4:まとめ
作品を読んで頂くためにも、売るためにも、まずは作品を完成させなくてはならない。作品がなければ、作り手は作り手らしい活動ができない。しかし、作品を完成させるというのは大変なことだ。
今回、僕が本を作ることが出来たのは、コミックマーケットの締切りがあったことが大きい。実際、2週間前までは半分も書けていなかったのだ。会社の夏休みを利用して、毎日みっちりと書き、さらに最後の1日で製本して本の形まで持っていけた。
終了間際に、他のイベントに参加しないかとお誘い頂いた。作品を仕上げて本を作ったからこそ、掛けて頂けた言葉だ。作り手として扱われるのは夢のような気持ちだった。
作品を完成させることが出来ずに苦しんでいる作り手にとって、コミケへのサークル参加を決意することは大きな益になると思う。作品を仕上げて、自分の実力を知るのは、すごく恥ずかしいけれど。
これまで何十年も本を読んできたくせに、自分で作ってみて、はじめて気付くことがあった。本には、情報としての本と、物としての本という、2つの側面がある。コミケ初参加以来、本を見ると、どんな作りの本なのだろうか、と気になるようになった。
次回は、印刷所に頼む製本にチャレンジしたいと考えているが、無料配布本は自分の手で作って、今回よりも、もう少し凝った物にしたい。
今回、創作小説という売れないジャンル(らしい)での初参加という不利な条件だったにも関わらず、11冊もご購入頂いた。
基本的に思いつきで動いていたが、振り返ってみると以下が良かったように思う。
1:POPを用意した
2:無料配布本の掌編小説を用意した
3:積極的に声を掛けた
4:カタログのサークルカット、本の体裁、ブースが「素朴」だった。
1:POPは、どんなにみすぼらしいものでも、用意するとしないでは雲泥の差だろう。特に創作小説は読んでみなければ中身が分からないので(2次創作ならまだ推測できる)、本当なら軽いあらすじを用意すべきだった。
2:無料配布本は、ノリで用意してみたが、良い方向に働いたと思う。手渡すだけでコミュニケーションがスタートするし、内容を見て買って下さる方もいる。掌編小説(原稿用紙5枚ほどのショートショート)はすぐに読める上に、読んで頂けば、どんな作り手なのか分かる。次回は、掌編ひとつと本のあらすじにしてみようかな、と考えている。もしかしたら、暇な時にあらすじを読んだ人が買いに戻って来てくれるかもしれない。
3:積極的な声掛けは、2:無料配布本があったからこそ出来たことだが、「無料配布本があります」と言うだけでなく、個人個人に対して直接手渡したのが良かったのだと思う。イメージはティッシュ配りの人だ。本を手に取って下さった方にも、本の説明など積極的に声を掛けた。自分が一般参加者としてブースをまわっていた時のことを思い出して行動してみた。ほとんどの方は笑顔で応対して下さったし、少なくとも会釈はしてくれた。コミケって優しい場所だ。
4:色々「素朴」は、当初は恥ずかしいと思っていた素朴すぎる本やブースの様子にも良い面があったのではないか、という推測だ。参加者は商業ベースに乗るような作品ばかりを求めているわけではないだろう。コミックマーケット=同人誌即売会らしい本も求めているのではないか。アマチュアだけど創作が好きで、不器用でも頑張って作り上げたような、そんな本を手に取りたいと思っている参加者もいるのだと思う。だから、心情を吐露しただけのサークルカットに反応して下さったりするのだろう。どんな体裁の本だっていいのだ。一生懸命作ったら、売ってみればいい。コミケの懐は深い。
さて、佐藤いふみの「『アカムとうり』を売る コミケ80初サークル参加レポート」も、そろそろおしまいである。ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。この小文で、コミックマーケット(コミケ最高!)の雰囲気が少しでも伝わったら幸いです。
最後に、コミケ80へのサークル参加を通じて、自分の中に芽生えた、人類愛とでもいうべきものについてお伝えして、このレポートを閉じたいと思う。
コミケ帰りの電車で、隣の女性が小説を読んでいた。その様子を見た時、僕の中に天啓のように、ある愛が閃いた。それは、人が物語を求めることの愛おしさ、だった。
コミケの参加者は、特に強く深く物語を求めている人たちであろうが、読み手であれ作り手であれ、多かれ少なかれ、人はみな物語を求めている。そのことが、たまらなく愛おしいと思った。
小説を読んでいた女性が美人であったことは、僕の中に閃いたこの愛とは、たぶん全然関係ない。
了 2011年8月15日 佐藤いふみ →追記あり