32.イグドラちゃーん、私の想いを受け取ってー!
『ダンジョンだ』
イグドラのダンジョンの奥、主の間。
天から睨むイグドラの瞳にゲリが叫ぶ。
どのように余を天に還すかというイグドラの問いに対するゲリの答えは、昨日ベルティアがゲリの心の中で見たものと同じものだった。
まあ、そういう結論になるでしょうね……
画面を見ながらベルティアは思う。
世界を守った事で失ったイグドラのレベルは三十一桁の域に達する。
それをベルティアの世界で得るのは難しい。
薄く広く得るなら銀河の端まで枝葉を広げねばならず、根差すアトランチス大陸から収奪するなら異界への巨大な穴が開き、星を飲み込み潰すだろう。
ゲリは食わせるアテが無いという理由で異界を選択していたが、世界を食わせてもどのみち異界が顕現する。
それならば、自ら異界を顕現させた方がマシというものだ。
ゲリが目指すのは制御された異界の顕現。
イグドラの糧として与えるため。
そしてイグドラの子を躾け、育てるための技術の確立を目的としたものだ。
どうせ異界が顕現するなら絶対に勝てる異界を顕現させ、それを食わせる。
偏った種である世界樹の子に執着するイグドラへのゲリの答えがこれである。
ゲリは意思を持つ樹木である世界樹をエルフに教育させるつもりなのだ。
かつて何千ものエルフが命を失った、世界樹の子による異界の顕現を二度と繰り返さないために。
「すみません。パワー偏重種のために本当にすみません」
ゲリの決断に画面に深く頭を下げるベルティアだ。
かつて世界が大侵攻を受けた際にテンプレート種を改造したベルティア世界の世界樹はパワー重視で燃費が悪い。
異界が顕現するほど世界を貪る暴食なのだ。
それを何とかしてくれると言うゲリにはただ感謝するしかない。
世界の有様はベルティアには小さすぎる。
ゲリとイグドラに任せるしかない。
しかし、顕現する異界ならばベルティアの手が届く領域だ。
神は自らの世界が攻撃する異界を選ぶ事が出来る。
攻撃されるベルティアは異界を選べないが、親しい神に攻撃してくれと依頼する事は出来る。
そのためにベルティアはゲストを招いていた。
「ゲリさんの考えはどうでしょうか。マキナ先輩」
上位格神マキナ・エクス・デウス。
ベルティアの仕事部屋にはベルティアとニート三人に加えて今日はマキナを招いている。
ゲリの異界顕現プランに協力を求めるためである。
「い、いやそんな……ねぇ」
「……先輩?」
「あ、あらごめんなさい。私を呼んだのはこの時の為ですか」
「先輩、大丈夫ですか?」
「はい大丈夫ですよ元気元気ホホホホ」
しかし、マキナは何やらソワソワしている。
最初はイクドラちゃーんと歓声うるさい彼女であったがイグドラとゲリの会話の途中から何やら挙動が不審。
何か先輩の琴線に触れるようなやりとりがあったでしょうか……?
と、ベルティアは首を傾げるも思い当る節がない。
ベルティアはまあいいかと後回しにして、質問の答えを求めた。
「で、どうでしょうか?」
「まあ妥当ですわね。穴が開いたら私の生贄世界をぶち込んでみましょう」
「お願いします」
マキナは端末に浮かぶ世界を指でツィと動かしベルティア世界に寄せていく。
「この時の為に選りすぐった生贄達、さぁ食べられる時間ですわ。どれにしようかしらぁ」
「うわぁ……」
フフフと笑いながら生贄世界で活動する転生者を選ぶ着物幼女。
何とも怖いものである。
しかも選んでいるのが食わせる生贄なのだから尚更だ。
マキナの世界は本命世界も生贄世界も間引き当然の超干渉世界なのである。
そういえば……ベルティアは気になる事を聞いてみた。
「先輩、相変わらずのディストピアなんですか?」
「当然です。耕し方の悪い人に食わせるレベルはありませんから」
「うわぁ……」
マキナは転生者が転生する際、チートと枷を付けている。
それは普段は便利な能力として転生者を助けるが、マキナが不要と判断すれば端末のタップひとつで世界から即排除の罠として発動するのだ。
ひどい監視世界であった。
生贄を用意したベルティアとマキナは画面のイグドラとゲリの動きを注視する。
ベルティア世界の中で合意した二者は一面砂漠のアトランチスに異界を顕現させんと動き出した。
「先輩、穴が開きましたよ」
「はいはい」
マキナは穴の大きさから、ねじ込める格の者を選んでタップする。
マキナの端末の画面の中で地面に黒い穴が開き、選ばれた男が落下していく。
不運な彼はこれから世界の境界を越え、ベルティア世界に顕現するのだ……
生贄として。
「よしぶち抜いた! まずは軽いジャブで二十一桁からいってみよーっ!」
「き、旧人類格……」
「イグドラちゃーん、私の想いを受け取ってー!」
開いた穴を貫いて現れたのは二十一桁の旧人類格。
ベルティア世界の存在では逆立ちしても対抗できない上位格人類種だ。
三十二桁のイグドラにしてみればとるに足りない存在だが、ゲリが求めているのはこんな顕現即破滅な存在ではない。
継続的に討伐可能なちんまりした異界である。
今回の顕現は失敗ですね……
世界に顕現した巨人にベルティアはため息をつく。
しかし初回にしては上出来である。これから小さくしていけば良いのだ。
「ああっ! フレッシュミートにハエが群がってきましたよベルティア!」
「大竜バルナゥです」「「姐さん……」」「あらまぁ」
フレッシュミートとかハエとか言わないで下さい……
と、ベルティアは思いながらも一キロメートルほどの巨体を前に二十メートル程度の竜はそんなもんかと納得する。
イグドラからはカトンボ。マキナからはハエ扱い。
散々な扱いに生前は竜のルドワゥとビルヌュも涙目だ。
だがマキナにとっては吹けば弾けるもやしっ子、餌に群がるハエである。
「ハエが唾飛ばしてきましたーっ! えんがちょ、えんがちょーっ!」
「ブレスです」「「姐さん……」」「あらまぁ」
「いやーっ! イグドラちゃんの餌が汚れる汚されるーっ!」
戦いを挑むバルナゥにマキナの悲鳴が半端無い。
能力の差というものは何とも切ないものなのである。
巨人はバルナゥ渾身のブレスを何でもないという風に軽く払い、すっ飛んだブレスが砂漠に炸裂する。
バルナゥの格は十三桁。圧倒的に格が違い過ぎる。
世界であれを何とか出来るのはイグドラだけだ。
……にやりんぐ。
ベルティアが祈るように見つめる画面の先、まったく勝負にならないバルナゥにイグドラが笑い、サクッと巨人を食い尽くす。
さすがは元神。
枝葉ひとつであっさり討伐だ。
「そうですよ。初めからイグドラちゃんがサクッと殺っておけばいいんです」
イグドラのフレッシュミート完食に満足したマキナは、すぐに端末から次の生贄を探し始めた。
ちなみに食われた生贄のレベルはベルティアからマキナに支払われる。
イグドラ大好きでもマキナは厳しい神であった。
「次はもっと凄いのを、腹にガツンとくるものを用意いたします。メインディッシュですわ」
「先輩、方向性が逆です」
「イグドラなら大丈夫ですよ」
「ゲリさんはより格の低い顕現を目指しているのです」
「なんというみみっちい……」
さらに高い格の生贄を準備しようとするマキナをベルティアが止める。
イグドラを正座させたゲリはバルナゥ並まで異界を絞ることを要求し、イグドラは子のために要求を受け入れた。
激しすぎる格の差にマキナが画面のゲリを小突く。
「ハエ……ハエ並とかふざけているのですかこの男は!」
「未来を見越した行為ですからそこは抑えて下さい」
「そんな事ではイグドラちゃんのお腹が全く膨れないではありませんか!」
憤慨するマキナをベルティアがなだめる。
その隣ではルドワゥとビルヌュが画面を食い入るように見つめていた。
二人が待ち望んでいた展開が画面で繰り広げられていたからである。
「おい、これ……」「ああ。これは奴に春が来たな」
「あらあら、バルナゥはガーネットにメロメロですね」
「この二人ならいける。いけるぞ!」「マリーナはどう見る?」
「うーん、ガーネットは値踏みしてる感じですねぇ」
「「ぐっ!」」
同性のマリーナの厳しい評価に、二人はぐっと胸を押さえて身悶える。
そうこうしているうちにイグドラは再び世界に穴を開け、マキナはねじ込める生贄を選んでタップした。
「このハムスターをねじ込みます!」
「獣にも罠を仕掛けてるんですね先輩」
なんという恐ろしいディストピア……
背筋が寒くなるベルティアである。
タップされたハムスターは世界を渡り、三つ首を持つ巨大な獣として顕現した。
いわゆるケルベロスという奴だ。
「なんですの? あの失敗作のような犬」
「頭が多ければ簡単には死なないと思いまして」
「元気な時は体が誰に従うべきか迷いますわよ。殺られる前提で種を作るとかアホですか」
「ううっ……あの頃は侵攻が激しくて焦ってたんですよぅ……」
マキナのツッコミに涙目のベルティアである。
「ガツンとやったれ!」「男見せたれやバルナゥ!」
「女の子に良い所を見せようなんて、バルナゥも男の子ですねぇ」
その隣では飛び出したバルナゥに二人がハッスル半端無く、部外者のマリーナが菓子を食べながらのんびり笑う。
しかし……べちん。
「ベルティア、このハエはなぜ唾をひっかけようとするのですか。汚いですわ」
「ですからブレスです……」
相変わらず格が違い過ぎる相手にバルナゥのブレスは弾かれて、ハムスターのじゃれ付きにバルナゥは叩かれ、転がされ、踏みつけられる。
当たり前のように無理である。
ハムスターはイグドラにサクッと討伐されて、さらに小さな穴が世界に開く。
マキナが叫んだ。
「つ、次はトカゲ、トカゲですわ!」
「そんなものにも仕掛けてるんですか!」
自分が弟子だった頃はこれ程ではありませんでした……
と、驚愕を隠せないベルティアである。
基本転生者まかせのベルティアからすれば狂気の世界であった。
「次はクワガタムシ!」「マジですか!」
「次はコガネムシ!」「アホですか!」
「次はダンゴムシ!」「キチですか!」
「次は…」「……!」
世界に穴が開き、マキナが世界を繋げ、ベルティアが驚愕に叫ぶ。
練習の成果だろう、世界の穴はどんどん小さくなっていく。
ゲリの計画は順調だ。
が、しかし……
生贄世界から生贄を送り込み続けたマキナが、とうとうガクリと突っ伏した。
「さ、さすがにミドリムシには枷を付けておりません……!」
「……ですよねー」
ああ、やっと幸せな世界が戻ってきた……
と、安心するベルティアだ。
しかし困った事でもある。
世界の格が低すぎてマキナが対応できないのだ。
さすがの生贄ディストピア世界も微生物は管理の外であった。
これはどうしましょうか……
ベルティアが悩んでいたその時、仕事部屋に声が響く。
「低格世界の事なら私にお任せ下さい!」
バーンッ……仕事部屋の扉が激しく開かれた。
派手に登場したのはエリザ・アン・ブリュー。
貧困に喘ぐ世界主神だ。
「今こそベルティア先輩の一番弟子! 私の出番です!」
しかしベルティアとマキナの視線は冷ややかである。
「「そもそも貴方が元凶ではありませんか」」
「あうっ申し訳ありません! 償いの機会をなにとぞお願いいたしますううぅ」
偉そうに登場したエリザは即座に土下座した。




