コミケにサークル参加すると味わえること2
c:本を売ること
本は外から見たら、ただの紙の束だ。中に何が書いてあるかは、開いて読んでみなければ分からない。
会場の通路を行く人を呼び止めて中を見せるか? そんなの無理だ。黙々と歩く知らない人に声を掛けるのは、大変なことだ。
でも、それでも、このまま、なにもできないなんて、嫌だ!
コミケ当日、なにもできずに茫然とブースに座っていた僕の頭に、携帯電話ショップの呼び込みのお姉さんや、道端でティッシュを配る青年の姿が浮かんだ。そして、僕は積極的に参加者に声を掛けはじめた。
当日の朝、5時半に目覚ましが鳴るも、体が動かない。動き出したのは6時過ぎ。
まずい! 6時33分の電車に乗らなくては! 急いで準備する。プリンとパンを少し食べる(プリンをズボンに落とす)。コンビニでおにぎりを買うのは諦めた。
予定通りに電車に飛び乗る。
自分の本を持って東京ビッグサイトに向かっていることに現実感がない。妙な気分になってきた。
大井町で、りんかい線に乗り換えると、スーツケースやカートを引いた人が多数いた。サークル参加の人が多いはずだ。あのスーツケースやカートの中には、それぞれの作った本が入っているのだ。
満員状態の夢の電車が国際展示場駅に滑り込む。夢の扉が開かれると、すでにして夢遊状態の人々が創作の楽園へと突き進む。
駅を出てすぐに、サークル参加者と一般参加者の列が分かれる。サークル参加者は7時~9時の間に会場に入って準備する。一般参加者の入場は10時からだ。
東京ビッグサイト正面広場に展開された大行列は、もはや行列ですらなく、絨毯のように広場全面を覆っている。その横を、スーツケースを引いて進んで行く。
徹夜組(徹夜は禁止されているが、毎回物凄い人数が有明で夜を過ごして問題になる)、始発組など、様々に呼称される熱烈な一般参加者たちが、炎天下の中、じっと座っている。この人たちみんなが、同人誌を買うことを楽しみにしているのだと実感して、胸が熱くなる。
サークル入場口で、チケット提示を求められる。サークル毎に3枚配られるチケットの1枚を切ってスタッフさんに渡し、いよいよ東京ビッグサイトに入る。
東館へー23a(ブースの住所)に向かう。ここ数年は、一般参加者として毎回来ていたから、場所はすぐに分かった。
辿り着いたブース周辺は、なにやら騒然としていた。東館へー23aは大通り脇で、そこにはサークルチケットで入った人たちの購入の列ができていた。サークルの設営を終えた人々が、早々に列を形成するのだ。コミックマーケットでは、サークル参加者もまた購入者なのである。
なるべく前に行こうとする人がいるらしく、スタッフさんと小競り合いになっている。ちょうど僕のブースの脇が騒ぎになっていて、間違えて僕も注意されたが、「その方は、そこのサークルさんだよ! 間違えないで!」と、他のスタッフさんが言ってくれた。
ブースは島角。いい場所じゃないかなあ? 机の上には折り畳み椅子が2つと、大量の印刷所のちらし。ちらしをどかして椅子を出す。1人だから2つもいらないけど。
さて、ブースの設営だ。机の上にトルコで買ってきたバスタオルを敷く。日本のバスタオルとは違って、薄くて水色のボーダーが綺麗なんだ。
POPを並べる。ブース正面右側に、ブースの住所とサークル名(一二三企画)、その左に本、さらにその左の角の部分に無料配布本を置いた。これで終わり。すこし寂しいかな。
隣のサークルさんが来る。隣同士で本の交換をするって聞いたけど、どうなのかな? 隣のサークルさんの本は、可愛い表紙絵がついたB5サイズの素敵な本だ。紙も上質そうだ。しかし、本の交換なんてことはなく、挨拶だけをした。
正面のサークルさんは、段を作って、本をたくさん並べている。どの本も商業品みたいに綺麗だ。机にはビロードのような美しい布。のぼりのように立てたPOPは、美しいカラーのキャラクター絵だ。
よく見れば、どのサークルさんも工夫を凝らしてアピールしている。ああ、僕のブースのなんたる貧しいことよ。大学生サークルの新入生勧誘の机より出来が悪い。
紙で作ったあり合わせのPOPに、ただ表題が印刷されているだけの、裁断もしていない本。机に敷いているのはバスタオルだ。穴を掘って潜り込みたい。
いたたまれない気持ちになったが、この惨めささえも経験として蓄積するんだ、と気合を入れ直し、前を向いて座り続けた。
右側の大通りに形成された列はしばらくして移動した。10時の一般入場が迫る。スタッフさんがまわって来た。
「ご存じかと思いますが、この大通りには開場直後の5分ほど、3日目名物『男津波』がやってきます。席に座って机を守って下さい。もし『男津波』に巻き込まれた場合、お助けすることはできません。自分の身は自分で守って下さい」
男津波――こんなに不吉な単語は久しぶりに聞いた。
10時会場。一斉に沸き上がった拍手が、高い天井にさざ波のように響き渡る。同時にやってくる男津波を、両手を広げたスタッフさん達が先導する。
「おいおいスタッフ! 速い! 速すぎるよ!」
「みんな落ち着いて! 倒れる人、出るよ!」
「はぁ……はぁ……アツい~!」
互いに声を掛け合いながら、地鳴りのような足音と共に、おかしなテンションの男たち(たまに女たち)が、塊となって通り過ぎていく。すごい光景ではあったが、事件は起きずに終了し、胸をなでおろした。
彼らは、これまで何時間並んだのだろうか。そして、これから何時間並ぶのだろうか。みな、それぞれに目当ての創作物を求めているのだ。
参加者たちは、ブースの前を足早に通り過ぎて行く。無料配布本は50部しか刷ってないし、早々に無くなっちゃうかな、と思っていたが、まるっきり誰も持っていかない。次のように書いてアピールしているのに。
~無料配布~
「佐藤いふみの掌編小説」
行列のお供にどうぞ
POPに目をやる人はいるが、みな通り過ぎていく。まだ大手をまわっている人が多くて忙しいのかな、なんて考えていた。まわりのサークルも、まったく動きがない。
しばらくすると、情けないが、早くも本を売ることを諦めていた。でも、せめて無料配布本だけでも配りたかった。1部だけでもいい。
携帯電話ショップのお姉さんは、どんな風に話し掛けていた? 道端でティッシュを配る青年は、どうやって受けとってもらっていた? 基本は笑顔で明るく、配布物を手元に差し出していたはずだ。
僕は、「無料です、どうぞ」と声を掛けながら、無料配布本を差し出してみることにした。その結果、10時35分に、人の良さそうな少年が無料配布本を持って行ってくれた。続いて、同47分に2人目。よし、これでいけそうだ。と思い、以後、精力的に配った。
11時10分、髭の生えたイカツイ男性がPOPを見ていたので、無料配布本を渡した。男性は受けとった後も、じっと本のPOPを見ている。本のPOPは価格と内容と分けて、2つ用意した。
長編小説
「アカムとうり」
¥100
世界最強の青年アカム:
「悪の魔王になってやる」
余命半年の少女うり:
「夢って叶わないのかな……」
二人の求めるモノが重なる時、悲劇が起こる
はい、そこ笑わない! しょうがないの! 夜中に3分で考えたの!
髭の人は一旦ブースを離れたが、離れた場所からまだPOPを見ている。これはチャンスかもと思い、立ち上がった。すると戻って来てくれた。
「この本は昨日できたんです。裁断とかしてなくて、読みにくくてすいません」
「そうなんですか(笑顔)」
本を手に取った。
「僕、本を作るのも、小説をちゃんと書いたのも初めてなんです」
「それは、おめでとうございます(笑顔)」
「さっき、POPを見てらっしゃいましたが?」
「ええ。ファンタジックな話が好きで、そういう小説を探しているんです。これは、どういう話なのでしょうか?」
ここで僕は、ズバっと答えられなかったのだ。それはすなわち、作品のテーマを一言で表せないということ。駄目小説のナンバーワンパターンだ。髭の人は、しどろもどろの説明を最後まで聞いてくれた。
「そうですか、一部下さい。読ませて頂きます」
「は、はい!」
百円を受け取った。髭の人は、にっこり笑って去った。
ああ、いまも書いていて泣きそうだ。なんという読み手のプロ。髭の生えたイカツイ人、あなたが最初の購入者で本当に良かった。最近の天使は、イカツクて髭が生えてるんだね。
感動のあまりその場で泣きそうになる。暑いフリをして何度も顔を拭ったり、目頭を押さえたりした。指の震えが1時間ほど続いたろうか。