前を書き込んだんだ? そこが分からない限り、何も判断出来やしない。


「どいつも、こいつも……クソ……あんなのチートじゃないか……ズルだろ……僕の世界だったら一発で垢BANだろ……あれ一人いるだけでゲームが成り立たなくなるってのがわかんないのかよ……」


 最悪なのは、あの愛情ルミナがアキヨシのHNを使ってる転生者だったっていう可能性だ。シリアルキラーのうえ、モルペリアみたいなチート女神の加護まで受けているんじゃ太刀打ちできない。現に、僕のオリジナルの魔術じゃまるで歯が立たなかった。背後に女神がいるっていう仮定に基づけば、レインコート野郎にあの場で殺されたところで、なんらかのチート能力が彼女の助けになったことも考えられなくもない。


 ツェレファイスに戻ってきてすぐにでもモルペリアに会いたかったところなのに、案の定というか、彼女は姿を現わさない。聞きたいことが山ほどある、あの殺人鬼は何者だ、とか。僕の魔術が効かなかったのはなぜだ、とか。そうだ、これを聞けばいい。この近くに僕と同じような転生者はいるのか、だ。質問を考えれば考えるほど、煩わしい疑念が理不尽な人殺し女に募っていく。モルペリアもモルペリアだ、何の説明もなしに僕をこんなところに放り込むだなんて。説明が足りないよ。


「誰か何とかしてくれよ……モル……モルペリアぁ……」


 空になった瓶を僕は投げ捨てた。壁にぶち当たって割れた。モルペリアのやつ、僕がいない間ヒマなんだろうから、部屋の掃除でもしておいてくれたらいいのに。


 不意にあくびが漏れた。なんだか眠い。今日はいろいろあったから、ストレスが溜まっているんだろう。やること済ませたら、一度寮に戻って眠ろう。それがいい。疲れた。何もしたくない。


 新しい瓶コーラの栓を抜き、僕はディレクトリに収納された動画アイコンをダブルクリックした。視聴ソフトが動画を再生し始めると、フレーム中央にずらずら英文が並び始めた。英語圏の動画だったら、なおさら自動翻訳機能があるサイトに転載してくれと思ったけど、語り手の話す言語にはしっかりと日本語訳の字幕が表示されたので一安心だった。その内容が、長時間耳を傾けていられる内容かどうかは別問題だったわけだけど。




 結論から言うと、動画は見るに耐えないひどいものだった。

 

 始まりと同時に世界各国の密林や氷河、そこに住まう希少な野生動物が次々にダイジェストされ、今度は海中の様子がだらだら垂れ流された。サンゴ礁だとかクラゲだとか、巨大な魚群を形成するイワシだとか、シャチだとかイルカだとか。最後には欠陥を流れる赤血球や脈打つ心臓、人間の胎児の胚が大写しになって暗転。仰々しく黒のバックに並んだ文字は、


〈Beautifull would ~輪廻に連なる叡智のバトン~〉であった。


「くっだらな……」


 そのあと流れ出す宇宙だか星空だかに載せてナレーションが始まるけど、この英語音声に被せるための吹替の演技もひどいもので、明らかに専門職でない素人が無理やり起用させられているといった印象だ。


「人類が地球という惑星の霊長として君臨するために、どれほどの技術、どれほどの技能が研ぎ澄まされ、発展していったのでしょうか。凍えるような寒波には衣服を、大嵐にはそれに耐えうる頑強な住居を。生命の限界が許す限り、あらゆる手段と能力を用いて、先人たちは人類なる種の能力の発展と拡張に殉じてきました。外敵に対応し、今ある手段を進歩させ、そうして人間は暗闇が根差す暗黒の荒野に、果敢にも立ち向かっていったのです」


 前置きの時点で三度ほどあくびが出てしまった。それほどにつまらない。そこらのyoutuberの動画を適当につまんで再生していた方がまだマシだ。ウインドウを最小化して、僕はアキヨシに向けた文面を打ち込んだ。メッセージアプリで覆われていても、ダラダラと生命進化の神秘について語り続ける気の抜けた吹替が煩わしくって仕方なかった。



 アクセル:2023/6/10/02:12

 宗教か何か?


 アクセル:2023/6/10/02:12

 のっけから超つまんないんだけど。


 アキヨシ:2023/6/10/02:13 新着

 別に最後まで観る必要ないよ


 アキヨシ:2023/6/10/02:13 新着

 飛ばし飛ばしで、そのロン毛野郎が言ってること聞いてみりゃわかる



「ロン毛野郎……?」


 おかしな紀行番組めいた風景映像を乗り越えた先に、まだ何かあるっていうのか? たった三分程度眺めただけで退屈でしょうがないというのに。僕はしぶしぶシークバーを動画の尺の四分の一あたりに移動させた。


「死後の復活を宣言し、その予言の通りに蘇生してみせたイエス・キリストについてはみなさんご存知でしょう。知っての通り、選ばれし資格を有する魂を持った偉人が、幽世から現世への可逆的な死と新生を果たした例というのは、全世界でも枚挙に暇がありません。生死の超越というのは、古今東西の神秘の極北と言って過言ではないでしょう。だからこそ始皇帝は水銀を口に含み、あるいはサンジェルマン、あるいはカリオストロ伯爵と呼ばれたジュゼッペ・バルサモは、不死の霊薬の生成に没頭しました。現代科学の礎を築き上げた錬金術なる学問は、石くれから永劫の輝きを約束する黄金を錬成するための技術開発競争であり、また敬虔な神の僕に与えられた試練でもありました。カトリックの信徒であった流浪の医師、パラケルススの存在がその証左と言えましょう。彼が創造したとされる賢者の石には、様々な逸話があります。曰く、石と無機物を用いて生きた人間を作り上げた。曰く、黄金錬成の触媒として実際に金塊を作り上げて見せた。曰く、石は物質と液体の隔てがない中間の存在であった……などなど。現代を生きる我々には疑似科学として断じられるような学問に思えますが、当時には最先端の先進技術研究として、王族や資本家の主だった投資対象として扱われるほどの注目を集めていたのです」


 相も変わらず、わざわざ耳を貸すのもバカバカしくなるようなインチキホラ話が炸裂している。映像には洗脳に引っかかりそうな程度のバカに向けたんだろう、シンプルな挿絵を交えて不老不死の霊薬だとか、賢者の石だとかの生成方法が解説されている。やたらとかわいくデフォルメされた錬金術師のオッサンたちが大きな鍋を掻き混ぜているアニメが挿入されて、僕は再びアキヨシに文句を垂れようと思った。


「後年の人間によって付け足された背びれや尾びれも多々含まれましょうが、有史以来、人類が多岐にわたって不老不死を求め続けました」


 チャチなアニメが終わって、ようやくアキヨシの言う長髪の男が映像に姿を表した。チェックのネルシャツにブラウンのスラックスという、きわめてラフな服装の白人男性だ。肩まで垂らしたしなやかな頭髪は金色で、瞳の色は碧。ハリウッド映画の準主役程度には顔が整っているように思えた。今までのホラ話は、この男が動画の最初から喋り通しだったらしい。


「人間の生命の限界を克服しようと足掻いた軌跡が確かに存在していたということが、お判りいただけたと思います」


「こいつって……」


 動画が始まってから、初めて目線がくぎ付けになった。息を、呑んだ。


 僕は、この男を知っている。



 アキヨシ:2023/6/10/02:18 新着

 動画のどっかで名乗ってない?


 アキヨシ:2023/6/10/02:18 新着

 エルンスト・エックハルトとかいう外国人



 違う、そんな名前じゃない。聞いたことのない名前だ。この男の顔に、確かに僕は見覚えがあった。今日、いや、つい昨日のうちにだって、僕はこの顔を目にしていたはずだ。


「エリオット……?」


 エリオット・アイスラー。


 このエルンスト・エックハルトとかいう男の方が年嵩は上だろうが、彼の顔つきは幼馴染のエリオットに瓜二つといってよかった。双子や兄弟だって、ここまでそっくりな例はないだろう。他人の空似とも思えない。左目元の泣き黒子までもが同じなのだから。

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