81.首領はクッキーを焼く
謝罪を受け入れユリアーナに何とか帰って貰った。
厄介な女に気に入られてしまったようだ。
「エマ、フィーネ、席を外してくれ。コウタ、何があったか聞かせてもらおう」
クララ様の声がいつもより冷たく感じる。
「失礼しまぁす……」
小声でもごもご言いながらエマさんとフィーネは退室していった。
「座ってくれ」
大きくため息をついてからクララ様は俺に席を勧めてくれた。
先程まで聖女が座っていた長いソファーだ。
今は昼休みだから時間はまだまだたっぷりある。
俺は細大漏らさず、すべてをクララ様にお話しすることにした。
「初めて下水路清掃の監督業務についたあの日、殺人の犯行現場で嗅いだ花の匂いが全ての始まりでした」
俺が聖女に疑いの目を向けたこと、ユリアーナが魅了の魔法が使えること、偶然城壁の上で聖女たちと出合い全ての事実を知り決闘に及んだことなどを全て話した。
俺が話し終えるとクララ様は真っすぐ俺を見つめた。
「なぜ私に打ち明けてくれなかった?」
少し遅くなってしまったが俺は正直に話した。
「後ろめたかったのです。クララ様という方がいながら聖女に僅かとはいえ心惹かれてしまいました。魅了のことは予想しておりましたが、自分の気持ちに確信が持てなかったのです」
「……」
また少しだけ部屋の気温が下がった気がする。
クララ様……。
「なぜ決闘した?」
「魅了の魔法にいつまでも抗える自信がありませんでした」
「決闘に何を賭けた?」
クララ様の目が怒りで燃えている。
「私が勝てば、私の魅了を解くことを」
「コウタが負けた場合は?」
「私が聖女のものになると……」
クララ様から冷気が迸り周囲が霜に覆われていく。
「もし! もしコウタが負けていたら、私は何も知らないままそなたを失っていたのだぞ」
確かに軽率なことをしたとは思う。
「申し訳ありませんでした。ですが、時間的猶予がなかったのです」
クララ様の瞳から涙が零れ落ちていた。
クララ様を悲しませないようにと動いていてこれだ。情けない。
「すみませんでした」
「もうよい。コウタは私のもとに戻ってきてくれた……」
「いいえ、よくはありません。ですがこれだけは信じてください。いついかなる時にも私の心を占領していたのは常にクララ様でした。聖女の魅了に耐えられたのもクララ様がいたからなのです」
立ち上がったクララ様の手が俺の頭の上に伸びてきた。
そしてそのまま……優しく頭を撫でられた。
お、俺は犬じゃないぞ!
……でも気持ちいい。
「もうよい。怒ってはおらぬ」
10歳も若いクララ様に頭を撫でられながら怒ってはいないと言われて安心している俺って……。
でも気持ちがいい。
クララ様が俺の隣に座り、手に力を入れて自分の方へ引き寄せてきた。
俺よりずっと力強くてとても抗えない。
「クララ様?」
「そのまま力を抜いて、こちらへ……」
なされるままに膝枕をしてもらう格好になってしまった。
「これは?」
「……お仕置きだ」
ご褒美の間違いではないのか?
昼の執務室で上司の膝枕……。
凄く嬉しいけど誰かが来たら拙いです。
「どうしたんですか、クララ様?」
「やらん」
「はい?」
「コウタは私のものだ。誰にも渡さない」
聖女のせいでクララ様が少しだけ大胆になっている?
嫉妬心が煽られてしまったのだろう。
嬉しいけど……いいのかな?
「この時間の執務室でこんなことは――」
「少し黙っていてくれ」
髪の毛を優しく掴まれたまま、クララ様の桜色の唇に口を塞がれてしまった。
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いつもよりずっと長めのキス。
それだけ悲しい思いをさせてしまったのかもしれない。
もう一度俺は反省した。
唇を離したクララ様は恥ずかしそうに横をむいてしまう。
そんな仕草が可愛すぎて頭に触れていたクララ様の手に自分の手を重ねた。
「どこにもいきませんよ。ちゃんとクララ様のおそばに控えています」
「……うん」
握った手を優しく引いて促すと、クララ様はようやくこちらを見てくれた。
家庭教師のラーラは最終的な段取りの説明をしようとユリアーナの居室へとやってきた。
「お嬢様、準備は万端整っております。今夜の計画をご説明したいのでお時間をいただけますか?」
だが、ユリアーナはラーラの言っている言葉の意味が分からなかった。
「計画? 何の計画だったかしら?」
「エモーツェル神殿への断罪でございます」
断罪盗賊団は昨日延期されたエモーツェル神殿に押し入る予定だった。
首領としてユリアーナも参加することになっている。
「ああ、そんなこともありましたね。ですが、私は忙しくなりました」
「はあ……」
「コウタさんにクッキーを焼いて差し上げるのですもの。明日の朝一番に兵舎へお届けしなくては。男心を掴むにはまず胃袋を掴むのが大切なんですって」
盗賊団の活動は危険が伴うのでラーラとしてはユリアーナがついてこない方がありがたい。
「畏まりました。仕事は実働部隊に任せます」
「ええ、お願いね。あそこの司教は若い僧を「教戒」の名のもとに慰み者にしていたそうよ。聖塔にロープで縛りつけて。私にも何度か舐めるような視線を寄こしてきたの。しっかり断罪してきてね」
聖塔とはノルド教のシンボルに当たる四角垂だ。
キリスト教にとっての十字架みたいなものにあたる。
そう考えればエモーツェル神殿の司教という男がどれだけ背徳的かはお分かりいただけるだろうか。
神殿のシンボルに少年や少女を縛り付け、その体を欲望のままに弄んでいるのだ。
「荘園から上がる税金もかなり着服しているようですしね」
「ええ。しっかりと断罪を頼みます。……なるべく他の人は傷つけないように」
ラーラは深々と頭を下げた。
「さあカリーナ、厨房へ参りましょう。貴女も一緒に作りたいのでしょう?」
「そんなことは……」
メイドは顔を真っ赤にしている。
「嘘をついてもすぐにわかりますよ。カリーナが年上好きなんてちっとも知りませんでしたわ」
「そ、そんな……」
「貴方、コウタさんが決闘を申し込んできた時に、彼の心配をしていたでしょう? バレバレでしたよ」
「うぅ……」
「コウタさんがやられる様を見せるのは可哀想と思い治癒士を呼びにやらせたのです。けれどもコウタさんはあのご活躍。戦っているお姿を見たらカリーナはますます彼に入れ込んでいたでしょうね」
「もうご勘弁くださいまし」
メイドは消え入りそうな声で訴えた。
公太の与り知らぬところでコウタに密かな思いを寄せる女装少年がいたようだ。
「ねえ、クッキーに唾液をまぜてしまわない? それをコウタさんに召しあがっていただくの」
ユリアーナはいかにも名案を思い付いたといった具合にはしゃいでいる。
「お嬢様! そんなはしたないこと……」
「あら、カリーナはやりたくないの?」
「それは……」
カリーナは赤くなって固まってしまう。
その姿はどこからどう見ても可憐な少女なのだが、中身はつくべきものがちゃんとついた男の子だ。
「うふふ、遠慮することないわ。カリーナも一緒に混ぜましょう」
「ユリアーナ様ぁ……私はユリアーナ様も大好きです……」
ユリアーナはカリーナの頭を引き寄せて撫でつけた。
「わかっているわ。私たちは仲良しですものね。さあ二人の愛を込めたクッキーを焼きましょうね」
ラーラはそんな二人の遣り取りを慈愛に満ちた眼で見ている。
ここにいるのは世間の普通から少しずれた人たちばかりだった。




