70.スキンケアを試してみよう
召喚された場所はクララ様の個室だった。
相変わらず私物の少ない飾り気のない部屋だ。
「ただいま戻りました」
「おかえり。今回はまた、たくさんの荷物を運んできたのだな」
パンパンに膨らんだサンチョ・パンサの袋をクララ様がびっくりしたように眺めている。
「これはクララ様へのお土産と、実は新しい商売道具でもある化粧品なのです」
「いつもすまんな。だが、一々土産など買ってこなくてもよいのだぞ」
「まあまあ、それよりもお願いがあるのですが」
「うん、なんであろう?」
クララ様は俺がお願いをするといつも嬉しそうにしてくれる。
頼られることが好きなようだ。
今晩は早速このお土産の基礎化粧品の効果を検証してみたいので、クララ様につけてもらうことにした。
「とりあえず何人かに試していただいて効果の程を見たいのです」
「肌の状態をよくする薬か? そういうことならフィーネとエマも呼んでやろう」
ハンス君に手伝ってもらって早速セッティングに掛かった。
桶にお湯をたっぷり用意して洗面器を三つ台の上に置く。
それから大量のタオルと買ってきたコットンも皿に並べた。
自分たちの手をよく洗ったら準備完了だ。
「それではみなさん椅子に座ってリラックスしてくださいね」
俺がクララ様を、吉岡がフィーネを、ハンス君がエマさんをそれぞれ担当することになった。
「ヒノハル殿、これは何かの儀式だろうか?」
怯えたようにエマさんが聞いてくる。
「ふははははっ、幸せに思え! そなたはセラフェイム様の生贄に選ばれたのだぁ!」とは叫ばない。
「そんなものではありませんよ。日頃頑張っているエマさんにご褒美です。セラフェイム様も大いにやりなさいとおっしゃっていました」
確かに言ったよな?
別にエマさんにしてやれと言ったわけじゃないけど。
「そ、それならば……」
セラフェイム様の名前を出したらエマさんの顔色が少し良くなった。
だがその一方でハンス君が尻込みしている。
「コ、コウタさん。どうしても私がやらなくてはダメでしょうか? お嬢様のお顔に触れるなど畏れ多いことでして……」
他に人がいないんだからちゃっちゃとやっちゃおうよ。
「ハンス君、これはエマさんのためになることなんだよ」
「でも……」
デモもボイコットも許さないぞ。
そんなに緊張しなくても大丈夫だって。
「ハンス、ヒノハル殿のお手伝いをするのだ。私なら構わん」
エマさんはそう言うと覚悟を決めたように目を閉じた。
「ねぇ、早くしようよ!」
一方俺たちの持ってくる品物は素敵なモノばかりなことを知っているフィーネはワクテカ顔で今や遅しと待っている。
「それじゃあ始めようか!」
最初にクレンジングジェルを顔に塗ることから施術は始まった。
「指の腹で円を描くように内側から外へと優しく塗っていくんだ」
説明書を見ながら3人で実践していく。
クララ様には特別に黄金の指のレベル1で塗ってあげた。
少しだけ体温が上がったように思ったら、途端に冷たくなった。
さては気持ち良くなったのを氷冷魔法でごまかしたな。
もう、恥ずかしがり屋さんなんだから。
ジェルを塗り終えて洗顔してもらった。
「こ、これって……なんの魔法なんですか?」
思わずハンス君が呟く。
俺も吉岡もびっくりだ。
3人とも若いので元から肌は綺麗だった。
だけど今や肌のくすみは消え、エマさんに少しだけあったソバカスもなくなっている。
「どうしたのだ?」
エマさんが心配そうに聞いてくるが、結果発表は最後のお楽しみだ。
鏡はお預けにして、このまま我慢してもらうことにしよう。
「次はトリートメントクレンジングだ。きめ細かな泡でしっとりとした洗い上りが特徴らしい。こちらの泡立てボールを使って角が立つくらい泡立ててから使っていくぞ」
……。
……。
……。
「吉岡……感想は?」
「まあ、なんてことでしょう!」
うん、見違えるようだよな。
今や3人の肌は透き通るような透明感をおびている。
まるで俺たちが匠になった気分だ。
「次はトリートメントエッセンスだ」
コットンにたっぷり浸して優しく肌をパッティングしていく。
よりクリアに透明感がキープされている気がする。
最後は乳液をつけてツヤを出したら完了だ。
「いかがですか?」
「これは……」
「……」
「……」
元からとてつもなく肌がきれいなクララ様でさえびっくりしている。
フィーネとエマさんは声すら出ないほど感動しているようだ。
鏡を持つ手が震えているぞ。
「コウタさん……?」
「どうしたフィーネ?」
「いくらなの!?」
「へっ?」
「そうだ! いったい、いくらでこの施術を受けることができるのですかコウタ殿!?」
二人とも落ち着け。
とりあえず胸倉をつかむのは止めてほしい。
「1回の施術で、だいたい5000マルケスを考えているけど、持続効果がどの程度あるかを見てから決めるつもりだよ」
この肌が1日しか持たないのか、それとも10日はもつのかによって値段は変わると思う。
「5000マルケスか。月に1度くらいなら……」
「給料の三分の一弱……ギリか……」
いやいや、全然ギリじゃないよ。
エマさんはともかくフィーネは破滅するぞ。
ちゃんと原価で分けてあげるから無駄遣いしちゃダメだからね。
「効果は見ての通りだが需要はありそうかな?」
「パーティーの前日や当日など予約が殺到すると思います」
なるほど、さすがは王都の貴族らしいエマさんの意見だ。
お友達に宣伝してくださいね。
日本でも結婚式に合わせてエステに通ったりするもんね。
効果は多分それ以上だ。
「だけどメインターゲットはもう少しお年を召したご婦人ですよね。クララ様たちじゃ検証結果が甘い気がします」
吉岡の言う通りだ。
できれば被験者は30代以上が望ましい。
30代の知り合いねぇ?
「ベックレ中隊長にでも頼むか?」
俺が言うとフィーネやエマさんが顔を顰めた。
そんなに嫌うなよ。
ごつくたって女の人だぜ。
「でしたら、我が家の母に試してはいただけませんでしょうか」
エマさんのお母さん?
「おいくつくらいの方ですか」
「38歳です。あ、56歳になる祖母もおりますが」
いいじゃないか!
三世代で効果を見られるなんて素晴らしい。
「是非お願いしたいです」
「では明日の夜にご用意させますので軍務が終わり次第、皆で参りましょう」
こうして俺たちはペーテルゼン男爵家へと招かれることになった。
エマさんは上官であるクララ様をずっと家にお招きしたかったそうだ。
騎士見習いが家族に先輩騎士を紹介するのは当然のことだからいいのだが、俺たちのことはどう説明するのだろう?
一般的に騎士の従者まで家族のいるリビングに通されることはない。
「セラフェイム様にお仕えしていることを話してはダメでしょうか」
要らぬ誤解を生むと思います。
そもそもセラフェイム様に仕えているわけじゃないし。
でも命令されたら死を覚悟してしか断れないから似たようなものか?
「そのことは内緒にしておいてください」
信じてもらえないと思うよ。
「では公にはできない、やんごとなきお方に仕えていらっしゃることにしましょう」
俺はクララ様に仕えているだけなんだけどね。
まあ、それでいいか。
深夜のグローセル地区には人っ子一人歩いていない。
ツェベライ伯爵の屋敷の前で匂いを嗅ぎながら歩いていくと、目的の場所はすぐに見つかった。
「やあ、張り込みご苦労様」
鉄格子の下に蹲っていた影が身体をびくつかせて身構えた。
「ホルガーさんに頼まれたんだろう? 雇い主の日野春だよ」
俺が名前を告げると二人組は安心したように肩の力を抜いた。
この二人は聖女の夜の動向を探らせるためにホルガーが手配した浮浪者だ。
城壁内に来るためにまともな服を着ているがなかなかファンキーな匂いがする。
「アンタさんがヒノハルの旦那ですかい。脅かさねぇでください」
「悪かったね。これ差し入れだよ。夜も遅いし腹が減ったかなって思って」
俺は食パンにピーナッツバターを塗ったサンドイッチを渡した。
俺の愛がこもった手作りだ。
塗るだけだもんね。
腹持ちもいいはずだ。
それから紙コップに温かいカフェオレを注いでやった。
「こいつはありがてぇ」
「俺が様子を見とくから温かいうちに飲んでくれ」
見張りの男たちは一口味をみてから貪るように食べ始めた。
「動きはあったかい?」
「いやあ、昨日の晩から夜になるとここへ来て見張っておりますがおかしな様子はありやせん。聖女の部屋は二階の左から三番目の部屋です」
今は明かりが消えて真っ暗になっている。
ホルガーの話では殺されたクンツと聖女に特別な接点はなかった。
せいぜいクンツがユリアーナのやった炊き出しに行ったくらいのものだ。
通り魔的な犯行だったのだろうか?
それとも聖女は現場にいただけなのか……。
炊き出しをしていたユリアーナの姿が脳裏に甦る。
どうしてこうも気になるのだ。
頭の隅に焼き付いたように気になって仕方がない。
「寒いだろうけどもう少し頑張ってくれ」
「へい」
二人に100マルケス銅貨を握らせてその場を後にした。