173.もしも俺が……
ホイベルガーの独白が終わり、クララと吉岡は頷き合った。
「なるほど、先輩は呪いのアイテムを外してもらうために勇者ラジープのところへ向かったという訳か。ところでその『調教の首輪』ってどこで手に入れたの?」
「知らん。偶然手に入れたようだ」
ホイベルガーもさすがに断罪盗賊団についてまで話すことはしなかった。
もしも自分が盗賊団の幹部であることが知れれば、すぐに捕らえられて本国へ送られ、衆人環視の中で火刑に処されるのは目に見えていた。
「これでどうして公太の送還ができないかはわかったな」
「ええ。召喚者と召喚獣の魔法リンクを打ち消すとは驚きです。しかも記憶までなくしてしまうとは」
クララは続けて問うた。
「それで、エマ・ペーテルゼンはどうなった? 彼女も行方不明のままだ。まさか、殺害されてはいまいな?」
語気に気おされてホイベルガーは慌てて否定した。
「あいつは我々の協力者だったが最終的にお嬢様を裏切った! 今はヒノハル騎士爵と一緒に逃亡している」
クララの胸に安堵の思いが広がった。
彼女にとってエマ・ペーテルゼンは大事な騎士見習いであり、自分は指導する立場なのだ。
エマのしたことは罪ではあると思ったが、自ら正道に立ち返ったのならば罪は問うまいとも思った。
「大体の事情はわかりましたね。準備を整えてさっそく追跡を開始しましょう」
「ああ。とりあえず食料さえあればなんとかなるだろう」
水は魔法でいくらでも作り出せるし、仮の住居くらいなら吉岡の土魔法でいくらでも建てることができた。
「問題は足ですよね。魔法を使えば走っていくことも可能ですが、馬に追いつけるかは微妙です。リアが召喚してくれたらブリューゼルから先輩のバイクを取ってくるのですが」
「そう都合よくはいかんな。とにかく食料の確保を急ごう」
「ですね。荷物になるといけないから三日分くらいにしておきますか?」
相談を終えた二人は食料を求めて市場の方へと消えた、ホイベルガーを穴の底に残して。
♢
パレードの港を出発してから7日が経過した。
正確な地図などなく、途中で民家が途絶えたせいもあって、俺たちは完全に道をロストしていた。
ガイドを雇わなかったのは痛恨の極みともいえただろう。
それでも今朝になってようやく集落を見つけて現在地を確かめることができた。
言語スキルのおかげでコミュニケーションは滞りなくとれたが、確認してみれば予定のルートよりだいぶ南を迂回してしまっていたようだ。
かなりの時間的ロスが生まれてしまったよ。
今は正規のルートに戻ることができていて、明日か明後日にはラジープさんのいるオルキンに到着できそうだった。
「お体の具合はどうですか?」
エマさんが濡らしたタオルを渡してくれた。
三日前に急に発熱して、それからずっと具合が悪いままだった。
俺には神の指先があるのに調教の首輪のせいで自分を治療することができないままだった。
ずっと頭痛と嘔吐、それから背中の痛みに苦しんできたが三日目にしてようやく回復の兆しが見えてきていた。
「今日はだいぶ調子がいいよ。これならオルキンに到着する前に治ってしまいそうな感じがするもん」
「それは良かったです。ただ無理はなさらないようにしてください。この三日間ろくに食事もなさっていないのですから」
脱水症状にならないように水分はなるべくとるようにしていたけど食事はどうしても咽喉を通らなかったんだよ。
今日はお粥くらいなら食べられそうな気がする。
やばい病気にかかったと思ったけど一安心だ。
だって発熱、頭痛、嘔吐と症状は風邪によく似ていたけど咳は一切出なかったんだよね。
それにパレード港を出発してから俺は何度も蚊に刺されている。
マラリア、デング熱、黄熱などの蚊を媒介とするウィルスに感染したのではないだろうかとずっと心配していたのだ。
この世界では特効薬など期待できないし、重症化する前にラジープさんに呪いを解いてもらって治療をしなければならないだろう。
幸い今日は熱も下がってきたので、回復に向かっているのだと思う。
次の休憩時は体力をつけるために、無理やりでも何か食べなくては。
「後でお粥でも食べてみるよ」
「はい。ぜひ召し上がってくださいね」
そう言ってエマさんは安心した顔を見せてくれたが、ラクさんとレナーラさんは不安そうなままだった。
「どうしたの?」
「ヒノハル様……。おそらくヒノハル様はフラビに罹ったのです」
フラビというのは風土病か何かなのな?
「症状がそっくりなんだね?」
ラクさんは悲しそうに頷いた。
「たいていの場合は三日間高熱が続きます。そして少し良くなるのです。そのまま回復してしまうこともあります。ですが、よくなったと思ったら突然悪化する者もいるのです」
レナーラさんも付け足す。
「フラビは恐ろしいの。元気になったと思ったら肌や目玉が黄色くなって……血を吐いて……。私の伯父さんもフラビで死んだから……」
そういうことか……。
おそらく黄熱病みたいなウィルス感染なのだろう。
俺もこのままよくなるのか、それとも……。
「ひっ!」
レナーラさんが突然悲鳴を上げた。
「どうしたの?」
「ヒノハル様、鼻から黒い血が!」
地牛の白い背中に血が滴り、俺は突然の嘔吐感に襲われた。
体に震えが走り、そのまま倒れこむように地牛の背中につかまる。
「ヒノハル様!」
これ、ヤベーよな……。
身もだえするような不調の中で、何とか気力を振り絞って空間収納を開けて中からすべての荷物を引っ張り出す。
こうしておけば俺が気を失ってもラクさんたちがいろいろやってくれるだろう。
もしも死んだとしても、金や品物は無駄にはならない。
ラクさんたちが分けてくれればそれでいい。
「休憩させてください……」
ラクさんがすぐにテントを張ってくれた。
もはや意識が朦朧として立っていることもままならない。
俺はテントの中で眠らせてもらうことにした。
公太の眠るテントの外ではラクとレナーラが旅装を整えていた。
こうなっては一刻の猶予もないのでエマに公太の看病を任せ、ラクたちが勇者ラジープを呼びに行くことにしたのだ。
ラクとレナーラは自分たちの背負子に最低限の水と食料だけを括り付けた軽装だ。
既に昼過ぎだが二人とも夜じゅう歩いてでもオルキンに向かう覚悟だった。
幸いなことに狼人も猫人も夜目は他の種族よりも利く。
「エマ殿、ヒノハル様を頼みました」
「承知した。二人とも気をつけて」
三人は短い挨拶で別れた。
エマはぬるくなったタオルを水に浸し、コウタの黄色い額に乗せた。
それから流れ出る汗を拭き、定期的に綺麗な水を飲ませた。
何かしていなければ気が狂いそうに心細くなるができることは少ない。
「エマさん……」
公太のか細い声でエマは顔を上げた。
「どうされましたか?」
「もしも……もしも私がこのまま死んでしまったら、ここにあるものはエマさんとラクさんとレナーラさんで分けてください」
「そんなことはおっしゃらないでください」
エマは涙ながらに訴えたが公太は笑顔のまま続けた。
「あっ、でも、『甲斐ルージュ』というワインはクララ・アンスバッハさんに差し上げてほしいな。俺が死んだらもう手に入らないでしょうし」
エマは無言のままに頷いた。
「それから、その辺に婚約指輪の入ったブルーの箱があると思うのですがとってもらえませんか。さっきうっかり出してしまったので」
エマから渡された指輪を空間収納にしまい、公太は安堵のため息をついた。
公太としてはこんなものがクララ・アンスバッハの手に渡ったら彼女を縛り付けてしまうのではないかと心配したのだ。
「お水を……ください」
しばらく後、公太は再び眠りにつき、エマは静かに神に祈る。
その時、外から獣の鳴き声がした。
それはこの大陸では珍しい獣だが、エマとっては馴染み深い獣であった。
すなわち馬のいななきが聞こえたのだ。




