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35.おかえり、イグドラ

『第千三十五日目、最終日最終戦もいよいよ大詰めです!』


 ここは転生者転生斡旋所、ハローワールド特設会場。

 響くアナウンスに皆が食い入るようにスクリーンを見つめていた。


 大画面に映るのは絶対防御と絶対攻撃。

 結局シンプルな力が最も使い勝手が良いのだろう。画面では馴染みとなった二人が対峙していた。


「あいつら相変わらず強いなぁ」


 観戦していた転生者が呟く。

 特殊系の能力は複雑なチート動作にレベルを食われて発動が遅く、不意でも突かない限り発動前に潰される。


 二人が強いのはその単純さゆえである。

 一時期特殊系チートの術中にハマり敗れる事もあったが発動速度を極限まで高めた結果、不意を突かれる事自体が無くなっていた。


「俺も一度直接対決したけど瞬殺されたわ」


 周囲の転生者も同じように感じていたのだろう、その呟きに反応する。


「お前もか。俺も対峙した直後に退場だよ。あの二人の発動速度は異常だわ」

「大手チームのチートは半端無いよな」

「開発者が何千人もいるって聞いたぞ。そいつらがチートの手順ひとつに激論してるんだから対抗できる訳無いわな」

「まったくだ」


 攻撃と防御。

 まったく違うように見えてその本質は同じ。単純な力だ。

 攻撃側はそれを当てるように、防御はそれを止めるように使う。


 単純ゆえに高速度高効率高パワー。

 同じ格であれば特殊系チートなど効果を発揮する前に潰される。

 結局レベル格差でごり押すのが一番なのだ。


 スクリーンに映る戦いは防御が攻撃を止め、殴りかかる防御を攻撃が切り裂き砕く。


 もはや攻撃も防御も無く、単純な力の応酬である。

 互いが身体に力を宿らせ相手を殴り、蹴り、絞め、極める。

 チートで沸いた興行の最終戦はもはやチートでも何でもない、全身全霊をかけた格闘勝負に変わっていた。


「思い返せばこの三年間、あいつらの標的みたいなもんだったな」

「やられ役だったなホント」

「まあ後でロイヤリティ販売されると発表されてるし、やられ損という訳でもないだろう」

「そもそも俺ら、損なんてしてないだろ?」

「そりゃ大儲けさ」


 二人はニヤリと笑い、主催者席に座る三人の一人を見る。


「損してるのは世界を提供したあの神様だけだろうなぁ」

「これだけ儲けといて出資者が丸損とか、さすが理不尽姫えげつねえわ」


 マキナはにこやか。エリザもにこやか。

 しかしベルティアは何とも微妙な笑みである。


 開始前は四十桁と計算されていたレベル出費は興行が派手になると共に膨らみ、今は四十一桁に届いている。

 イグドラに食われるだけで終わらなかった世界主神の悲劇である。

 チート爆発の世界に修繕費がかさんだのだ。


 結局損したのはベルティアと賭けで負けた者だけだ。

 マキナは口だけの監査役と転生者のレベルかっぱぎで儲け、エリザは下請け構造と賭博の胴元と物販で儲け、転生者はチート開発とレベル保証転生で儲け、神々は侵攻報酬と転生者の勝利により儲けた。


 なお優秀なチートは開発チームを擁する神の所有物となり、今後は使用者からロイヤリティを徴収する事になっている。


 明らかに効率的で強力になったそれらを使わずにチート転生すれば使った転生者に必ず後れを取ることになる。

 今後チートを使う転生者は必ず使う事になるだろう。


 強いチームを擁していた神々は今から笑いが止まらない。

 なにせ自分の世界をチートで荒らさずとも儲けを得る事が出来るのだ。

 世界の整備が相手の神任せという一点だけでもウハウハであった。


『決着! 殴り勝ちで絶対防御者の勝利です!』


 もはやチートでも何でもない勝利に会場が沸く。

 そんな大音響の中、ベルティアはぶつぶつ呟く。


 プライスレスだから。これはプライスレスだから!


 ベルティアは呪文のように唱えて荒んだ心を慰める。

 損失半端無いベルティアの唯一の寄る辺であった。


『今イベントはこれにて終了となります。長らくのご協力、そしてご愛顧ありがとうございました……』


 てん、てーんてんてん、てんてーんててん……


 閉会式が終わっても転生者と神々の熱気がいまだ残る会場に、アナウンスと郷愁あふれるメロディーが流れ始めた。


「なあ、このイベントこれからも続けないか?」

「主催者と世界はどうすんだ?」

「示し合わせて集中顕現でいいだろ。三億年前にもやった事だしな」

「こんなイベントここで終わらせるのもったいない」


 転生者も神々も継続にノリノリだが、そんな事は主催者もお見通しだ。


『これ以降の主催者世界への集中侵攻は世界で迎撃しますのでご注意ください』

「やっべ……」

「やめやめ。解散、解散ーっ!」


 世界を投げられてはたまらない。

 神々は早々に撤退を決め、神々が諦めた事で転生者も皆散っていく。


 転生者だけで異界に侵攻するのは難しく、他の世界の転生者と同じ世界に顕現する事は不可能。

 その気があってもどうしようもないのだ。


 ある者はにこやかに、ある者は渋面で会場を去っていく。

 神々と転生者たちが去り、去り、さらに去り……やがて主催者達が残された。


「夢の跡ですわね」


 賭け札が舞い散るがらんとした特設会場にマキナが呟く。

 特設会場を借りて三年。

 忙しくも大盛況な日々であった。


 そしてベルティアらにとって本番はこれからだ。

 三十三桁の格を得たイグドラはやがて世界から弾き出されるだろう。

 元々無理矢理体をねじ込んでいたのだ。すぐに戻るに違いない。

 三人は多重化の主格をベルティアの仕事部屋に移して準備を始めた。


「どのよう出てくるのかマキナ先輩はご存知ですか?」

「あぁ……世界にぷかぷか浮かぶそうですよ?」

「えーっ……」

「という訳で、こんなものを用意しました」


 ほれ。

 と、マキナが取り出したのは釣竿である。

 一メートルほどの釣竿の先におもりのついた糸が垂れ下がっている。


「糸は極細のものを用意しましたが静かな心で釣り糸を垂れないと糸で世界が乱れます。手を突っ込むよりはマシでしょうが気をつけてください」


 ベルティアとエリザはそれを受け取り呆れ顔だ。


「うわぁ」

「すごいローテクですね」

「さぁのんびりしている時間はありませんよ。イグドラちゃんが世界から離脱を始めました」


 マキナが指し示す画面にはイグドラが縮んでいく姿が映されている。

 イグドラはもうすぐ世界の壁を越えてこの世界に帰還するのだ。

 三人は急いで世界を囲うガラス箱の蓋を外し、その中に釣り糸を垂らした。

 ゆっくりと慎重に世界の中へと垂らしていく様は釣堀で当たりを待つ釣り人だ。


「いいですか? 出現にもっとも近い者が対応するのです」

「は、はい」

「エリザ、本当の魚釣りではありませんから動かして誘う必要はありませんよ? あぁ、今ので星の軌道が変わりましたね」

「あうっ! すみません申し訳ありませんベルティア先輩!」

「動かないでーっ!」


 エリザがペコペコ頭を下げる度に糸が揺れて世界がかき回されていく。

 その様にベルティアが叫び、修繕にレベルがゴリゴリ減っていく。


 転生者の世界からすれば神の世界は巨大過ぎて密度はスッカスカだ。

 星々がぶち当たって砕ける事はまず無いが影響はもろに受ける。

 いくら静かに糸を垂らしても世界は有り様を変えていくのだ。


 修繕代はエリザの賠償に追加しておきましょう。


 ベルティアはそう決めて、画面を睨みその時を待つ。

 画面の中でイグドラは縮み、自らの密度を上げていく。


 神の世界にいた頃のサイズに縮んだ頃に世界の壁を越えるのだろう。

 イグドラは去りつつある世界と激しく反応し、輝きながら縮んでいく。

 ゲリ達が見上げるその先で、やがてイグドラは神の世界の頃のサイズに達した。


『後は汝らが守り、考え、高めていくがよい!』


 イグドラが叫ぶ。

 その直後、画面が真っ白になった。


「来ますよ!」


 マキナの声に皆が世界に意識を向ける。

 三人が睨む世界の一角がチラと輝き、銀河よりも大きな小人が現れた。

 世界からはじき出されたのは緑の髪、緑の肌、緑の瞳を持つ小さな姿。


「イグドラ!」


 ベルティアが叫ぶ。


「も、もが? もがもがっ! お、溺れるのじゃ。上がれないのじゃーっ!」


 戻ったイグドラは、世界に溺れていた。

 息苦しいのか早く上がりたいのかイグドラが泳ぐように手足をバタバタ振り回す。


「ああっ! イグドラ世界が歪むから大人しくしてーっ!」


 修繕費が、レベルがーっ!


 エリザどころではない有様にベルティアが叫び、慌てて糸を寄せていく。

 三億年振りの再会なのに感動もなにもあったものではない。

 糸とおもりで世界をかき回しながらベルティアはイグドラに糸を絡め、イグドラはもがきながら糸にしがみついた。


「ベルティア、修繕しながらぶっこ抜きなさい!」

「はいっ!」


 このまま暴れられてはたまらない。

 マキナの叫びに世界を修繕しながら思い切りイグドラを釣り上げた。


「おおっ……助かったのじゃ!」


 釣り糸に絡まったイグドラが空を舞い、息が出来ると歓声を上げる。

 ベルティアは釣り竿をマキナに投げ渡すと激しく揺れる世界の修繕を開始する。


 暴れる世界にベルティアの四十一桁目のレベルがひとつ、またひとつと数値を下げていく。


 空間の歪みを正し、銀河のめぐりを正し、星のめぐりを正し、ガスの流れを正し……世界を耕す転生者がこれまでと変わらず生きていける様を取り戻す頃には四十二桁目の数値がひとつ減っていた


「イグドラちゃーん!」

「ぬおっ! いきなりマキナか、マキナなのか!」


 釣り上げ落ちてきたイグドラをマキナがしっかり抱き締める。

 頬ずりするマキナにイグドラは何ともいえない表情で応じ、ベルティアに視線で助けを求める。


「イグドラ様、お帰りなさいませ」

「次はいじめっ子か、いじめっ子なのか!」

「エリザ・アン・ブリューでございます。今はベルティア先輩の弟子をさせて頂いております」

「お、おう?」


 次はいきなり土下座のエリザに困惑のイグドラである。

 世界に堕した時は高飛車ないじめっ子が戻ってみれば見事な土下座。

 イグドラの困惑半端無かった。


「よくわからぬが、余がおらぬ間に様変わりしたのぅ」

「そんなに変わっていませんよ」


 私のレベル以外は。


 ようやく世界の修繕を終えたベルティアが世界の蓋をはめ直し、マキナに抱かれるイグドラをじっと見る。

 イグドラは何とも恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いに呟いた。


「た、ただいまなのじゃ」

「おかえり、イグドラ」


 ……これ、絶対太陽を爆発させて潰した方がレベル減らなかったですよね。


 プライスレスは半端無かった。

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