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150.海の上 陸の上

 燭台をテーブルの上に置くとラーラさんはそのまま部屋を出ていった。

広い部屋のはずなのに、二人きりのこの空間には濃密な何かが漂っている気がする。

ネグリジェの肩に指を掛けながら迫るユリアーナさんを手で制した。


「ちょっと待ってください! なんというか、そういうのはちょっと……。私はまだ記憶も戻りませんし……」

「でも、ここは二人の寝室なのですよ。昨晩も私はここで寝たのですから」


 小首をかしげたままユリアーナさんはそう言った。

ということはあれか? 

俺の意識がなかった二日間、俺たちはずっと一緒に寝ていたということか。

……でも、意識がなかったんだからゴニョゴニョはしてないよな。

寝ている間に変なことされた!?

 そもそも俺とユリアーナさんは婚約をしているだけだ。

二人の関係ってどの程度のものなのだろうか? 

肉体関係とかあったのかな……。

キスくらいはしていたとか? 

これはハッキリさせておいた方がいいと思うけど……聞きにくい。


「ユリアーナさん……あのですね……」

「はい?」

「私たちは婚約者同士なんですよね?」

「そうですわ。ですから恥ずかしがることは何もないと思うのです。……私はいつでもコウタさんの妻になる覚悟ができています。どうかこのまま私をお抱きになってください」


 ユリアーナさんは体を密着させるように縋り付いてきた。

今の言いようから解析すると、どうやらまだ肉体関係はないようだ。

少しだけ安心したような、それでいて残念なような……。

 俺だって男だからまったく興奮しなかったわけじゃない。

白く眩しい胸元をあらわにした女性が自分にしがみついているのだ。

多少は反応してしまうのは仕方がないというものだろう。

だけど……やっぱり無理だよなぁ……。


「そうは言われましても、私には貴女との過去がないのです。記憶が戻らないうちは婚約者には戻れません」

「そうであれば猶更のこと。私だって不安でたまらないのです。コウタさんが私を抱いてくださったら、この苦しい胸の内も楽になるでしょう……。すぐに夫になれなどとは言いません。ただ肌を重ねて慰めてほしいのです」


 そんなことを言われたら気持ちがぐらついてしまいそうだ。

でも、二人の関係が曖昧なままユリアーナさんを抱くことはできない。

共に生きる夫婦、愛を確かめ合う恋人、金銭の授受を前提とした客と娼婦、一夜限りの行きずりの男女、いずれにせよ男と女が体を重ねるなら、そこには明確な立ち位置が欲しい。

欲望だけに身を委ねるには俺は臆病すぎたし、悲しむ女を慰めるために抱くのは自分をも傷つけそうで嫌だった。


「もう少し……もう少しだけ俺に時間を下さい」

「コウタさん……」


 そうすれば俺も何かを思い出すかもしれないし、たとえ記憶が戻らなくてもユリアーナさんとの新たな関係を構築できるかもしれない。

もしそれで愛し合うことができるのなら俺は喜んでユリアーナさんと関係を持つだろう。

ユリアーナさんは胸の大きな癒し系で、外見だけなら俺のストライクゾーンど真ん中だと言える。

性格だって優しくて、言葉は明瞭で知的でもあった。

たぶん俺は昔からこういうタイプが好きなのだと思う。

そしてこのタイプがベッドの中では淫らに悶えるというのが俺の理想形だ。

今、煽情的に俺を見上げるユリアーナさんの姿を見ていると、そんな俺の欲望を満足させてくれそうな予感で一杯になってしまう。

イカン、イカン! 

このままでは欲情に押し流されて、よく知らない女の人と寝てしまうではないか。

これが一晩限りの関係ならそれもいいのだろうが、ユリアーナさんは俺の婚約者だ。

もう少し相手のことを知ってからじゃなきゃダメだよな。

俺は理性の力を最大限発揮してなんとかユリアーナさんの猛攻をしのいだ。




 日野春公太が忽然と姿を消してから一夜が明けた。

アミダ商会の居間のソファーに腰かけたままクララ・アンスバッハは一睡もしないで朝を迎えていた。

その顔は青白く、凍り付いているようにさえみえた。


「おはようございます。……おやすみになっていないのですね」


 部屋に入ってきた吉岡秋人はため息をつきながらクララに回復魔法をかけた。


「すまないアキト……」

「間もなく各方面から先輩の情報が上がってくるでしょう。有力な手掛かりがあるかもしれません。その前に何か召し上がりますか?」


 吉岡はクララに朝食を勧めてみたがクララはその言葉を無視した。

一晩中クララを悩ませていたある不安がついにクララの口をついて出る。


「アキト、もしかしたら…………もう、コウタは……死んでいるのではないか?」


 ポロポロとクララの両目から涙が零れた。


「クララ様……」

「だって、そうであろう? 生きているのならどうして私の召喚に応じてくれないのだ?」

「結界を施せば召喚魔法を遮断することは可能です」

「私はこれまでもずっと不安だったのだ。送還をする度に、もうコウタは私の元へは帰ってきてはくれないのではないか? 召喚をしても応じてはくれないのではないかとずっと心配だったのだ。だが、二人で愛を誓いあい、ようやく安心できると思っていたその矢先に……」


 普段は絶対に人に弱いところを見せないクララが、震えながら涙を流している姿は痛々しく、吉岡もやるせない。


「ご安心ください、クララ様。先輩は絶対に生きていますよ」

「どうしてそんなことがわかる?」

「私は先輩失踪の裏にはユリアーナ・ツェベライの影があるとみています。あの女はずっと先輩を狙っていましたからね。そして、ユリアーナが犯人なら先輩を殺す必要はありません。魅了魔法で自分の虜にしてしまえばいいだけですから」

「だが……」


 押しつぶされそうな不安にクララが頭を抱えていると扉が開いてホルガーが入ってきた。


「ヨシオカ様の予想はひょっとすると当たりかもしれませんぜ」

「どういうこと?」

「ユリアーナ・ツェベライも姿を消しました。しかも身の回りの世話をするメイドや家庭教師、護衛騎士の奴らも一緒にいなくなっちまったんでさぁ。さらにいえば荷物などもなくなっているから、どう考えても計画的な失踪ですよ」


 吉岡はポンと膝を打った。


「予想通りだな。後は奴らがどこに行ったかだけど……」

「ユリアーナ・ツェベライが使っている御用商人を捕まえて金の流れを聞き出せばある程度の情報は得られるだろう。いなくなった使用人たちの足取りを追うのだ。家族からも話を聞け」


 ハンカチで涙をぬぐったクララは、いつものように冷静に命令を発していた。


「へい。既に手下にはそのように命令をしております」

「ありがとう、ホルガー。少し休んでいきなさい。一緒に朝食を食べよう。アキトも……先ほどは見苦しいところを見せてすまなかった」


 吉岡は無言で首を振ってみせた。


 扉が開いてフィーネが駆け込んできた。


「おはようございます! 見てくださいこれ。よくできているでしょう?」


 フィーネは手に刷りたての紙束を抱えている。


「なにそれ?」

「今日発行の新聞ですよ。ビアンカさんが徹夜で記事を差し替えてくれたんです」


 吉岡の質問にフィーネは自信満々に新聞の一枚を皆にみせた。

大きなフォントで「尋ね人」と書かれた文字の下には銅版画で描かれた日野春公太の肖像が印刷されていた。


「バッハさんと職人さんたちが一晩中頑張ってくれて今回は大増刷をしました。まだまだジャンジャン印刷していますからね。今からこれを町中にばらまいてきます! あっ、懸賞金の100万マルケスはアミダ商会の会計から出すことにしていますけど問題ないですよね?」

「もちろんだ。100万が1000万だって私が払おう」


 クララが久しぶりに笑顔を見せて請け負った。


「じゃあ、エッボを叩き起こして行ってきます!」


 自分以外の皆がコウタを見つけるために動いている。

私も自分にできることをしよう、そう奮起してクララは立ち上がった。



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