7.小さなあの子は行ってしまった
買ってきた弁当をもそもそと食べ、三人を追い出し、リビングを片付けたベルティアは熱いお茶をすすって肩の力を抜いた。
「あの人達、本当に容赦無い」
食べまくり、飲みまくり、要求しまくり、そして放ったらかしだ。
ルドワゥとビルヌュは二人でベルティア三人分くらい飲み、マリーナは一人でベルティア三人分くらい食べた。
四十三桁のベルティアからすれば些細なレベル消費だが、自分以上の食費がかかると何とも切なくなるのである。
先輩、いえ他の神ならとっくに一発ぶちかまして一桁台のウィルス格まで落としているでしょう……
ベルティアは拳を握り、そして拳を開いてため息をついた。
元々はベルティアの不手際である。
自分の尻拭いをしてもらっている事をベルティアはよく理解している。それを無視して一発ぶちかますほどベルティアは恩知らずでも自分中心でもない。
絶対的な力の差を持つ神とて信用第一だ。結局地道な世界運営こそが世界を富ませ、神の格を上げるのだ。
何よりベルティアの世界はエルフと竜の評判がすこぶる悪い。
彼らには気持ちよくニートして頂いて、至れり尽くせりの生贄げふんげふん転生環境だとアピールしてもらわなければならない。
これで転生者を足蹴にしたなんて話が広がっては目も当てられない。転生者の獲得が出来無くなるどころか世界侵攻の理由にもなりかねないのだ。
あの時のように……
ベルティアは飲んでいた茶をテーブルに置いて立ち、仕事部屋へと移動した。
ハローワールドでの転生者獲得に重点を置きはしたが、世界の運営を疎かにしていたわけではない。
今も多重化したベルティアの一部が世界を動かしている。
世界の運営というのは淡々としたルーチンワークだ。
最初に法則を定め、その法則を元に世界が形作る。
基本は見ているだけ。
時に干渉して形を整え、崩れそうになった世界を安定させる。
やがて安定した世界は縮み、縮んだ分だけ世界を増やす事ができるようになる。
それが世界の成長であり、神の格が上がるという事だ。
格上の神ほど広大な世界を管理でき、五十桁を超えたあたりで複数の世界を管理できるようになる。
代わりに細かい部分に手を出せなくなっていくが安定した世界で細かい事を変える神はいない。
全ての事象はより細かい事の積み重ねであり、それを変えると全てが崩れ世界が崩壊する。
上手く回っているのなら変える必要は無いのだ。
ベルティアは仕事部屋のドアを開け、中へと入った。
まず多重化したベルティア自身と合一する。
部屋の中を目まぐるしく動き回っていた多重化されたベルティアがただ一人のベルティアになり、部屋の中が静かになった。
殺風景な部屋である。
中央に大きなテーブル、それを囲むように様々な器機が設置され、部屋の端にそれらの制御端末が陣取っている。
中央の机の上には一メートル立方程度のガラスの箱……
『世界』が置かれている。
そう、これがベルティアの世界だ。
この中にいくつかの銀河が廻り、恒星が輝き、星がめぐり、招いた無数の生命が世界を耕している。
世界は神の身の丈よりも小さく、ベルティアが手で触れればいとも容易く壊れてしまう繊細で脆弱なものだ。
中堅世界主神であるベルティアの格では世界はそれほど広くない。
ベルティアがよく世話になっている六十三桁の格を持つ先輩は何億もの銀河を持つ世界を何万も管理している。
まだベルティアの世界は発展途上なのだ。
三億年前は銀河がもうひとつあったのですが……今は見る影もありませんね。
ベルティアは昔を思い出し、『世界』の横に置いたそれを撫でた。
何の変哲もない、ただの植木鉢だ。
さくり。
植木鉢に刺さった小さなスコップを手にとり、中の土を耕す。
イグドラがベルティアと過ごすようになってからのベルティアの日課だ。
イグドラが最高じゃとご満悦だったイグドラの寝床は今でもベルティアが耕している。
いつでも彼女が寝られるように。
『余が世界を守るのじゃ!』
三億年前のあの日、イグドラは世界へと飛び込んだ。
自らの神の格を力に変え、幾億もの異界の侵略を潰し、自らの巨体で世界の穴を封じ貫いた。
神になりたての者だからこそ出来る世界への顕現。
イグドラはそれを行ったのだ。
三十三桁の格を持つ神の力は圧倒的だ。
世界に存在出来ないはずの力が世界にあふれ、瞬く間に異界の侵略を一掃して逆に他の神が管理する世界である異界へと派手に侵略した。
最強無敵のチート。
その代償としてイグドラは神の世界に戻れなくなった。
チート被害者のように格を失い、神から転生者に格落ちしたのだ。
ベルティアはイグドラが飛び込んだ世界を安定させるだけで手一杯で、堕ちていくイグドラをただ見ている事しかできなかった。
神から転生者に存在が変わったイグドラをすくい上げる事は出来ない。
イグドラほどの格を持つ者を神の座に戻すには相応の力が必要であり、それだけの力を行使すれば世界は瞬く間に乱れてしまう。
その余波で星が砕け、銀河が弾けるだろう。
しかしベルティアとて三億年もの間何もしなかった訳では無い。
世界に影響を与えないように少しずつ力を送り、格の低い神を人類格に憑依させ言葉と力を託し、世界樹となったイグドラと奉仕と祝福の関係を結んだエルフをより強い種族へと変えた。
イグドラが神の格を取り戻し、ベルティアの元へと戻れるように。
しかし、それらは全て無駄に終わった。
イグドラがその力を別の事に使い始めたからだ。
力を注ぎ始めておよそ三億年、世界樹の枝に幾多の実がたわわに育った姿を見てベルティアは自らの失敗にようやく気付く事になる。
繁殖欲。
すなわち性欲だ。
神の世界でのイグドラの繁殖間隔はおよそ百億年。
そしてイグドラが顕現の際に得た肉体である世界樹の繁殖間隔はおよそ一億年。
その差、百倍。
これだけ違えば寝ても覚めても子作りの事を考えているのと変わらない。
肉体の欲求に縛られたイグドラはハッスル半端無い。
実の為に身を削り、実の為に世界を食い、実の為にエルフから力を吸い上げた。
エルフとて馬鹿ではない。
神の座に還る行為と言いながら実を生したイグドラに疑念を覚え、実の一つが大地を食い尽くして異界の侵略を招いた事で実が世界を破滅させると判断してイグドラの実を全て食い尽くした。
ビルヌュとルドワゥら竜達が頭が上がらないと評したエルフの決断だ。
そしてエルフはイグドラに恨まれ、呪われ滅びの道を歩んでいる。
イグドラは数を減らしたエルフの穴埋めに人間を使い、自らの枝を授けて竜を狩らせている。
全ては肉体の枷が招いた悲劇。
ベルティアは肉の呪いを甘く見たのだ。
「本当にもう、何やってるのよイグドラ……」
器機を操作し映し出したイグドラの姿にベルティアは呟く。
イグドラは生き生きとして美しく、大地に根差して揺るがない。
元気なのはとても嬉しい。
しかし再びたわわに育った実を見ると暗澹たる気持ちにさせられるのだ。
あれが地に落ち芽吹いた時、世界は異界に沈む。
世界樹という種は明らかな失敗作だ。
あれは世界の境界を無くすほどに喰らい異界の侵略を招く災厄の種。
いかに力があろうとも世界を壊すような種は存在すべきではない。
しかしベルティアが何かすればイグドラはベルティアを憎み、世界を破滅させるだろう。
それが肉の呪いというものだ。
世界にとって大きすぎるベルティアは声も姿もイグドラには届けられない。
ただ見ている事しか出来ないふがいなさ。
ベルティアは植木鉢を耕しながら自らの格に忌々しさを感じずにはいられないのだった。
そろそろハロワ話に戻らんと。